第49話 雨と泥
後悔先に立たず、という諺を、何回思い浮かべたのか分からない。
武陵への道中がこんなに過酷なものだとは思いもしなかった。
振り止まない雨でぬかるんだ道に足を掴まれ、空から降る大粒の雨に脳天や背中を打ち据えられる。
何か妖怪じみた力が僕らを先に進ませまいとするかのようで、僕らは這いつくばりそうになりながら、一歩一歩武陵へと足を動かした。
氾濫する川や険しい山道に行く手を阻まれ、荷車も役立たなくなって、重い荷物を自ら背負うと、その重みと道のぬかるみで、一歩踏み出すのさえ困難になった。
僕らは、凛君族も漢人も関係なく、誰もが泥まみれだった。
ぬかるみを歩き、荷車の車輪から撥ねる泥を浴び、時には腰まで浸かる沼地を進み、着物や草鞋を覆う泥が乾くことはなかった。
こんな雨の日は、鐘離山だったら、屋敷の縁側でアイスと一緒にぼうっと佇んでいられるのに、何で来てしまったんだろうと、湿気と疲労で発酵しそうな脳みそで、繰り返し考えた。
長陽の県庁を出た後、僕らは何日間か長陽の町に留まり、武陵行きの準備をした。
その間に一旦鐘離山へ戻り、鐘離山から追加で五十人余りを引き連れ、武陵行きの人数は総勢百人余りとなった。
納める布のほか、食料や交易品等の荷物が増え、さらに野盗に備えて兵力を増やした。
百人の中には、シャムやダレルやウーさんやヤナン、そして習兄弟とその郎党ほぼ全員がいた。
ラオとラビ兄妹は当然留守番で、馬容さんたちは蒯先生の警護で、ノックも留守番になった。
往復一ヶ月の長旅となるので、僕の全財産――パスポートと学生服と運動靴――を、ラオとラビ兄妹に託した。
パスポートは、湿気で傷まないように、『凛』さんのパスポートの入った銅鏡に一緒に入れて、ラオに持ってもらった。
シャムは、始祖様と崇める『凛』さんのパスポートも持って行きたそうにしたが、渡されたラオが喜んで銅鏡とにらめっこを始める様子を見ると、すぐに諦めた。
それから僕は、再びミウさんの家の扉を叩き、もう一度ミウさんに会わせてもらった。
そしてミウさんに、僕の学生服の第2ボタンをあげた。
予め言うけど、これは全く僕の自己満足で、女の子に第2ボタンをあげるという行為を単純にやってみたくて、相手の女の子が絶対に意味が分からないのをいいことに、その気分を体験してみただけだった。
だけどミウさんはとても喜んで、二束三文にもならない金色のボタンを、両手で包んで大事に胸に押し当て、久しぶりに僕に笑顔を見せた。
僕はまた一つ罪を重ね、悪い大人に育っていってるような気がした。
それから僕らは、長陽の町で樊冑から書状を受け取り、武陵へと出発した。
宜都まで船で行き、宜都からは陸路を真っ直ぐ南へ下る。
宜都から長江へ出て、孱陵(後の公安)という土地から南へ下るほうが近いらしいが、そちらは大きな川が多く、雨季の夏場は川が氾濫し、道が水没してしまうということで、宜都から陸路となった。
道案内は習兄弟が行った。
運び屋もやっていたと言うのは嘘ではないようで、道の選択から宿営地の手配、前方の斥候、さらには荷車を引く牛の世話まで、彼らにできないことはなかった。
抜け目のないことには、長陽の町を出発するときに、習珍さんは樊冑から『上貢』と書いた旗を奪い取ってきていた。
この旗を掲げていると、国に納める品物を運んでいることを意味するらしく、道も開けてくれるし、宿を取るのも便利だし、野盗に襲われることも少なくなる、大層便利な代物らしかった。
残念ながら僕の旅の経験が少ないため、その効果は実感できなかったが、確かに最初の数日は、荷車を引く牛が垂れる糞尿に時折顔をしかめる程度で、それ以外はとても快調に、小雨の降り続く石畳の街道を進んだ。
道の石畳が途切れ、一つ目の山にさしかかる頃から、旅程は辛いものに変わっていった。
雨は次第に激しいものに変わり、道も細くなり凹凸も増えていった。
アスファルトで舗装されていない道は雨が続くとぬかるむ、という簡単な事実を、強く思い知った。
そして道には轍ができていて、水が溜まった轍の深さは全く予測できず、嵌まると大の男が十人がかりで押しても簡単には抜け出せない。
さらに坂道では、牛の力だけでは足りず、人の手も借りないと荷車が進まず、荷運び役も兵隊役も関係なく荷車を押した。
シャムまでもが、お気に入りの白虎の毛皮が泥で汚れるのも厭わず、泥に膝までつきながら、全力で荷車を押した。
荷車を押さない者も、出来るだけ背負子に荷物を背負って上らなければならない。
僕も少ないながら背負子に荷物を背負って上ったが、背中の重みと地面のぬかるみで、一歩を踏み出すのも緊張し、疲れがずっと続く。
周囲の物音は、雨が木の葉や雨笠を叩く音に遮られ、荷車の車輪の軋む低い音と、時折牛の鳴く声が聞こえるばかりで、皆が声を出す元気もなく、俯いて雨を避け黙々と歩いた。
土砂で道を塞いだり、増水で橋を流したり、僕らを先に進ませまいとするかのように、自然は次々に困難を与えた。
橋がなく増水して濁った沢を越えるときは、縄を渡して、それにしがみついて渡った。
そういう時先頭で縄を渡すのはヤナンたちで、彼らは時に激流に逆らえず岩に体を打ち付けながら、沢に行く手を阻まれる度に、僕らのために幾度となく激流に挑んでくれた。
夜は、薪もロクに集まらない湿った森の暗闇の中、遠くから聞こえる得体の知れない動物の鳴き声と、近くで突然聞こえる落ち葉の擦れる大きな音に怯えながら、湿った冷たい土の上で胡座をかき、寝てるのか起きてるのか分からないような睡眠を取る。
山と川の間の僅かな平地には、必ず人の住む集落があり、僕らと同じ凛君語を話す部族だったり、他の南方の言語を話す部族だったりしたが、彼らは同じように竹の皮を編んで作った高床式の簡素な家に住み、雨の中でも豚や鶏や子どもの喚き声に囲まれた和やかな暮らしをしていた。
そんな集落にはもちろん宿屋なんかはないし、ベッドもトイレもシャワーもないんだけど、人の生活圏の中で、平らな地面で安全に寝られることに、僕らはとても満足した。
さらに、僕らの行く手を遮るのは山や渓流だけではなかった。
危水と豊水という二つの大河が待ち構え、この二つの川は、僕らの住む清江と同じくらいの川幅があり、渡し場で舟を借りて渡らなければ、目的地の武陵にたどり着くことはできなかった。
宜都の町を出発して五日目、僕らはようやく一つ目の大河、危水の流れが遠目に見える、山の峠に到達した。
雨靄の中、遠くにうっすらと、茶色く濁る水面が左右に広がり、その緩やかで雄大な川の流れに僕らは安堵を覚え、辛い旅も中継地にたどり着いたような気がした。
島の仲間の誰かが、舟を漕ぐときの歌を歌い出し、他の皆もそれに倣って口ずさみ、島民らしい明るさを少し取り戻して、足取りも軽く峠を下った。
しかしそんな時ほど自然は意地悪で、にわかに黒雲が湧き上がったと思うと、雷鳴が鳴り響き、ついには雹まで降り出した。
すると前の様子を偵察に行っていた漢人の斥候が戻ってきて、この先の小川の上流に大きな洞窟がある、と言うので、ひとまずそこに避難することにした。
報告のとおり洞窟はとても大きく、蔓植物に覆われた高い崖の下で大きく口を開け、中には暗闇を湛えていた。
僕を含めた漢人たちは、急ぎ足で洞窟に駆け込んだが、凛君族のみんなは、シャムまでもが、入り口から中に入るのを躊躇っていた。
漢人と同じように全く平気そうなウーさんとその他数人がしつこく促すと、ようやく渋々といった動きで入ってきて、それでも奥までは入らずに入り口付近にたむろった。
ウーさんの説明によると、こういう洞窟は死後の世界と繋がっていると信じられているらしい。
人は死ぬとその魂は地中深くにある死後の世界に行く。
そしてこういう洞窟を通り道にして、時折地中の世界から出てくるのだという。
そして、こういう洞窟の中には多くの場合、この世に帰ってきた魂の受け皿になるよう、死体の入った棺桶が安置されているのだという。
今もこの洞窟の奥から吹いてくる風は、冥府からの呼び声であり、誘われて洞窟の奥に行ってしまうともうこの世には帰って来れない。
また、棺桶からは、夜な夜な屍鬼が這い出して、月の光を浴びに入口まで出てくるので、こういう洞窟には特に夜は近づいてはいけないのだという。
ウーさんの説明を聞いた漢人たちの多くが怯えたが、習珍さんを含めた何人かは、逆に好奇心を刺激されたのか、奥に行ってみようと言い出した。
ダレルやシャムが止めたが、外ではまだ雹が降り続いてる、ここに泊まることになるかもしれない、危険がないか奥も見てみないといけない、と言う習珍さんに反論することは出来なかった。
こういう洞窟探検には僕も憧れていたので、トムソーヤになった気分で習珍さんたちについて行った。
僕と習珍さんたち数人で、松明を数本持って、奥へと進んだ。
洞窟は進むにつれ徐々に細くなったが、松明の明かりに照らされ鍾乳石や地底川が煌く様は、とても美しかった。
鍾乳石の回廊を進み続けるとほどなく、微かに臭気が流れてきて、先頭の習珍さんが、静かに、というジェスチャーを後ろに送った。
僕らは武器を抜いて、足音に気をつけてゆっくりと進むと、すぐに広間に出た。
松明の光だけでは奥行が測れないほど広く、天井も高かった。
広間を進もうとすると、置いてある何かに阻まれた。
照らしてみると、それは古い木棺で、松明を掲げてみると、そんな木棺が床に疎らに置かれていた。
ウーさんから先ほど聞いたばかりの怪談話を思い出し、寒気がしてきた。
その時僕らは気づいていて誰も言おうとしなかったのだが、何か脳の奥の方で、ザワザワと話し声が微かに聞こえているような気がしていた。
そのとき、僕の前の漢人の首筋に、天井から何か黒いものが落ちてきて、その人は、アイヨ!と大声を上げてしまった。
その声は、洞窟の高い天井に反響し、幾度も響いた。
すると、ザワザワという音がどんどん大きくなり、広場を満たさんとする勢いで僕らを襲ってきた。
「退却!」
習珍さんの鋭い号令がかかり、僕らは走って元来た道を戻ろうとした。
僕らの背後から黒い無数の何かが僕らに襲い掛かり、襲いかかったと思ったら僕らを通り過ぎて入口の方に飛び去っていった。
「何だ、コウモリじゃねえか。」
さすがの習珍さんもちょっと驚いたようで、思わず安堵の声を漏らした。
獣臭や物音の正体もコウモリだと分かったが、また引き返そうとはならず、そのまま皆がいる入り口へと戻った。
入り口に戻ると、叫び声が聞こえたとか、コウモリが出てきたとか、皆に心配されたが、起こったことをそのまま述べると、皆安心した。
外はすでに雹が止み、雨も止んでいたので、僕らはすぐに出発することにした。
僕もここに留まりたくなかったので、出発してくれて有難かった。
洞窟が死後の世界に繋がってるなんて話を信じたわけじゃなかったけど、洞窟の奥には本当に棺桶が沢山あって、あそこで夜明かしするのは流石に不気味だった。絶対に眠れそうになかった。
その日のうちに、危水の沿岸の渡し場がある集落に着くことができた。
この日ばかりは人間の住む村の中で過ごせることが本当に有難かった。
野宿してたら、洞窟の奥で見た棺桶から屍鬼が這い出してくる光景を思い浮かべ、とても寝付けなかっただろう。
その村の人の話では、確かに洞窟の中や崖の上に死体を埋葬する習俗のある部族があるらしく、僕らが見た棺桶も彼らが持ち込んだんだろう、ということだった。
しかし、その人が言うには、この辺の山の洞窟には昔から言い伝えがあって、太古の昔に戦争が盛んだった頃、戦に敗れて追い詰められた将軍が洞窟に引きこもって敵をやり過ごそうとして、大岩で入口を塞いだら、自分たちが出れなくなってしまって、洞窟の中で餓死して全滅した、という伝説があるらしく、地元の人達は近寄らないのだという。
その洞窟が、僕らが立ち寄った洞窟だったかもしれず、もっと奥に進んでいたら、餓死した兵隊たちの大量の白骨に出会っていたかもしれず、コウモリに驚いて引き返して正解だったかもしれない。
おかげさまで、翌日の渡し舟への積み下ろし作業に、この土地を離れたい一心で皆の身が入ったのは、唯一良かったことだった。




