第二十五話 公開裁定、争点は「反逆の意図」
貴族院の大広間だった。
高い天井からいくつもの旗が、垂れている。ずらりと並んだ貴族たちの席。その最奥、一段高い玉座に、この国の王が臨席していた。アルテナ王国の貴族裁判。反逆の罪を、公に裁く場だった。
しん、と冷えた厳かな空気が、広間を満たしていた。居並ぶ貴族たちの視線が、一斉に、被告席の俺に注がれている。好奇、侮蔑、憐れみ。様々な色の無数の目。その重さに、並の令嬢なら立っていることすらできなかっただろう。
だが、俺は背筋を伸ばした。ここで俯けば終わりだ。やましいことなど何もない。その事実だけを支えに。
被告席に立たされているのは俺――ラヴィニア・ド・クロワ。
告発したのは王太子アルベリク。罪状は王位の簒奪を企てた反逆罪。
この国の貴族裁判は四つの段階を踏む。告発、証拠審理、貴族院の評決、そして、王の裁可。罪が確定すれば待っているのは、処刑か、国外追放か、修道院送り。簒奪などという大罪では、まず、いちばん重いものになる。
つまり、ここで負ければ、俺は死ぬ。
修道院送りで済んだ原作のラヴィニアより、なお悪い。後ろ盾を失い簒奪の大罪を着せられた今、待っているのは断頭台だ。たった一度の評決で、すべてが決まる。前世でどれほど大きな商談に臨んだときも、これほどの重圧はなかった。命が文字通り、天秤にかかっている。
被告には後ろ盾による弁護人を立てる権利がある。だが、本来なら俺にはそれがなかったはずだった。実家のクロワ公爵は離反した。後ろ盾を失った被告は、弁護人すら立てられず、一方的に裁かれて終わる。それが、孤立した者の定めだった。
だが、今、俺の隣には一人の男が立っていた。
ライラック侯爵、アイゼン・フォン・ライラック。貴族院に議席と発言力を持ち、そして――俺の夫。
実家を失った俺の、唯一の後ろ盾。
それが彼だった。
契約から始まった関係だった。損得で結んだだけの婚姻。だが、その「夫」という肩書きが、今、俺の命綱になっている。実家に見捨てられ、一人になった俺の、ただ一つの盾。
皮肉なものだと思う。生き延びるために無害だと思って選んだ男。その男が、まさか、最後の最後に俺を生かす唯一の鍵になるとは。
アイゼンは、隣で静かに前を見据えていた。その横顔には迷いも気負いもなかった。
審理が始まった。
王太子は声高に、告発を繰り返した。クロワの血筋と、ライラックの武力。その結合は、反王家勢力の形成にほかならない。この女は侯爵を篭絡し、王位を簒奪せんと企てている――と。
厄介なのは、その「外形」を否定できないことだった。
簒奪の罪は、反王家勢力という客観的な事実で判定される。高位貴族の血筋と、国内最強の独立武力が結びついた。それは、紛れもない事実だ。婚姻という形で、すでにそこにある。いくら言葉を尽くしても、その配置そのものは覆せない。
だから、アイゼンが争うべき点はただ一つだった。
事実の否定ではない。
意図の不在。
反逆の「意志」が存在しないこと。それを証明する。それだけが、唯一の活路だった。
アイゼンは、弁護人として立ち上がった。
まず、彼は、時系列を突きつけた。
「被告ラヴィニアは、宮廷の中心から、自ら距離を取った。王太子殿下の周辺を離れ、辺境へ退いた。もし、簒奪を企てる者なら、その逆をするはずだ。宮廷に深く食い込み、味方を増やし、中央に影響力を伸ばす。被告はことごとく、その逆を行った。これが、王位を狙う者の振る舞いか」
理に適った反論だった。簒奪を企む者は、力を中央に集める。だが、ラヴィニアの動きはその正反対。求心ではなく遠心。中心からひたすら遠ざかる動きだった。野心家の行動原理とは、明らかに矛盾している。
アイゼンの声は淡々として、それでいて隙がなかった。感情に訴えるのではなく、事実と論理だけで一つずつ外堀を埋めていく。さすが、と俺は内心で唸った。これが、宮廷工作で内通者まで作り上げた男の本領か。
貴族たちの間に、ざわめきが走った。
次に、アイゼンは証拠を示した。彼が水面下の工作で集めていたものだ。王太子派がこの告発のために、いかに証言を捏造し、貴族たちに圧力をかけたか。その経緯を裏づける書状や、内通者の証言。準備された罠であったことが、一つひとつ明るみに出ていく。
そして、証人が立った。
一人は、宮廷魔術師ユーリ。
「私は魔術師として、被告の魂を検めました」と、ユーリは淡々と述べた。「結論を申し上げます。被告の内には反逆の意志はありません。王位への欲も王家への敵意も。……私の魔術に偽りはございません。これは、保証いたします」
ユーリは俺の魂が「異物」であることには、一言も触れなかった。約束を守ってくれたのだ。意図の不在だけを証言し、いちばんの秘密は伏せたまま。
危ない橋だった。あの男が口を滑らせれば、俺の転生が白日の下に晒される。そうなれば、簒奪どころかもっと得体の知れない罪で裁かれかねない。だが、ユーリは見事に線を引いた。研究のためと嘯いていたが――あの男なりに、こちらの秘密を守ろうとしてくれている。それが伝わってきた。
もう一人の証人は、ステラ・メイズだった。
男爵令嬢の身で、彼女は震えながらも、はっきりと証言した。ラヴィニアが、いかに、自分に優しくしてくれたか。誰かを陥れるどころか、孤立した自分に自分の足で立つ勇気をくれた人であること。そんな人が、国を乗っ取ろうなど考えるはずがないと。
形勢が傾きはじめた。
貴族たちの顔に、疑念が浮かぶ。これは、本当に簒奪の企てなのか。それとも、王太子の私情によるでっち上げなのか。
追い詰められた王太子が、なおも言い募った。
「言葉など、いくらでも飾れる! 証拠も、証言も、この女と侯爵が口裏を合わせたものに過ぎぬ! 現に武力はそこにある! いつ、牙を剥くかわからぬのだぞ!」
そのとき、俺は自ら口を開いた。
「殿下」
被告が自ら発言することなど異例だった。広間がしん、と静まる。俺は玉座の王と、居並ぶ貴族たちを、まっすぐに見渡して言った。
「私に王位を狙う気は、一切ございません。証明しろと言われても、心の中はお見せできません。ですが、これだけは申し上げられます。――私はただ、生き延びたかった。それだけなのです」
飾りのないまっすぐな言葉だった。
「宮廷を離れたのも、侯爵と婚姻を結んだのも、すべて、穏やかに暮らすため。誰かを蹴落とすためでも、玉座を狙うためでもありません。もし、私の行いが結果として反逆のように見えたのなら――それは、私の世渡りが下手だっただけのこと。野心ではございません」
言いながら、俺は奇妙な落ち着きを、感じていた。
嘘をつく必要がない。取り繕う言葉を探さなくていい。ただ、本当のことを、本当のまま口にする。それは、これまでずっとアイゼンに対してやってきたことと同じだった。嘘の匂いを嫌うあの男に。その積み重ねが、今、この大舞台で効いていた。
腹芸が渦巻くこの場所で。
誰もが言葉の裏を読み、思惑を探り合う、この貴族院で。
俺の何の裏もない、ただまっすぐな直球は――かえって、誰よりも強く響いた。建前で武装した貴族たちが、丸腰の真実を前に言葉を失っていく。社交界の夜会で、一度、見た光景だった。あのときの予行が、今、本番で生きていた。
貴族院の空気は、決定的に傾いた。
王が静かに口を開きかける。評決はもはや、見えていた。簒奪の企てはなかった。これは、王太子の私情による告発である――と。
だが。
その瞬間だった。
評決を待たずに。
追い詰められてすべてを失いかけた王太子が――理性の糸を断ち切った。
「黙れ……黙れ、黙れっ!」
彼は目を血走らせて叫んだ。
もう、誰の目にも明らかだった。冷静な告発者の仮面は剥がれ落ちていた。残っていたのは、欲しかったものを手に入れ損ねた、一人の駄々をこねる子供だった。物語の中心を失い、空虚を抱え、その空虚を俺を断罪することで埋めようとした男。その目論見が、今、衆人環視の下で崩れていく。それに耐えられなかったのだ。
「ならば――力で決めるまでだ!」
言葉で勝てぬとなれば力で。最後までこの男は、人を自分の思い通りに動く駒だと思っていた、父クロワ公爵と同じだった。盤上の理屈が通じぬとなれば、盤ごとひっくり返す。
だが、それは、最悪の悪手だった。
その合図と共に広間の扉が荒々しく開け放たれた。
なだれ込んでくる、武装した王太子派の私兵。
裁定の場が、戦場へと変わろうとしていた。




