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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第二章
50/55

第50話 悪路は続く

 危水を超えると、またすぐに山道に差し掛かり、左右のあしを交互に上げるだけの動作を延々と繰り返す毎日が始まった。

 雨は、時には優しく時には激しく僕らを叩き続け、僕らから体力と気力を奪い続けた。

 それでも、鐘離山の仲間たちが半年かけて縫い上げた成果を無駄にしたくない一心で、腿を交互に上げる動作を繰り返した。

 束の間の食事休憩には、濡れた地面に腰を下ろし、湿気を吸って柔らかくなった干し肉と、これまた湿気を吸ってふやけた味気ない干し餅を、会話もなく無理矢理腹に詰め込む。

 便を澄ますと、また足取りの重い旅程につく。


 上り坂と下り坂と濁流渡りと食事とうたた寝を何度か繰り返し、見上げると牛の尻が左右に揺れている光景にも慣れ、たまに姿を現す派手な色のトカゲやら奇妙な形の昆虫やらにも心が動かされることがなくなり、山霞やまがすみの向こうに薄く見える延々と続く山の連なりに暗澹あんたんとしながら、ただただ足を動かした。

 立っているのも歩いているのも同じように疲れるのでどうせなら、という後ろ向きな気持ちで、歩を進めた。


 自棄やけな気持ちでいると、悪い事が重なる。

 何日か歩いた後の日中、とある山の峠に着いたとき、山霞の向こうに山が見えず、眼下には地平線の向こうまで平地が広がっていた。

 ようやく地獄から抜け出したと思い、僕を含めて幾人かが喜んだが、他は誰も喜んでいないので、改めて麓を見渡すと、歓喜が絶望に変わった。

 地面だと思っていたのは、一面の大きな沼地で、地平線の向こうまで続いていたのは沼だった。

 木が列に並んでいたり、建物が水に浸かってたりしたので、遠目から見ると普通の地面のようにも見えたのだった。

 麓まで下りてくると、さらに悪いことに、今まで歩いてきた細い街道も水没し、どこをどう進んだらいいのか分からなくなっていた。


「この辺の夏場は洪水で水浸しになるとは聞いてたが、こりゃあ予想以上だったな。見てみろ、あそこの橋まで水に浸かってるぞ。」


 そう言って習珍しゅうちんさんが指さした先には、木でできた欄干らしきものが二列、水の中から突き出ていた。

 水に膝まで浸かりながら沈んだ橋の前まで歩くと、橋板の上を右から左へと水が流れ、その向こうを並木と沼地が見渡すかぎり続いていた。

 本当にここを歩くのかと怖気づいていると、他の皆が嫌な顔をしながらも前に歩き始め、そういうものなのかと思い直し、荷物を背負い直して気を引き締めた。



 それから半日あまり水の中を歩いた。

 水に沈んだ街道はとても平坦で、両側は並木になっているため、思ったより歩きにくくはなかった。

 しかし、脛で水を押しのけ押しのけ進むので、歩く速さも遅くなり、その分背負う荷物も重く感じる。

 並木道の両側は、林や畑が混在し、冠水した畑の中を船で進む現地民も幾度か目にした。

 この視界いっぱいに広がる水たまりの下には、一体何があったのだろう、この地域の農民たちが大事に育てた作物が浸かってるんじゃないだろうか、などと他人の心配もしてみたが、苦痛の時間が早く過ぎることはなかった。


 その日は、高台の上にある漢人の集落の、手前の坂の途中で寝させてもらった。

 その翌日は、また同じように水に埋もれたり顔を出したりする街道をのろのろと歩き、日暮れ前に大きな町に到着した。

 その町は、石を積み上げて作られた立派な城壁に四方を囲まれていて、東西南北には大きな楼門が威容を放ち、行き交う人を見下ろしていた。


「豊県城だ。」と習珍さんが教えてくれた。


 門の両脇には衛兵が直立し、僕らはしっかりと行く手を阻まれた。

 習珍さんが武陵への上納品を運ぶ途中だと説明して、『上貢』の旗を見せると、暫く待たされた後で、衛兵の一人の先導の下、門を通ることができた。

 豊県城は、東西南北の大門を結んで大きな道が真っ直ぐに通っていて、道の両側には白壁の美しい建物が並び、道の両脇には、漢人や個性的な衣装を着た他民族の人が筵を敷き、魚や野菜や雑貨などを売り、夕暮れ前の賑わいを見せていた。

 僕らが大通りを通ると、百人の大集団に恐れたのか、泥だらけの格好を嫌ったのか、皆が我先に道をよけてくれた。


 衛兵の先導でしばらく歩き、繁盛する宿屋や食堂を通り過ぎ、案内されたのは、町の西にある共同墓場の前の広場だった。

 手配できる宿がないからここで夜を明かせ、と衛兵に無愛想に言われたが、雨の山中での野宿に慣れきった僕らは、安心して寝られる平らな土地をあてがわれただけで満足した。

 井戸の水で体や服の泥を流し、天幕を張って火をおこして湯を沸かして夕食を作り、食事を取って寝る準備をした。

 町の市場で魚や野菜や酒を買い求め、拾ってきた板きれや布を敷いて、僕らは久々に皆でくつろいだ食事を楽しんだ。

 町の南を流れる豊水という川を渡って、三日くらい歩くと武陵の町だ、と習宏しゅうこうさんに聞き、永遠に続くと思われた地獄の道のりにようやくゴールが見えた気がした。

 この日は、寝床から伝わるヒンヤリした地面が、とても気持ちよく感じられた。



 翌朝、僕らは豊県城の南門を出て、豊水の渡し場へ向かった。

 豊水のほとりに着くと、川は濁流を波打たせて激しく流れていて、雨も相変わらず一定の強さで降り続いていた。

 渡し守を捕まえて船を出せと言うと、出せない、とキッパリ断られた。

 皆があっさりと納得するので、はやる気持ちを抑え、豊県城を観光して体を休めることにした。


 その翌日の朝は雨も止み、川の流れも大分静かになっていた。

 渡し場は、昨日の足止めのせいで、旅客で混み合っていた。

 習珍さんは、『上貢』の旗を掲げて人混みをかき分け、渡し場の頭領を捕まえて船を数隻手配することに成功し、そこで初めて旗が役に立っているのを目の当たりにした。

 恨みがましい旅客たちの視線を尻目に、船に荷物を積んで豊水を真っ先に渡った。

 豊水は、増水していたためか、清江よりも川幅が広く、清江より流れも速く、今更ながらこの大陸の大地の果てしない大きさを実感しながら、船に揺られた。



 それからは、南へ延びる豊水の支流に平行する街道の緩い上り坂を上り、その後緩やかな丘と谷を何度か上下した。

 言葉にすると簡単だけど、降り止まない雨の中、荷を背負って舗装されてない泥道を歩く、相変わらず大変な道のりで、豊県城で洗い流した泥が元通りに体に付くのに時間はかからなかった。

 それでも一日、二日と旅程を進めると、道も広くなり、行き交う人や馬が増えてきて、宿屋や休憩所なども姿を見せ始め、大きな町が近づいてきていることを予感させた。


 交通量が多くなると、事故も起こる。


 川沿いの谷の中腹を切り開いた、荷車がギリギリすれ違えるかという道幅の土の道を進んでいたところ、荷運びの馬の一隊とすれ違った。

 馬の一隊は大量の柴を背負っていて、すれ違うところで、荷車を引く牛が柴の先端を嫌ったのか、歩みを急に外に寄せた。

 馭者ぎょしゃ役の漢人もそれを制しきれず、路傍の盛り土に荷車が乗り上げてしまい、荷車に積んであった行李がほとんど滑り落ちてしまった。

 雑多な荷物と一緒に貴重品を入れた行李も滑り落ち、行李の蓋が空いて、中に入っていた樊冑はんちゅうの書状が泥水につかってしまった。

 そしてまた間が悪いことに、驚いた牛が小便をしだして、それが泥水に混ざり、書状も牛の小便まみれになってしまった。

 そばにいた漢人が顔をしかめながら急いで書状をつまみ上げたが、書状は既に牛の小便と泥で汚れてしまっていた。


 書状を開いて中身を見ると、五渓蛮の凛君族がこれだけの量の布を納めたので上納する、と記してあり、加えて、荊州牧劉琦大人とも懇意の者たちなので特に丁重にもてなすよう懇願する、と書いてあり、小便と泥水で所々滲んでいた。

 これを見たときは、さすが腐っても役人だ、と樊冑の心遣いに感動したと同時に、汚してしまって申し訳ない、という気持ちになった。



 二つの山地に挟まれた平野の中、しっかりと石畳の敷かれた広い街道を半日ほど歩き、最後の山越えをした。

 山越えといっても、石で積まれた階段を登るだけだったが、荷物を背負って登るのはやはり大変で、何度か休憩を挟みながら何とか登った。


 峠には関所があり、人手が少ないのか、関所の入口は、先を急ごうとする通行人でごった返していた。

 僕らは、例によって『上貢』の旗の神通力と、ウーさんが門衛の袖の下に放り込んだ幾許いくばくかの通行料のおかげで、あっさりと通過できた。


 関所を過ぎると休憩所が数軒あり、蒸し餅や豆汁などを出して店の男が客引きをしていた。


「この絶景を見逃したら武陵に来ても意味がないよ!南に武陵城、東に洞庭湖が望める絶景はここしかない!屈原粽子くつげんちまきに屈原豆汁もここでしか食べられないよ!」


 男は、僕らを田舎者と見て、必死に声をかけてくる。

 疲れてるのでよけいうるさく感じながら麓を見渡すと、田んぼや池や橋のはるか向こうに長い城壁が薄く見え、その左に視線を移すと、水と草地が入り混じった沼だか湿地だか分からない地形が、見渡す限り続いていた。


 あれが洞庭湖だよ、と習宏さんがいつの間にか横に来て、説明してくれた。

 洞庭湖は、豊水や沅水やその他無数の支流が合わさってできた湖で、夏には水が増え、冬には水が減って川のようになる、今は夏の始まりだけどこれからまだどんどん大きくなる、東は巴丘城まで続いていて、巴丘までは、ここから宜都に戻るのと大して変わらない距離がある、船でも五日はかかるだろう、ということだった。

 ちなみに、屈原くつげんが五百年前に投身自殺したのは、この洞庭湖の東岸だそうで、そんなに遠くの出来事も商売のネタにする商魂のたくましさに呆れたものだった。



 僕は、はるか南方にぼんやりと見える長い城壁を見つめながら、長い長い地獄のような旅程が、本当に終わりを迎えていることを実感した。

 鐘離山の仲間たちの半年間の労苦の結晶を、二週間もの間、無事に遠くまで運んできたという安堵感に加え、武陵郡府というこの時代で初めての大都市を見物できるという高揚感で、休憩所の店員の煩わしい声も耳に入らなくなり、暫くその景色に見とれた。


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