『なんですかあの…みたいな鎧は!?』
千葉の某所にある、遮るもののない広大な草原。
そこで今、気怠げに佇む青髪の小柄な悪魔と、イギリスからやってきたブロンドのエクソシストが静かに向かい合っていた。
「……もう4回戦が始まるってのに、この状況は一体何なんだ……」
思わず僕、神代拓巳が頭を抱えて呟くのも無理はなかった。観客席の様子は、およそ命がけの戦いを前にしたものとは思えないほど混沌としていたからだ。
「やばっ! 『くりぃむsoだ』の配信がもう始まってるじゃん!」
スマホの画面に釘付けになり、周囲の空気なんて完全にシャットアウトしているのはルシファー。
「拓巳〜❤ あんな地味な戦いなんてどうでもいいから、あっちで2人きりになりましょ〜❤」
「うわっ、ちょっとサタン、後ろから首に腕を絡ませないでください……!」
「王子様に気安く近づかないでください! 離れなさいこのストーカー!」
すかさずレヴィアタンがサタンの腕を引き剥がそうと割り込んできて、僕の周りは一瞬で押し問答の修羅場になる。
「おい! これめちゃくちゃ美味いぞ! アスモデウスも食えよ!」
「じゃあ一つ頂こうかしら。ふふ、本当ね、おいしいわ〜」
そんな僕たちの喧騒を他所に、ポテトチップスを油まみれの指で勧めるベルゼブブと、それを上品につまむアスモデウス。
「ふん、そんな安っぽいジャンクフードばかり食べているから、いつまで経っても締まりのない身体なんですわよ」
マモンが彼らを冷ややかな目で見下ろす。あまりの緊張感のなさに、僕はついに耐えかねて大声を張り上げた。
「なんで誰も試合を見てないんですかぁっ!」
「だって、勝敗なんて戦う前からわかりきってるでしょ。実質ベルフェゴールはシードみたいなものじゃない」
スマホから目を離さずにルシファーがそっけなく言う。
「た、確かに何となくエヴァさんの実力は分かりますけど……。人間ですし……」
「おい拓巳、あんまりアイツを舐めんじゃねえよ。さっき、アイツには私の『とっておき』を貸してやったからな」
パイプ椅子に深く腰掛けた蓮華さんが、不敵にニヤリと笑う。
「え? 『とっておき』って……何ですか?」
「……まあ、黙って見てな」
蓮華さんが顎をしゃくると同時に、僕と蓮華さんくらいしかまともに注目していない中で、運命の第4回戦が始まった。
「……エヴァ……無駄な怪我をする前に……棄権するなら今のうち……」
いつも通り眠たげな目をこすりながら、ベルフェゴールがボソリと告げる。
「鬼姫……じゃなくて、蓮華さんに『絶対に負けるな』って言われてるんだから、ここで不甲斐なく退くわけにはいかないのよ!」
エヴァさんがガチガチに緊張しながらも、黒い本を握りしめて宣言した。
「……そう……じゃあ、本気でいく……」
ベルフェゴールが小さく息を吐き、スッとエヴァさんに向けて手をかざす。その瞬間、エヴァさんの表情が恐怖に凍りついたように固まった。
「……動きは止めた……。もう、喋ることすら無理……」
「ベルフェゴールの【怠惰】の魔法……やっぱり初見殺しで強すぎる……」
僕が戦慄していると、サタンが僕の肩に顎を乗せながら気楽に言った。
「あんなもん、魔法を喰らう前に一瞬で殺しちゃえばいいのよ〜。それか、それ以上の圧倒的な魔力で強引に跳ね返せば簡単❤」
「サタン、それはあなたみたいな規格外の悪魔しかやらないんですよ。……あれ? そういえば僕、ベルフェゴールが直接攻撃してるところって見たことないんですけど」
「ベルちゃんはとある理由で格闘とかの近接戦は苦手なのだけど、ある意味で私たちよりもエグい初見殺しの技を持ってるのよね〜」
アスモデウスがクスリと妖艶に微笑む。
戦場では、ベルフェゴールがゆっくりとした足取りでエヴァさんへと近づいていた。そして、一定の距離まで接近した、その時。
「――っ!?」
突如、エヴァさんの目が限界まで大きく見開かれた。みるみるうちにその顔色が土気色へと青白くなっていき、「かっ!……かひゅ……かは…!」と、激しく喘ぎ始めたのだ。
「え!? どうしたんですか、いきなり……!」
「ベルちゃんはね、物体の動きを止めることができるけど、それは物理的に固めてるわけじゃないの。相手の『動かす気力』そのものを根こそぎ奪っているのよ。つまり、相手に『呼吸をする気力』すら失わせることも可能ってわけなのよ」
アスモデウスの解説に、背筋が完全に凍りついた。
「そ、それは確かにエグすぎる……! っていうか、そんなことしたらエヴァさんが死んじゃいます!」
「おそらく、もう数秒で終わるわね」
青白くなったエヴァさんの全身から、ダラダラと尋常ではない量の冷汗が吹き出す。
「……これ以上は本当に死ぬ……。お願いだから……棄権……して……」
ベルフェゴールが淡々と告げる。だが、エヴァさんの瞳の奥の光は、まだ全く諦めていなかった。
「え……ろいむ……へ……さい……む……っ!」
今にも消え入りそうな掠れた声で、彼女は必死に呪文を紡いだ。その瞬間、ベルフェゴールが何かの超常的な気配に気づき、即座に何重もの半透明な魔力防御壁を展開しながら、高く後方へと飛び上がった。
――ドガァァァァァン!!!
凄まじい大爆音。つい先ほどまでベルフェゴールが立っていた足元の地面が爆発し、そこから白く目も眩むような光を放つ、巨大な虎の異形が姿を現した。
すんでのところで直撃を避けたベルフェゴールだったが、空中へ退避した瞬間にパリーン! と、彼女の張った防御壁がガラスのように粉々に砕け散る。
「……何……そいつ……」
背中から生やした漆黒の羽をバタバタと羽ばたかせ、空中からベルフェゴールが警戒の眼差しを向けた。
「はあ……はあ……ふう……! 危なかったわ、本当に死ぬかと思った……」
呼吸の気力を取り戻し、激しく息を整えながら額の汗を拭うエヴァさん。
「な、何ですか、あのでかい光る虎は!」
僕が驚愕して立ち上がると、隣の蓮華さんが不敵に笑って腕を組んだ。
「あれがエヴァに貸した『とっておき』だ。四聖獣の一角、白虎。拓巳、お前の父親である神代リンドウが、かつて最前線で使っていた使い魔でもある」
「えっ!? 僕の親父が使ってた使い魔なんですか!?」
「もっとも、お前の父親が呼び出していた時はあんなに小さくなくて、山一つ分くらいあったけどな」
蓮華さんの恐ろしい補足に僕が絶句していると、マモンが扇子をパタパタと仰ぎながら口を挟んだ。
「使い魔というものは、顕現する際の大きさと強さが主人の魔力量に完全依存しますものね。わたくしなら、あんな燃費の悪そうな使い魔を使おうだなんて思いもしませんわ」
「じゃ、じゃあ、魔力量で劣るエヴァさんが使っても、大した時間持たないんじゃ……」
「おめえも随分と舐めた口を利くようになったじゃねえか、拓巳。……安心しろ、四聖獣はそこらの雑魚使い魔とは格が違う」
蓮華さんの言葉を証明するように、エヴァさんが鋭く前を見据えた。
「さすがに魔力が凄まじい勢いで持っていかれるわね……! さっさと終わらせるわよ、白虎!」
エヴァさんの号令に、白虎が「グオオオオオ!」と大地を震わせる咆哮で応じる。
「……見たことのない魔物……だけど……関係ない……」
ベルフェゴールは空中から再びスッと手を伸ばし、【怠惰】の魔法を放とうとする。しかし、白虎は構わず、強靭な後ろ足で大地を爆裂させ、空中のベルフェゴールに向かって牙を剥いて飛び上がった。
ガッ……!
しかし、空中へ到達した瞬間、白虎の巨体がまるで目に見えない壁に衝突したかのように、不自然にピタリと静止させられる。
「……所詮は魔物……。私の怠惰の魔法には逆らえない……」
勝利を確信したかのようにベルフェゴールが呟いた、まさにその時だった。空中に浮かぶ彼女の、真横の空間が突如として歪んだ。
「え……?」
小さく驚いて横を向くベルフェゴール。
「グオオオオオ!」
なんと、その空間の歪みから、エヴァさんの目の前で静止させられているはずの白虎が、もう一頭、猛然と飛び出してきたのだ。
「きゃぁぁ!」
完全な死角から白虎の巨大な爪で殴り飛ばされ、ベルフェゴールが悲鳴を上げて吹き飛ぶ。彼女は空中で必死に受け身を取り、羽を翻して何とか体勢を立て直した。
「……なんで……二匹……?」
「白虎は何体にでも分身して増えるのよ! まあ、今の私の魔力じゃ2体が限界だけどね。それに、空間を直接移動して出現できるから、あなたの怠惰の魔法の射程は関係ないわよ!」
エヴァさんが勝ち誇ったように叫ぶ。地面には確かに、動きを止められたはずの1体目と、今しがた強襲を仕掛けた2体目の白虎が並び立っていた。
「……厄介……」
空中できつそうに顔を顰めるベルフェゴール。
「すごい……! あの無感情なベルフェゴールが、本気で嫌そうな顔をしてるのを初めて見ました」
「でも、あのエクソシストの娘も、もう魔力の限界が近そうだけどね〜?」
サタンの指摘通り、エヴァさんの呼吸は完全に荒くなっていた。
「はあ……はあ……。急いで決めないと本当にまずいわね……! 白虎、行きなさい!」
エヴァさんの指示の元、二匹の白虎の巨体が同時にかき消えるように空間の狭間へと隠れた。どこから来るか分からない超高速の空間転移攻撃。
「……めんどうくさい……。さっさと決める……。――『今からやる気出す(シークレット・センス)』」
ベルフェゴールが気怠げに、しかし明確な意志を持って呟いた。
「……あれ? 魔法の名前ですよね? 凄そうな名前の割に、何も起きてないみたいですけど……」
「いや、よく見ておきなさい拓巳。これから最高に面白いことが起きるわよ」
サタンが嬉しそうに目を輝かせる。
空中で黒い羽を羽ばたかせていたベルフェゴールの姿が、――シュン……! と、次の瞬間には一瞬にしてその場から完全に消失した。
「……え? 消え……っ!?」
エヴァさんが驚愕の声を上げたのと完全に同時だった。エヴァさんのすぐ真横の空間から、奇襲のために隠れていたはずの白虎が唐突に弾き出され、何者かの強烈な蹴りをその巨体で受け止めていた。
――グオオオオオ!!!
白虎が悲鳴のような叫び声をあげて遥か後方へと激しく吹っ飛んでいく。
「な、な、なんなのよ今の速さはっ!?」
エヴァさんは恐怖に顔を引きつらせながら、数歩後ろへと全力で退避した。
「……ふう……おしかった……」
いつの間にか地面に音もなく着地していたベルフェゴールが、小さく息を吐く。
「はやぁぁぁ!! 動きが全く見えなかったぞ!?」
「あいつ、自分の【怠惰】のリミッターを完全に外したのよ。つまり、あれが本気で、一切の怠けなしで動いてるベルフェゴールの本来の身体スペックね」
ルシファーがスマホをポケットにしまいながら、真剣な目で解説する。
「ち、チートじゃないですか! 怠惰の悪魔がやる気出したら最強ってことですか!?」
「そうでもないわよ〜。魔法特性を使ったわけじゃなくて、ただ純粋に筋肉と身体能力の制限を解いた高機動戦なだけだから」
「ただ、それが純粋に一番厄介なんですわ」
アスモデウスとマモンが戦況を見据える。
「や、やばい……。なによあの圧倒的な速度とパワー……。白虎が肉盾にならなきゃ、今ので確実に首が飛んでたわ……」
エヴァさんの額に、冷たい汗がこれでもかと滲み出る。その時、観客席から強烈な怒号が戦場を切り裂いた。
「おい! エヴァ! なんでアレをやろうとしねえんだ!?」
蓮華さんが立ち上がり、恐ろしい形相で怒鳴りつける。
「だ、だってアレをやったら…恥ずかしいですし、魔力が持つか分からないんです!」
「心配すんじゃねえ! どう転んでも、私が責任持って止めてやるから思い切りいけ!」
「あーもう! わかりましたよ、やればいいんでしょ!」
エヴァさんは半ばヤケクソ気味に叫ぶと、目の前のベルフェゴールをキッ! と鋭く睨みつけ、肺が破れんばかりに深く息を吸い込んだ。
「――魔装!!」
刹那、エヴァさんの身体が目も眩むような純白の光に包まれる。それと同時に、先ほど蹴り飛ばされて倒れていた白虎の身体もまた、眩い光の粒子となって彼女の元へと吸い込まれていった。
ベルフェゴールは直感的に危険を察知したのか、その場から消えるような超高速のステップで肉薄し、光の中心に向けて鋭い回し蹴りを叩き込んだ。
――ドゴォォッ!!!
鈍い衝撃音が響き渡り、エヴァさんを包んでいた光の壁が衝撃で霧散していく。しかし、光が完全に消え去ったそこにいたのは、ベルフェゴールの超高速の蹴りを、片腕だけで微動だにせず完璧に受け止めているエヴァさんの姿だった。
「な、何ですかあの格好は……!?」
僕が驚愕して声を上げるのも無理はなかった。ベルフェゴールの蹴りを受け止めているエヴァさんの両腕、頭部、そして胸から胴にかけて、先ほどの白虎の毛並みを思わせる白銀の美しい鎧が、眩い魔力と共に強固に纏わされていたのだ。
「ま、まるで……!」
「か、カッケー!! まるで『悪闘士魔矢』の悪鎧みたいだ!」
僕が言おうとしたセリフを、ベルゼブブが目を輝かせながら大声で横からかっさらっていく。
「ええい何ですかその、僕が言おうとした日本の超有名作品と酷似してるけど絶妙に権利を避けたみたいな漫画のタイトルは!」
「『悪闘士魔矢』は魔界で大流行した伝説のバトル漫画よ。キャラクターたちが悪魔の鎧を着て戦う熱いストーリーなのよ」
ルシファーの無駄に詳しい解説は無視することにした。完全に知ってるやつだそれ。
「……使い魔の魂と肉体を、自分の防具として身に纏う『魔装』……。人間なのに、そんな高度な術まで使いこなすなんてね……」
空中へ飛び退きながら、ベルフェゴールが感心したように呟く。
「うるっさいわね! 私だってこんな、魔力の燃費が最悪で見た目もコスプレみたいなダサい技、使いたくて使ってるんじゃないわよ!」
エヴァさんは悪態をつきながら、鎧のパワーに任せてベルフェゴールを力任せに後方へと激しく吹き飛ばした。
「……大丈夫……。すごく……似合ってる……」
空中で華麗に受け身を取りながら、ベルフェゴールが淡々と褒める。
「お世辞はいいわよ!」
エヴァさんが叫んだその時、彼女の右腕を覆っていた白銀の鎧の一部が、パキン……と軽い音を立てて脆くも欠け落ちた。維持するための魔力が、すでに底を突きかけているのだ。
「くそっ! 本当に時間がないわ! いくわよ!」
限界を悟ったエヴァさんは、目にも留まらぬ超高速の突進を開始した。ベルフェゴールも不敵に「ふっ」と笑うと、同じくリミッターを解除した超高速の世界へと身を投じ、正面から迎え撃つ。
ドゴッ! バギィ! ボゴォッ!!!
草原のあちこちで、肉体と肉体が激触する凄まじい鈍い音が連続して響き渡り、そのたびに周囲の空気が衝撃波となって激しく爆ぜる。
「すごい……二人の動きが速すぎて、僕の目じゃ全く見えない……!」
「んー。残念ながらもうすぐ決着がつくわね〜」
サタンが退屈そうに告げた、まさにその瞬間だった。
――パリンッ!!!
ひときわ鋭い、硬質なものが完全に粉砕される音が草原に響き、白銀の鎧を完全に砕かれたエヴァさんの身体が、地面を激しく転がって動かなくなった。それと同時に、超高速の世界からベルフェゴールの姿も元の位置へと現れる。
「……はあ……はあ……。これで……終わり……」
リミッターを外した反動か、激しく肩で息を切りながらベルフェゴールが告げる。エヴァさんは地面に倒れたまま、完全に意識を失って気絶していた。
「そこまで! 勝者、ベルフェゴール!」
蓮華さんの冷徹な宣言が草原に響き渡る。
その声を聞いた瞬間、ベルフェゴールは「……おやすみ……」と力なく呟き、そのまま糸が切れた人形のように、その場にバタリと仰向けに倒れ込んでしまった。
「ベルフェゴール!」
僕は慌てて観客席から飛び出し、戦場の真ん中へと駆け寄った。
「大丈夫か!?」
急いでその小さな身体を抱え上げると、彼女は「すぴー……すぴー……」と、驚くほど穏やかで幸せそうな寝息を立てて完全な爆睡体制に入っていた。
「あれ……? 倒れたんじゃなくて、ただ寝てるだけ?」
「怠惰のリミッターを外しすぎた反動で、急激に強烈な睡魔に襲われたのね。次の準決勝の試合までに、果たして自力で起きられるかしら?」
後ろからアスモデウスが楽しそうに近づきながらクスリと笑う。何はともあれ、大怪我ではないようで僕はホッと胸を撫で下ろした。
「なんだ、よかったです……。あ、そうだ、エヴァさんは!?」
僕が慌ててエヴァさんの方を振り返ると、そこにはいつの間にか移動していた蓮華さんが、気絶したエヴァさんを軽々と肩に担ぎ上げている姿があった。
「安心しろ、こいつはただの魔力切れで気絶してるだけだ。こいつにしちゃあ、あそこまで持ちこたえれば上出来だろ。よくやった方だ」
蓮華さんはぶっきらぼうにそう言うと、エヴァさんを観客席の救護スペースへと連れて行った。
こうして、凄惨かつ超次元な第4回戦も無事に(?)幕を閉じ、ついに準決勝へと駒を進める4人のメンバーが完全に確定したのだった。
【準決勝・第1試合】ルシファー VS レヴィアタン
【準決勝・第2試合】サタン VS ベルフェゴール
魔界を代表する最強の悪魔たちによる、最強を巡る最悪のデスゲームは、いよいよ準決勝という未知の領域へと突入していく――。




