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第二十二話 気づけば、味方ばかりが集まっていた

 反撃すると決めても、こちらは圧倒的に不利だった。


 王太子派は王家の権威を背負っている。クロワ公爵家も敵に回った。対するこちらは辺境の一侯爵家。いくらアイゼンの武力が強大でも、王家そのものと正面から事を構えれば勝ち目は薄い。数の上では孤立無援に近かった。


 だが――その「無援」は、思っていたほど無援ではなかった。


 戦というのは、数だけで決まるものではない。前世で何度も見てきた。圧倒的に不利な側が土壇場でひっくり返すことがある。鍵はたいてい、人の心だ。誰が本気でその旗の下に集まるか。金や権威で繋ぎ止めただけの者は、いざとなると脆い。だが、心からその人のために戦おうとする者は強い。


 そして、俺の周りには、いつのまにか後者ばかりが集まりはじめていた。


 最初に動いたのは、屋敷の使用人たちだった。


 弾劾の噂は、当然、邸の中にも広まっていた。普通なら、沈む船から鼠が逃げ出すように、使用人が暇を願い出てもおかしくない。謀反人の屋敷に仕えていたとなれば、累が及ぶ。逃げるのが賢い。


 だが、誰も逃げなかった。


 一人として暇を願い出る者はいなかった。それどころか、屋敷の空気は危機にあって、かえって引き締まっていた。皆、いつも以上にきびきびと働き、警備の者は夜通し目を光らせた。沈むどころか結束していく。そんな船は滅多にない。


 それどころか、ある朝、俺が庭に出ると庭師頭のヘルマンが、仲間を引き連れて待っていた。


 「奥様」と、ヘルマンは節くれだった手で帽子を取った。「俺たちは、ここを動きませんぜ」


 「ヘルマン……」


 「妙な噂が立っているのは知ってまさあ。王位だの、簒奪だの。けど、俺たちは知ってる。畑を耕す奥様をずっと見てきた。泥まみれで、土に這いつくばって、俺たち下働きの話をちゃんと聞いてくれた奥様だ。そんなお人が、国を乗っ取ろうなんて企むタマじゃねえ。……そんなこたぁ、屋敷の誰もが知ってまさあ」


 ヘルマンの背後で、庭師仲間や、下男たちが、揃って深く頷いた。日頃、口数の少ない男たちだ。その無言の頷きがどんな雄弁な誓いより重かった。


 厨房からは、料理長のベルントが出てきた。


 「奥様。腹が減っては戦はできねえ。何があろうと、俺はいつも通り旨いもんを作りますぜ。奥様が出汁の引き方を教えてくれたあの厨房で」


 マリアンヌは、もう半泣きだった。


 「お嬢様。私は最後までお側におります。クロワ式の所作を、世界でいちばん極めた侍女として……お嬢様をお守りします」


 クロワ式はもういい。だが、その気持ちはありがたかった。


 俺は胸が詰まった。


 畑も、厨房も、ただ、自分が気持ちよく暮らすために始めたことだった。人心掌握だの、味方作りだのと、大層なことを考えていたわけじゃない。ただ、目の前のことを誠実にやってきた。それだけだ。


 その「それだけ」が、いつのまにか、この屋敷に俺を守ろうとする人間を、これほど多く育てていた。


 前世で、俺は信じていなかった。誠実なんてものは、要領の悪い人間の自己満足だと。正直者は馬鹿を見る。世の中は立ち回りの上手い奴が得をする。そう思って生きてきた。


 だが、この屋敷の人間たちは、俺に別のことを、教えてくれていた。誠実は即金にはならない。だが、いざというときに、いちばん裏切らない。土に種を蒔くように。蒔いたものは、ちゃんと実る。時間さえかければ。


 味方は、屋敷の外にもいた。


 ある日、一台の馬車が危険を冒して侯爵邸に乗りつけてきた。


 降りてきたのは、ステラ・メイズだった。


 「ラヴィニア様!」と彼女は、駆け寄ってきた。「ご無事で、よかった……!」


 謀反人と名指しされた令嬢の屋敷に、男爵令嬢が自ら足を運ぶ。それがどれほど危険なことか、わからないステラではない。なのに来た。


 その健気さに、胸を衝かれた。原作なら攻略対象たちに守られ、輝いていたはずのヒロイン。それが、誰にも振り向かれず独りだった娘。なのに、いざ俺が窮地に陥ると、真っ先に駆けつけてくれた。守られるべき側の娘が守る側に回ろうとしている。


 「何をしに来たんです。あなたまで疑われますよ」


 俺がたしなめると、ステラは首を横に振った。それから、思いつめた顔で打ち明けた。


 彼女は、王宮へ行ってきたのだという。


 「私、王太子殿下に申し上げてきました。ラヴィニア様は王位なんて狙っていません、って」


 俺は息を呑んだ。


 男爵令嬢の身で、王太子に直訴する。それが、どれほどの勇気を要することか。下手をすれば、彼女自身が不敬の咎を受けかねない。


 俺は慌てて言った。「無茶をしないでください。あなたまで巻き込まれたら」


 「無茶じゃありません」ステラは、きっぱりと言った。「ラヴィニア様が、私のためにしてくださったことに比べたら。……私、ラヴィニア様にいただいたんです。自分の足で立つ勇気を。だから、今度は私の番です」


 「殿下はお怒りになりました。お前に何がわかる、と。……でも、私引きませんでした」ステラの潤んだ瞳に、はっきりとした強さが宿っていた。「だって、私、知っていますもの。ラヴィニア様が、どんなにお優しい方か。誰かを陥れるより誰かを助けることのほうが、ずっとお得意な方だって。それを知っているのに、黙っているなんて……できませんでした」


 かつて、誰にも振り向かれず、社交界で独りぼっちだった娘。自分を責めてばかりいたあの娘が。今、こうして自分の足で立ち、自分の言葉で王太子にすら立ち向かっている。


 俺がいつか言ったことを、本当にやってのけていた。誰かの隣の席を探すのをやめて、自分の椅子を一つ持つこと。ステラはその椅子に、ちゃんと座っていた。


 ステラは、しばらく屋敷に留まり、できることはないかと甲斐甲斐しく立ち働いた。守られるだけの令嬢では、もうなかった。その姿を見ているだけで、不思議と力が湧いてくる気がした。



 そして、思いがけない方角からも、援軍は現れた。


 ある夜、ユーリが、一枚の書付を携えて現れた。


 「面白い伝言を預かってきたよ」と、彼はにやにやしながら言った。「騎士団長のガレンって知ってる? あの武闘派の。あの人が、こっそりこれを、あなたに渡してくれって」


 書付には、王太子派の軍の配置や内部の足並みの乱れが、簡潔に記されていた。明らかに、こちら側に有利な情報だ。


 目を通すほどに、舌を巻いた。王太子派の弱点が、的確に突かれている。これだけの情報を集められるのは、よほど宮廷の内情に通じた者だけだ。騎士団長ともなれば、軍の動きは、手に取るようにわかるのだろう。


 「なぜ、騎士団長がこんなものを」


 「さあ。本人いわく、『どうも、近頃、王宮は退屈でいけねえ。久々に面白そうな喧嘩の匂いがする。どっちに付くとも言わねえが、つまらん横槍で、いい喧嘩が潰れるのは好かん』――だってさ」ユーリは肩をすくめた。「中立を気取っているけど、要はあなたたちの側が潰されるのを惜しんでるんだ」


 退屈した猛者。決闘の舞台を失い暇を持て余していたあの男。それが、こんな形で巡り巡って、俺の援軍になっている。


 ユーリは書付を俺に手渡しながら、しみじみと言った。


 「言ったでしょう。あなたは知らないうちにレールを大きく歪めている、って。……でもね。歪めた結果は悪いことばかりじゃなかったみたいだ」


 「……どういう意味だ」


 「あなたは知らないうちに、敵だけじゃなく味方も作っていたんだよ。畑で、厨房で、客間で。誰かに優しくするたび、誰かの話を聞くたびに。それも全部、あなたがレールを歪めた結果だ」ユーリは珍しく穏やかな顔で笑った。「物語の悪役令嬢には、絶対にできなかったことだね」


 その言葉が妙に沁みた。


 物語のラヴィニアは嫉妬と陰謀で、味方を敵に変えていった。誰からも見放され、たった一人で破滅していった。だが、俺は――同じ器で、まるで逆のことをしていた。敵を味方に変え、見知らぬ者を仲間に変えていた。意図せず。ただ、目の前の人間にまっすぐ向き合っただけで。


 器は同じだ。ラヴィニア・ド・クロワ。だが、その器をどう使うかは中身次第だった。


 俺は手の中の書付を見下ろした。


 孤立無援だと思っていた。後ろ盾を失い、たった一人で巨大な敵に立ち向かうのだと。


 だが違った。


 いつのまにか、俺の周りにはこれほど多くの手が、差し伸べられていた。誠実に積み重ねてきたものが、危機のときにこうして返ってくる。


 不思議な気分だった。守られているという感覚。前世では、ついぞ知らなかったものだ。一人で抱えて一人で潰れた、あの頃の俺に教えてやりたいくらいだった。お前は一人じゃないぞと。


 反撃の布陣は、もう整いつつあった。

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