『あれ?怠惰の悪魔のほうが…』
「ごめんなさい……! 王子様……! 負けてしまって……」
目が覚めるや否や、レヴィアタンは涙目で僕の元に駆け寄ってきて、ガックリと肩を落として謝罪してきた。
「いや、謝るようなことでは……。あんなバケモノみたいな戦い、無事でいてくれただけで十分ですよ」
「ちょっと! あんたは負けたんだから、大人しくそっちで座ってなさい!」
すかさずルシファーがスマホから目を離してツカツカと割り込んでくる。
「王子様が嫌がってないんだからいいですよね!? 部外者は黙っていてください!」
「はあ……まあ、僕は別にいいですけど」
「あんたも少しは嫌がりなさいよ!」
ルシファーにジト目で怒られてしまう。すると遠くから、さらに大きな怒鳴り声が響いた。
「ちょっとおぉぉー! まだ私が1番になってないんだから、私の拓巳にベタベタ触らないでよ!」
叫んでいるのはサタンだ。
「あらあら。戦う前だというのに、相変わらず緊張感がないわね〜」
アスモデウスがくすくすと楽しそうに髪を弄る。
「サタンからしたら、ルシファー以外はそこまで眼中にないんだろうな」
「ベルフェゴールも随分と舐められたものですわね」
ベルゼブブとマモンがそれぞれの所感を口にする中、そんな身内のやり取りを完全に無視して、一人の女傑が怒号を飛ばした。
「おい! ガタガタ抜かしてねえで、はやく始めろや!」
蓮華さんのドスの利いた声に、ビクッ! と身体を震わせたエヴァさんが慌ててマイクを構える。
「そ、それでは! 準決勝第2試合、始めて行きたいと思います!」
エヴァさんのアナウンスを受け、サタンが妖しく微笑みながら戦場の中心へと歩み出た。
「拓巳が他の泥棒猫たちに取られる前に、さっさと終わらせるわよ〜❤」
「……いつでも……きて……」
対峙するベルフェゴールは、いつも通り眠たげな目をこすりながらボソリと呟く。
「じゃあ、お言葉に甘えて……❤」
サタンが言い終わると同時に、その姿が戦場から完全に消失した。
一拍置いて、――パアンッ!! という鋭い破裂音。
次の瞬間にはベルフェゴールの真横に現れたサタンが、既に右腕を鋭利な「漆黒の刀」へと変形させ、容赦なく振り下ろしていた。
ガギィィン! と重い音が響く。ベルフェゴールは寸前で強固な半透明の魔法壁を出現させ、その刃をミリ単位で受け止めていた。
「まーたそれ? なら……これならどうかしら!」
サタンは不敵に笑うと、刀に変えた右手をそのまま魔法障壁に力任せにめり込ませ、空いた左手を細長い「槍」へと急速に変形させた。
そして、右手の刀をパッと自ら切り離すと、障壁に突き刺さって残った刀の持ち手の部分めがけて、左手の槍の先端を弾丸のごとくぶち込んだ。
「くっ……!」
「パリーンッ!!」
楔のように打ち込まれた衝撃に耐えかね、ベルフェゴールの魔法障壁がガラスのように音を立てて粉砕される。
「す・き・あ・り❤」
サタンは可愛らしくウィンクしながら、瞬時に右手を刀から「短筒」へと変形させ、至近距離からベルフェゴールの胸元へ銃口を向けた。
――バァンッ!!
激しい銃声。その反動を利用して、サタンは綺麗に後方へとバックステップして着地する。彼女はニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、煙の立つ銃口に息を吹きかけた。
「ふーん、やるわねえ」
シュウウウウ……。
彼女の視線の先では、サタンが放った鉛玉が、奇妙な煙を上げながら空中で激しく回転したまま、徐々にその前進運動を「停止」させられていた。
ベルフェゴールがその小さな手の平を横に向け、魔力で弾丸の動きそのものを完全に止めていたのだ。
「……そんな小細工……効かない……」
「じゃあ……これならどうかしら!?」
サタンの叫びと同時に、彼女の左腕が槍から「多銃身のマシンガン」へと変貌していく。それどころか、彼女の艶やかな長い髪の毛までもが逆立ち、生き物のように蠢きながら、無数の拳銃、散弾銃、ライフルへと次々に形状を変えていった。
「殺傷能力が高すぎないですか、あれ!?」
僕が引き気味に叫ぶと、ルシファーが腕を組んだまま冷淡に告げた。
「サタンはあんたに出会う前まで、生き物を殺すことだけが生き甲斐だったからね。元々は私を追いかけて人間界に来たのも、私と極限の殺し合いをしたいからっていう戦闘狂よ」
「ベ、ベルフェゴール……」
さすがに心配になって僕が呟くと、アスモデウスが優しく肩を叩いてくれた。
「あらあ? ベルちゃんが心配なの? ……大丈夫よ、拓巳さん。あの子も大罪の名を冠する一角、そう簡単にはやられないわ」
「じゃあ、大人しく死になさい……❤」
サタンの号令とともに、彼女の身体と髪から生え出た無数の銃器が一斉に火を噴いた。
――バババババババババババババ!!!
凄まじい轟音。容赦なく弾丸の雨を撃ち込んでいくサタン。ベルフェゴールのいた場所は、一瞬にして激しい硝煙と土煙に包まれ、その姿が見えなくなった。
数秒、いや数十秒もの間、狂ったように連射を続けていたサタンだったが、ふう、と小さく色っぽい息を吐くと、突如として連射をピタリとやめた。
そして、まだ煙が立ち込める戦場に背を向け、僕の方へと満面の笑みで向き直る。
武器に変形させていた腕や髪を瞬時に元の美しい姿に戻すと、大きく手を振った。
「拓巳〜❤ 終わったわよ〜❤」
「あっ、サタン、後ろ――っ!!」
僕が慌てて指差す。彼女の後ろで、ベルフェゴールを覆っていた硝煙が徐々に風に流されて消えていく。
そこには――サタンが放った数千発に及ぶ全ての弾丸を、目の前で完璧に静止させ、空中に浮かせているベルフェゴールの姿があった。
ギギギギギ……。
不気味な音を立てて、宙に浮く無数の弾丸がゆっくりと反転していく。
「なあにい❤」
拓巳に呼ばれて機嫌良さそうに首を傾げるサタン。だが、その後ろでは、彼女が撃ち込んだはずの全弾頭が、今度はサタンの背中めがけて綺麗に照準を合わせていた。
ベルフェゴールが眠たげな目のまま、その小さな手をぐっと前に押し出す。
その瞬間、浮遊していた全部の弾丸が一斉に、凄まじい速度でサタンへと襲いかかった。
「んー? あー、これ?」
サタンはそっちを見向きもしないまま、背後から迫る弾丸の雨を察知する。彼女の長い髪が一瞬にして、今度は大量の「鋭利な日本刀」へと変化した。
そして、バババッ! と目にも留まらぬスピードで、迫り来る弾丸を背後で器用に次々と切り落としていく。
ボタボタボタボタッ!
地面に無惨に叩き落とされ、転がっていく大量の銃弾。サタンは髪を元の状態に戻しながら、ようやくベルフェゴールの方へと向き直った。
「まだ諦めないの〜? 往生際が悪いわね」
「……まだまだ……本気でもない……」
ベルフェゴールが淡々と言い放ったその言葉に、サタンの愛らしい笑顔が、一瞬で氷のように凍りついた。
「……あっそ。ちょっとムカついてきたかも」
サタンが低く呟いた瞬間、草原の草木がざわざわと異常な音を立ててざわめき始めた。
「な、なんか地面が揺れてません?」
キョロキョロと周囲を見回す僕に、ルシファーが鼻で笑って言う。
「自分の攻撃を全部ベルフェゴールに止められて、プライドが傷ついて怒ってるんじゃない? あんな些細なことで激怒するとか、本当に短気なバカだわ」
周りの草木が激しく揺れる中、サタンの長い髪も不気味に揺れ始める。その美しい髪の先端のほうが、内側から染まるように少しずつ漆黒へと変色していく。
「……はあ。じゃあ、すこーしだけ本気出すわね」
サタンがザッ! とその場から完全に消えた。試合開始の時と同じモーション。
だが、次の瞬間――カキィィィンッ!!! と、先ほどとは比べ物にならないほど鋭く、重い金属音が響き渡る。
いつの間にかベルフェゴールの至近距離に肉薄していたサタン。その右腕は、自身の背丈よりも遥かに巨大で太い「大剣」へと変化していた。
ベルフェゴールはすんでのところで手を向け、その大剣の直撃を魔力で止める。
だが、サタンの猛攻はここからだった。
自分の身体よりも巨大な大剣を、目にも留まらぬ超高速のスピードで、文字通り一瞬の休みもなく狂ったように振るい始めたのだ。
カンカンカンカンカアンッ!!!
激しくぶつかり合う鈍い音だけが草原に鳴り響く。ベルフェゴールはそれをなんとか両手で防ぎ続けるが、完全に防戦一方だ。
「受けているだけ!? 攻撃してこないと、そのうち当たっちゃうわよ!?」
サタンは挑発気味に叫びながらも、その腕の暴風のような連撃を一切止めない。しかし、ベルフェゴールは冷徹な目のまま呟いた。
「……もう……すぐ……」
「なにが……よっ!?」
言い返そうとした、その途中でサタンの身体に異変が起きた。
あれほど猛烈に振るわれていた大剣のスピードが、だんだんと、目に見えて落ちていく。そしてついに、ベルフェゴールの目の前で、ピタッ、と完全に静止してしまったのだ。
「な、なによ……これ……っ! 身体が、動かない……っ!?」
「……【怠惰】の魔力……。この至近距離で、私の魔力を浴び続ければ……どんな生き物でも、すべての運動が止められる……」
「なによそれ! 本当に陰湿な魔法を使うやつーー!!」
身動きが取れなくなり、サタンが悔しそうに絶叫する。
「すごい! あの怪物みたいなサタンを完全に止めた!」
「さすがに発動まで時間がかかったけどね。でも、あれでもうあのバカは指一本動かせないわね。勝負あったわ」
ルシファーが勝ちを確信したように言う。
戦場では、ベルフェゴールがゆっくりと腰を低く落とし、その小さな右手を後ろへと静かに引いていた。
「……私に……攻撃手段が少ないって……皆思ってるでしょ……。……実は……そんなことない……」
「はっ! そんなスローモーションな、ただのパンチなんて……あのエヴァならともかく、この私に効くわけないでしょ!」
サタンが動けない身体で必死に虚勢を張る。
「……受けてから……言って……」
ベルフェゴールは後ろに引いた右手の拳を小さく固めると、驚くほどゆっくりとした動作で、サタンの腹部に向かって拳を突き出し始めた。
「な、何やってるんですかね、ベルフェゴールのやつ……。あんなにゆっくりじゃ、当たっても痛くなさそうですけど」
「知らないわよ。頭がおかしくなったんじゃない?」
僕とルシファーが首を傾げる中、観客席の端で、マモンが何かに気づいたようにハッとした表情を浮かべ、一人で深く納得したように頷いた。
「……なるほど。あれは、非常に面白い趣向ですわね」
ゆっくりと、本当にカタツムリのような速度で、ベルフェゴールの拳がサタンの腹部へと近づいていく。
そして、当たる寸前――。
その拳が一瞬だけ、ほんの少しだけ早く動き、コツン、と信じられないほど軽い音を立ててサタンの腹部に触れた。
「……え?」
エヴァさんも僕も、誰もが拍子抜けした声を漏らす。サタン自身も、「は? なによこれ?」と言いたげな、呆然とした顔をしている。
――しかし、次の瞬間だった。
ボコォォォォンッ!!!
突如として、サタンの腹部が不自然なほど深く内側へと凹んだ。
「――ガハッ!?」
サタンは目を限界まで見開いたまま、大量の鮮血を口から吐き出した。
そして、――パンッ!! という衝撃音と共に、彼女の身体がその場から一瞬にして掻き消える。
「え……? サタンはどこに……!?」
「向こうね」
ルシファーに指を差された方向を、僕が慌てて目で追う。
遥か彼方――戦場から数十メートルは離れた草原の端にある、樹齢数百年の巨大な大木。その太い幹の真ん中に、サタンの身体が背中から深くめり込み、ぐったりと項垂れていた。
「サ、サタン――っ!?」
「はっ! ベルフェゴールのやつ、なかなかエグい技持ってんじゃねえか」
蓮華さんが満足そうにニヤリと笑って呟く。
「え!? え!? どういうことですか!? なんであんな軽いパンチでサタンが吹っ飛ぶんですか!?」
「おそらく、自分の拳に【怠惰】の魔力をかけたのね」
ルシファーの言葉を引き継ぐように、アスモデウスが分かりやすく解説してくれた。
「ええ。自分のパンチに怠惰の魔法をかけて、動かす時間をあえて限界まで引き延ばすことで、その間に生じる全ての『運動エネルギー』を拳の中に蓄積し続けたのよ。そして、相手の身体に触れる寸前にその魔法を解除した……。つまり、溜まりに溜まった何万倍もの破壊力が、一気にサタンちゃんの腹部に炸裂したってわけね〜」
戦場の中央では、ベルフェゴールが僕たちのいる観客席に向けて、ぶい、と小さく、本当に小さくピースサインを作ってみせていた。
「しょ、勝者……ベルフェ――」
エヴァさんがマイク越しに勝者を宣言しようとした、まさにその瞬間だった。
――パァァァァァァァンッッッ!!!
鼓膜が完全に破裂するかのような、凄まじい衝撃音が草原の端から轟いた。
見ると、先ほどまでサタンの身体が深々とめり込んでいたあの巨大な大木が、根こそぎへし折られ、衝撃波によって上空高くへと消し飛ばされていた。
「あ、あれ……?」
エヴァさんが呆然とマイクを握り直す。
ドォォン! と大きな音を立てて、へし折られた巨木が地面へと激しく突き刺さる。
そして――その巨木の影から、ゆらり、と音もなく歩み出てくる一つの不気味な影があった。
「さいっこう❤ ……絶対に、殺してやるわ」
そこには、服の一部が破れ、口元から血を流しながらも、いつもの明るいトーンを完全に消し去り、真顔のまま底無しの殺意のオーラを全身から立ち昇らせるサタンの姿があった。
「ひっ……!」
そのあまりの恐ろしさに、僕の背筋に最悪の戦慄が走る。
気絶するどころか、本物の狂気を覚醒させてしまったサタン。準決勝第2試合は、ここから誰も止めることのできない最悪の領域へと突入しようとしていた――。




