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第十四話 宮廷魔術師に、転生を見抜かれる

 その来訪者は、前触れもなく現れた。


 ある昼下がり、屋敷の門前に一台の馬車が停まった。降りてきたのは、年若い男だった。ひょろりと背が高く、皺だらけのローブを着崩している。寝癖のついた髪、落ち窪んだ、しかし、異様にきらきらした目。どこか、この世のものを見ていないような、奇妙な気配を纏っていた。


 マリアンヌが、青ざめた顔で俺に取り次いだ。


 「お嬢様。きゅ、宮廷魔術師のユーリ様が……お約束も、何もなく」


 俺は記憶を手繰った。宮廷魔術師ユーリ。確か、若くしてその地位に就いた稀代の天才。魔力の才だけで、低い身分から宮廷まで上り詰めた変わり者だと、いつか、マリアンヌから聞いた覚えがある。だが、なぜ、その男がわざわざこんな国境の屋敷まで。


 宮廷魔術師。


 その肩書きに、俺はわずかに身構えた。魔法という俺の理解の及ばない領域の専門家。乙女ゲームの攻略対象の一人にも、確か、宮廷魔術師がいたはずだ。だが、目の前のこの青年は、攻略対象の麗しい魔術師像とはまるで結びつかない。


 応接間に通すと、ユーリは椅子に座るなり、俺の顔を無遠慮にじっと見つめた。


 いや、顔ではない。もっと奥のほうを、俺の内側を。


 値踏みでも好奇でもない。標本を観察するような、純粋な「視」だった。


 肌がざわついた。服を脱がされるより、ずっと無防備な心地だった。表情も、仕草も、言葉も、この男の前では、何の盾にもならない。直接、魂を覗かれている。隠しようが、なかった。


 「ふうん」と、彼は間延びした声で言った。「噂は本当だったな。……ねえ、あなた」


 そして、何の前置きもなく、ユーリはこう言った。


 「あなたの魂、この世界の人間のものじゃないでしょう」


 息が止まった。


 時間が凍りついたように感じた。


 俺は辛うじて、表情を動かさずにいた。だが、膝の上で指先がわずかに強張るのを、止められなかった。


 見抜かれた。


 俺が命をかけて、誰にも――アイゼンにすら――隠し通してきた、唯一にして最大の秘密。前世の記憶、転生。この体が本来のラヴィニアではないという、その事実。それを、出会って一分もしないこの男が、こともなげに言い当てた。


 最悪の事態だ。


 頭の中で警鐘が鳴り響いた。魔術師。魂を視る目。もし、これを「異物」「化け物」と判じられれば。教会か、宮廷か、どこかへ突き出されれば。せっかく逃れたはずの破滅が、まったく別の方角から口を開けて待っている。


 処刑される未来を書き換えるために、俺はここまで来た。婚約も、引っ越しも、畑も、すべて、その一手のためだった。それが、こんな思いもよらない伏兵に、根こそぎひっくり返される。冷たい汗が背を伝った。表向きは平静を装いながら、頭の中ではありとあらゆる最悪の筋書きが、目まぐるしく回転していた。


 どう言い逃れる。否定するか。とぼけるか。だが、魂を直接覗かれているのなら、言葉で取り繕ったところで――。


 必死で算段する俺を、ユーリは不思議そうに見ていた。


 「あれ。なんで、そんな、怯えた顔を」


 「……怯えてなど」


 「してるよ。今にも逃げ出しそうだ」彼は、こてんと首を傾げた。「僕が、何かするとでも?」


 拍子抜けする問いだった。


 「……しないのですか」と、俺は慎重に訊き返した。「私が、その……ご想像の通りの存在だとして。それを、公にしたり、しかるべき場所へ突き出したり」


 「なんで?」


 ユーリは、心底、不可解そうに眉を寄せた。


 「そんなことして、何になるの。突き出したら、あなたは、たぶん、面倒なことになるよね。捕まったり、調べられたり、最悪、処分されたり。そうなったら――」彼は、身を乗り出した。きらきらした目が、いっそう輝きを増す。「研究できないじゃないか。もったいない」


 ……研究?


 「僕はね、ずっとこの国の魂の流れを調べてるんだ。生まれて、死んで、巡る。そういう当たり前の流れ。でも、あなたのは違う。流れの外から、ぽんと入ってきた、異質な魂。こんな標本、滅多にお目にかかれない。突き出すなんてとんでもない。僕が独り占めしたいくらいだ」


 俺は言葉を失った。


 脅威だと思った。断罪の引き金になりかねない、最悪の遭遇だと。だが、この男の頭の中には、断罪も、糾弾も、かけらもなかった。あるのは、ただ、底なしの学術的好奇心。それだけだった。


 毒気を抜かれた。身構えていたぶん力が抜ける。この男には悪意がない。それどころか、善悪という物差しを、そもそも持ち合わせていないようだった。あるのは、面白いか、面白くないかの一本きり。厄介と言えば厄介だが、少なくとも、こちらを陥れる動機はどこにもなかった。


 むしろ、と俺は頭を切り替えた。これは使えるかもしれない。魂を視る目を持ち、口の堅さも保証された味方。前世なら、喉から手が出るほど欲しい専門家だった。


 「だからさ」と、ユーリは無邪気に言った。「研究させてよ。あなたのこと。その代わり、僕はあなたの秘密を誰にも言わない。約束する。だって、言ったら研究できなくなるもの」


 利害は奇妙な形で一致していた。


 俺は生き延びるために、秘密を守りたい。ユーリは研究のために秘密を守りたい。動機はまるで違う。だが、結ぶ手の向きは同じだった。


 脅威が協力者に変わる。その、奇妙な瞬間だった。


 「いいでしょう」と、俺は言った。「その研究に付き合います。ただし、こちらにも条件があります。第一に、秘密は絶対に漏らさないこと。第二に、私の生活を邪魔しないこと。畑も、屋敷の用事もありますので」


 「畑?」ユーリが目を丸くした。「流れの外から来た魂の持ち主が畑を? ……ますます、面白いなあなたは」


 話が早いのか遅いのか、よくわからない男だった。


 「……一つ、伺っても」と俺は言った。「あなたは、私を気味悪いとは思わないのですか。流れの外から来た異物を」


 「思わないよ」ユーリは即答した。「珍しいものは、気味悪いんじゃなくて面白いものだ。それに――」


 彼は、そこで、声の調子を変えた。きらきらした目の奥に、初めて、別の色がよぎった。


 「あなた、自分が何をしてるかわかってる?」


 「……どういう、意味です」


 「この世界はね、川みたいに決まった筋を流れてた。みんな、その筋に沿って流されてた。なのに、あなたが入ってきてから、その筋が大きく歪みはじめてる」ユーリは、指先で、宙に見えない線を描いた。「あなたは知らないうちに、いろんなものの流れをねじ曲げてる。一つや二つじゃない。……根っこからごっそりと」


 俺はステラのことを思い出した。攻略対象が誰も振り向かなくなった、あの歪み。あれのことかと思った。


 「ステラ・メイズという娘のことですか。彼女の周りで起こるはずだったことが、起こらなくなっている。それは気づいています」


 「それもあるね」と、ユーリは頷いた。「でも、それだけじゃない。あなたが歪めたものは、もっと深いところにある。あなた自身が、まだ気づいていない場所で」


 「それは、何です」と、俺は思わず身を乗り出した。「具体的に、何が歪んでいるのかを教えてください。心当たりがあるのなら――」


 「さあ。そこまでは、僕にも視えない」ユーリはあっさり首を振った。「僕に視えるのは流れの形だけだ。どこがどう歪んだか、までは。ただ――歪みの大きさだけはわかる。あなたのは大きい。とても大きいよ」


 その言葉は不穏だった。だが、肝心の中身はまるで見えてこなかった。深いところ。気づいていない場所。心当たりを探しても霧の中だ。俺は、①嫌がらせと、③偽証――覚えている二つの破滅の筋はきちんと避けてきたつもりだった。ステラは味方にした。婚約者の特権で誰かを陥れたりもしていない。


 それなのに、何を歪めているというのか。


 「気をつけたほうがいい」ユーリは立ち上がりながら、軽い口調で、しかし、はっきりと言った。「川を無理にねじ曲げると、どこかで堰を切る。あなたの知らない別の場所で」


 そう言い残して、彼はまた来るね、と片手を上げ、寝癖頭を揺らして帰っていった。嵐のように現れ、嵐のように去る男だった。


 応接間に残された俺は、しばらくその場から動けなかった。


 協力者が、一人増えた。それはいい。だが、それ以上に――聞き流せないひと言が、胸に刺さって残った。


 知らないうちにねじ曲げている。覚えのある二つではない、別のどこか。


 俺はこれまでの自分の行動を、頭の中で一つづつ並べ直した。婚約、引っ越し、畑、厨房、ステラ。どれも、生き延びるための最小限の動きのつもりだった。波風を立てないように、目立たないように、慎重に、慎重に。


 なのに、ユーリは言った。根っこからごっそりと、と。


 心当たりはない。ないのに、その「ない」が、やけに不気味だった。

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