『傲慢悪魔と、世界で一番眩しい場所』
「なによここ。さっきの場所とは大違いじゃない」
ルシファーが不満げに周囲を見回す。
中央通りの喧騒から外れた路地裏、お世辞にも綺麗とは言えない古びた雑居ビルの前で、彼女はピタリと足を止めていた。
「いいからいいから、僕を信じて付いてきてくださいって」
「ここ、さっきのきらきらした場所よりも全然華がないんだけど? 騙して変なところに連れ込もうとしてるんじゃないでしょうね?」
「人聞きが悪いな! ほら、エレベーター乗りますよ」
怪訝そうな視線を向けるルシファーをまあまあと宥めながら、年季の入ったエレベーターに押し込む。ガタガタと頼りない音を立てて目的の階に到着し、扉が開いた先にあるテナントへと足を踏み入れた。
中に入ると、そこは妙にガランとした、誰もいない受付だった。
「たしか……こっちだったかな……?」
記憶を頼りに、周りを確認しながら進む。
実は、俺はアニメやラノベのオタクではあるが、三次元のアイドルにはめっぽう疎い。ここは昔、ドルオタの友人に半ば強引に連れてこられた記憶があるだけの場所だった。
「ちょっと、拓巳。無視して進まないでよ」
「すぐそこですから!」
ルシファーの抗議をすり抜けながら奥へ進むと、少し大きめの、重厚な両開きの扉が現れた。
「あった! ここです!」
俺はそのまま、ガチャりと片方の扉を静かに押し開けた。
――その瞬間。
遮音されていた扉の向こうから、外の静けさからは想像もつかないほどの大音量の重低音と音楽が、ダイレクトに鼓膜へと叩きつけられた。
「うわっ!? なにこれ、すごい音!」
「とにかく中へ!」
驚くルシファーの背中を押し、光と音の渦の中へと飛び込む。
そこは、熱気で満ち溢れた「売り出し中の地下アイドル」がライブを行っている専用劇場だった。
ステージの上で激しく動き、明滅する煌びやかな照明。初めて聴くのに、なぜかついつい口ずさみたくなるようなキャッチーなメロディと歌詞。そして、フロアを埋め尽くす客たちの、恐ろしいほどの団結力を持った応援の熱量。
何より、ステージの真ん中で汗を輝かせながら、全力の笑顔で歌い踊る女の子たち――。
むせ返るような熱気と興奮に包まれたその空間で、ルシファーは完全に言葉を失っていた。
ステージから放たれる眩い光を反射して、ルシファーの大きな瞳がこれ以上ないほどキラキラと輝き出す。
俺は、ステージそっちのけで、彼女のその横顔を見てついつい顔を綻ばせていた。連れてきて良かった、と。
「拓巳……」
ルシファーが、ステージを見つめたまま、ぽつりと声を漏らした。
「これって、『あいどる』よね……? 魔界にだって、いたのよ、アイドルくらい。でも……」
ルシファーの声が少しだけ震えている。
「この世界のアイドルは……今まで私が魔界で見てきた、どのアイドルよりも……何百倍も輝いてるわ……」
ふと、彼女の白く綺麗な頬を、一筋の涙が静かに伝い落ちた。
ステージの照明を浴びて、その涙がまるで本物の宝石のように美しく煌めく。
その横顔を見た瞬間――俺の視界の中で、世界が完全に停止したような衝撃が走った。
ドクン、と心臓が大きく跳ね上がる。
あまりの美しさに、言葉すら失って、ただただ釘付けになる。ラノベの表現でよくある『時が止まる』って、こういうことか。胸の奥が、ありえないくらい熱い。
「――っ! ――ーっ! ――ーっ!」
激しいコールの地鳴りが響く。
まだ心臓をバクバクさせている俺の耳に、隣から聞き馴染みのある、しかしこの場には似合わないほど凛とした大声が飛び込んできた。
「――タイガー! ファイヤー! サイバー! ファイバー!!! ジャージャー!!!」
「ぶふっ!?」
ハッと我に返った俺の視界に飛び込んできたのは、いつの間にか周りの熟練ドルオタたちと完全にシンクロし、拳を突き上げて完璧なMIX(口上)を叫んでいるルシファーの姿だった。
「やっぱりアイドル好きは国境も魔界も越えるんだな……」
さっきの涙の感動を返してほしい気もするが、凄まじい適応力に思わず感心してしまう。
「でも、やっぱり僕にはアイドルの良さはよく分からないなぁ……」
ペンライトを激しく振るルシファーの横で、俺は苦笑しながら呟いた。やっぱり俺は二次元専門だ。
その後、ライブは見事に終了した。
当然のごとく、ルシファーは「物販(チェキ会)に並ぶ! あの子たちと喋る!」と引かなかったが、俺が「金がない! マジで破産する!」と財布の中身を見せて全力で引き留め、なんとか帰路につくことになった。
夕暮れ時、大学からの帰りと同じ路線バスの車内。
窓際の席に座ったルシファーは、さっきまでの大興奮が嘘のように、一言も喋らずに静かだった。燃え尽き症候群というやつだろうか。
俺がそんな彼女を何気なく見つめていると、ルシファーは視線を外の景色に向けたまま、少し恥ずかしそうに、小さな声で言った。
「……今日は、ありがとう」
「えっ!?」
まさか、あの傲慢を司る悪魔のルシファーから、そんな殊勝な感謝の言葉を掛けられるなんて夢にも思っていなかった。
驚きのあまり、俺はガタッと座席から浮き上がる勢いで彼女の顔を覗き込む。
「今、なんて――」
「……べ、別に二度は言わないわよ! 早く前向きなさいよ、バカ拓巳!」
ルシファーは顔を真っ赤にしてフイッとさらに窓の方を向いてしまい、それ以上は頑なに口を開こうとしなかった。
窓ガラスにうっすらと映る彼女の照れ顔を見つめながら、俺の口元にも、自然と少しだけ優しい笑みが浮かぶのだった。




