俺は竜王じゃない、人間だ!
あの手から、どうやって逃れられたのかは、――憶えていない。
でも……。
ラ・トビアの記憶に残るのは、いつも酷いことばかり。
■ ■
ドラゴンが……。
あまりにも大きなドラゴンが大地に縫われるよう、無理やり押さえつけられていた。
先発隊となった騎士団たちの手によって、無理やり広げられた翼にはいくつもの丸太が杭となって打たれている。
大きな翼は仰げば暴風を生み、周囲の木々さえもなぎ倒すだろう。
その威力を前に、太刀打ちできる人間などいやしない。
――だからと言って、杭を打って動きを封じるなんて……。
相当暴れて、抵抗したのだろう。
翼はボロボロになって、いくつもの場所が裂けている。
あれではもう、空は飛べない。
――逃げたくても、帰りたくても、もうどこにも行けない……。
長く太い尾は、振れば周囲を容易く薙ぎ払う力があるので、それができぬよう、付け根に近いところから無残に切り落とされていた。
騎士団たちによる蛮行のせいで、尾の切り口の肉はすでに壊死。
一帯には腐臭が漂っている。
落とされた尾はもう、どこにも見当たらない。
――こんなにも酷い目に遭っているドラゴンを前に。
どうして騎士団たちは勝利の顔をし、安堵し、ドラゴン退治を誇らしく思う、そんな顔をしていられるのだろう?
どうして――。
――人間はこんなにも酷いことを平然と行えるのだろう?
「ひ……酷い……ッ」
ラ・トビアの目は恐怖で見開いた。
「いやぁああッ」
耐えきれず、そのまま悲鳴を上げる。
ラ・トビアは王都の王府で、酷い目に遭った。
竜王だ、と急に騒がれて、一時は捕縛されたが、それでもラ・トビアに理解を示してくれていた騎士団の団長がラ・トビアを助けて攫い、そのまま騎馬の心臓が破裂する寸前までラ・トビアを北の地域まで運んでくれた。
――もしかすると、間に合うかも!
ラ・トビアはわずかな希望を胸に抱き、ひたすら囚われたドラゴンの身を案じたが……。
遅かった――。
ラ・トビアは、連れてきてもらった団長の騎馬から転げ落ちるようにして、痛々しい姿のドラゴンに駆け寄る。
「お願いッ、もう何もしないでッ」
ラ・トビアは必死になって、ドラゴンをまだ囲もうとする騎士団たちに懇願する。
鎧甲冑を着る彼らは今度、何をしようというのか。
巨大なノコギリを四人がかりで抱えているではないか!
まさか、あれで……?
「お願いッ、もうドラゴンを虐めないでッ!」
――ああ、何で?
どうしてッ!
ラ・トビアは走りながらドラゴンに向かって手を伸ばす。
周囲は突然現れた小柄な少年におどろき、事情を知らないだけに騎士たちは正装と手を伸ばしたが、ラ・トビアを連れてきた団長がそれに頭を振り、「好きにさせろ」と黙して伝える。
「酷い、爪までこんなに折られて……」
確かにドラゴンは大きくて、怖くないという印象はない。
だからと言って、たった一匹に対して、周囲の騎士団たちはどれだけの恐怖と痛みをこの子に与えたのだろう?
ラ・トビアは怖くて、想像もできない。
「ごめんね、ごめんね……」
すぐに助けることができなくて。
ラ・トビアは「もう大丈夫だから」と伝えたくて、小柄な少年の身体から溢れる愛情で安心させようと、大きなドラゴンの顔に近づく。
ドラゴンは、突然現れたラ・トビアには何の抵抗もしない。
できるはずもない――。
本来なら獰猛ではない、優しい温かさを持つドラゴンからはもう、その温もりが失われつつある。
悲痛なドラゴンを見て、ラ・トビアもおなじぐらいに血の気が引く。
「ああ……」
もとは美しい褐色の鱗だっただろうに。
ドラゴンはあまりにも酷く身体を痛めつけられたせいで、鱗もボロボロに逆立ち、すでに衰弱死寸前の暗い色へと変じている。
まだ、間に合うだろうか?
いや!
助けに来たのだから!
「もう大丈夫だよ。俺、絶対に治すから!」
くじけるものか、とラ・トビアは自身を鼓舞するが、すでに目は虚ろ、息絶え絶えのなか、辛うじて生きているドラゴンはもう気力も持たない。
「大丈夫、大丈夫だから」
ラ・トビアにとってドラゴンは、生まれたときから身近にいて、それは家族や兄弟、友人のように近しい関係だった。
その友人が、こんな目に遭うなんて――。
「大丈夫、俺は絶対に虐めないから」
そう言って、これ以上怯えさせないようにゆっくりと顔を、痛々しい鱗を優しく撫でる。
「俺は、ラ・トビア。ドラゴンはみんな、友だちなんだ。きみとも友だちになりたいから、――だから、怖がらないで」
怖くない。
怖くないから。
怖がらないで。
触れる手のひらに想いを乗せて、ラ・トビアはゆっくり、ゆっくりと撫でる。
ドラゴンはそれに安心したのか、呼吸がわずかに和らぐ。
そして、やっと理解してもらえるのだと、ドラゴンは力尽きる目に涙を浮かべる。
――助けて……。
――助けて……。
あまりにもか細い声が聞こえてくる。
ラ・トビアにはそう聞こえた。
「うん、そうだよね。怖かったよね」
ドラゴンの息が、怖かった、と伝えるようにラ・トビアにかかる。
「うん、痛いのに、よくがんばったね」
ほんとうに、この状態になってもよく耐えた。
酷く痛むのに、よく……。
ラ・トビアは安堵と悲痛が交り、瞳を大きく揺らす。
瞳は堪えがたい熱を帯びて、大きな涙を生んで、頬へと溢れる。
溢れた涙はもう、止まらない。
「ごめんね、ごめんね」
ラ・トビアは何度も目もとを拭いながら、ドラゴンに向かって強く念じる。
刹那――。
ドラゴンが臥す大地に、その巨体をそのまま囲むような魔法陣が浮かび、発光する。
複雑な陣形、文字、絵が高速で円陣内を回りはじめた。
青白い光が強烈な閃光となって力を生みはじめる。
そのまぶしさに耐えきれないのか。
それとも、もう尽きてしまうのか。
ドラゴンは目を開けていない。
それでもラ・トビアは魔法陣に注ぐ力を緩めない。
周囲の木々や草が光に煽られて揺れるが、激しさはなかった。
光は強烈だが、穏やかな慈愛のように柔らかくて、心が落ち着く。
――あと、どれくらい……。
どれだけの自然エネルギーを注げば、ドラゴンの傷を癒すことができるのだろう?
ラ・トビアはあらゆる理論を構築させて魔法陣を操るが――。
「……あ……」
ドラゴンは最期、閉ざしていた目から涙を一滴こぼし、息絶えた――。
――その後。
ラ・トビアは自身がどうなったのか、憶えていない。




