表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/27

第十八話 生存戦略が、最悪のフラグを踏んでいた

 その報せは、なんでもない世間話の顔をして屋敷に入ってきた。


 マリアンヌが、市場帰りに仕入れてきた噂だった。茶を運んできた彼女が、いつもの調子でこう言ったのだ。


 「お嬢様。なんだか、王都のほうできな臭い噂が立っているそうですよ。ライラック侯爵様が王家に弓を引くつもりではないか、なんて。馬鹿馬鹿しいですよね。閣下に限って、そんな」


 俺は、茶杯に伸ばしかけた手を止めた。


 「……もう一度、言ってくれ」


 「ですから、侯爵様が反王家の動きを――って、お嬢様? どうかなさいました?」


 反王家。


 その四文字が、胸の奥で嫌な音を立てた。


 ただの噂だ。そう思おうとして、思いきれなかった。火種に心当たりがありすぎた。あの夜会以来、ずっと喉に刺さった小骨のように、何かが引っかかっていたのだ。その小骨の正体を確かめなければならない。嫌な予感がするときは、たいてい当たる。前世の経験がそう告げていた。


 マリアンヌを下がらせ、俺は一人、執務室に籠もった。


 ただの中傷だ、と片づけることもできた。氷公は、もともと宮廷で煙たがられている。あることないこと、噂を立てられるのはいつものことだろう。


 だが、引っかかった。夜会での、王太子のあの執着めいた目。「君は、僕のものになるはずだった」という暗い囁き。そして、ユーリの警告。知らないうちに、別のどこかで何かを、大きく歪めている――。


 点が揃いすぎている。


 俺は机に向かい、紙を一枚広げた。前世で、案件がこじれたときに、いつもやっていたことだ。状況を書き出す。事実だけを並べる。感情を排して、盤面を上から眺める。


 まず、自分が打った手を順に書いていった。


 一、処刑を避けるため、王太子の周辺から離れることにした。

 二、そのために、無名で無害だと思われる侯爵、アイゼンを選び、契約結婚を持ちかけた。

 三、その際、「領地が補完関係にある」ことを、損得の利点として自分から強調した。

 四、実家のクロワ公爵とは、強引な婚約のせいで、事実上、縁が切れた。


 ここまで書いて、俺はペンを止めた。


 悪くない手筋のはずだった。一つひとつは、生き延びるための合理的な判断。そう、思っていた。


 前世なら、上司に褒められる類の立ち回りだった。危険を見極め、最小の動きで、最大の安全を確保する。無駄がなく筋が通っている。我ながらよくやったと、思っていたくらいだ。


 だが、合理的な判断と正しい判断が同じとは限らない。前提が間違っていれば、盤面の見えていない部分に地雷が埋まっていれば。


 だが――これを、敵の側から眺めてみたら。


 背筋が冷えていくのがわかった。


 アイゼン・フォン・ライラック。いつか、本人の口から聞いた。ライラック家は、王家に次ぐ武力を持つ家。国内で王軍に対抗しうる、ほとんど唯一の独立兵力。夜会で初老の貴族が囁いていた。あの侯爵が本気を出せば、王都の常備兵もひと月と保たぬ、と。


 そして、俺は。


 クロワ公爵家の娘。王太子の婚約者候補にも挙がった、王家に最も近い高位貴族の血筋。


 その俺が、よりにもよって、その独立武力と結びついた。


 血筋と武力。王家のすぐ隣にいる名門の娘が、国内最強の私兵を持つ辺境侯爵と手を結ぶ。


 それが、外からどう見えるか。


 反王家勢力の核だ。


 ありえない、と思おうとした。俺に、王位を狙う気など爪の先ほどもない。アイゼンにもないはずだ。これは、ただの契約結婚。生き延びるための方便にすぎない。


 だが――意図など関係ないのだ。問題は俺が何を考えているかではなく、外からどう見えるか、誰がどう利用できるか。その一点だった。そして、この配置は、利用したい者にとってはこれ以上ないほどに都合がいい。


 俺は震える指で、紙の余白にその言葉を書きつけた。


 簒奪。


 王位の簒奪。


 思い出した、のではない。今、ようやく、輪郭を結んだのだ。乙女ゲームの悪役令嬢ラヴィニアの破滅の条件。覚えていた嫉妬による迫害と、偽証。それだけではなかった。もう一つ――有力な貴族と結託し王家に牙を剥く反逆の勢力を形成すること。


 それが、簒奪のフラグ。


 俺が避けたはずの破滅の、二つ目の引き金だった。


 そして、俺は、それを自分の手で引いていた。よりにもよって、いちばん丁寧に、いちばん得意げに。


 「――やあ。気づいたみたいだね」


 声に顔を上げた。


 いつのまにか、執務室の入口にユーリが立っていた。寝癖頭に皺だらけのローブ。相変わらず、足音もなくふらりと現れる。だが、その顔からいつものきらきらした無邪気さは、消えていた。


 「魂の流れが、急に、ねじれを強めたんだ。嫌な感じがして来てみた。……その様子だと、もう、自分でたどり着いたみたいだね」


 「ユーリ」俺は紙を彼に向けた。「これは、当たっているか」


 ユーリは紙を覗き込み、そこに書かれた「簒奪」の二文字を見て、ゆっくりと頷いた。


 「うん。当たってる。あなたが結婚という手でねじ曲げた流れ。それがこれだ」


 「……婚約のときの、あの領地の補完関係」と、俺は呻いた。「俺が契約の利点として、自分から並べ立てたあれだ」


 「そう。クロワ家の広い後背地とライラック家の国境の武力。あなたは、それを『損のない取り合わせ』として、得意げに売り込んだ」ユーリは淡々と言った。「でも、後背地と、武力と、王家に近い血筋。その三つが揃ったものを、世間は別の名前で呼ぶ。――軍を起こす土台だ、ってね」


 俺が契約を通すために、いちばん知恵を絞った、あの説得。損得を隠さず並べた、あの誠実さ。それが、そっくりそのまま、簒奪の状況証拠になっていた。


 頭を抱えたくなった。


 誠実であろうとしたことが仇になる。嘘をつかなかったことが罪の証になる。皮肉にもほどがあった。アイゼンが俺の「損得を隠さないところ」を信用してくれた、まさにその透明さが、敵の側から見れば「反逆の動機を堂々と表明している」ようにすら、映りかねないのだ。


 つまり、こういうことだ。


 俺は処刑エンドを回避したつもりでいた。王太子から離れ、無害な相手と結婚し、宮廷の陰謀から、距離を取った。安全な場所へ逃げ込んだつもりだった。


 だが、実際には――逃げ込んだ先で、もっと重い罪の引き金を引いていた。


 嫉妬や、偽証なら、まだいい。悪役令嬢の個人的な悪事だ。罪は本人一人にとどまる。だが、簒奪は違う。反逆だ。王家に弓を引く大罪。一人の令嬢が修道院に送られて終わりという規模の話では、なくなる。


 「……処刑エンド、回避してなかったのか」


 声が掠れた。


 回避どころか、より深い、より暗い、出口のない袋小路に、自分からまっすぐ突っ込んでいた。理屈で最善を選んだつもりで。状況を読めているつもりで。前世のビジネス頭が誇らしげに弾き出した最適解が、そっくり、最悪解だった。


 いちばん堪えたのは、それだった。


 俺は状況を読むのが得意なつもりでいた。人の顔色を、段取りを、損得を。前世ではそれだけを頼りに生きてきた。この世界に来てからも、その目で、危機を、避けてきたつもりだった。


 その、いちばんの強みが、いちばん大きな落とし穴を掘っていた。賢しらに動けば動くほど、墓穴が深くなる。いっそ、何もしないほうが、まだ、ましだったのかもしれない。


 ユーリは、そんな俺を痛ましそうに見ていた。それから、静かに付け加えた。


 「言っておくけど。……たぶん、これだけじゃない」


 「……何?」


 「流れの歪みは、もっと深い。簒奪は、たしかにいちばん大きな歪みだ。でも、それを本当に『破滅』にまで育てるには、もう一つ別の歯車が噛む必要がある」ユーリは窓の外、王都のある方角へ目をやった。「あなたを守るはずだったものが消える。その歯車が嚙んだとき――簒奪はただの疑いじゃ済まなくなる」


 守るはずだったもの。その言葉に、嫌な予感がまた一つ、胸に芽吹いた。


 守るはずだったもの。後ろ盾。庇護。――ぼんやりと、輪郭だけが浮かびかける。だが、それをはっきりと形にするのを、俺の頭は無意識に避けていた。形にしてしまえば、それが現実になってしまう気がして。


 だが、それが何なのか、その夜の俺には、まだ、はっきりとは見えなかった。


 見えないまま、俺は机に広げた紙を、じっと見下ろしていた。


 簒奪、の二文字が、蝋燭の灯りの中でやけに黒々と滲んで見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ