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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第二章
48/55

第48話 相談事

 それから僕らがたくさんの布とともに長陽の町へ出発するまで、僕は主に屋敷でのんびりと過ごした。

 屋敷には多くの人が出入りし、鐘離山の頂上の白虎堂から布を運んで下ろす人、またそれを下の港まで運ぶ人などでごった返した。

 僕も荷下ろしを手伝いたかったが、体のあちこちが痛く、重い荷物を持つと脇腹が痛むし、手の皮もむけて痛むので、仕方がなくアイスと一緒に屋敷の縁側に寝そべって、行き交う人々を眺めながら過ごした。



 ミウさんの所にだけは行った。

 どうしたらいいか決心はついてなかったけど、「文句を言いに来たらぶん殴る。」というシャムの物騒な発言を思い返し、僕が先に出向いておかないと無茶苦茶になると思ったからだ。

 ミウさんのお母さんは、僕が以前布を回収しに行った時の人の良さそうな笑顔を消し去り、扉の敷居に仁王立ちになって僕を拒絶した。

 普段平和な島にはそぐわない様子だったのか、行き交う人たちが立ち止まって僕らの様子を見始めた。

 するとすぐに家の奥からか細い声が聞こえ、僕は乱暴に家の中に引き入れられた。

 

 ミウさんは、家の奥の万年床の上に座って、じっとうつむいていた。

 僕は謝罪の言葉を述べ、元気かとか大丈夫かとかありきたりな言葉を並べたが、ミウさんは小さく頷くだけだった。

 そして、この島の習慣を知らなかった、それに僕らの故郷では僕の年齢はまだまだ子供で、結婚など想像できなかった、そもそも結婚が許される年齢に達していない、などと言い訳をならべ、納得してもらった。

 いや、納得してもらったというのは僕の希望的な見方で、ミウさんは断られたという事実を突きつけられ、ただただ辛い気持ちでいたのかもしれない。


 ミウさんはずっとうつむいて髪の毛で顔を隠し、僕に表情を一切見せないばかりか、声も聞かせてくれなかった。

 僕はいたたまれなくなって、今はビックリしちゃってるけど、時間が経てば気持ちも変わるかもしれないから、と付け加えた。

 ミウさんは少し首をもたげる動きを見せたが、少し頷いてまた元通りうつむいてしまった。


 それから少しの沈黙を挟み、僕はミウさんのお母さんに追い立てられて家の外に出た。

 外の野次馬はすっかり消えていたが、族長屋敷への帰り道で話し声が聞こえる度に、悪い噂をされてるんじゃないかと、ひどく気になった。




 それから二日ほど後の雨の降りしきる朝に、僕らは長陽の町へ向け舟を出発させた。

 布は十艘の舟に分けて積まれ、それぞれ油布を被せて雨から守り、それぞれの舟に三人ずつ乗った。

 僕は薄手の着物に蓑と竹笠を被り、シャムと習珍しゅうちんさんと一緒に舟に乗り込んだ。

 習珍さんと習宏しゅうこうさんの習兄弟は、用心棒や運搬業を得意としているという話だったので、その郎党たちにも武装させてそれぞれの舟に一人ずつ乗ってもらっている。

 その他はダレルやヤナンなどに加え、漢語のできるウーさんも同行している。


 シャムは相変わらず白虎の毛皮を羽織り、舟の穂先で悠然と下流の方を眺めている。

 舟は流れに従いゆっくりと下流に下り、幸いなことに雨足は弱く、川を荒らすほどではなかったし、蓑で固く身を包んでいれば、雨が服に染み込むことはなかった。


 僕らは小雨の中、舟の上で一日中身を固くし、途中の集落で一泊し、翌日の昼に長陽の町に着いた。

 港で荷車を八台借り、小雨の降る中、皆で布をそれぞれの荷車に積み替え、長陽県庁まで手押しで運んだ。



 長陽県庁の門まで着くと、衛兵は愛想良く僕らを出迎え、県庁の大門を開けて僕らをすぐに引き入れてくれた。

 今までなかったような待遇の良さに、僕らは色めき立ち、こんなに多くの布をこんなに短期間で織って来たことに驚いてるんだ、いや、荊州牧の免状の威光だろう、などと正堂の前の中庭で噂し合い、熱も冷めやらぬ間に、冠を被った文官が小走りで寄って来て、何度も頭を下げてひどく丁寧に僕らを労ってくれた。

 僕らはさらに気分を良くし、その文官にいざなわれるまま、正堂の中へと足を踏み入れた。


 正堂の中は相変わらずとても質素で、以前あったような華美な調度品の姿はなく、飾り気のない簡素な机と椅子が堂内の両端に並べられているだけだった。そして一番奥の上座には、何度かしか会ってないが既に見飽きてきた、冴えない小太り中年男性が、相変わらず化粧の厚い少女を脇に侍らせ、背もたれが大きく立派な椅子に深く腰掛けていた。


 樊冑はんちゅうは、僕らが広間へ入ってくるのを見ると、椅子から立って僕らに歩み寄り、笑顔を作り僕らを迎え入れ、文官や守衛何人かと共に、自ら椅子を引いて、僕らを一人一人席に案内した。

 布の数などを確認するとかいうことで、僕らは茶碗に注がれた白湯を代価に待たされ、樊冑としばし歓談――樊冑が一人でしゃべっていただけだが――に興じた。

 以前僕に向かって、島に戻りたいと訴えた通訳の少女は、まるで僕など目に入らないかのように正面を向いたまま、やたらと紅い唇ばかりを動かした。

 樊冑は、近頃雨が多いとか、漢人の集落では田植えが始まったとか、季節の挨拶みたいな話題から、京師での思い出話までを、客の前で百万回は話したような滑らかな語り口調で、よどみなく話した。

 シャムや習珍さんは腕を組んで目を閉じ、樊冑の話を聞いてるのか寝てるのかわからなかったが、樊冑の話に茶々を入れたりむやみに騒いだりしないだけ、樊冑のメンツを立てているのだろう。


 広い堂内に樊冑と通訳の少女の声だけが響く中、しばらくして外からぞろぞろと人が入ってきた。

 その中には、僕らを案内してくれた文官と、島民のウーさんの姿もあった。

 文官は、広間の中ほどまで進み出て、樊冑に一礼し、中庭に置いてある布の数量と品質の確認が終わりました、と報告した。

 その声を聞くやいなや、シャムや習珍さんを筆頭に、待ちくたびれたとばかりに次々に立ち上がり、立ち去る素ぶりを見せた。

 樊冑はその様子を見て慌てて立ち上がり、そう急がずとも、まず一杯いかがですか、と笑顔で言い、僕らの前の茶碗に白湯を注がせようと、文官たちに合図した。


 文官が一番上手のシャムの茶碗に注ごうとすると、シャムは何を思ったか自分の茶碗を素早く掲げ、目の前の床に思い切り叩きつけた。

 茶碗は甲高い音を響かせて粉々に割れ、そのすぐ側にいた文官も、驚き怯えて手に持った茶瓶を落とし、大きな音を響かせて茶瓶も割れた。


「いいかげん正直に言ったらどうだ、また何か企んでるだろ。」


 堂内が静まり返る中、習珍さんが樊冑の方を向き、面倒くさそうに言った。

 樊冑は一瞬顔色を変えたが、すぐに笑顔を作り直し、大きな背もたれの付いた椅子に座り直し、身を乗り出してゆっくり話し出した。


「実は、恥ずかしながら、少々相談事がございまして……」


 この相談事というのがまた、とんでもない相談事だった。

 近頃は農民が皆田植えに勤しんでいる、町の衛兵たちも動員命令が出て町にいない、人手がない、おまけに人を雇おうにも元手はあなた方に寄付してしまった、という話を世間話とも愚痴ともつかない口調で、樊冑は延々と話し続けた。

 さっきも聞いた話を繰り返して、相変わらず要領を得ない人だな、と思い、周りの仲間からもイライラした雰囲気がし出した頃、樊冑の話は唐突に最後を迎え、樊冑は少し困り顔を作って僕らにこう告げた。


「運んできてもらった布を全て、また運んでもらえませんか。今度は武陵の町まで。」


 武陵という言葉を聞いた途端、何人かは立ち上がり声を上げた。

 僕も思わず声を上げた。宜都の町の商家で働いていた頃、武陵の町までは真っ直ぐ歩いて一週間以上かかると聞いたことがあったからだ。大量の荷物を運ぶのであれば、より多くの時間がかかるだろう。

 事態が飲み込めなかった他の者たちも、分かった者から伝え聞き、堂内のざわめきは大きくなっていった。


 シャムや習珍さんやその他何人かは既に壇上に上がり、樊冑に詰め寄っている。

 見上げたことには、樊冑はシャムたちに詰め寄られ、大きな椅子の上で身を縮こまらせながらも、笑顔を保ち話を続けている。


「通常の税を納めている冬の間でしたらまだ人手は余っていたのですが、今はあいにく田植えの季節で、どこの村からも徴用を断られてしまいまして……、凛君族の皆様のお力をお借りしようにも、私にはもはや権限がない様子でして……」


「年末に今年の分と一緒に持って行けばよいだろう。」と習珍さんが尤もな反論をした。


 すると樊冑は、「大漢の法律では認められません。地域ぐるみの納税拒否に該当します。その場合は、太守の一存で反乱罪まで被せられます、そうなったら最初に逆戻りでしょう。太守の意向は私にはどうにも出来ない。」とこれまた尤もな反論で応えた。


 後から考えると、僕らが来る前から用意していた反論なんだろうけど、僕らには二の句が継げなかった。

 その隙を突くように、樊冑はさらに話を続けた。


「皆さんもお忙しく、人手がどうしても足りないと仰るなら、お許しを頂ければ、漢人でも凛君族でも村落から強制的に村人を徴用し、武陵までの荷物運びの賦役につかせます。嫌がる者がいたら、罪を着せて労役につかせたらよい、我々に任せて貰えれば、拒否など出来ませんよ……」


「小人が!禽獣にも劣るわ!」


 それまで元の席に座って聞いていた習宏さんが、突然怒鳴って立ち上がり、机を蹴散らして壇上の樊冑に詰め寄ろうとし、習珍さんやその他の漢人に押さえられ、それでも習宏さんの怒りが収まる気配はなかった。

 習宏さんが怒る姿を見たのは初めてだった。

 しかし習宏さんが怒るのも尤もで、樊冑の言い草は、自分たちは何もしないと開き直っているだけでなく、民衆など牛馬のように使い倒して当然のものとして扱っていた。さらにそれについてこちら側へ同調を求めて来るような樊冑の感覚は、島で生きていたら習宏さんでなくとも怒りを覚えざるを得なかった。


 喧騒が広がる中、習珍さんが習宏さんを全身で制しながら、樊冑に向かい怒鳴った。


「武陵まで持って行けば、それで終わりなんだろうな?!」


 樊冑は、やはり大きな椅子に縮こまり、目を見開いて目の前の習兄弟を交互に仰ぎ見ながら、早口で言った。


「も、もちろんだとも、武陵郡府への書状だって作るし、往復の食糧も用意するし、庁内にある荷車や牛馬なども、好きなだけ使ってよいぞ。」


 そんなことを言われても、喧騒が収まるわけはなかった。

 往復で一ヶ月はかかるような旅を、多くの荷物を持って徒歩で行うのだ。

 そもそも、僕は当然として他の皆も武陵の町まで行ったことのある者はいないに違いなく、どうやって行ったらいいのか、道中どんな危険が潜んでいるのか、分からないことだらけだった。


 しかし実のところ、僕個人としては、武陵に行くのはそんなに嫌ではなかった。

 クラスメイトの消息を捜すには島の外に出なければならなかったし、島内に留まるのは、ミウさんのこともあって自分の中で居心地が悪かった。

 何よりも、宜都や江夏のような県都クラスの町までしかまだ行ったことがなく、それより大きな武陵という郡都クラスの町を見てみたいという好奇心が強かった。それに、道中の困難なども味わったことがなかったので、ひどく楽観的に考えていた。


 シャムは、少し離れてダレルやウーさんと小声で話し合い、すぐに樊冑のそばに戻ってきた。


『分かった。行ってやろう。』

「その代わり、長陽県への配賦分は、私たちが貰いますよ。」


 シャムが凛君語で承諾した意思を重々しく伝えると、それに被せるように、ウーさんが漢語で早口に付け加えた。

 後で習宏さんに解説してもらったところでは、物納した税は郡単位で国庫に上納され、その一定割合が金銭に換算され、県に配られるのだという。

 ウーさんは、その県に配られる分を全て貰うと言ったのだった。

 樊冑の突然の不意打ちで皆が混乱する中で、咄嗟に交渉に入る一手を打てるのは、流石に日頃から漢人との交易で慣れているウーさんならではだった。


 樊冑はウーさんを一瞥したが、全く笑顔を崩さずに、ご随意に、と言い、にこやかに頷いた。

 表情を全く変えないばかりか、ウーさんを一瞥した目は心なしかあざけるような表情にも見えたが、それは僕の気のせいだったかもしれない。



 ともかく、シャムが思いがけずあっさりと承諾し、僕らは武陵の町へと行くことになった。

 後で聞いたところによると、シャムも武陵の町を見てみたいと思ってしまったのだという。

 もっともシャムの場合は、自分たちが先祖代々住んできた島の立ち退き命令を発し、さらに自分たちの島に軍隊を送り込んできた漢人の親玉――曹操と武陵太守の区別がシャムにはついてなかった――がどんな奴なのか見てやろう、というシャムらしい物騒な動機だったが。


 何にせよ、武陵への旅は思いもかけず、とても長いものとなったのであった。


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