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第十五話 俺が一つ動いただけで、物語が狂い出す

 ユーリの言葉は、棘のように、胸の奥に刺さったまま抜けなかった。


 知らないうちに、何かを大きく歪めている。覚えのある二つの破滅とは、別のどこかで。


 その「どこか」を探るように、俺は外から届く報せに、これまで以上に耳を澄ますようになった。マリアンヌが運んでくる噂、ステラからたびたび届く手紙、商人や出入りの者たちの世間話。断片を一つひとつ拾い集めていく。


 前世で情報を集めて状況を読むのは、仕事の半分のようなものだった。点と点を線で結ぶ。一見、無関係に見える出来事の裏にある、一本の筋を手繰り寄せる。その癖がこんなところで役に立っていた。


 集めた点を並べてみる。すると、思いのほか大きな歪みが浮かび上がってきた。


 まず、王太子だ。


 アルベリク殿下。本来の物語なら、この国の、押しも押されもせぬ主役の一人。ヒロインと出会い、恋に落ち、悪役令嬢を退け、王として成長していく――そういう、輝かしい筋書きの中心にいるはずの人物。


 その王太子の様子が、近頃、おかしいのだという。


 ステラの手紙にはこう書かれていた。王宮で見かける殿下は、いつも、どこか刺々しいご様子で。何かを探すように人々を見回しては、それが見つからずに不機嫌になられる。お側の方々も、扱いに困っていらっしゃるようだ、と。


 別の噂ではこうも聞いた。殿下は近頃、舞踏会でも誰と踊るでもなく、壁際から人の輪をじっと眺めていることが多い。まるで、足りないピースを探す子供のように。誰かが声をかけても上の空。そのくせ、ふとした拍子に燃えるような目をすることがある、と。


 俺には、その「探し物」の正体が、なんとなくわかる気がした。


 物語だ。


 あの男は、自分が主役を演じるはずだった物語を探している。倒すべき悪役令嬢は宮廷から消え、辺境の侯爵に嫁いだ。守り、愛するはずだったヒロインは、なぜか、自分の視界に入ってこない。与えられるはずだった役柄が、舞台ごとどこかへ消えてしまった。中心にいるはずの自分が、何の中心でもなくなっている。


 考えてみれば、惨いことをしたのかもしれない。あの男は悪人ではない。ただ、生まれたときから、主役を演じるよう定められていただけだ。その舞台を、俺が知らぬ間に奪い去ってしまった。役者だけが、空っぽの舞台に取り残されている。


 だが、同情はしていられなかった。空っぽの舞台に立たされた役者は、いずれ、次の脚本を自分で書きはじめる。そして、新しく書かれる物語の悪役に誰が選ばれるのか――それを思うと、背筋が冷えた。原作で悪役だったのはラヴィニアだ。舞台を降りたつもりでも、あの男の頭の中では、まだ、俺がその役を降りていないのかもしれない。その、得体の知れない空虚にあの誇り高い王太子は、刺々しさと猜疑とを募らせているのだ。


 厄介だな、と俺は思った。


 空虚を抱えた権力者ほど危ういものはない。何かにその穴を埋めさせようとする。誰かを、その空白の物語の登場人物に仕立て上げようとする。



 歪みは、王太子だけではなかった。


 騎士団長のガレン。武勇を誇る猛々しい男。本来なら、物語の山場で華々しい決闘を繰り広げるはずだった人物だ。


 だが、その決闘の舞台が、丸ごと消えてしまった。きっかけとなるはずの諍いも、奪い合うべきヒロインも現れない。腕を持て余したガレンは、暇をもてあましているらしい。最近では、国境の警備がどうの、辺境の領地経営がどうのと、あちこちに首を突っ込みはじめているという噂だった。


 国境。辺境。


 その言葉に、俺はわずかに引っかかりを覚えた。それは、アイゼンの領分だ。退屈した猛者が、こちらの領域に足を踏み入れてこようとしている。今すぐ、どうという話ではない。だが、頭の隅に留めておくべき名前だった。


 武に逸る人間は、活躍の場がないと、自分でそれを作ろうとする。本来、向けるはずだった力の矛先を、別の的へ向け替える。退屈は、ときに戦よりも厄介な火種になる。その火が、いつかこの辺境に飛んでこないとも限らなかった。


 そして、ステラ。


 彼女は、相変わらず社交界で孤立していた。本来なら、攻略対象たちに次々と見初められ、物語の中心で輝くはずだった娘。それが、誰にも振り向かれず、ぽつんと取り残されている。ただ、以前と違うのは――彼女には、俺という友人がいることだった。手紙の文面には、まだ独りの色が滲んでいたが、以前のような自分を責める暗さは薄れていた。


 せめて、あの娘だけはと思う。俺が壊した物語の、いちばんの割を食った娘かもしれない。その彼女が、少しずつでも自分の足で立ちはじめているのなら。それは、俺にとって、数少ない救いのような事実だった。


 俺は、これらの断片を、頭の中で並べてみた。


 王太子、騎士団長、ヒロイン。物語の主要な登場人物たちが、軒並み本来の役柄、レールを外れている。


 そして、その全員をレールから弾き出した張本人は――。


 俺だ。


 悪役令嬢ラヴィニアという、物語の歯車を一つ抜いた。たったそれだけ、そのつもりだった。なのに、抜いた一個の歯車に、ほかのすべての歯車が噛み合っていた。一つ抜けば、全部が狂う。


 主役を演じるはずだった王太子は虚ろになり、決闘に沸くはずだった騎士は暇を持て余し、愛されるはずだったヒロインは独りになった。誰も傷つけたつもりはない。剣も、毒も、陰謀も、使っていない。ただ、自分が舞台の中央からそっと降りた。それだけだった。


 「……俺が、少し動いただけで」


 思わず声が漏れた。


 全員予定外だ。この世界の登場人物が、まるごと。ユーリの言葉の意味が、ようやく、輪郭を持ちはじめていた。俺は、自分が思っていたより、ずっと大きくこの世界の流れをねじ曲げてしまっていたのだ。


 だが――それでも、まだ見えなかった。


 ユーリが言った、「あなた自身が気づいていない、深いところの歪み」。それが、これらのことを指すのか、それとも、まったく別のもっと厄介な何かなのか。①嫌がらせも、③偽証も、避けてきた。なのに別の破滅の芽が、どこかで静かに育っている――そんな、嫌な予感だけが拭えなかった。


 その予感を裏づけるように、一通の書状が屋敷に届いた。


 王宮からの使いだった。


 恭しく差し出されたそれは、近く王宮で催される夜会への招待――いや、体裁は招待だが、中身は、ほとんど召喚だった。使者の慇懃な物腰の裏に、有無を言わせぬ圧が透けて見えた。断られるとは思っていない顔だ。地方の令嬢が王家の招きを拒めるはずもない――そう、高をくくっている。


 クロワ公爵令嬢ラヴィニアを、ぜひ一度王宮へ。差出人は、王太子派のさる重臣の名だった。


 時機が出来すぎていた。王太子が空虚を持て余し、何かを探している。ちょうどその折に、宮廷から逃げ出した型破りの令嬢に招きが届く。偶然、と片づけるにはきな臭かった。あの男が自分の物語の欠けたピースとして――俺をもう一度、舞台に引き戻そうとしているのだとしたら。


 来たかと俺は思った。


 政治の手が辺境にまで伸びてきた。せっかく、宮廷の中心から物理的に逃げ出したというのに。向こうから手繰り寄せようとしてくる。


 断れれば断りたかった。だが、王家の名を背負った招待を、地方に引っ込んだ一令嬢が、無下にできるものでもない。下手に拒めば、それこそ、要らぬ不興を買い付け入る隙を与える。


 行くしかないだろう。


 ただし、丸腰では行かない。相手の狙いが読めない以上、こちらも備えていく。幸い、俺には心強い後ろ盾ができていた。辺境の侯爵。王家に次ぐ武力を持つ氷公。その婚約者として、堂々と隣に立って乗り込めば、向こうもそう容易には手を出せまい。


 俺は、書状を手にしばらく考え込み、それから、アイゼンのいる執務室へと足を向けた。


 この厄介な招待をどう捌くか。一人で抱えるより、あの男と二人で考えたほうがいい。


 契約で結ばれただけのはずだった。互いに、損得で繋がっただけの間柄。なのに、厄介事を前にして、真っ先に顔が浮かぶのが、あの無愛想な男になっている。相談したいと素直に思える相手が、生き延びるための駒として選んだ人だとは。


 いつのまにか、そう思っている自分に、俺は気づいた。


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