Phase.2
一人の青年と一人の少女。
僕は彼女を覚えていない。
彼女は僕を覚えている。
いつ、どこで出会ったのだろうか。
その記憶はとても薄かった。
―――――
「嵩立陽介さん…ですよね?」
不意に名前を呼ばれた。
見ず知らずの――と言うよりは、盲目であるはずの少女に。
――何故、俺だと判ったんだろう。
まさか見えているのか?
いや、それは考えられない。
その証拠に俺へと向けられた二つの瞳は、暗く、光が無い。
誤魔化しようがない、盲目の証だ。
何故この少女は、俺を、俺だと判別できるのか。
とりあえず、探りを入れてみることにした。
「えっと、何処かで会ったことあるかな…?」
陽介は無難な質問を選択し、問いかけてみる。
すると少女は小さく頷いた。
すなわち、何処かで接点があったのだ。
しかし陽介には全く覚えがない。
――あの頃から、記憶が曖昧だな。
少し目を瞑り、過去の記憶を手当たり次第に検索する。
そうすると、一件だけ該当する項目を発見することができた。
まさかとは思うが、聞いてみないことには始まらない。
「もしかして、俺が1年の頃に看護の実習で病院に行ったとき…かな?」
「はい、当たりです。それと声が…とても落ち着きがあって、それで貴方だと」
陽介の答えに薄く笑みを浮かべて手を合わせる少女。
どうやら喜んでいる、というのは端から見ても判るだろう。
「そのとき…病院で、嵩立さんが私のリハビリの手伝いをしてくださったじゃないですか。覚えてないですか?」
今度は少女に問われた。
記憶が曖昧すぎて、よく思い出せない。
確かに、過去に実習と銘打って実際に病院へ行き、そこで看護の助手のようなものをした記憶はある。
自分が担当したのは女の子、とまでは覚えているが、それが盲目――しかも目の前の少女だったかと言うのは思い出せない。
陽介は申し訳なさそうに返事をする。
「うーん…悪いけど、今は思い出せない。だけど、これから思い出すように努力するよ」
またひとつ、課題が増えた。
声、か。
―――――
「ふぅ、ただいま」
自宅へと辿り着いた陽介が呟くように言った。
どこにでもあるような、一階建ての小さな一軒家。
そこが、陽介の自宅だ。
玄関の段差に座り、靴を脱ぐ。
それと同時に背後から足音が聞こえた。
足音の間隔は加速度的に短くなり、音は次第に大きくなってくる。
そして次の瞬間、足音が消えたかと思うと――。
背中から、ゴスッという鈍い音と鈍痛が走り抜けた。
「うぐあっ!?」
真後ろからの衝撃をモロに受けた陽介は思いきり前のめりになる。
普通に痛ぇ。
何なんだよ、まったく。
そんなことを思っているうちに、ぶつかってきた物体が声を発した。
「おかえり、兄さんっ」
「瑠佳…お前ってやつは」
嵩立 瑠佳。
陽介よりひとつ年下の、妹に当たる存在。
昔は人見知りが激しくてやたらおとなしかったが――今は逆だ。
ブラコン、というやつだろうか。
事あるごとに陽介に引っついてまわるため、彼にとっては少し鬱陶しかった。
だが、不思議と嫌ではなかった。
「瑠佳、家に上がりたいからとりあえずどいてくれ」
前のめりになった、もとい、されたまま陽介は願う。
このままでは色々とまずい。
特に背骨あたりが。
いずれ猫背になってしまうのではないか、と思った。
「あっ、ごめんなさい…えいやっ」
瑠佳が発した、よく分からない掛け声と共に背中にあった妙な重量感が消える。
これで、晴れて自由の身だ。
陽介の上体は流れるように起き上がり、同時に膝を伸ばして立ち上がる。
どこかが軋むような音がしたが、気にしない。
「ところで、今日は短縮授業だったよね?兄さんが寄り道するとは思えないし…何かあったの?」
「人と話してた」
瑠佳の質問に即答する陽介。
一応、事実だ。
それ以上は何も言うまい。
陽介は足早に自分の部屋へと入ろうとしていた。
だが、その直後。
グイッ、と首の後ろに力学的エネルギーが働いた。
これは――そう。襟を引っ張られている時のそれだ。
しかし、いきなりの出来事に対応できる陽介ではなく、体勢を崩してしまう。
それと同時に、首が若干絞まった。
「ぶっ!?」
思わず声をあげてしまう陽介。
「兄さん…私というものがありながら、他の女の人に会いに行くなんて酷い」
「お前何か妙な勘違いしてないか!?しかも私というものが、ってお前は妹だろうが!!」
妹のとんだ勘違い発言に対し、やや叫ぶような声で否定する陽介。
確かに会話をしていたのは女性だが、別に言うほどの事でもない。
そんなことを思いながら、陽介の意識は徐々に深い所へと沈んでいった。
そう、首が絞まったままである。
気絶する前に瑠佳が何か言っていた気がするが、よく聞き取れなかった。
―――――
翌日。
昨日は(瑠佳のせいで)さんざんな目に会いながらも、清々しい朝を迎えた陽介。
時刻は午前7時と半分ほど。丁度いい時間帯だ。
陽介は軽く伸びをして、朝の作業に取り掛かる。
しかし作業と言うほど大層なものではなく、要約したら朝食と着替え程度のものだ。
手早く着替えを済ませ、部屋を出る。
たまにはちゃんとした朝も過ごしてみたいが、何だか面倒そうなのでやめておくことにした。
時間も時間なのだが、ゆっくりと登校するのも悪くない。
そう考えた陽介は、居間から食パンひと切れを調達して家を出た。
それから数分して、思い出したことがひとつあった。
――瑠佳を起こすの、忘れてた。
でもまぁ、いいか。
今日からまた、いつも通りの日々だ。
何もなければ。
To be continued...




