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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第二章
55/55

第55話 暗路

 西門を出て、街道を暫く走ると、小さな船着き場があり、小船が何艘か泊まっていた。

 僕は武陵兵たちに混ざり、小船に乗り、船を漕いで大きな川に出て、そこから上流に向かった。

 僕も郡庁舎で奪った武陵兵の防具を着けていたので、よそ者だとバレることもなく、それに船を漕ぐのも上達していたので、むしろ同乗者に有り難がられた。


 彼らは皆近隣の村から駆り出された平民たちで、普段は田畑を耕すことを生業としているという。

 作物を全部吸い上げられても、命までお上に捧げるわけにはいかねえ、と豪快に笑いながら話す姿に、僕まで元気づけられているような気になった。

 彼らは、張飛という暴風が過ぎ去るまでは、故郷で息を潜めて暮らすつもりだという。

 彼らも僕らと一緒だった。違うのは、彼らの家族は近くにいて、僕らの鐘離山は何百里も離れた場所にあることだけだった。


 僕らは船の上で何日間かを共にし、夜は民家に泊まらせてもらったりして、上流へと漕ぎ進んだ。

 そして、故郷に着いた者から、一人減り、二人減り、船に乗っている者は、最後に僕一人になった。


 一人になると、途端に寂しくなり、鐘離山の仲間たちのことを考えた。



 ――みんなは、無事なんだろうか。

 武陵までの二週間の旅は、本当に辛かった。

 辛かったけど、皆で励ましあい、時には唄を歌って気持ちを高めた。

 夜は獣に襲われないように皆で寄り添って寝た。

 その時は周りからのイビキとか体臭とかにイラついたけど、なくなってみると一層孤独を感じる。――



 僕は、上流に向かって独りで船を漕ぎ続けた。

 静かな川面には、櫂を漕ぐチャプンチャプンという音だけが響く。



 ――僕らの旅は、最後にはまた戦いが待っていた。

 小さな戦いから大きな戦いまで、この時代では常に戦いが起こっているようだった。

 鐘離山を襲われた去年の戦いや、今度の武陵城内での戦い以外にも、宜都の町での小競り合いとか、端午節のボートレースなんかもちょっとした戦いみたいなものだった。

 しかし、僕らにとっては大きな戦いだった武陵郡庁舎での戦いも、その前から川の南で行われていた張飛軍と武陵太守との戦いに比べれば、猫の喧嘩のようなものだろうし、それだって赤壁の大会戦に比べれば、大波の前の小浪のように些細なものだったろう。

 僕らが運んできた布は、どうなったんだろう。郡庁舎と一緒に燃えてしまったのだろうか。

 半年間かけて島のみんなで力を合わせて織ったものだから、何かの役には立てて欲しかったけど、燃えてしまっては、何の意味もなくなってしまう。

 余計なことさえしなければ、富は蓄積されたはずが、布を失い、庁舎を失い、兵士たちの命を失うことになってしまう。

 まるで賽の河原だ。石を積んでは崩され、積んでは崩される。

 何故争いはなくならないんだろう。――



 この川のはるか上流には漢人以外の異民族の大きな町がある、という話を頼りに、船を漕ぎ続けた。

 張飛が蛮族を攻略したなんて話はゲームじゃ出てこなかった。

 南蛮遠征は諸葛亮だし、それはもっと後のはるか西の出来事だ。

 だから異民族の土地に逃げこめば、きっと張飛から逃れられる。



 ――この時代に来てからほとんどの時間を、鐘離山で過ごした。

 しかし、その鐘離山も、今は何百キロもの彼方だ。

 ラオ兄妹は、元気に遊んでいるだろうか。

 僕らの宝物の銅鏡を大事にしてくれているだろうか。

 熊五郎さんは、美人の未亡人と仲良く暮らしてるだろうか。

 彼は幸運だった。彼が武陵に来ていたら、鈍臭いから張飛に追いつかれて殺されていたかも知れない。

 ミウさんも元気になっただろうか。

 ミウさんのことを思うと、申し訳ない気持ちや恥ずかしい気持ちが溢れ出して収まらなくなる。

 僕のことは忘れて元気になって欲しい、というのは虫のいい話だろうか。

 鐘離山へ帰れるのはいつのことになるだろう。――



 また何日か船を漕ぎ上流へと遡り続けた。

 その沅水という名の川はとても広く、幾重も蛇行し、肥沃な土壌を岸辺に振りまき、田畑を潤していた。

 沿岸には村もいくつかあったが、僕は一文無しなので、土地神の社などで寝させてもらった。

 ある雨の日の朝、泊めていた船が、雨で増水して流されたか、それとも誰かに盗まれたかで、無くなっていた。

 その日から、僕のひもじい旅路は陸路へと変わり、川沿いを上流に向かい延々と歩いた。



 ――いつから鐘離山を自分の帰る場所だと思うようになったんだろう。

 帰ったところで、鐘離山は漢人たちの制裁を受け、既に廃墟と化しているかも知れない。

 帰らない方が、自分が傷つかないかもしれない。

 自分にとって理想郷のような場所が無残に蹂躙された姿は、決して見たくない。――



 川沿いの、人が通ったであろう微かな跡をたどって歩いた。

 武陵兵の剣は、藪を切り払うための道具に成り下がっていた。

 人里を離れるにつれ、食事にも困り、野草や小動物を採って食べた。

 蛙を食べた。蛙は最高のご馳走だった。



 ――この世には、鐘離山のような場所がきっとたくさんある。

 宜都から武陵までの二週間の旅の途中でも、貧困そうなのに楽しげに暮らす集落をいくつも見た。

 元々この世には、無数の鐘離山があったのだろう。

 それが長い歴史の中で、どんどん潰され、消えていった。

 潰す理由なんて何だっていいんだ。――



 蛙を探して、水の綺麗な支流のほうに進んだ。

 いや、進んでるのかどうかももはや分からなかった。

 今まで見えていた小道は木の根と落ち葉にかき消され、平地から谷へと姿を変えていく地形の中、食べ物と寝床を探して彷徨さまよった。

 大木の根を頼りに歩ける場所を辿って、谷沿いの斜面をひたすら進んだ。

 もはや何のために進んでいるのか、何処に向かって進んでいるのかを見失っていた。



 ――きっと見つかったら終わりなんだ。

 人間の持つ無限の欲望に飲み込まれる。

 饕餮とうてつの体内に取り込まれ、同化を強いられる。

 理想郷のままで留まっていることを許してはくれない。

 どこにも進めない袋小路で死ぬのを待っている気分だ。

 これを絶望というんだろうか。



 もはやどれだけ歩いたか分からず、川を渡れるところはないかと対岸を見ると、不意に開けた土地が目に入った。

 雷でも落ちたのだろうか、焼け落ちて黒焦げの木と地面が剥き出しになっていた。

 おあつらえ向きの寝場所があると思い、川へ降りる径を探すと、うまい具合に大股で一歩ずつ降りれるくらいに、傾斜地に石が並んでいた。

 僕は導かれるようにその石を下り、これまたおあつらえ向きの飛び石を伝って川を渡った。

 

 そこは、深い緑の中に突如現れた炭と灰の白黒の世界だった。

 軽く一息つくと、奥の方で小動物が草木を揺らすガサゴソという音がして、獲物が欲しかった僕は、また導かれるように奥へと向かった。

 そこには小川が流れ、川沿いには背の低い樹が不自然に揃って並び、小川の源流には小さな洞窟が小さく口を開けていた。

 ふと見ると一匹の美味しそうな蛙が洞窟の方に入っていき、僕も導かれるように洞窟に向かっていった。


 洞窟の中は、夏とは思えないほど涼しく、冷たい風が外へと吹いていた。

 こういう洞窟は死後の世界と繋がっているんだ、という話を思い出した。


 死後の世界なんて本当にあるんだろうか。

 もしも本当にあったら、青山君や他のクラスメイトたちに会えるのかもしれない。

 もしかしたらここが、僕の旅の目的地だったのかもしれない。


 そう思うと、この洞窟の奥は、一体どうなっているんだろう、という好奇心が沸いた。

 目を凝らすと、洞窟の奥に流れていく小川の先に、光が見えたような気がした。

 この暗闇の先には希望があるんだ、と思い、洞窟の中へ中へと進んだ。

 真っ暗な中を、光に向かって手探りで進んだ。

 それは、本当の光なのか、脳の中の電気信号を視覚で捉えたと誤解してたのか、何なのか分からなかった。


 やがて洞窟の地表が尽き、冷たい川の中を進んだ。

 吹いてくる風が心なしか暖かくなったように感じた。

 死後の世界は、この地底川の向こうにあるに違いない。

 そう思うと、川の奥に光が見えたような気がした。


 僕は川の中に顔の半分まで浸かり、泳いで進んだ。


 やがて水の冷たさで、僕の手足が痺れ、脳が痺れてきた。

 遠くに見える光が、強まってきたように感じる。

 これはきっとそういうことなんだ、という根拠のない確信が、満天の星のように脳の中にきらめいた。


 光を目指して、痺れる手足を動かした。

 もう後に引き返す体力はなかったが、頭の中は確信に溢れていた。


 この先には、僕の目的地がある。

 本当の理想郷がある。


この話までで、第二章は完結です。

申し訳ありませんが、次の更新まで少し間が空いてしまいます。

話も新たな段階に進む予定です。

恐らく主人公の命に別状はないと思いますので、ドキドキせずにお待ち頂けると幸いです。

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