寝て起きたら、二匹目の悪魔が沸いていた
ルシファーが俺の家に居座ることになって、明けた次の日のこと。
朝の七時、パッと目が覚めた俺は、敷布団の上で即座に右手を伸ばした。昨日、ルシファーという名の超ド級ノイズのせいで読めなかったラノベを回収するためだ。
「……あ、しまった。ヘッドホンはあっちの部屋に置きっぱなしだったわ……」
ぽつりと呟き、俺は自分の不覚を呪った。
昨夜、あのあと誰がどこで寝るかという壮絶な話し合い(主にルシファーのわがまま)が行われた。
俺は一軒家の余っている個室をいくつも提案したのだが、ルシファーが「私はこの部屋のこのフカフカのベッドがいい!」と一切譲らず、結局俺が折れる形になったのだ。
おかげで、俺は急遽、何年も使われていなかった両親の寝室に布団を敷いて寝ることになった。
神代拓巳の両親。
日本でもまずいないであろう「本物のエクソシスト」の家系に生まれた俺の父と母は、数年前、『アバドン』とかいう大物悪魔を祓うために海外へ行ったきり、消息を絶っている。
何年も主を失っている部屋だが、俺は「いつかひょっこり帰ってくるかもしれない」と信じて、定期的な掃除だけは欠かさなかった。その部屋の、キングサイズの大きなベッドの脇で、俺は一晩を明かしたわけだ。
「うーん……こだわりを破壊することにはなるけど、ルシファーが爆睡してるところにヘッドホンを取りに行くのは、さすがに気が引けるな。……しょうがない、生音で読むか」
諦めてラノベを開き、パラパラと数ページほど読み進めた、その時だった。
「ん……んん……っ」
静かな部屋に、かすかな吐息のような声が響いた。
しかも、声のした方向は――俺のすぐ横、両親が使っていたキングサイズのベッドの上からだ。
「え? なに? ……まさか、ルシファーが寂しくなって夜中に潜り込んできた、とか……!?」
一瞬で脳内に不純な妄想が咲き乱れる。俺はゴクリと唾を飲み込み、妄想を現実にするべく、ベッドにかかっている厚手の掛け布団を勢いよく捲り上げた。
広いベッドの片隅、シーツの海の中で、何かが丸くなっていた。
「え……え? ――う、うわああああああああああああああああああッッッ!!!?」
本日も朝一番の絶叫が、神代家に鳴り響いた。
ドタドタドタドタッ!! と廊下を激しく爆走する足音が響き、ガチャァン!! と凄まじい勢いで部屋のドアが開く。
「ちょっと拓巳ぃ! 人が気持ちよく寝てるんだから静かにしなさいよっ!」
髪を振り乱したルシファーが怒鳴り込んでくる。
しかし、俺はベッドの横で完全に尻餅をついたまま、ブルブルと壊れたおもちゃのように震える指でベッドの上の『それ』を指差すことしかできなかった。
「なによもう、大げさねぇ……」
呆れ顔でルシファーが視線をベッドへと向ける。次の瞬間、彼女の大きな瞳がこれ以上ないほど丸くなった。
「あ、あーーーっ!!!! 嘘でしょっ!?」
ベッドの上に丸くなって寝ていたのは、綺麗な青髪のショートカットの少女だった。
ルシファーの鼓膜を突き刺すような悲鳴に反応して、その女の子がもぞもぞと動き出す。
「ん……んん? うるさいなぁ……さっきからぁ……」
小さな手を擦りながら、ぼんやりと上体を起こす青髪の少女。寝ぼけ眼で辺りを見回し、首を傾げた。
「……あれぇ? ここ……どこ……?」
「あんたっ! もしかして、ベルフェゴール!?」
「ん? あれぇ……? ルシファー……? なんでこんなところにいるのぉ……?」
ルシファーに詰め寄られても、少女――ベルフェゴールは、まるでスローモーションのようにぽやぽやとした口調で喋る。
「あんたこそ、なんで人間の家の、しかもこの部屋のベッドで寝てんのよ!」
「……んー。私は、寝てたら……お腹が空いて……でも眠いから、そのまま寝てて……。それでもお腹が空いて、だんだん力が抜けてきて……気持ちよーくなってきて……。気付いたら、ここにいたのぉ……」
「はあぁ!? なに言ってんのよ! 寝ぼけてんじゃないわよ!」
あまりの要領の得なさにルシファーがキレ散らかす。俺は恐る恐る、正座の体勢のまま尋ねた。
「あ、あのー……ルシファーさん? この方、お知り合いなんですか?」
「知り合いも何も、この子は魔界の555層に住む『ベルフェゴール』っていう悪魔よ! 寝相の悪さが魔界一有名で、寝返り打っただけで100個くらいの層を壊滅させた前科があるんだから!」
「……え? そんな危険すぎる大量破壊兵器なんですか、この人!?」
俺は戦慄してベッドから距離を取る。しかし、ベルフェゴールは大きなあくびを噛み締めながら、のんびりと首を振った。
「そんなこと、しないよぉ……私は……」
「あんたは寝てるから自覚がないだけでしょ! それにさっきの話を聞く限り、あんた『寝過ぎによる栄養失調(餓死)』で死んだってことでしょ、それ!」
ルシファーの鋭い指摘に、俺の脳内ラノベセンサーがピンと反応した。
「ん? 死んだ? んんー? ……ってことは、またしても異世界転生えええええええええッッッ!!!?」
「もう……みんなうるさいよぉ……。眠れない……」
ベルフェゴールは面倒くさそうに布団を頭から被ろうとする。
「あんたのその睡眠への執着心はなんなのよ! 自分の置かれてる状況、ちゃんとわかってるわけ!?」
「……ん。わかってる。異世界転生でしょ……? 夢の中で何回もしてる……」
布団からひょっこり顔を出したベルフェゴールは、小さな手でピースサインを作りながら、ドヤ顔を決めてみせた。
(あ、この人、見た目はめちゃくちゃ可愛いけど……中身は完全にダメな人だ……)
俺は額を押さえた。ラノベの主人公ならここで「やれやれ」と肩をすくめる場面だ。
「はあ……。あのですね、ベルフェゴールさん。あなたは魔界で死んで、なぜか僕の家に異世界転生してきた悪魔なんですよ。そして、なぜか昨日から先客のルシファーがいるんです。少しは慌ててください!」
「よかったぁ。知り合い、いたぁ」
「ちょっと! なにホッとして喜んでんのよ! 私は正式に拓巳の家に住む許可を得たの! あなたは勝手に入ってきて寝てた不法侵入者でしょ!」
ルシファーがビシッと指を差して威張る。
だが、俺は彼女の横顔を見ながら、心の中で激しいツッコミを入れずにはいられなかった。
(あー……この傲慢悪魔、昨日自分が全く同じことをやってたのを、完全に棚に上げてやがる……!)
ルシファーの剣幕をどこ吹く風で受け流し、ベルフェゴールは俺をじっと見つめた。
「……なら。私も、ここに住む……」
「「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!?」」
本日何度目かわからない、俺とルシファーの声のシンクロが炸裂する。
「このベッド、好き。それに……あなたたち、なんか楽しそう……」
「た、確かにこの世界のベッドは魔界のと比べたら天と地ほどの差があるわよ!? でもね、あんたを住まわせる義理なんて拓巳にはないわよ!」
(いや、それはあんたもでしょうよ!!)
俺の心の叫びが、部屋中に木霊する。すると、ベルフェゴールはトロンとした目でルシファーを見返した。
「それは……ルシファーも……同じでしょ……?」
(え? 君、めちゃくちゃ良い子じゃーーーん!!!)
もはや、自分と完全に意見が一致したというだけで、俺の中でのベルフェゴール株が爆上がりする。
「うぐっ……! あ、あのねぇ! 私はいいのよ! 昨日ちゃんとお願い(脅迫に近い)して、拓巳の了解を貰ったんだから!」
(あれはお願いっていうか、有無を言わさず勝手に決められただけだったような……)
心の中でツッコミマシーンと化している俺を、ベルフェゴールがベッドの上からじっと上目遣いで見つめてきた。少しはだけたパジャマのような衣装から、華奢な鎖骨が見えている。
「……ん。じゃあ……お願い……します……拓巳……」
「うううううっ!!!」
無理! こんなの断れるわけがない!
ルシファーのツンデレ美少女っぷりとはまた違う、守ってあげたくなるような、庇護欲を刺激するダラズ系美少女にこんな破壊力抜群のトーンでお願いされたら、オタクの防衛線は一瞬で崩壊する。
「はあ……わかりましたよ。いいですよ、住んでも」
「はあ!? 拓巳、こんなやつ住まわせたら、明日にはこの家が寝相で消し飛んで死んでるわよ!」
「……大丈夫。このベッドなら、ぐっすり動かずに寝れる……」
「「回答になってねえよ!!!!」」
俺とルシファーのツッコミが、ついに完全に一致した。
「……しょうがないですね。ベルフェゴールさん、今日からよろしくお願いします」
「……ん。ベルフェゴール……でいいよ。よろしくね、拓巳」
彼女は満足そうに微笑むと、再びキングサイズのベッドの海へと沈んでいき、瞬く間に健やかな寝息を立て始めた。
こうして、我が家に二人目の悪魔が正式に就職(居候)することになった。
オタクの平穏な日常への帰還は、ますます遠のいていくのだった。




