『初仕事の報酬はいくら?』
「佳子……! 佳子、お前なのか……っ!」
腰の曲がった依頼人の鈴木さんが、大粒の涙をボロボロと流しながら、床に横たわる老婦人へと駆け寄った。
取り憑いていた『餓鬼』をルシファーがデコピン一発で(そしてベルゼブブが丸呑みで)お祓いしたことにより、姿形は禍々しい怪物から、白髪の穏やかな普通の老婆へと戻っていた。
「……あなた……? 私、一体……」
「佳子ぉぉっ! よかった、本当によかった……!」
5年間の地獄のような日々から解放された夫婦が、涙ながらに抱き合う。姿形こそおじいちゃんとおばあちゃんに変貌しているが、その絆の深さは本物だった。
「みなさん、本当に、本当にありがとうございました……!」
鈴木さんが何度も何度も頭を下げる。その目には、感謝の涙がとめどなく溢れていた。
「……ふん。なんだか、少しだけいいことをした気分ね」
さっきまで洋館の不気味さにビビり散らかしていたルシファーだったが、今は腕を組み、ふっと満足げな笑みを浮かべている。
「……良い事……した……」
アスモデウスの代わりにルシファーの肩に担がれていたベルフェゴールが、その状態のまま「ぶい」と指で小さくピースサインを作ってみせた。
「あんたは終始寝てただけでしょ」
エヴァの間髪入れないツッコミが飛ぶ。
「なぁ。それよりおじさん、お礼のお菓子はねえのか? 依頼を終わらせたらくれるって約束だろ!」
ぐぅぅぅ、と空気を読まない凄まじい腹の虫を鳴らしながら、ベルゼブブが鈴木さんに詰め寄った。
「ちょっと! また感動のシーンに水を差すようなことを……!」
エヴァが頭を抱えるが、鈴木さんは涙を押し拭って優しく微笑んだ。
「ああ……そうでしたね。約束ですから、すぐにお持ちします」
そう言って鈴木さんは客間の奥へと向かった。しかし数分後、ひどく申し訳なさそうな顔で戻ってくる。
「申し訳ございません……。私の買い置きが悪かったようで、お菓子のストックが切れてしまっておりました……」
「ええっ!? もうないのかぁ……」
分かりやすく頭を垂らし、この世の終わりみたいな顔でしゅんとするベルゼブブ。
すると、鈴木さんの腕の中で意識を取り戻した佳子さんが、穏やかな声で話しかけてきた。
「あら、なぁに? 赤い髪のお嬢ちゃん、甘いものが欲しいのかい?」
「うん……。お腹空いたぜ……」
「うーん……。私が悪霊とやらに取り憑かれてから何年も経っているから、台所の様子はわからないけれど……何か作ってみるよ」
そう言って、佳子さんはゆっくりと立ち上がった。
「えっ!? 大丈夫ですよ奥さん、病み上がりなんですから! こいつはいつも年中無休でお腹を空かせてるだけなので、気にしないでください!」
エヴァが慌てて止めるが、佳子さんは嬉しそうに微笑む。
「命の恩人の頼みだもの、これくらいお安い御用さ。ちょっと待ってておくれ!」
老婦人とは思えない足取りの軽さで、佳子さんは屋敷の奥へと歩いて行ってしまった。
その背中を見送りながら、ルシファーがエヴァを振り返る。
「どうするのよ?」
「まあ……せっかくの好意だし、少し待たせてもらいましょうか」
それから、およそ1時間後――。
客間の扉の隙間から、何とも言えない香ばしく、甘い、素晴らしい匂いが漂ってきた。
「おっ……! おおお……っ!」
ベルゼブブが犬のように鼻をピクピクと鳴らし、目を輝かせる。
「遅くなってごめんなさいね。主人があまり食材を置いていなかったみたいで……簡単なものですけれど」
佳子さんがお盆に乗せて持ってきたもの。それは、こんがりと黄金色に焼き上げられ、濃厚な甘い香りを放つ、出来立ての『チーズタルト』だった。それも贅沢なワンホールである。
「おおおおーーーっ!」
ベルゼブブがガタッと椅子を蹴立てて立ち上がった。
そうして、佳子さんお手製のチーズタルトをみんなでご馳走になることになった。もちろん、切り分けられたタルトの8割はベルゼブブの胃袋へと凄まじい速さで消えていったが、残りの2割を上品に味わった面々も大満足だった。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
エヴァが満足そうに息を吐く。
「ふん、悪くないわね。上品な甘さで気に入ったわ」
ルシファーも素直に口角を上げる。
「……おいしい……。今日はよく……寝れそう……」
ベルフェゴールがうっとりと呟く。
「うん! おばちゃん、これめちゃくちゃ美味いぞ! また食べに来てもいいか!?」
ベルゼブブの屈託のない言葉に、佳子さんは声を立てて笑った。
「ええ、いつでもいらっしゃい! その時までに、この蜘蛛の巣だらけの屋敷をピカピカに掃除しておかなくちゃね!」
佳子さんの弾けるような嬉しそうな笑顔を見て、ルシファーの表情にも思わず優しい笑みが浮かぶ。
そんなルシファーの横顔を、エヴァがニヤニヤしながら小声でつついた。
「どう? 働くって、いいことでしょ?」
「ま、まあまあね……っ」
ルシファーはハッと我に返ると、いつものツンデレ顔に戻ってぷいっと顔をそらした。
「みなさん……今日は本当にありがとうございました。これが、今回のお礼でございます」
鈴木さんが、両手でずっしりと重たい分厚い茶封筒を差し出してきた。
エヴァはそれをサッと受け取り、中身を確認して満足げに頷く。
「はい。確かに、しっかりと受け取りました。これにて一件落着ですね」
4人は夫婦に温かく見送られ、おどろおどろしさが消え失せた洋館を後にした。
帰り道、人気の少ない大通りに出たところで、ルシファーがエヴァの肩をがしがしと揺さぶった。
「ねえ! いくら貰ったのよ、あの封筒! 結構な厚みだったじゃない!」
「そうねぇ。今回の報酬は、日本円で1000万円ってところかしら」
「いっ、いっせーーーん万っっ!!?」
ルシファーの目が文字通りひっくり返る。
「なぁなぁ、1000万ってどれくらいなんだ? 魔界の牛丼に換算すると何杯分くらいだ?」
ベルゼブブが的外れな質問をする。
「ちょ、あんたは黙ってなさい! ――それで? 私たちへの『取り分』はいくらになるのかしら?」
ルシファーが期待に満ちた目で手を差し出すと、エヴァは「はいはい」と面倒くさそうに封筒をゴソゴソと探り、数枚の紙幣をルシファーの手の平にパシッと置いた。
「ちょっと……なによこれ。1、2、3、4……5枚だけ!? 5万円っ!?」
ルシファーが絶叫する。
「なによ、1日のバイト代で5万円ならありがたいと思いなさいよ。あんたたちだけでハローワーク行っても、まず稼げない額なんだから」
エヴァがフンスと胸を張る。
「ぐっ……それはそうだけど! でも1000万も貰ってるのよ!? 少なすぎるわよ、この搾取キャピタリスト!」
「あのねぇ、これは『世界エクソシスト教会』へのマージンや、ここに派遣されるまでの私の旅費、備品代の経費も含まれてるの! 私個人の取り分だってこの10分の1くらいなんだから。そこからあんたたちの分を出してあげてるんだから感謝しなさい!」
「なっ……それでも、あんたには100万も入ってるじゃないのよー!」
「私は命を懸けてるプロなんだから当然でしょ? ま、今回はあんたたちの暴力のおかげだったかもしれないけど、仕事を紹介したのは私。それじゃ、私は本部に報告があるからこっちね」
エヴァはスタスタと反対方向の道へと歩き出してしまう。
「もう! ケチーーー! 詐欺師のエクソシストーーーっ!」
夕暮れの街に、ルシファーの悔しそうな叫びが響き渡った。
「――なるほどねぇ。それでルシファーちゃんたちは、その5万円を握りしめて帰ってきたわけね」
拓巳の家に帰宅した悪魔たちは、リビングで家事をこなしていたアスモデウスに事の顛末を話していた。
「でも、5万円ってこの人間界だと結構な大金なのよ? それをたった1日で稼いでくるなんて、たいしたものだわ〜。それくらいのお金があれば、拓巳さんに素敵な恩返しができるわよ」
アスモデウスがふふっと優しく微笑み、みんなを褒める。
「やっぱ、俺としては牛丼をたらふく食わせてやるってのが最高の恩返しだと思うんだよなぁ」
ベルゼブブがまだ牛丼にこだわっている。
「それはあんたが食いたいだけでしょ! 却下よ却下!」
ルシファーが即座に切り捨てる。
「ご飯なら私が毎日作っちゃってるしねぇ……。うーん、何か他にいい案はないかしら? ベルちゃん」
アスモデウスは、自分の豊満な胸に顔を埋めて、寝ているのか起きているのか分からない状態になっている青髪の幼女――ベルフェゴールに問いかけた。
すると、ベルフェゴールは胸に顔を埋めたまま、ぽつりと呟いた。
「……拓巳の部屋にある……好きな、フィギュア……」
「「――それだわっ!!!」」
ルシファーとアスモデウスの声がハモった。
「それはいいアイデアね! 拓巳さん、まだ大学から帰ってこないだろうし、私もお買い物に一緒について行こうかしら?」
アスモデウスが楽しそうに提案する。
「そうね! よし、善は急げよ、今から行くわよ!」
ルシファーが5万円の入った封筒を掲げて気合を入れる。
「フィギュア? それって美味いのか? どこに売ってるんだ?」
相変わらず食うことしか考えていないベルゼブブに、ルシファーが不敵な笑みを浮かべた。
「食べ物じゃないわよ。……ふふん、オタクな拓巳が喜びそうな場所なら、私にちょっとあてがあるわ」
こうして、汗水(?)流して稼いだ5万円を手に、拓巳へのサプライズプレゼントである「フィギュア」を買いにいくことになった4人の悪魔たち。
果たして、ルシファーたちの言う「あて」とは一体どこなのか。そして拓巳が喜ぶフィギュアを選ぶことができるのか――!?




