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16話

 それから僕と田は準備を整えて、庵の出入り口に立っていた。


「何はともあれ……色々とお世話になりました」


「いえいえ、素晴らしくも美しい光景を幾度も見せて頂き、こちらこそ感謝感激です。ハハハハハ! ああ、そちらの金の床に立って頂ければ楽に下まで戻れますぞ」


「……また何か……いかがわしい仕掛けでもあるんじゃないでしょうね」


「それは素晴らしい案ですな! 今度客人が来た時の為に作っておきましょう! ハハハハハ!」


 ――やはり、幻子はただの助兵衛老爺なのかも知れない。

 僕は高笑いする幻子に答えず、田と金の床に向かった。

 ふと、僕は金の床の傍に大きな黒い燭台があるのに気付いた。燭台の上には蝋燭の代わりに白く光る何かが薄く光っている。


「これは……白宝玉?」


 僕が振り返った時、幻子の姿は影も形もなかった。


「兄貴! とっとと帰りましょう!」


「ああ……すまない」


 僕は燭台と白宝玉が心に引っかかったが、田に言われるままに金の床の上に足を乗せる。

 金の床は音も無くせり上がり、天井にある穴へと伸びていった。


「あなたが……思うままに生きられますよう……願っております」


 闇の中で、幻子の小さな声が聞こえた気がした。


 やがて、暗がりの中で金の壁が淡く光って、辺りの様子が伺えるようになった。僕達はどうやら円柱の内側に入り込む格好になっているようだ。


「うわ……また体が……」


 僕達は空中に浮かんでしまった。吐き気がして気分が悪くなったが、暫くすると先ほどまで天井だった部分にふわりと着地出来た。

 ――すっかり忘れていたが、さっきまで天地が逆さまになっていたのだった。

 もう一度ひっくり返る事で、やっと天地がまともになったのだろう。

 ふと金の壁を見ると、所々透明になっており、薄暗い塔の内部に白い樹皮がぼんやりと見えた。

 上へと流れて行く樹皮を見る限り、僕達は間違いなく地上へと降って行っているようだ。

 ふと、田が少し俯きながら話し掛けて来た。


「あの……兄貴……実は俺言わなくちゃならない事があって……」


 言ってみろ、と促すと、田はしっかりと僕に目を合わせた。


「実は……南の村で疫病が流行っているというのは嘘でして……本当はお父だけなんです……兄貴を騙すような事をしちまって……本当にごめんなさい」


「そうか……まあそんな気はしていた。南の村は塔の上から見えたが、疫病が流行る程大きな村には見えなかった」


「俺……最初から兄貴を騙すつもりで……」


「人を騙すのは良くない事だ。しかし、正直に話してくれたのは嬉しく思う。それに、一人の命でも助けられるなら、こんな苦労は何でもない」


 僕は麻袋から薬草の束を取り出して、田に渡した。


「兄貴……ありがとうございます……どうしよう……俺……何もお礼できる物なくて……」


 泣きじゃくりそうな田に、僕は微笑んだ。


「お礼など良い。ただ、もし困っている人を見つけたら出来る限りでいいから、助けてやってくれ。……それと、賊徒はお前には似合わない。もう二度とそんな真似はするなよ」


「はい兄貴! 必ずそうします!」


 やがて、外への道がひとりでに開いた。廊下の先から差す外の光に眩みそうになりながらも塔の外に出る。

 外の光に目が慣れてきてから振り返るってみても、開いていた筈の出口は初めから無かったかのように見当たらず、白い樹皮の壁があるだけだった。


「じゃあ兄貴……俺はお父の病気を治しに村に戻ります。……短い間でしたが、ありがとうございました。……兄貴が世直しの大業と、理由探しを……どうか成し遂げられるよう祈っています」


「……元気でな。いつかきっとまた会おう」


 南の村へと、森の獣道を分け入って行く田の背中を見送る。

それから僕も長城の上へと戻り、南蛮への旅路を再び歩んで行った。




 それから僕は、谷山を縫うように曲がりくねって走る長城を歩んで行った。

 いくつか谷を抜けると、東の令国側には瓦屋根の大きな都が、西の凡夏国側には広大な草原が広がっていた。

 その頃から長城はすれ違う人の数が格段に増え、守備隊らしき姿も見えるようになった。僕は一応警戒して長城の傍の町を通る人通りの少ない路地を歩くことにした。

 煉瓦の曲線の梁がそこかしこで空を隠す薄暗い路地を進んでいると、酒場にたむろした男達がなにやら噂話をしていた。


「……慶さんの羊が虎魔獣に食べられたと聞く」


「……俺の犬も森に入ったきり帰ってこなかったな」


「月に一度だった防人の魔獣退治も、最近はあちこち転進して帰ってきてもすぐに出立で随分と忙しそうだな」


 僕は軽い胸騒ぎを憶えつつも都を抜けて行った。


 再び人影がまばらとなった長城に戻り、南西へと歩んでいくと、地平線の近くの空が気持ち黒ずんでいるのに気付いた。

 敵台でいくつもの夜を明かしながら進むと、やがてくっきりと黒い壁が草原の彼方に聳えているのが分かった。……天長城だ。

 僕が魔帝の儀を抜け出してこの天長城を超えて陶華と旅を始めてから、二月は経っただろうか。

 まだ帰る訳にはいかないが、それでも魔帝城の部屋の窓に映っていた姿そのままに聳える天長城は何とも懐かしく、頼もしくも思えた。


 敵台で夜を明かし、朝焼けで目を覚ました時だった。鐘を打つような断続的な音が僕の鼓膜を揺らしたのは。

 ――何だ、この音は。


 目を閉じて耳に意識を集中する。ひときわ大きい鐘の音の合間に、怒号のような声、悲痛な叫び、鉄のぶつかり合うような音。それも大人数だ。

 ――堪らなく嫌な予感がする。


 音は天長城の方角から響いていた。……間違いなく何かが起きている。

 僕はざわめくような胸騒ぎを誤魔化すように走り出した。

 息を切らしながら、脇腹と脚の痛みを堪えながら走り、息が切れたら早歩きで落ち着くまで待ち、また走り出す。

 やがて、叫び声が段々と減り、やがて消えて行った。唯一残ったのは、あの鐘を打つような重く、低い響だけだった。


 ――劾銅だ。

 僕は確信していた。劾銅の左胸は、陶華が確かに貫いた。それでもあの大きな響きには、劾銅の燃え滾る炎のような執念と憎悪が込められているように感じられてならなかった。


 劾銅の姿は、やはりそこにあった。

 それは小さな谷を迂回するように抜けて視界が開けた時だった。

 劾銅は、腰に布を巻いただけの半裸姿で立っていた。紅く紅潮し山脈のように隆々と盛り上がった背中と、大木のように膨れ上がり赤黒い血管を根のように走らせた腕に、白宝玉を斑点のように無数に埋め込み、立っていた。

 劾銅は……魔族と親衛隊と思しき亡骸がない交ぜになって浮かんだ血の海に、ただ独り立った劾銅は……巨大な戦棍を天長城へと何度も何度も叩き付けている。

 そして、血管から血を飛ばし、砕いた天長城の破片を身に受けながら、その愛と憎しみが全て込められたかのような重迫撃で、天長城と僕の鼓膜を砕かんばかりに震わせていた。

 その姿は、正に鬼神だった。


 僕には、劾銅の姿が大きく、それとは対照に今にも大穴が開きそうな天長城が低く、頼りなく感じられた。

 否、錯覚ではなかった。


 どういう訳か何度瞬きしてみても、以前僕の二倍程度だった劾銅の背丈は更にその二倍は大きくなっている。その名の通り雲を突き破り天に聳えていた筈の天長城は、半分程度の高さになっている。

 劾銅は天長城に入った小さなヒビを瞬きもせずに睨みながら、大きく呟いた。


「魔族……! 根絶やしに……してくれる……!」


 低い……あまりにも低い声だった。


「魔帝……! 許さない……断じて……!」


 怯える事も出来ず、呆けるように立っていた僕は、その時初めて我に返った。

 そして、強く歯を食いしばった。


「……劾銅!」


 ――縮んだ天長城を見た時から、僕の頭にはある仮説が巡りまわっていた。魔帝の儀が存在する理由を証明する……ある仮説が。

 その疑惑に過ぎなかった仮説は、劾銅の迫撃で容易く破片を散らす天長城を見つめる度に真実味を帯びて行くのだった。


 僕は胸壁に括り付けた麻縄を伝って血の海に降り立つ。

 そして糸に引かれるように自然に、血の海を劾銅へと向かって行く。

 不思議と僕は恐怖を感じていなかった。

 ふと、血の海に浮かんだ亡骸の傍に、不格好な造形の翡翠の腕輪が浮かんでいるのを見つけた。


 ――見覚えがある。……これは僕が作った腕輪だ。

 そして、僕はその亡骸を見つけた。


「ルドラ……アノン……」


僕は景色と頭の中が歪むように崩れて行くのを感じた。

 二人の亡骸は、苦悶とも安らぎとも言えない表情のまま虚空を睨んでいた。

 僕は体を震わせて全身の寒気と鳥肌を振り払い、劾銅の影を睨んで溢れ出る涙を必死に堪えた。

 そして、一歩、また一歩と、響く重撃に合わせるように歩を進め、劾銅へと歩み寄った。


「劾銅!」


 百尺程の間を開けた場所で、僕は叫んだ。


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