13話
松明の明かりが、風に揺られながら近付いて来た。
田が帰って来たのは、煉瓦の部屋もすっかり完成したその日の夜更けの事だった。
「猿兄貴! 戻って来やした!」
ご苦労だった、と軽く労わりながらも、僕は胸を撫でおろした。
田は親衛隊に僕を売る気ではないか、とずっと不安だったが、要らぬ心配だったようだ。
「旅人とか、信頼の置ける物知り婆さんにもさりげなく話を聞いてみたりしたんですが、親衛隊を見たとか、国軍に怪しい動きがあったとかいう話はとんとなかったです。もちろん足が付くような真似はしてないですぜ」
「分かった。家とも言えないが、今日はここで休むといい」
「おおっ! 流石兄貴! 隠れ家みたいですごいです!」
僕はしたり顔になりながらも田の寝そべる場所を開けた。
少し肌寒かったので、僕は田と身を寄せ合って横になった。
体の急な変化が立て続けに起こり、気が滅入っていた僕には、田が横にいてくれるだけで嬉しかった。
「……ありがとう、田。……戻って来てくれて」
「何言ってるんですか兄貴! 俺は兄貴の食客だ! 水臭いですぜ!」
田は笑顔でそう言うと、やがて寝息を立てだした。
僕は開いた天井で輝く満月が少し眩しかったので寝返りを打ち、そのまま瞼を閉じた。
「困ったことがあったら、何でも頼むといい」
「……早速ですけど……実は頼みがあるんです!」
「そうか。何でも言うがいい」
「実は、南の村が疫病で困ってたんです。治すには南西に見えてる、天まで聳えるあの馬鹿高い塔……白梁塔っていうそうですが。そこの天辺に生える薬草が必要らしいです。でも魔獣が住み着いてるってんで誰も取りに行けないでいる、との事です」
僕は防人の町での失敗を思い出し、何か裏目に出る事がないかと暫く考えたが、思い当たる節はなかった。
人助けの為なら、多少の寄り道はやぶさかではない。
それに、天高く聳え立つ塔というのも気になる。
誰が、一体何のためにそんな塔を建てたのだろうか。
もしかしたら、この塔に登れば「魔帝の儀」が行われて来た理由にも近付けるかも知れない。
「兄貴! どうするんですか?」
「僕が何とかしよう。明日の朝に早速出発するぞ」
「流石兄貴! そうでなくっちゃ!」
僕と田は、長城の残骸で夜を明かした。
そして森を抜けて一度長城の上に戻り、南西を見渡す。
長城の果ての山脈の稜線の向こうに、うっすらと白塔が見える。
「あれが白梁塔。旅する方向と同じだからちょいと寄り道すればすぐですぜ!」
僕は敵台で田と夜を明かしながらも、三日後の昼には白梁塔へと辿り着いた。
ふと、甘えるような猫の声がした。……田の仕業か。
「またお前か。もう飽きたぞ僕は」
そう言いつつも軽く笑みがこぼれた。
「へへっ! すまねえ兄貴。やっと辿り着いたんで嬉しくてついやっちまったよ」
他愛もない会話を交わしつつも白梁塔の様子を確認する。
一周してみたが入り口らしき物は全くない。何とか這い登るしかなさそうだ。
周径は千尺以上あるだろうか。図鑑で見た杉の大木よりも間違いなく太い。
円柱状の塔の表面は所々窪みがあり、白くザラついていた。
高さは見上げると首が痛くなる程だ。
頂上の辺りは壁がなくなっていて部屋のようになっており、その上には円盤状に大きく膨らんだ屋根が載っている、不思議な事にこの屋根は支える柱も見当たらず、塔から浮いているようにすら見える。
「……とんでもなく馬鹿デカい茸みたいなもんですかねぇ……天井の膨らんでる所が笠って考えたら合点が行きますぜ」
確かに、言われてみればこの塔は細長い茸のようにも見える。
僕は腕組みして塔をただ見上げた。
「さて……どうやってこの茸を登り切るか……」
「突っかかりも何もないですぜ……」
塔の表面には座れそうな窪みが所々あるが、手掛かりにするにはあまりにも遠すぎる。
僕は短刀を取り出し、塔の表面に突き刺してみた。
上手く刺さらなかったが、切り口からドロドロの琥珀色の汁が垂れ出た。
匂いを嗅いでみると、鼻を刺すようなツンとした香りと微かな甘い香りが混じった不思議な芳香だった。
「これは……樹液ですぜきっと! この塔は大木だったんだ!」
僕は驚いて塔を見上げた。
「大木と言っても、枝や葉のような物は見当たらないが」
「……確かに……でも表皮は白樺に少し似てますぜ」
僕は何の気なしに、溢れた樹液を触ってみた。すると、樹液はべた付きながらも、少し固くなっていた。
「田! この樹液を足場にして登ることは出来ないか?」
「……おお……なんて機転だ! 流石猿兄貴! やってみまさあ!」
田は背負った木鞄から短刀を取り出し、塔の表皮にいくつも傷をつけて暫く待った。
そして固まった樹液に、両手に持った短刀を交互に突き立てつつ、足を引っかけて登り、また塔の表皮を傷つけて、固まるのを待ってから登って行った。
それを繰り返していく内に、田の足は僕の背丈の二倍の高さまで登っていた。
「おお! 行けそうですぜ!」
「良し。じゃあ僕も登るから、このままどんどん取っ掛かりを作ってくれ。僕は音を聴いて田が足を踏み外しそうだったり、樹液が崩れそうだったりしたら知らせよう」
「わかりやした! この『木登りの田』にお任せください!」
「お前は木登りも得意だったのか。随分と多芸だな」
「いえ……景気付けに今しがた自分で作った二つ名でさあ……」
「何とも調子のいい奴だ」
苦笑いする田に軽く笑い返す。何でも器用にこなし、おどけているがしっかり者な田の事を僕は少し好きになっていた。
それから僕は田に続いて塔を這い登って行った。まず目指したのは地上から百尺程の高さにある大きな窪みだった。
樹液に短刀を突き刺して溢れ出た樹液が固まるまで待って登るのは、思った以上に苦しかった。
それでも僕と田はなんとか窪みに辿り着く事が出来た。
「……よし! 一旦ここで休憩しよう」
「大丈夫ですか……兄貴……」
何とか大丈夫だ、と答えて息を吐く。
僕は息を落ちつけながら田と隣り合って座り、広がる森の景色を見渡す。
……もう落ちたら怪我では済まない程の高さまで来てしまっている。
それから三回窪みで休憩しながら塔を登り、僕と田は寝そべる事が出来る程大きな窪みへと辿り着いた。
窪みには少し水っぽい樹液が溜まっていて、服にベタベタが貼りついてしまった。
息を整えながらも地上を見渡した僕は、あまりの高さに思わず身震いしてしまった。
田も下を見ないようにする為か、変に上目遣いをして窪みの方を向いている。
「日も暮れて来たし、今日はもう寝よう」
「……そうですね」
田は少し疲れた様子でそう言った。
僕は顔を顰めながらも、樹液に服を貼り付けるように寝そべる。
服がベタつきそうだが、こうしておけば寝返りをうって地上まで真っ逆さまになる事態は防げるだろう。
「もし魔獣が来たらまずい。田は奥で寝てくれ」
田は首肯して、言われた通り窪みの壁側に転がる。
「おやすみなさい……兄貴……」
田はいつものようにすぐに寝息を立て出した。
僕はその寝顔を安らかな心地で見守った。こうして改めて見ると、背丈こそ変わらないが僕より幾分幼く見えた。
――僕にもし弟がいたら、こんな感じなのだろうか。いや、兄貴と言って慕ってくれているし、田は既に僕の弟なのかも知れない。
そう思うと何だか一層愛らしくなって、僕はずり落ちそうな田の外套を引っ張って肩まで掛け直してやった。




