【最悪の天使】
「……コロス……コロス……コロス……」
不気味な呪詛を吐き捨てながら、死人のような足取りで歩み寄ってくる異形の男。
「あんた……! もう試験は終わりよっ!」
ルシファーの制止も意に介さず、男は背中の羽を強く羽ばたかせ、一瞬で間合いを詰めて肉薄した。
――ガアンッ!!
激しい火花が飛び散り、刃と刃が真っ向からぶつかり合う。
「ふっ……天界で一番の私に剣でぶつかろうだなんて、いい度胸じゃないの……ねっ!」
ルシファーが力任せに天剣を振り抜くと、男は受身すら取れずに吹き飛んでいった。
ルシファーは翼を大きく広げ、追撃のために風を切って加速する。
「はあああああッ!」
一気に男の懐へ潜り込むと、剣の腹を相手の胴体へ力いっぱい叩き込んだ。
――ズッ……パァァァンッッ!!!
衝撃波とともに、男はコロシアムの壁面を何重も突き破りながら勢いよく吹っ飛ばされていく。
「安心しなさい! 峰打ちよっ!」
地に着地し、不敵に言い放つルシファー。
「お姉様〜! やりすぎじゃないですか!?」
不安そうにウリエルが駆け寄ってきた。
「殺してなんてないわよ……」
そう返した瞬間――男が吹き飛んだ先で立ち込めていた膨大な砂煙が、ブワッと不自然に霧散した。
「……ッ! 下がりなさいっ!」
ルシファーが顔色を変えて絶叫する。
「へ……?」
だが、もう遅かった。
煙を切り裂いて伸びてきたのは、脈打つ禍々しい黒い触手だった。その一本が、無慈悲にもウリエルの脇腹を深々と貫く。
「ゔっ……!?」
「ウリエルッ!?」
ルシファーは一瞬で肉薄すると、触手を切断してウリエルを素早く抱きかかえた。バサッ! と羽を広げ、上空へ緊急退避する。
「おね……え……さま……」
「口を動かすんじゃないの! いま……いまラファエルのところに連れて行ってあげるから!」
叫びながら必死で滑空するルシファー。
しかし、地上から無数に伸びる黒い触手が、超高速で飛ぶルシファーの背中を容赦なく串刺しにした。
「ぐっ……!?」
「お姉様っ!」
「これくらい……平気よ……っ!」
ルシファーは背中の傷を無視し、突き刺さった触手を力任せに引き抜いた。
「素晴らしい……。まさに愛だな!」
突如、触手が伸びる中心地から冷酷な声が響き渡った。
見下ろすと、黒いモヤのような不気味なエネルギーが丸く膨れ上がっていた。
「な……なによあれ……!?」
ぐぐぐ……ぼんっ!!
膨張したモヤが弾け飛ぶと、そこには翼を生やした一人の男が浮遊していた。長い金髪をかき揚げ、冷ややかな視線を注いでくる。
「だ……誰よあんた……」
「私の名前はアバドン。天界へ里帰りしにきてやったぞ」
「な……アバ……ドン……!?」
ルシファーの瞳が驚愕に揺れる。
「そんな……ありえない……。御伽話じゃなかったんですか……!?」
血を吐きながらウリエルがガタガタと震え出す。
新世代の天使にとって『アバドン』とは、天界最大のタブーであり、子供を言い聞かせるための伝承や物語の中の存在でしかなかったからだ。
「知らないわよ……。あんた、どこのどいつか知らないけれど、この天界でその名前を名乗ることがどういう意味か分かってるの? それに、あの受験生はどこへやったのよ!?」
「ああ、あの触媒のガキか。我が復活の糧にしてやったよ。……それとな」
――それは、文字通り一瞬の出来事だった。
ウリエルはもちろん、ルシファーすら反応できない速度。
気づいた時には、ルシファーは顔面から地面に叩きつけられていた。
――ガハッ……!?
上空から突如現れたアバドンの手が、ルシファーの頭部を足元の石畳へ強く押し付けていたのだ。
「図が高いな、小娘が」
「お姉様ァァァァッ!」
叫ぶウリエルに向け、アバドンが不意に視線を向ける。その眼光と合った瞬間、ウリエルの全身の血が凍りつき、恐怖で動けなくなった。
「ふん。死にかけのガキなどつまらん。……だが」
アバドンはルシファーの頭をさらに地面へめり込ませる。
「お前は面白そうだ」
ルシファーは必死に抗おうとするが、圧倒的な力の差にピクリとも動けない。
その時だった。
「ルシファァァァァッ!」
叫びとともに突っ込んできたのは、マリルを預けて戻ってきたガブリエルだった。
ルシファーは一瞬の隙を見逃さず、手元で急激に魔力を集束させ、至近距離で自爆に近い爆発を引き起こす。
「うおっ!?」
意図せぬ爆発にアバドンが体勢を崩した一瞬、ガブリエルは急降下してウリエルを抱え上げた。
「お姉様ァァァァァァァァッ!」
上空へ連れ去られながら、ウリエルが悲鳴をあげる。
「ハア……ハア……。大丈夫……じゃなさそうね。すぐラファエルさんのところへ行くわ!」
「それよりっ! お姉様がっ……!」
「大丈夫よ、あいつは頑丈だから!」
上がり続ける煙の発生源を一瞥し、ガブリエルはウリエルを抱えて脱出した。
「……いっ……たたた……」
激しい爆風によって崩落したコロシアムの最下層。
土煙が舞う中、ルシファーはなんとか目を開け、倒れた状態のまま周囲を見渡した。
「くっ……ここは……?」
そこはコロシアムの石組みの内部ではなく――目を疑うほどの金銀財宝や宝具が、部屋いっぱいに所狭しと並べられた空間だった。




