『怠惰の悪魔、成長しました』
僕の名前は神代拓巳。ごく普通の大学生だ。
え?「もうこの定番の自己紹介はいらない」って? まあまあ、そんなこと言わずに。メタ的な話をすると、お話の導入の仕方が難しいからいつもこうやって文字数を稼いでる……わけじゃないからね!?
今は、最近すっかり日課になりつつあるベルフェゴールとの朝散歩の最中だ。朝の澄んだ空気の中、こうしてのんびり歩く時間が僕にとって密かな癒やしだったりする。
「……なに、ブツブツ言ってるの……?」
隣を歩くベルフェゴールが、怪訝そうな目で僕を見上げてきた。
「……え!? いや、なんでもないですよ。ははは……」
危ない、心の声が漏れていた。
浜辺を歩く僕たちは、それ以上は特に会話を交わすこともなく、ただ波の音を聞きながら並んで歩いた。ベルフェゴールは元々あまり喋る方ではないけれど、気まずさは一切ない。いつもこんな感じの、心地いい距離感なのだ。
ふと、歩きながら思いついたように僕は口を開いた。
「そういえば、ベルフェゴールはなんで最近、そんなに早起きできるようになったんですか?」
以前の彼女なら、日が暮れるまで布団から出てこないのが当たり前だったはずだ。
「……人間の世界では……私みたいなの……プー太郎……って言うらしい……から……」
ベルフェゴールは少し寂しそうに、ボソボソと言った。
「あー……、確かに以前の生活はそう言えなくもないですけど……」
僕は苦笑いする。
「あ、でも最近はエヴァさんの仕事を手伝ってるじゃないですか。立派に働いてますよ」
「……あれは、ただのお手伝い……。本当は……自分で、やりたい……」
その言葉に、僕は思わず足を止めて驚愕の表情を浮かべた。
(ま、まさか……あの『怠惰』を司るベルフェゴールの口から、『自分でやりたい』なんて前向きな仕事への意欲が飛び出すなんて……! お父さん、感激です……!)
頭の中で不覚にも感動の涙を流してしまう。
「自分で、って……エヴァさんを介さずに、個人でエクソシストの仕事をするってことですか?」
「……うん。私……それしか、できないし……」
ベルフェゴールは自分の小さな手を見つめた。
「うーん、それなら一度エヴァさんに直接相談してみます?」
「……エヴァは、ダメ……って言うと思う……」
「え? なんでですか?」
「……エヴァが、前に言ってた……。『あんたらみたいな規格外が本気でエクソシストの世界に参入してきたら、私たちの商売あがったりよ!』って……」
「あー……たしかに」
利権問題というか、パワーバランスが崩壊するとエヴァさんが頭を抱えていたのを思い出す。悪魔の王たちが本気を出したら、人間のエクソシストの仕事が全部なくなってしまう。
「……でも、本当は、そんなことない……。この世界にいる悪霊には……私たちの知らない、変な奴も……たくさん、いる……」
ベルフェゴールの目は、どこか真剣だった。
「そうなんですね。ん? そういえば……」
彼女の話を聞いていて、僕はふと、過去の記憶の片隅にあるものを思い出した。
「……なに……?」
「たしか、僕の父親の書斎の整理をしたときに、仕事仲間か何かの古い連絡先一覧を見かけたような気がするんです。その、父の知り合いの人に、エクソシスト業界のことについて詳しく聞いてみます?」
「……何その人……。エヴァより……強い……?」
ベルフェゴールが、心なしか少し目をキラキラと輝かせて食いついてきた。
「うーん、さすがにそこまではわからないです。でも、もしかしたらエヴァさんが立場上教えたがらないような裏事情とかも、その人なら教えてくれるかもしれません。……まぁ、今でも連絡が取れるかはわからないですし、僕自身は全く会ったこともない知らない人なんですけどね」
「……それでも……聞いてみる価値……ある……」
ベルフェゴールは小さく、しかし力強く頷いた。
「そうですね。ベルフェゴールもこれだけやる気があるみたいだし、家に帰ったら早速、父親の書斎を漁ってその連絡先を探してみますね」
「……うん……ありがとう、拓巳……」
それから、僕たちはもう少しだけ海沿いを散歩して、心地よい疲労感と共に我が家へと帰宅した。
「ただい……ま――ぶっ!?」
家の扉を開けた瞬間のことだった。凄まじい質量と白い残像が視界に飛び込んできて、僕は強烈な衝撃と共に何かに抱きつかれた。
「拓巳ぃぃぃっ! なんで私を置いて行っちゃうのよ〜〜!」
僕の胸に思いきり顔をすり寄せながら泣き言を言ってきたのは、案の定サタンだった。
「離しなさい!」
僕はもうすっかり慣れた手つきで、サタンの額を容赦なくパシッと突き放した。
「うえええん!」と言いながら、サタンは名残惜しそうに離れていく。
サタンは涙目で僕の後ろの青髪の幼女を睨みつけた。
「もう、ベルフェゴールのケチ! 私も朝のお散歩に連れてってよ!」
「……ダメ……。これは、拓巳と私の……大事な楽しみ、だから……」
そう言うと、ベルフェゴールはサタンに見せつけるように、ふいっと顔をそらしながら指で小さくピースサインを作ってみせた。地味に煽っていくスタイルだ。
「ははは……サタンはまた別の機会に、天気のいい日にでも一緒に出かけましょう」
僕が苦笑いしながらフォローを入れる。
「え!? ほんと!? 行く行く! どこ行く? 今からでもいいわよ!? どこまでもついていくからね!」
めちゃくちゃ嬉しそうに、爛々と目を輝かせて食いついてくるサタン。ストーカーの熱量が怖い。
「あ、いや、今度です。今帰ってきたばかりですから」
「おい拓巳、ベルフェゴール! 早くリビングに来いよー! 戻るのが遅いなら、テーブルの朝ごはん、俺が全部食べちまうぞ!」
リビングの奥から、ベルゼブブの催促の叫び声が響いてきた。
「ほら、行きますよ。サタンも」
僕たちは揃ってリビングへと向かった。
リビングでは、ちょうど出来立ての美味しそうな朝食を、ルシファーとアスモデウスが手際よくテーブルへ運んでいるところだった。
「あんたたち、よく朝早くから散歩なんて優雅な真似ができるわね」
お皿を並べながら、ルシファーが呆れたように言う。
「まあまあ、あのベルフェゴールが自発的にこんなに活動的になったんだから、いいじゃないですか」
僕がそう言うと、ルシファーも少しだけ表情を和らげた。
「まあ、それもそうね……」
「ふふ。2人とも朝から偉いわぁ。偉い子だから、ここにおいで?」
アスモデウスがエプロン姿のまま、優しく両手を大きく広げて僕たちを迎えようとした。
「バブーッ!!(お姉さん抱っこ!)」
欲望に忠実な僕の限界オタク脳がリミッターを解除し、アスモデウスの母性溢れる包容へと全力で飛び込もうとした――その刹那。
「こらっ!!」
パコォーン!!!
「痛っ!?」
ルシファーの手にするフライ返しが、僕の側頭部にクリーンヒットした。僕が床に頭から綺麗に突き刺さっている間に、ベルフェゴールはちゃっかりとアスモデウスの柔らかい胸の中へとスッポリ収まっていた。解せぬ。
「拓巳! 大丈夫!? そんな暴力女のことは放っておいて、抱きつきたいならいつでも私のところに来ていいわよ!?」
サタンが両手を広げて迫ってくる。
「いや……、本当に大丈夫です……」
僕は手を前に出して全力で拒否した。
「うー! なんでよ〜、差別だわ〜!」
不満そうに口を尖らせるサタン。
「ふん! あんたには、拓巳を惹きつける高貴な魅力が足りないのよ」
ルシファーが勝ち誇ったように鼻で笑う。
「お前ら、言い合いしてないで早く食えよ〜! 本当に全部なくなるぞ?」
すでに口の周りをケチャップだらけにしたベルゼブブが、呆れたようにオムレツを頬張りながら言った。
こうして、今日もいつも通りの騒がしい神代家の一日が始まった。
朝食を全員で賑やかに食べた後、僕は一息つきながら、今朝の浜辺での会話をみんなに共有した。
「ベルフェゴールが、自分の力で新しく仕事を始めたい……? 本当に、この世界に来てから随分と成長したわね」
ルシファーが感心したように目を丸くする。
「本当にねぇ。やっぱり、拓巳さんの育み方がお上手なのかしら?」
アスモデウスがクスクスと微笑む。
「というわけで、この後、父の書斎で知り合いの古い連絡先を探してみようと思ってます。何かいい報告ができればいいんですけどね」
僕がそう言うと、隣からサタンが不穏な笑顔で首を傾げてきた。
「ねえベルフェゴール、そんなに殺し合い(悪霊退治)がしたいの? だったらわざわざ探さなくても、今から私がこの街の人間を片っ端から――」
「「あんたは黙ってなさい!!」」
僕とルシファーの完璧なツッコミが、サタンの物死食物騒な提案を即座にシャットアウトした。
「……ありが、とう……拓巳……」
アスモデウスの豊かな胸の中に顔を埋め、むにゃむにゃと気持ち良さそうに溺れながら、ベルフェゴールが小さく感謝を述べる。
こうして、愛すべき「怠惰の悪魔」の次なる一歩のために、僕は今は亡き父親の古い人脈へと連絡を取るべく、長年開けていなかった書斎の捜索を開始するのだった。




