悪魔はポテトチップスの味に屈する
「異世界転生――それは全人類(主にオタク)の夢である」
オタクなら一生に一度、いや、一日に一度は妄想するであろう至高のファンタジー。かく言う俺、神代拓巳もご多分に漏れず、脳内で何度もトラックに跳ねられてはチート能力を引っ提げて異世界へ旅立ってきた男だ。
そんな、現実にはあり得ないはずの現象が、今まさに俺の目の前で起きている。
当然、常人なら「そんなバカな」とパニックになり、受け入れるまでに数日、あるいは数週間はかかるだろう。
だが、俺は違う。
ライトノベルを何百冊と読破してきたこの俺にとって、自分に起きた非現実を受け入れるスピードこそが、異世界転生モノの主人公に最も求められる資質だと知っているからだ。
俺はデスクの椅子に深く腰掛け、両手の指を組んで口元を隠した。某、人造人間を使って使徒と戦うロボットアニメの司令官のポーズを取る。
(フッ、神の配剤か、あるいは運命の悪戯か。まさか魔界の悪魔が俺の部屋に降臨するとはな……)
「……ねえ、さっきから何1人でぶつぶつ語ってんのよ。気持ち悪いんだけど」
冷ややかな、それこそ絶対零度の視線が俺を射抜いた。
組んでいた指をソッコーで解き、俺は普通に背筋を伸ばす。
「あ、いや、つい興奮しちゃって……。なんでもないです」
「まあいいわ。それより、本当にここは魔界じゃないのね?」
ルシファーはふいっと視線を逸らし、腕を組んで改めて確認してきた。
あのシンクロ絶叫の後、俺たちは床に膝を突き合わせ、お互いの世界について必死に情報交換(教え合い)をしていた。
俺は地球のこと、日本のこと、そして人間という存在について。
ルシファーは魔界の構造、一千もあるという『層』の概念、そして悪魔たちのパワーバランスについて。
「言われてみれば、外の景色なんかは確かに馴染みがないけれど……。魔界は1000層もあるから、こういうおかしな作りの街や、平べったい家がある層があっても不思議じゃないのよね」
ルシファーが窓に近づき、カーテンの隙間から千葉県の閑静な住宅街を見下ろしながらポツリと呟く。
「ルシファーさんも魔界の『トラック』とやらに轢かれたんですもんね。この世界にもトラックはありますし、アイドルも、生配信って言葉もあります。だから、システム的にはかなり酷似した世界なんだと思いますよ」
「ふーん……」
ふんぞり返る彼女に、俺は一応「おもてなし」として、机の上に転がっていた食べかけのポテトチップス(うすしお味)の袋を差し出してみた。
ルシファーは怪訝そうに袋を覗き込むと、長い爪のついた指先で一枚、つまんで口に放り込む。
パリッ。
「!? ――な、何これっ!!?」
「うおっ!? なん、なんですか、いきなり大声出して!」
ルシファーが突然、限界まで目を見開いて立ち上がったので、俺はビクッと肩を跳ね上げる。
「これよ、これ! この食べ物! カリッとするほど薄いのに、信じられないくらい味がしっかりついてるわ! この絶妙なしょっぱさ……悪魔的な美味さじゃないのよ!!」
「あ、気に入っていただけましたか」
さっきまでの尊大な態度はどこへやら、ルシファーは「パリッ、サクサクッ、パリパリッ」と、ものすごい勢いでポテチを口に頬張り始めた。頬袋を膨らませてリスのように食べる姿は、魔王の威厳ゼロで、正直めちゃくちゃ可愛い。
「は、はは……。ジャンクフードの魔力は悪魔にも通じる、とメモメモ……」
「んぐっ……ぷはぁ。悪くないわね、人間の配給食も」
一袋をあっという間に平らげ、指についた塩をペロリと舐めるルシファー。
よし、機嫌が良くなった今がチャンスだ。
俺は人差し指でメガネのブリッジをぐいっと押し上げ、本題を切り出した。
「ところで……ルシファーさんは、これからどうするんですか?」
「え? この世界のこと何も知らないし、とりあえずここに住むわ」
「……は?」
耳を疑った。今、この美少女悪魔、なんつった?
「だから、ここに住むわ。部屋、無駄に広いし、いいでしょ?」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!! 僕の平穏で充実した引きこもりオタクライフがぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
俺はその場にガックシと膝を崩し、床に突っ伏した。
新刊のラノベをBGM付きで楽しむはずだった俺の神聖なマイスペースが、初対面の悪魔に占領される!?
「い、いや! あの! ここよりも、まずは警察ってところに行った方がいいですよ!」
「警察? なにそれ。魔界でいう『異端審問官』みたいなものかしら? 嫌よ、あいつら絶対話通じないし、プライドばっかり高くて退屈なんだもん」
ルシファーは俺のベッドに腰掛け、大胆に足を組んだ。
フリル付きの短いスカートが重力に従ってふわりと持ち上がる。
(あっ……黒。いや、見え……見えそう……!)
床に這いつくばった姿勢のおかげで、図らずもローアングルからの絶景が目に飛び込んでくる。俺は内心で(グッジョブ俺の視力!)と叫びながら、だらしなく鼻の下を伸ばした。
そんな俺の邪念に気づいているのかいないのか、ルシファーはベッドの上から俺をじっと見下ろし、不敵に、けれどどこか悪戯っぽく微笑んだ。
「それに――私はあなたが気に入ったわ、拓巳」
世界のすべてを狂わせてしまうような、圧倒的な美貌から放たれる至高の笑顔。全人類の男(なんなら女すらも)を一瞬で虜にする魔性の微笑みを向けられ、俺の限界オタク脳は一瞬でショートした。
「……は、はい。喜んで居候をお受けいたします」
抗えるわけがなかった。だって男だもの。
「じゃ、決まりね! これからよろしくね、拓巳!」
パチン、とルシファーが綺麗な指を鳴らす。
こうして、俺の完璧に計算されたオタクライフは、音を立てて崩壊(終焉)へと突き進んでいくことになった。
だが、この時の俺はまだ知る由もなかったのだ。
これが、我が家に巻き起こる『悪魔のハーレム黙示録』の、ほんの最初の1ページに過ぎないということを――。




