表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第二章
54/55

第54話 逃離

 僕は、得物の蛇矛を肩に担いで単身で迫って来る張飛ちょうひの姿に体がすくみ、もうすぐ死ぬのか、あの蛇矛に今度は体を貫かれるのか、と最悪の想像ばかりが頭の中を駆け回った。


 不意に、真横からの獣とも人ともつかない雄叫びが僕の脳神経を揺さぶり、僕は我に返った。

 それは、恐怖を無理矢理勇気に変えようとするかのような、張り詰めた若々しさを含んだ咆哮だった。

 咆哮の主――シャムは、狼牙棒を両手に下げ、背をかがめて白虎の毛皮をはためかせ、吼えながら張飛に向かって猛然と走った。


 シャムは走る勢いをそのまま乗せ、両手の狼牙棒を振り下ろしたが、張飛はそれを蛇矛で平然と受け止め、シャムの姿をまじまじと見て、言った。


「お前、よく見たら漢人じゃないな!町に火を放ったのはお前らか!よくも大胆にも漢人の城を襲ったな、この蛮人どもが!」


 そう言いながらも、張飛は攻め手を緩めず、上下左右あらゆる方向から迫る蛇矛の切っ先を、シャムは両手の狼牙棒で防ぐことに忙殺された。

 二人が戦う姿を見てると、東大寺の大仏様と金剛力士が戦っているような格差が感じられた。

 張飛の矛さばきは恐ろしく速く、そのひと振りひと突きが榕樹ガジュマルの大木も倒すかのような膂力りょりょくを湛えていて、僕だったら狼牙棒を持つ手から折られてしまっただろう。


「蛮人どもが、俺様の手柄に泥を塗りやがって!一人も生かして返さんぞ!」


 張飛の言葉に感情が加わる度に、その突きも鋭さを増していった。

 最初の勢いも叶わず、シャムは徐々に僕らのいる城堀の方へ押し戻されていた。

 怒気を含みながらも姿勢を乱さず突きを放つ張飛に対し、シャムは体が追いつかず、時に地面を転がるようにして突きを何とか交わし、見るからに余裕を失っていた。


 これはかなわないと見た習珍しゅうちんさんが、一斉にやるぞ、と号令し、習兄弟他数名の漢人とヤナン他数名の島民が、武器を構えて張飛に襲いかかった。

 その様子を素早く捉えた張飛は、気合一閃、蛇矛を大きく振るいシャムを跳ね飛ばし、そのまま蛇矛を頭上で大きく振り回した。

 張飛の頭上を回転する蛇矛が大きな音を立てて風を切り、その風圧で周りの砂や枯葉が舞い上がり、習珍さんたちは危険を感じ、距離をとった。

 そして、ビュウビュウと音を立てて恐ろしい速さで回る蛇矛の刃が作り上げる絶対の死地の中心で、張飛は僕ら一人一人を品定めするかのように冷静に見つめた。


 やがて張飛は蛇矛を振り回しながらゆっくり歩を進め、僕らに迫ってきた。

 僕らは引き下がりながら遠目から石を投げて応戦したが、全て回転する蛇矛に弾かれてあさっての方向に飛んでいった。

 僕も恐怖にすくむ体を奮い立たせて石を投げたが、力んでいたようで、真上に飛んでしまった。

 当たったら逆に怖かったので、大きく外れたのを内心喜んでいると、運が良いのか悪いのか、その石は空の真上から、蛇矛の起こす風圧をうまいこと避けて張飛の脳天に落下し、張飛の被る皮兜に当たり、ポコッとマヌケな音を立てた。


「誰だ、てめぇか!」


 緊迫した戦場に場違いな力無い小石を当てられ逆に怒った張飛は、蛇矛の回転を止め、一群の中から石が当たって怯える僕を見つけた。

 張飛と目があった瞬間、恐怖で腰が抜けそうになったが、島で長い間暮らし、狩りなどで危険な目にも遭ってきたおかげか、自然と体が動いた。


 張飛は僕を見つけると、巨猪のような勢いで僕に迫ってきた。

 僕は張飛の動きを見て左に移動し、張飛が、一歩、二歩、三歩進んだ瞬間、ヤナンが縄を全力で引っ張り、それに張飛の右足がかかり、張飛は大きくバランスを崩した。

 僕らが狩りでよく使う連携技だった。

 そしてその刹那、シャムが右から張飛に飛びかかり、脳天めがけて狼牙棒を振り下ろした。

 張飛は蛇矛をかざしてそれを受け止め、そこに左から習宏さんが突進し、両手で構えた大槌を、張飛のガラ空きのみぞおち目掛けて下から振り抜いた。


 張飛の胴鎧は習宏さんの一撃により破壊され、張飛の体がわずかに浮いたように見えた。

 習宏さんの一撃で張飛の動きは一瞬止まったが、張飛はシャムの狼牙棒を左腕一本で支えつつ、空いた右腕を振り開き、習宏さんを横面から払い飛ばした。

 張飛の上体が開いて顔が露わになったところに、間髪入れずダレルがとどめの矢を放った。

 矢は張飛の右目を狙って飛んだが、張飛が驚異の反射神経で畳んだ右腕に刺さり、その筋肉に阻まれて尺骨にすら達さなかった。



 僕らの渾身の一連の攻撃はハマったが、大した成果も上げず、逆に張飛を烈火のごとく怒らせた。

 張飛がひと吼えして蛇矛を振ると、ゴウと恐ろしげな音が鳴り、その刃風はいささかも衰えていなかった。

 僕らは再び距離をとり、張飛の隙を伺った。


『鬼なのか……人なのか……』とシャムが思わず凛君語で心の声を漏らした。


「奴は『鬼』じゃなく人だぜ……、さすがは燕人張飛ちょうひ、噂以上に人間離れしていやがる。」

習珍さんがシャムのひとりごとを聞きつけ、訂正した。


「何だ、蛮人と漢人が組んでやがるのか、南方はやっぱりよく分からんな、しかし道理で頭を使ってきやがる。」


 張飛が習珍さんの漢語を聞きつけ、蛇矛をしごきながら言った。

 張飛は先程の一合で気を引き締めたのか、蛇矛を小さく構えて冷静に僕らを伺っている。


 僕らはお互いの出方を伺い、少しの間対峙した。

 しかし僕らの気持ちは先ほどとは少しだけ異なり、やれる、という気になっていた。

 確かに、習宏さんの一撃も鎧を破壊しただけで張飛の筋肉を突き破ることは出来なかったし、それはダレルの弓矢でも同じだった。

 しかし張飛にも隙がないわけではなかった。

 張飛は怒りやすく感情的で、怒ると足元がおろそかになるようだった。



 僕らは少しだけ前向きな気持ちになったが、劣勢を挽回するだけの時間は与えてもらえなかった。

 張飛と戦っている間に、後続部隊が張飛に追いついてきたのだった。

 彼らは相当急いだのか、いずれも疲労困憊した様子だったが、張飛が少し傷を負った様子を見ると、目の色を変えて襲いかかってきた。

 城堀の跳ね橋前の広場はすぐに大乱戦の場となり、ボロボロの鎧を着た兵士が僕の方にも襲ってきた。

 味方の増援に勢いを得た張飛は、シャムに向かって猛然と蛇矛を振るい、突きを繰り出した。

 シャムは両手の狼牙棒で必死に防いでいたが、僕も自分を守るのに必死になり、シャムを見てる暇はなくなった。防具がなければとっくに死んでいただろう。


 跳ね橋前での乱戦は暫く続き、僕らは我ながら力戦したが、張飛の軍勢が次々に到着するのに対し、僕らは疲れがたまり、跳ね橋の上にまで追い詰められた。


「城内まで退がるぞ!」と習珍さんが叫んだ。


 それは、破れかぶれの作戦だった。

 このまま張飛の軍勢と戦っててもジリ貧なのは明らかなので、僕らと張飛軍と武陵軍の三つ巴に持ち込み、戦局を混乱させれば生き残れるかもしれない、という一か八かの賭けだった。

 ともかく、東門から増える一方の張飛軍を突破することに拘るのは、死にたがり屋のやることだった。


 習珍さんを先頭に、僕らは武陵城内に撤退した。

 城内に入ると、とにかく全力で大通りを西へと走った。

 追いかけっこになれば、年を取って筋肉も多い張飛からは逃げられる可能性があった。

 城内の武陵兵は、僕らの後ろから走ってくる張飛を見ると、僕らと一緒に逃げ出した。

 彼らには僕らのためにも盾となって気骨を見せて欲しかったが、彼らも彼らで僕らの前に張飛と戦って、その身に恐怖を植え付けられていたのかもしれない。


 背後からは、逃げるな、先祖代々臆病者ばかりの卑怯な蛮人どもめ、などと張飛が延々と罵りの言葉を吐いて追ってくる。

 大通りは目立つので、小道に折れて隠れながら逃げた。

 小道には、怯えた乞食や逃げ遅れたお年寄りなどの姿があった。

 僕らを見ると武陵兵と見間違えて兵隊さんとすがってくるが、その相手をしている余裕は僕の心にはなかった。


 武陵という知らない町の裏道を、右に左にいくつも無我夢中に曲がり、どの方向に進んでいるのか分からなくなり、民家の軒下をくぐり抜け、用水路を這い進み、また裏道を通り、迷いに迷った挙げ句、やっと大通りに出た。

 大通りでは戦闘が続いていた、というよりも、武陵兵が張飛の兵に一方的に追い立てられていた。

 僕らの仲間は逃げている間に散り散りになってしまい、いつの間にか僕は独りぼっちになっていた。


 太陽の位置を確認すると、右の方に見えたので、そこが東西を走る大通りだと知れた。

 そして、その右方向のはるか遠くには、蛇矛を持った大柄の男が見え、こちらを向いているように思えた。

 僕は、見つかる、殺される、と思い、武陵兵たちに混ざって、西へと逃げた。


 とにかく、張飛から離れたかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ