『暴食の悪魔ベルゼブブ対憤怒の悪魔サタン』
「さっさと殺し合いましょ? いつでもきていいわよ」
サタンが不敵な笑みを浮かべ、ゆったりと挑発するように手招きする。
転移悪魔最強決定戦の第二回戦、サタン対ベルゼブブが今まさに始まろうとしていた。広大な草原の真ん中で、【憤怒】の悪魔サタンと、赤髪を揺らす【暴食】の悪魔ベルゼブブが正面から相対する。
「はあ……。俺、もう負けでいいからさあ……」
試合前から完全に戦意喪失しているベルゼブブが、肩を落として溜息をつく。
「あらあ? ベルゼブブちゃん?」
観客席から、その弱音をかき消すようにアスモデウスが艶めかしい声をかけた。緑髪のお姉さんの瞳がスッと細められたのを見た瞬間、ベルゼブブの背筋に劇的な戦慄が走る。
「ひいっ!? やりますやります! やらせていただきますぅ!」
「安心して良いわよ〜。すぐ……殺してあげるから」
サタンの慈悲のない冷徹な微笑みに、ベルゼブブは引きつった顔で冷や汗を流した。
「……しょうがねえ。やるか……」
覚悟を決めてガシガシと頭を掻きむしり、再びサタンに向き直るベルゼブブ。そんな彼女の様子を見ていた僕は、ふと疑問に思って隣に座る金髪悪魔に尋ねてみた。
「ベルゼブブって実際どうなんですか? 普段はバカみたいに食べてるとこしか見たことないですけど……」
「さあね。私もあいつが『本気』を出してるところなんて、魔界でも見たことないわね」
「本気……ですか」
ルシファーの言葉に、僕はごくりと唾を飲み込んで戦況を凝視する。
「いくぞ!」
大喝と共に、ベルゼブブが地響きを立てて突進を開始した。
「きなさい!」
サタンは口元を凶悪に釣り上げ、真っ向から迎え撃つ構えをとる。
ベルゼブブは走りながら「スウゥゥ!」と、まるで大気そのものを吸い込むかのように深く息を吸い込んだ。
「巨大化ァ!」
叫んだ瞬間、ボンッ! と凄まじい破裂音が鳴り響き、彼女の右手だけが軽自動車ほどもある巨躯へと膨張した。
「おお!」
僕が思わず声を上げる。
「おりゃぁぁぁ!」
ベルゼブブがその巨大な腕を大振りに翳し、サタンめがけて容赦なく振り下ろした。しかし、激突の寸前――。
――スパンッ!!!
あまりにも肉を断つには軽すぎる、鋭利な音が草原にこだまする。
「なっ!?」
驚愕の声を上げたのはベルゼブブだった。
いつの間にかサタンの右腕が白銀の鋭い刃へと変貌しており、一閃の下にベルゼブブの巨腕を根元から綺麗に切り落としていたのだ。
「うがぁぁ!」
鮮血をブチまけ、右腕を失ったベルゼブブがヨロヨロと後退する。
「どうしたの〜? まさかあんたって、そんなつまらない手品しかできないの〜?」
腕の刀を弄びながら、サタンが退屈そうに小首を傾げた。
「くっ……。あーもう、最悪だぜ!」
ベルゼブブは毒づきながら、地面に転がっている自分の巨大な右腕に向かって、残された左腕を伸ばした。
「こい!」
その呼びかけに応じるように、床に転がっていた巨腕が、まるで生き物のように蠢きながらひとりでにベルゼブブの方へと這い戻ってくる。
「なっ! 動いてる!?」
「悪魔なんだからそれくらい普通でしょ」
驚く僕に、ルシファーが呆れたように鼻で笑う。
「そ、そうなんですか……」
悪魔の常識に、僕は少々引き気味に頷くしかなかった。
すると次の瞬間、ベルゼブブは近づいてきた自分の右腕を拾い上げるや否や、顎が外れるほど大口を開けた。
「あー……バクンッ!」
「き、きもっ!」
エヴァさんが本気で嫌悪感を露わにする。
ベルゼブブは自分の腕を躊躇なく口に放り込み、豪快に咀嚼し始めた。
「ムシャムシャ……ふう」
満足そうにゴクリと飲み込むと、グニュグニュ、ベキベキと奇怪な音を立てながら、切り落とされたはずの彼の右腕が瞬く間に元の通りに再生していく。
「うげー。俺自身の腕は美味しくねえや、やっぱり……」
「へえ。再生してどうするの?」
サタンが冷ややかに問いかける。
「しょうがねえから、お前ごと食ってやる!」
「きゃ〜! 怖いわね〜」
まったく怖がっていない棒読みで返すサタン。ベルゼブブは不敵に笑うと、腹の底から魔力を絞り出した。
「『悪食世界』!」
刹那、ベルゼブブの身体がぐぐぐと異様に膨張し始める。
「また巨大化するわけ?」
「ゴレガ! 暴食の魔法ダァァァア!」
すでに先ほどまでのベルゼブブではない、地を這うような獣の声が響き渡る。光が収まった時、そこにいたのは全身が不気味な黒いオーラで形成された、家屋ほどもある巨大な異形の化け物だった。
「だから、意味ないって言ってるのよ!」
サタンが地を蹴って鋭く地を駆ける。
「また真っ二つにしてあげる!」
巨大な化け物を見下ろすように高く跳躍すると、腕の刀を大きく振りかぶった。
――ズパァン!
容赦ない縦一閃が走り、巨大化したベルゼブブの肩から下半身にかけてが斜めに大きく切り離された。
「ベルゼブブ!」
僕が思わず悲鳴のような声を上げる。しかし、観客席のアスモデウスは優雅に髪をかき上げた。
「大丈夫よ。あの状態のベルゼブブちゃんは、あれくらいじゃ痛くも痒くもないわ」
「え?」
僕が聞き返しながら慌てて戦場へ視線を戻す。
「あら〜? 真っ二つってわけにはいかなかったけ……ど!?」
ベルゼブブの身体を切り裂いたまま着地したサタンが、何かの異変に気づいて声を詰まらせた。
驚くべきことに、今まさに切り裂かれたベルゼブブの断面の全てから、無数の不気味なギザギザの歯がびっしりと生え揃ってきたのだ。
「イダダギマアズ!」
「しまっ――」
バクンッ!!!
サタンが回避行動をとるより早く、切り離されていたはずの肉体が磁石のように引き合い、その中心にいたサタンをごと全てを飲み込むようにして一つに結合した。
「く、食った!?」
「食べられちゃったわね、あのストーカー」
エヴァさんが絶叫する横で、ルシファーはどこか楽しそうにクスクスと笑っている。
「ちょ、ちょっと! 良いんですか!?」
「うーん、どうかしらね〜?」
アスモデウスも余裕の表情を崩さない。当のベルゼブブは、巨大な化け物の姿のまま「ぷはぁ!」と、盛大なゲップを吐き出した。
「サ、サタンの負け……?」
僕が恐る恐る呟くと、背後から冷徹な声が響いた。
「まだだな」
「まだですわね」
蓮華さんとマモンが同時に断言する。
その言葉通り、突然ベルゼブブが巨大な両手でお腹を激しくさすりはじめた。
「んんん? オナガイダァイ!」
化け物の巨体が、まるで激痛に悶えるように奇妙なダンスを踊りながら暴れ始める。
「ほんとゴキブリみたいなやつね」
ルシファーが冷ややかに見下ろす中、――パアン……! と、ベルゼブブの巨大な腹部に、内側から突き破られたような小さな穴が開いた。
それを皮切りに、彼の身体のあちこちから同様の異変が起き始める。
パアン! パアン! パアン!
激しい轟音と共に肉体が内側から爆ぜ、ベルゼブブが鼓膜を震わせる悲鳴を上げた。
「グァぁぁォォォォォ! ウガァ! イダァィ!」
無数の穴から目も眩むような真紅の光が漏れ出したと思った瞬間、――バゴォーン!!! と、草原を揺るがす大爆発が巻き起こった。
「うわぁぁぁぁぁ!」
あまりの爆風に僕は腕で顔を覆う。
爆発による黒煙がシュゥゥゥゥゥ……と音を立てて風に晴れていく。そこには、見るも無残に四散し、ぐちゃぐちゃになったベルゼブブだったモノの肉塊が転がっていた。
そしてその血の海の中心に、何事もなかったかのように佇む一人の白い髪の少女の姿があった。
「ひいいいいいい!」
僕とエヴァさんの悲鳴が完全にシンクロする。
サタンは自分の身体や服にこびりついた肉片をフンフンと鬱陶しそうに払い落としながら、僕の方を振り返った。
「はあ……。汚れちゃったじゃない。あっ! 拓巳〜! 見ないで! 汚いから!」
「いやいやいやいや! 汚いとかそういう次元の話じゃないですよ!」
僕のまともなツッコミが入る中、蓮華さんがバットをトントンと叩いた。
「勝負あったな」
「え? いやいや、勝負どころじゃないでしょ! ベルゼブブが完全に肉片になってますって!」
「あ? あいつなら生きてんだろ。ほら」
蓮華さんが顎でサタンの足元を指し示す。
「へ?」
僕が目を凝らすと、地面にぐちゃぐちゃに散らばっていた肉塊たちが、いきなりモゾモゾと不気味に蠢き始めた。
「ひいいいいいいいい!」
本日何度目か分からない絶叫をあげる僕とエヴァさん。
バラバラだった肉片は、磁石に引き寄せられるように中心へと集まり始め、徐々に、しかし確実に僕たちの知っている赤髪の少女の姿へと再構築されていく。
「うがぁぁ! 死ぬかと思ったぞお前!!」
完全に復活を遂げたベルゼブブは、開口一番、目の前のサタンに向かって激怒した。
「死んじゃえばよかったのに〜」
「いやいやいや! 今のは客観的に見て完全に死んでましたよ!」
僕の必死のツッコミに、アスモデウスがクスリと妖艶に微笑む。
「うふふ、ベルゼブブちゃんは【暴食】の悪魔。食べた分だけストックされた魔力で、自分自身の肉体を一から作り直せる特殊な体質なのよ。だから、そう簡単には死なないわ」
「ええ!? まさかの不死身魔法特性!?」
「まあ、いくらでも確実に殺す方法はあるんだけどね〜」
ニコニコと恐ろしいことをのたまう緑髪のお姉さんに、ベルゼブブはガタガタと震え出した。
「な、なんだか急に猛烈な寒気が……」
「拓巳〜❤」
そんなやり取りを無視して、サタンが嬉しそうに観客席へと駆け寄ってくる。
「楽勝だったわよ〜! このままパパッと優勝しちゃうから、終わったらすぐ結婚しようね!」
「うーん……。サタン、次の試合で負けてください」
「ひどいっ!」
ガーンと効果音がつきそうなほどショックを受けるサタン。それを見ていた蓮華さんが、面倒くさそうに息を吐いた。
「……さあ、これで二回戦目はサタンの勝利で終わったわけだ。おい、お前ら、さっさと次やれよ」
蓮華さんの冷酷な催促により、最悪のデスゲームはさらに加速する。
こうして凄惨?な二回戦が幕を閉じ、続いて第三回戦――マモン対レヴィアタンの戦いが、今まさに始まろうとしていた。




