第53話 襲来
僕らは、すぐに殺そうとするシャムを何とかなだめつつ、鞏志を縄で縛り上げた。
そして鞏志を兵舎の中庭に引っ立てて、彼を跪かせて尋問した。
鞏志は、すぐには殺されないと多少安心したのか、あんなにもてなしてやったのに、何故縄で縛る、蛮族は恩というものを知らない、などとぼやき始めた。
僕は、鞏志の書斎で回収した書状を彼の膝の前に置き、あなたはこれを見て、私たちが劉備の仲間だと思ったのか、と質問した。
鞏志は僕の質問を聞くと、憎々しい表情を浮かべ、白々しいわ、この薄汚い蛮人どもが、お前たちは害悪しかもたらさない、筵売りの劉備共々中原世界の毒虫だ、などと口汚く罵った。凛君語で話していたら即座にシャムたちに撲殺されていただろう。
そして、ひとしきり罵って少し気が大きくなったのか、直に武陵太守の金旋様が凱旋される、劉備もお前たちもおしまいだ、お前たちは大漢帝国の朝敵として一族全て滅ぼされるぞ、と脅しだした。
鞏志の脅しはやや功を奏し、「朝敵」という言葉は僕や漢人たちの心に影を落とした。
今日僕らは、漢人の支配する地域、さらに武陵という大都市で、郡庁舎まで焼き払って大暴れしてしまった。
前回の、漢軍から仕掛けられた鐘離山での戦いとは、漢人から見たら、事の重大さが全く異なるだろう。
今度は間違いなく潰される、鐘離山は消滅する、凛君族は歴史から消え失せる、そう思って俯いた。
「黙れ!俗物が!」
静かな兵舎の中庭に、大音声が響き渡り、黒藍の夜空に吸い込まれた。
声のした方を振り返ると、習宏さんだった。
「お前たちのような小人が高官ヅラして賢ぶり、策を弄して万民を不幸に落とす。我々はただ大漢の法に従い税を納めに来ただけだ。お前たちは何故いつも自分たちの本分を弁えず、自らの栄達のために他人を巻き込み争わせるのか。また一方的に朝敵だ何だと言い立てて、自らの権能を妄りに振るい快楽を得ようとする。お前たちの身勝手な振る舞いの一つ一つがどれだけの民を死に追いやるか、知っているか!」
それは、実際に経験した者だけにできる、人の心を打つ真摯な叫びだった。
習兄弟も今まで簡単ではない人生を送ってきたのだろうと思わせるものだった。
そしてそれは、僕らにも共感できるはずだった。
昨年末の理不尽な戦争、そして同胞たちの死、その全ては、くだらない理由からひと握りの人が始めたのかもしれない。
金旋の覚えをよくするために僕らを捕らえようとする鞏志に、逆恨みで僕らを使って習兄弟を始末させようし、そしてまた武陵郡と敵対する劉備との関係を匂わせて僕らを始末させようとした、樊冑。
こういう人たちに、平和に過ごす鐘離山の島民たちの理想郷のような場所が壊されていく。
鞏志は、目を閉じて習宏さんの言葉を聞いていたが、習宏さんの話が終わると徐ろに目を開け、無表情に言った。
「お前は、先程の料理を振舞うために、いくつの鶏卵を割って鶏の命を奪ったか知っているか。お前の言う一人一人の民の命は、私の舌を楽しませてくれる鶏卵ほどの価値があるのか。」
僕の頭には、一時期ハマっていた、延々と卵を割るだけのゲームアプリが思い浮かんだ。
彼らにとって民とは、ゲームの雑魚キャラのように、殺しても殺してもアルゴリズムによって一定数湧いてくるモノなのか。
こんな人間となんかとても話し合えない、後で食い物にされるだけだ、僕はつくづくなんて甘えた人間なんだろう、と激しく反省し、雑魚キャラの魂が乗り移ったかのように、跪いて毒づくこの男に対して激しい怒りを覚えた。
僕はそのとき、頭に血が上りすぎてショートしてしまったのか、歩み出て鞏志の前に置いてあった尿と泥にまみれた書状を拾い上げ、くちゃくちゃに丸めた。
そして目を丸くして口を半開きにして見つめる鞏志の頭を押さえつけ、これでも食らえとばかりに書状をその口にねじ込んだ。
鞏志は目に涙を浮かべてうめき声をあげて口の中の書状を吐き出そうとしたが、両手が後ろに縛られていて吐き出せなかった。
「そうだ、こんな奴には牛の小便を食らわせるだけで十分だ、言葉をかける価値もない。」
習珍さんはそう言って口を歪めながら、鞏志の口からはみ出た書状をさらにねじ込み、その上から縄を噛ませ猿轡にした。
そして、まだ呻き続ける鞏志のこめかみを剣の柄で殴りつけ、気絶させた。
中庭の地面に横たわる鞏志を見て同情する者は、その時の僕らの中にはいなかった。
その後僕らは、金目の物を探して兵舎内を物色した。
荷運びの駄賃を貰っていかないと、と習珍さんが主張し、確かにこれから鐘離山へ帰るには食糧や路銀が必要ではあるので、誰も反対しなかった。
もっと言えば、武陵城内でこれだけ派手に暴れてしまったため、これから朝敵として討伐を受けることになるので、戦うにせよ逃げるにせよ、先立つものが必要だった。
僕らは劉備の仲間だと思われて罠にかけられたのだが、そもそも僕以外の者は劉備と会ったことがなく、僕自身も劉備の前では醜態を晒して張飛に殴られて気絶し、何も話せていない。
劉備が僕らの味方という訳では、決してない。
そればかりか、劉琦が先走って勝手に免状を作ったおかげで、劉備からも敵視されている可能性もあるのだ。
つまり、最終的に金旋が勝とうが劉備が勝とうが、どちらに転んでも戦争は避けられず、今の僕らの状況は正しく踏んだり蹴ったりというところだった。
兵舎内には、倉庫に多少の食糧があり、馬小屋に数頭の馬がいた程度だった。
郡庁舎の方向は、空が相変わらず明るく照らされ、火の勢いが弱まっていないようだった。
物色してるうちに東の空が白く変わり、太陽が昇ってきたので、金旋の軍隊が戻ってきたら危険だと考え、急いで退散することにした。
僕らは食糧を馬の背に載せ、各々武器を取り、昨日入ってきた北門を目指した。
東の兵舎から北門に向かうため、大通りを歩いて郡庁舎の前を通ると、郡庁舎は相変わらず燃え続けていた。
盗れるものは何もなさそうだと考え、素通りして大通りを北に曲がろうとしたところ、南門から歩いてきた兵士の一隊と鉢合わせた。
僕らは双方とも驚き、敵だと気づいて戦い始めた。
彼らの鎧は泥や血にまみれ、どの兵士もやつれていたが、すぐに落ち着きを取り戻し、粘り強く戦った。
僕らは優勢に戦ったが、南側から現れる兵士は増える一方で、さらには正面の西側からも兵士が現れ始めた。
彼らは皆疲弊していたが、戦い慣れている様子で、一人がやられてもそれを踏み越えて迫る闘志があった。
シャムも狼牙棒を両手に獅子奮迅の立ち回りを見せたが、倒しても倒しても増えてくる兵士たちに疲労が溜まり、次第に東門の方へ引き下がらざるを得なかった。
ダレルや習宏さんが殿軍をつとめて東へ後退すると、今度は東側からも兵士がやって来て、僕らは挟み撃ちになってしまった。
「そのまま突き進むぞ!」とシャムが発破をかけた。
こういうときにシャムの勘は頼りになる。
戦ってみると、東側から来た兵士たちは、南側の兵士に比べて明らかに疲弊の度合いが高く、重い傷を負って担ぎ上げられている者もいた。
僕らはシャムを先頭に東からの兵士を蹴散らして東門へ進んだが、どうにも手応えがなさ過ぎた。
僕らに構わず奥へと逃げようとしたり、逆に「助かる、後を頼む。」と僕らにお礼を言う兵士までいて、えも言われぬ不安を感じながら、東門に取り付いた。
東門の先に伸びる街道の向こうからは、朝日が昇っていた。
久々に見る夜明けの太陽は、徹夜明けの目にはとても眩しかった。
最後に走ってきたダレルと習宏さんも無事に東門までたどり着いた。
堀に架かる跳ね橋の向こうからは、武陵兵がちらほらと走ってきて、息も絶え絶えに門に走り込んでくる。
彼らは僕らに構わず城内に逃げ込んでいくが、僕らも彼らを構っている暇はない。
とにかく武陵から逃げなければならない。
気がつけば、奪った馬も食糧もなくなっていて、前日に北門から入ったときに比べ、布がなくなりその代わりに良い武具を身につけている。
ただし、税として納めた布に合わせて長陽県に配賦される交付金も回収できてなかったし、さらに新たに、暴動を起こした逆賊という汚名が加わったので、差し引きで圧倒的にマイナスとなってしまった。
前途多難になってしまったが、とにかく今は逃げないといけなかった。
前方に意識を向けると、遠雷というのだろうか、遠くの方で微かに雷が鳴る音が聞こえてきた。
音のする方向から、鳥たちが逃げるように飛び立っていった。
また激しい雨が降るのか、嫌だな、と思っていると、雷の音だけが段々と近づいてきた。
雷だと思っていたのはどうやら人で、やたらよく響く大きな声で、誰かが怒鳴っているようだった。
やがて声の主が、太陽を背に姿を現した。
彼は僕らに向かって話しかけているようで、どういうことだ、何故町が燃えているんだ、と怒鳴っていた。
ダレルが軽く舌打ちをして、弓に矢をつがえ、彼に向かって思い切り矢を放った。
イノシシをも一撃で殺すダレルの矢は、弧を描いて彼目掛けて飛んでいき、そのまま太陽光の中に消えていった。
「よくもやったな!俺が燕人張飛様と知っての挑戦か!」
彼は、空もひっくり返ろうかという大声を上げ、こちらに向かって勢いよく走ってきた。
ダレルは矢をもう一本つがえ、彼に向かって放った。
今度も、真っ直ぐ彼に向かっていったはずの矢は、太陽光の中に消えていった。
『ダメだ、当たってねえ、日の光が邪魔でよく見えん、気をつけろ、奴は戦慣れしてるぞ!』
ダレルがシャムに忠告し、シャムは、ああ、と短く返し、片時も彼から目を離さなかった。
いや、目が離せなかったのかもしれない。シャムは腕に鳥肌を立て、歯を食いしばり、顎には汗が光っていた。こんなシャムを見るのは初めてだった。
彼が近づくにつれ、僕は一年前の記憶が蘇ってきた。
地獄のような戦火の中で趙雲に救われ、その馬の上で彼とすれ違ったこと、そしてその破鐘の声と、あの蛇矛が振り下ろされた時の疼痛。
まさしく彼は、その破鐘のような声で、俺様の手で殺されるのは名誉なことだ、覚悟せよ、などと今も怒鳴っている。
そして、手にはあの禍々しい蛇矛を持ち、あの時と変わらない虎髭を蓄え、恐ろしい速さで迫ってきている。
僕ははっきりと認識した。彼は、僕が今まで抑圧してきた恐怖の根源、張飛その人だった。
僕は逃げ出したかった。彼にこれ以上近寄られることは、死と同義だった。
しかし東門の向こう側には、夥しい数の武陵兵が控えている。僕らに逃げ場はない。
東門に戻ってきた武陵兵たちが特に疲弊していたのは、張飛を相手に戦っていたからだ、と理解した。
今回だけは、シャムの勘は大外れどころか、絶対引いてはいけないジョーカーを引いてしまった。




