【大七天使ルシファー】
どこまでも青く透き通る空と、豊かな緑が広がる天界。
魔界の遥か頭上に位置し、絶対なる神と、それに仕える美しき天使たちが統べる聖域。
そののどかな丘の上一本木の下で、金髪を輝かせながら横になっていた天使――当時のルシファーは、下から聞こえてくる元気すぎる叫び声に、心底めんどくさそうに片目を開けた。
「お姉様〜! ルシファーお姉様〜!」
金髪を揺れるポニーテールに高く結んだ少女――ウリエルが、白い衣装の裾をひらひらと靡かせながら、満面の笑みで丘を駆け上ってくる。
「なによウリエル。また天界術の修行? 昨日も散々付き合ってあげたじゃないの」
「えー! いいじゃないですか〜。大天使試験まであと1ヶ月しかないんですよ! お願いです〜!」
ルシファーは ウリエルの方を見向きもせず、面倒くさそうに手をひらひらと振ってあしらう。
「パス、パス。私だってヒマじゃないのよ」
「お・ね・が・い・し・ま・す!」
つれない態度のルシファーの両肩をがしっと掴み、ウリエルは顔が触れそうなほどの距離まで近づいて拝み倒してくる。
「うー……」
さすがに嫌そうな顔を浮かべ、わずかに視線を背けたルシファーだったが――。
「……はぁ。わかったわよ」
ぽつりと呟いたその言葉に、ウリエルの顔がパッと花が咲いたように明るくなった。
「やった〜! さすがルシファーお姉様っ!」
「……はぁ。だる」
ルシファーは重い腰を上げると、スカートの裾についた草をパッ、パッと払いながら尋ねた。
「で? 今日の修行はなに?」
「今日は『天剣』についてです!」
「……天剣ねぇ。そもそもあんた、天界術の根本を理解してるの?」
「もちろんです! 天界術は、天使が使う『武』と『魔』を兼ね備えた技術ですよね!」
「それはただの定義でしょ。天使が扱う技術はすべて天界術になるの。つまり天剣だって、あんたが剣を握ればそれが天剣と呼ばれるだけの話よ」
「え? ……つまり?」
「だから、あんたにはあんたの『色』があるんだから、わざわざ私に型を教えてもらう必要なんてないって言いたいのよ」
そっけなく突き放すルシファーに、ウリエルは頬を膨らませた。
「またそんなこと言って〜! 天界広しと言えど、お姉様より剣を使いこなせる天使なんていないって言われてるんですよ? そんなお姉様に教えてもらえれば、私も最強に……!」
「バカね……。あんたはあんたの得意分野を伸ばしなさい。大天使試験では一応すべての適性を審査されるけど、そんな細かい採点なんて無視して、試験官全員をぶっ倒せば合格するのよ」
「そんな無茶苦茶な方法で合格したの、天界史上でお姉様だけです!」
「……はあ。まあいいわ。じゃあ剣を出しなさい。いつでもかかってきていいわよ」
ルシファーは武器も構えず、素手のまま丸腰で立つ。
「そんな余裕ぶっちゃって! 怪我しても知りませんからね!」
ウリエルが手元に聖なる剣を出現させ、白い羽を大きくはためかせて突進してくる。
「はあぁぁぁっ!」
「ふわぁぁ……」
ルシファーは大きなあくびを噛み殺しながら、ウリエルが繰り出す鋭い斬撃を、まるでダンスでも踊るかのように最小限の動きと片手だけで軽々と組み伏せ、いなしていく。
「な、なんで!? なんで素手で剣がいなせるのよーっ!」
「剣筋が単純で見え見えなのよ。もっと工夫しなさい。……たとえば、こんな風にね」
ルシファーが片手にすっと魔力を込めた瞬間――カアアアンッ! と甲高い金属音が響き渡り、ウリエルの手から弾き飛ばされた剣がクルクルと宙を舞った。
「あっ……」
口を開けて呆然と宙を見上げるウリエル。
「隙あり、よ」
ルシファーはそのまま、ウリエルの無防備なお腹を手のひらで『トン』と軽く突いた。
「おっ、うわ、うわぁぁぁぁっ!?」
たったそれだけの衝撃でバランスを崩し、ウリエルは悲鳴を上げながら丘の斜面をコロコロと転がり落ちていった。
「……はあ」
惨状を見下ろしながら、呆れたように溜息をつくルシファー。
「もーっ! いきなり魔力を使うなんてズルいです!」
泥だらけになりながら丘を這い上がってきたウリエルが、ぷんぷんと怒る。
「本番の試験で『ズルい』なんて通用しないわよ。あんたには根本的に天剣は向いてないの。分かった? あんたは『天魔術』の才能があるんだから、そっちを重点的に伸ばしなさい」
「ぶー。わかりましたよ……」
「なによ、その不満そうな顔は」
「……だって私、お姉様みたいな格好いい天剣使いになりたいんです。大七天使の1人に数えられた『天剣のルシファー』……お姉様みたいに……!」
「ふっ。……あんたなら、私なんか超えられるわよ」
ルシファーはフッと優しく微笑むと、背を向けた。
「じゃ、私は行くわ」
「え!? もう行っちゃうんですか!?」
「あのね、私だってヒマじゃないの。これでも天界を守るっていう重い使命があるんだから」
去っていくルシファーの背中に向かって、ウリエルは全開の笑顔で手を振った。
「頑張ってください! ルシファーお姉様っ!」
その声を聞きながら、ルシファーは歩みを止めず、ただ口元を緩めてふっと笑うのだった。
天界の中心部。
そこに揺らめくように浮かぶ、透過された巨大なキューブ状の空間。
その内部には7つの荘厳な椅子が配置され、中央には怪しく光る巨大な四角いキューブが滞空していた。
「……大天使試験の警備体制に、抜かりはないだろうな?」
静寂に包まれた空間に、突如として響き渡る『正気のない、地底から響くような声』。
「結界の設営に関しましては、概ね順調に進行しております」
いつの間にか一つの椅子に着席していた眼鏡の天使――ミカエルが、淡々と報告する。
「ミカエル、私もあなたと共に警備に就くわ」
その隣の席に、同様にいつの間にか姿を現していた天使――ラファエルが静かに言った。
「ふん、主様よりじきじきに命じられたのは私一人だ、ラファエル。君は試験官としての責務を全うしたまえ」
「あなたの実力は認めているわ。……ただ、アバ……」
ラファエルが何かを言いかけた、その瞬間。
――カタカタカタカタカタカタッ……!
空間全体の空気が一瞬で澱み、キューブ状の部屋全体が不気味に激しく震え始めた。
「……ッ!?」
ラファエルは青ざめ、慌てて己の口を手で覆って固まる。
『我はミカエルを信用しておる。……だが、そうだな。奴の影響を受けた者、もしくは奴自身が天界へ直接侵攻してくる可能性も否定できぬ。……カマエルよ、お前がミカエルと共に警備にあたれ。ラファエル、お前は試験官に集中しなさい』
正気のない声が響き渡ると、不気味な揺れはピタリと収まった。
「「はっ!」」
ミカエルとラファエル、そしていつの間にか着席していた武闘派の天使――カマエルが頭を垂れる。
「ちょっといいですか?あの傲慢女がまだ来てないんですけど…」
空いていた椅子に座っていたガブリエルが、おどおどと手を挙げた。
「どこかで野垂れ死んでるんじゃないの〜? むしろ死んでてくれたら最高なんだけどな〜。ねえ、お姉ちゃん?」
「本当よね〜、あいつウザいもんね〜。いっそのこと、私たちで殺しちゃう? ザドキエル〜」
隣り合う席に並んだ双子の天使――イオフィエルとザドキエルが、キャッキャと下品に嗤い合う。
「イオフィエル、ザドキエル、黙りなさい。主の御前でその態度は何ですか。……ガブリエルも、あなたも既に我らと同列の地位なのですから、もう少し尊厳を持って発言しなさい」
カマエルが厳しく一刀両断する。
「は〜い」
「……わかりました」
そこへ、重い足音とともに静かに扉が開いた。
「遅くなったわ。……あら? もう全員揃ってたのね」
渦中の人物――ルシファーが、だるそうに姿を現した。
「遅いぞ、ルシファー! 君は大天使としての自覚というものが欠けているのではないか!?」
ミカエルが眉をひそめて喰ってかかる。
「別に大した話なんてしてないでしょ? なに? 会議をして何か事態が変わるのかしら? そうやって無駄な形式ばかりに囚われているから、裏切りにあって仲間がほとんど死ぬのよ」
ルシファーが言い放った瞬間――。
グラグラグラグラッ!!!!!
先ほどとは比べものにならないほどの激しい揺れが空間を襲い、その場にいた大天使全員の顔が、まるで般若のように凍りついた。
「……おい。新入り……。殺されてえのか?」
先ほどまでの厳格な態度とは打って変わり、カマエルが地獄の底から響くようなドスの利いた声で殺意を剥き出しにする。
「やる? 別に構わないわよ」
ルシファーもまた、冷徹な瞳でカマエルを睨み返す。
カマエルが静かに立ち上がり、戦端が開かれようとしたその時――。
『……やめないか』
正気のない声が重く落ちた。
その一言で、空間を支配していた圧迫感と揺れが嘘のように消え去る。
カマエルは「……申し訳ございません」と小さく呟き、静かに椅子へと座り直した。
「……はあ」
大きな溜息をつくと、ルシファーは傲慢な態度で空いていた自席へと深く腰掛けた。
『……よし。全員揃ったな? では、今回の本題を話していこう』
暗雲立ち込める空間に、神の重苦しい声が静かに響き渡るのだった。




