第51話 武陵郡府
武陵郡府は、立派な堀と高い城壁に四方を囲まれた、荊南でも指折りの大都市だ。
北門から左右の城壁を見渡すと、それぞれゆうに一キロ以上はあるようだ。
武陵城の周囲は、北は山地、東西は湖沼や田畑に囲まれ、大軍勢で囲むことが難しい地形となっている。
南側は、まだ分からない。
何故なら、僕らは武陵城の北門に着いてから足止めされ、城内に入ることができずに城兵との押し問答を続けているからだ。
交渉には習兄弟一行と、漢語のできるウーさんが当たっていたのだが、暇つぶしに周囲を観察してるのにも飽きてしまった。
まばらに降り続く雨の中、城の堀を泳ぐアメンボの数を数え始めたところで、ウーさんが戻ってきた。
ウーさんは珍しく怒り口調で、入らせないの一点張りで訳も教えてくれない、と僕らにぶちまけた。
シャムはそれを聞いて目を剥き、着物の袖をまくって門衛の方へ向かおうとしたので、皆でそれを押しとどめた。
僕は待ちきれずに少しだけ習宏さんたちの交渉の様子をうかがいに行った。
門の側では、習宏さんたちが門衛の一群と押し問答を続けていた。
門衛の中でも年上の者がひときわ大きい声で、今は怪しい者は決して城内に入れるなと命令されている、城主が不在なので命令を変更することはできない、と同じ言葉を延々と繰り返していた。
我らは怪しい者ではない、公務で税を納めに来ただけだ、と習宏さんが言って『上貢』の旗を示しても、今は怪しい者は決して城内に入れるなと命令されている、と同じ言葉を繰り返されるばかりで、話が全く通じず、ただ苛々させられた。
一向に話が進まないので、諦めて荷車が置いてある堀沿いに戻り、暇つぶしに小魚の魚影を数えていた。
すると、誰かが城内に伝えてくれたのか、長い帽子をかぶった文官が数人、大門の脇の勝手口から外に出てきた。
彼らは、前年分の税物を納めに来た、というウーさんの説明を軽く頷いて聞き流し、僕らのいる荷車の方へ来て、積荷を品定めし始めた。
そしてすぐに積荷に興味を失った様子で、お互いに二言三言話し合い、門の方へ歩き去りながら、ウーさんへ向かって軽い口調でこう言った。
「今年の納税期間は終わってるから、年末にまた持ってきなさい。」
この言葉を聞いたとき、文字通り頭の中が真っ白になった。
何を言われているのか、何が起きているのか、しばらく理解できなかった。
嘘じゃないか、からかわれているんじゃないか、などと考えたが、文官たちに殺到して抗議する習珍さんたちを見て、われに返った。
習珍さんたちは、長陽県令の指示でやって来たんだ、夏までは受け付けると言っていた、と数人がかりで猛抗議した。
彼らは皆官軍の元兵士なので、その迫力に恐れをなしたか、文官たちは渋々といった体で、荷車の方へ戻って積荷を嫌々ひっくり返し始めた。
彼らはしばらく積荷を弄っていたが、布についた泥の汚れを指摘し始めた。
確かに、武陵に着くまで泥道に悪戦苦闘した結果、納める布にも多少の泥が付着してしまっていた。
しかしそれは、夏の雨季に二週間も運んだら避けられない汚れで、それでも出来るだけ汚さないように、汚してもいい布で包んだり、人の背に背負ったりして、苦労して運んできたのだ。
僕が思ったのと同じように習宏さんが弁解すると、そもそも布が厚すぎる、凹凸が多い、模様が田舎臭い、などと、布自体に難癖をつけ始めた。
そして、島民たちが半年間の労苦を払って織り上げた布に散々ケチをつけた挙句、やはりこれでは受け取れない、半年後はもっとましなものを持って来い、と言い捨てた。
その余りな言い草に、僕は怒りを通り越して考え込んでしまった。
おかしくないか。何故こんなに搾取するばかりで何もしてくれない、そればかりか兵を向けて島民を襲う奴らに対し、わざわざ半月も歩いて布を納めに来たのに、何故こんな扱いを受けなければならないのか。
武陵太守自ら出迎えてもいいくらいなのに、何故下っ端の文官にこんなに悪く言われないといけないのか。
漢人はそんなに偉いのか。
大漢帝国はそんなに凄いのか。
確かに、この大陸のこの時代は、度重なる戦争で秩序が乱れ、弱い者は強い者に従わないと生きていけない。
だからって、鐘離山の島民たちが半年間かけた成果を、二言三言で簡単に侮辱し、価値のないものとして扱うのは、あまりにも人間の尊厳を踏みにじる行為ではないか。
大漢帝国の後ろ盾があれば、何をやっても許されるのか、平民や異民族は黙って従わないといけないのか。
これは去年と全く同じものです、糸の太さや布の厚さは毎年揃えていて、長陽県での検査も受けています、とウーさんが弁解し、長陽県令の樊冑が書いた書状を見せた。
その書状は、本来の布の納付先である長陽県の長が書いたもので、公務で決められた規格の布を決められた量納められたことを長陽県と縦の関係にある武陵郡に上達する文書だったので、これを見せれば分らず屋の文官たちも黙るはずだった。
牛の尿と泥で汚れてしまったので、出すのを遠慮していたが、こんなに難癖をつけられては仕方が無かった。
ウーさんが文書を取り出すと、時間が経ってさらに臭くなった尿の臭いに文官たちは顔をしかめ、手に取るのを嫌がり、ウーさんたちが代わりに文書を広げ、彼らに見せた。
彼らは嫌々ながらも、正しい格式で公印が押してあると一応見てしまうのが役人の性なのか、しっかりと見てくれて、目を見開いたり眉を寄せたり、それぞれが驚きの表情を浮かべ、一人がウーさんたちから書状を鷲掴みに奪い取り、彼らは尿の臭いも気にならないかのように書状を間近に見ながら小声で話し合った。
そして、すぐに戻るから暫く待つように、とウーさんに言いつけて、門衛に何やら言って、書状を持ったまま急いで門の中に入っていった。
やはり蛇の道は蛇というか、役人には役人の煎じた膏薬がよく効くものなんだな、と非常に感心し、こんな事なら臭いなんて気にせずに最初に出しておくんだった、と皆で話し合い、僕らは機嫌良く文官たちが戻ってくるのを待った。
やがて雨も止み、薄雲が浮かぶ西の空に朧げな太陽が見えるようになった頃、武陵城の中から銅鑼の音が響き、大門が開いた。
そして大門の中から、同じような着物を来た役人たちが沢山出てきた。
真ん中には、ひときわ背の高い帽子をかぶり、袖や裾に刺繍の入った着物を着て、腰には玉石をあしらった装飾品をいくつも垂らした役人が、親しみを込めた笑顔を浮かべていた。
その役人は僕らに向かって恭しく一礼し、名乗りを上げた。
「遠路はるばるようこそいらっしゃいました。小職は名を鞏志といい、この武陵郡の主簿を務めております。武陵太守の金旋は、只今公務にて不在のため、お出迎えできませんでした。どうぞお許しくださいませ。」
さらに鞏志は、先程までの非礼を詫び、今は野盗が跋扈していて確かに大集団の入城を禁じている、と説明した。
「近頃は、義勇軍だなどと名乗って、その実は官庫に物をせびりに来るだけの野盗まがいの者も多く、断れば城内で暴れるので、町民を守るためにも仕方が無かったのでございます。どうかご容赦くださいませ。」
鞏志はお詫びの言葉を繰り返し、その丁寧な物言いに、さすが大都市の高官は人物が出来ている、と気分をよくさせられた。
そして鞏志は、周囲の者たちに素早く指示し、僕らが押してきた荷車に取り付かせ、荷車を城内に入れてくれ、彼自身は僕らを案内し、僕ら数人を馬車に乗せて武陵郡の官舎まで連れて行ってくれた。
馬車の上から見る武陵の町並みは、やはり立派な白壁の建物が立ち並ぶとても美しいものだったが、どこか閑散としていた。
鞏志の話では、今は町の南に流れる川の向こう側で賊が暴れているためでしょう、ということだった。
太守の金旋も、その賊軍掃討の指揮をとるため外出しているのだという。
馬車の中は、同乗したシャムが黙ったまま外の景色を見つめていて雰囲気が悪く、さらに木の車輪と薄い座布団では石畳から尻に伝わる振動を吸収しきれず、舌を噛みそうでもあったので、それ以上あまり喋ることもなく、官舎に到着した。
武陵郡庁舎の中庭では、僕らが二週間かけて持ってきた税物の確認が行われ、無事引き取られた。
僕らはそこで本当に長い任務が終わったことに安堵し、皆で祝宴を挙げたかったところだったが、鞏志に是非にと引き止められ、郡府挙げての盛大な持て成しを受けた。
これまでの労苦と先程の非礼を詫びる、と言われては断りきれず、さらに正直に言うと、僕らも宿の手配や食事の準備や路銀の心配から解放されたかったので、鞏志の申し出は嬉しかった。
僕らは、百人全員が鞏志に招かれて、郡庁舎の大広間で歓待を受けた。
大広間には川の字に座机が並べられ、鞏志に促され僕らは思い思いに腰を落ち着けた。
そこで出てきた料理は、僕が二十一世紀の日本でも食べたことがないような、贅を尽くしたものだった。
柑橘類の風味のある透明な甘い飲み物から始まり、真珠のように輝く白くて丸い謎の野菜や、焼いた川魚の餡かけや、豚肉の燻製を花のように盛り付けたものやらが次々に出てきて、そのどれもがツヤツヤと輝いていた。
竹篭には、白や黄色や薄桃色の色とりどりの蒸し饅頭が入っていて、黄色の饅頭を口にすると甘い卵の風味が鼻に抜け、鶏卵をこの時代で初めて口にして衝撃を受けた。
薄桃色の饅頭を囓ると、中には桃の果肉を甘く煮た餡が入っていて、その爽やかな甘みとほのかな酸味にさらに感動し、思わず日本語で『桃だ。』と口走ってしまった。
出てきた料理には、皆が驚き、奪い合うように貪っていたのだが、その中でも久々に桃を食べた僕の驚きようは格別だったようで、上手で皆の様子を眺めていた鞏志に見つかってしまった。
「公子は桃も食べたことがお有りか。庶民ではなかなか口にできないものなのだが、素晴らしいですな。それでは、これは飲んだことがありますかな。」
鞏志はそう言って、給仕に言いつけ、僕の前に給仕が茶碗を置き、緑色の飲み物を注いだ。
その飲み物に口を近づけた瞬間、匂いでお茶だと簡単に分かった。
そのお茶を飲むと、生えたままの葉っぱをそのまま飲んでいるかのように新鮮で野性味のある香りに溢れ、芳醇な甘みを湛えつつも程よい苦みと渋みがあり、飲むとこの上ない清涼感が体中に溢れた。
まるで木の生命をそのまま体内に取り込んだかのようで、やはり感動して、また日本語で『お茶だ。』とつぶやいてしまった。
鞏志はそんな僕の様子を見守っていて、「茶まで飲んだことがあるとは、簡単な接待では満足せられまいな。」と言って大いに笑い、手を大きく叩いて人を呼びつけた。
「ただいま参ります。」と言って奥の間から出てきたのは、白い着物に綺麗な髪飾りをつけた、若い女性たちだった。
彼女らは、それぞれお盆に茶碗と酒瓶を乗せ、十数人もぞろぞろと出てきて、僕らの机を順々に回り、お酒をついで回った。
彼女らは皆白く綺麗に化粧し、着物の襟も緩めていて、屈んで酒をつぐ時には裾がはだけて綺麗な長い足が見えた。
彼女らの登場に、漢人も凛君族も同じように最高に興奮し、白粉の匂いを吸い込んだり、太ももを食い入るように見たり、興奮は止むことを知らず、勧められるままにバカみたいに酒を飲んだ。
ウーさんやダレルはともかく、普段は言い寄ってくる女を寄せ付けないシャムまでもが、女に注がれる度に杯を空けていた。
酒の味自体もとても良いのかもしれないが、二週間の長旅を終えて税を無事納め終わった安堵感で、島民をまとめる立場のシャムは特に、酒がうまかったのかもしれない。
皆が興奮して浮かれた様子を見て、鞏志も楽しくなったか、自ら席を立って一人一人に酒を注いで回り、やはり人の上に立つ人は違うな、とさらに感心させられたものだった。
僕は、こんな性欲むき出しの大人の世界に怖気づき、合コンとかってこんな感じなのかな、なんて考えながら残りの料理をつまみつつ、皆の様子を観察していた。
女性たちは、入れ替わり立ち替わり酒を勧めてきたが、過去に何度挑戦してみても全く駄目だったので、断り続けた。
ついにある女性が僕の隣に座り込んで、僕の脇に腕を絡めて体をつけて勧めてきた。
そして、飲んでくれないと、私たちの接待が不十分だって後で怒られるから、飲んで、とお願いされた。
加えて、彼女が笑顔で見つめてくる視線やら白粉と女性の匂いやら腕から伝わる胸の柔らかさやらに、ついに耐えられなくなり、酒の注がれた杯を空けた。
酒は飲んだというか、飲むふりをして口の中に溜め、気持ち悪くなったふりをして急いで外に出た。
外に出ると酒をすぐに吐き出し、先ほどの情景を思い返し、僕は改めて女の怖さを思い知ったのだった。
少し休んでまた席に戻ろうとしたが、先程僕に酒を飲ませた女がまだ座っていたので、便所に行くことにした。
しかしどこが便所なのか分からず、うろうろしているうちに、裏口の方へ来てしまった。
その辺は厨房に近かったようで、そこには僕らをもてなす為に美味しい料理を作ってくれた賄いの人たちが、階段に腰掛けて休んでいた。
僕は彼らに便所の場所を聞き、それから料理が美味しかったので、そのお礼を述べた。
彼らは僕のお礼に笑顔で応えてくれ、それから、用事が済んだらなるべく早くこの町を離れなさい、と助言を与えてくれた。
何でも、劉備の軍勢が近くまで攻めてきていて、太守の金旋が迎撃しに出たが、どうやら負けそうみたいで、結構な数の人が既に町から避難しているのだそうだ。
馬車に乗ってる時に鞏志が話してた、「賊軍と戦ってる」という説明と少し違うのが気になったけど、賊軍がつまり劉備の軍勢ということなのかな、敵でも名前の呼び捨てが失礼とか気になるのかな、と思い直した。
ともあれ、それで町が閑散としてたのか、と納得し、僕は用を済ませに便所に行った。




