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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第二章
47/55

第47話 墓前にて

 僕が目を覚ましたのは、月明かりが差し込む薄暗い部屋の布団の上だった。


 嗅ぎ慣れた染料の匂いが薄く漂っていて、そこが族長屋敷であることは直ぐにわかった。

 起き上がろうとすると全身に痛みが走り、起きるのを諦めて暗い天井を見つめた。

 僕はミウさんの泣き顔を見たくなくて鶏頭岩から川に飛び込んで、それからノックに背負われて運ばれる途中で、眠ってしまったのだった。


 そこまで思い出して頭が冴えてくると、壁の向こうから微かに人の話し声がするのに気がついた。

 よく耳を澄ますと、どうやらシャムとダレルのようだった。

 彼らは、今日の祭りを振り返ったり去年の祭りの思い出を話したりしていて、また僕は眠気に誘われだしたが、不意に僕の名前が耳に飛び込み、思わず聞き耳を立てた。


「ツカサの奴、そもそも何だって鶏頭岩から飛び降りたりしたんだ?」


「一緒に舟に乗った女から結婚を迫られて気が触れたらしい。」


「そんなに嬉しかったのか?」


「いやそれが真逆で、その娘の母親の話だと、『僕はあなたを幸せには出来ない。』とか言ってたらしい。その娘も家に帰っても全然泣き止まなかったらしく、その母親も大層怒っていたぞ。」


「……まぁ、そりゃあ、一緒に踊って舟まで漕いだ挙げ句、そんなザマじゃあな……。でも、その母親にはちゃんと話したんだろ、アイツが島の人間じゃないって。」


「そりゃ向こうだってとっくに知ってるさ。でもその娘は、島の外でも俺らと同じ習慣だと思い込んでたみたいでな。普段家に籠もりがちな娘だったみたいで、相当なショックだったようだぞ。」


「む……、まあ大事な娘の泣き顔見せられたら怒るのもしょうがないか……。そう言えばお前、ラオと踊ってたな、妹と結婚するのか?あんなにお前に群がってたのに見事に全部追い払ったな。」


「冗談だろ、ラオは兄妹だしそれにまだ子供だ、儀式に参加するのはまだ先だ。それからあの女ども、親父が死んで間もないのに婚約なんて出来るわけないだろうに。あの娘がツカサの野郎に行ったもんだから、いいんだと思って俺の方にもわんさか群がって来やがって。大虎が狐鼠どもと一緒になってたまるかよ。」


「へへ……、見てみたいもんだな、大虎が狐鼠の尻に敷かれてしおれてる姿を……。しかし、ツカサは一体どういうつもりだったんだ。器量もいいし気立てもいい娘だったみたいじゃないか、何でまたそんなバカなことをしたんだ?そもそも、アイツはこれからどうするつもりなんだ。この島で暮らしていく気がないのかな。大体、どこから来たのかも分からないし。」


「そりゃあ俺の義兄弟だからな、これからも一緒さ。……もしかしたら故郷に許嫁でもいるのかもな、そういった話はしたことないから分からん。」


「お前、どこから来たのか聞いたときにアイツがいつも言う、『東の海の向こうから鉄の塊に乗って飛んできた。』なんていう寝言をまさか信じてるわけじゃあるまい?」


「……信じてるぞ。アイツは、始祖様が俺たちに遣わしてくれた導き手なんだ。俺たちが大変なときに、始祖様が天上から見守ってくれていて、俺たちを助けるために、天から遣わしてくれたんだ。だから、きっと、本当のことなんだろう。それに、……アイツが白虎堂の崖から布きれ一枚で飛び降りたとき、あの後ろ姿を見たときに、俺は思ったんだ、我らリンカの血を未来へと繋ぐ光だ、って……」


「そうか、お前がそこまで言うんじゃしょうがないか……。だが、アイツは一応お前のところの義兄弟なんだろ。儀式で婚約したのにそんな断り方されたんじゃ、族長家のメンツに関わるぞ。どうするよ。」


「メンツなんか知ったことかよ。成るようになるだろ。」


「また始まったか、それだから長老たちもなかなか認めてくれないんだろうよ。……まあ、アイツも、結婚を断ったんじゃないかもしれないし、明日の朝アイツが目を覚ましてからだな……」



 それからシャムたちは、税の布を納める手配の話などをして、程なく話し声は聞こえなくなった。


 僕はまた一人の世界に戻り、壁の向こうから聞こえた話をしばらくの間振り返った。

 シャムが意外にも僕の話した荒唐無稽な真実を信じていて、そして僕のことを神の使いみたいな存在に思ってることを知った。嬉しいけど、そんな大層な存在ではないことがいつかバレたらと思うと、少し怖い。

 しかしそれよりも僕にとって重大なことが話されていた。

 まとめると、僕はどうやらミウさんと婚約をしてしまったようだった。

 どうやら踊りに誘うのが求婚の合図で、それに応じると、婚約に合意したということらしい。


 僕は、大きな誤解をしていたようだった。

 僕がやったことは、祭りの出し物にされて恥ずかしがっている娘を救う英雄的な行為だと思っていたら、それは、赤面しながら求婚する娘に食い付くように応える姿を晒していたのだった。

 それから一緒に踊っていたときや、港まで歩いたとき、舟に乗ったとき、そして陸に上がって崖の上で話したときを振り返って、彼女の言動や仕草にいちいち納得し、その度に僕の全身が熱くなっていくように感じた。

 僕は暫く布団の中で身もだえしていたが、じっとしていられなくなり、痛い体で無理矢理起き、草履をつっかけて外に飛び出した。




 外は、日がすっかり暮れ、空は近頃よくある薄雲のかかったぼんやりとした月夜で、中庭の宴会場は、お椀や皿が片付けられ、ゴザと机が並び、所々で酔っ払いが数人寝息を立てていた。

 その時浮かんでいたのは細い三日月だった。かい先生の話では、このような三日月は「娥眉月」と呼ばれ、女性の眉に例えられるのだという。

 三日月は、眉をひそめ、僕を怒っているかのようだった。


 僕は庭の端の炊事場で井戸の水を掬って飲み、喉の渇きを癒した。

 水を飲んだら不思議と体の疲れも和らいだような気がして、しかしまだ眠れそうにないので、少し外を歩くことにした。

 屋敷の門を出ると、足は自然と鐘離山の頂上の方へと向かった。

 足元は少し暗かったが、以前は毎日通っていた道なので、気をつけていれば躓くこともなかった。



 頂上に着き、白虎堂の中庭に入った。

 庭の端の方には、白い塊が二つ、暗闇の中に浮き上がっていた。

 よく見ると、小さい塊は小虎のアイスで、大きい塊は白虎の毛皮を羽織ったシャムだった。


 彼らは、族長夫妻の墓の前で座り込んでじっとしていた。

 僕が庭に入ると、アイスは耳を立てて首を伸ばしてこちらを見つめてきた。

 僕が彼らのそばまで近づくと、アイスはようやく立って僕にすり寄ってきた。

 シャムもこちらを振り返り、「起きたか。」と軽く言い、何事もなかったかのようにまた墓の方を向いた。

 墓の前には、焼いた鶏肉と酒壺がお供えしてあり、シャムの意外な親孝行ぶりを見てしまった。


 アイスを挟みシャムと並んで僕も墓の前に膝をつき、今日の祭りを無事終えたことを族長夫妻に心の中で報告した。

 それから僕は、シャムにも迷惑やら心配やら色々かけたと思い、しかし何から話したらいいか分からず、とりあえず、「ごめんなさい。」と謝った。

 シャムは少し意外そうな表情でこちらを一瞥し、あぁ、うん、とはっきりしない返事を呟いてまた墓の方を向いた。

 その鈍い反応に、もしかしたら亡き両親との対話を邪魔しちゃったのかもしれない、と思い、僕も墓の方を向き、足をくずして暫く佇んだ。


 シャムが不意に顔を上げ、呟いた。


「あの山の向こうにな……、俺たちの先祖代々の墓があるんだ。」


 シャムの視線の先は薄暗闇で、目を凝らすとようやくうっすらと、川向こうの山が見えた。


「ここに来るたびに、あの日のことを思い出すんだ、目の前で命を落とした親父達の姿を。あとひと漕ぎでも多く漕げたら、俺が間に合って助けられたんじゃないかってな。」


 隣でアイスが細い声で短く鳴いた。シャムがアイスの鼻先に炙った鶏の腿を放り、アイスは尻尾を立ててそれに貪りつく。


「だから、今日みたいなお遊びで舟を漕いではしゃいでるのを見たら、少しイラっとしてしまってな、やり過ぎてジジイに小言を言われたよ。」


 シャムは、ヘッと吐き捨てるようにひと笑いし、語り続けた。


「でも、俺があのとき間に合っていれば、こんな所で二人寂しく、小さな墓に閉じ込めるようなことにもならなかった……。俺はな、この墓の土を盛りながら、巴蛮族の奴等と漢人どもを全て殺し尽くす、と親父達に誓ったんだよ。」


 シャムの双眸が月の光を吸って怪しく輝く。


「あいつらを全員この鐘離山から叩き落とす、出来なければ俺が死ぬまでだ、と覚悟を決めた。だが、お前が奇妙なものを作ったお陰で、助かっちまった……。まあ、今日は飛ぶための布を持ち合わせてなかったみたいだけどな。」


 そして思い出したようにふっと笑いを漏らした。僕が鶏頭岩から落ちたことを言っているのだろう。


「それから俺は、お前たちと別れた。……誰の顔も見たくなかったし、誰の世話にもなりたくなかった。漢人の町に行って漢人の顔を見たら、殺したくなる気持ちを抑えられない、と思った。暫くは山の中で誰にも会わずに獲物を狩って気ままに暮らそう、そう思った。」


 シャムは眉間に皺を寄せ軽く舌打ちし、話を続けた。


「だが、忌々しいことに、山の中でも漢狗に出くわしやがった……。奴ら、俺たちの山の中を我が物顔に歩きやがって、頭に来たから、藪の中からそいつらの目の前に飛び出してやったら、情けなく声を上げて怯えてたから、そのまま顔面に拳骨をぶち込んで、滅茶苦茶にぶちのめしてやった。奴ら、鼻から口から血を流して地べたに這いつくばりやがってな、それで奴らから鉈を奪って、トドメを刺そうとしたんだ。」


 シャムは脇に視線を落とし、鶏の腿にむしゃぶりつくアイスの頭を撫でた。


「そしたらコイツが、這いつくばるそいつらに噛みつこうとしたんだ。血の匂いに我慢ならなくなったんだろう、何せその時は、前の前の日から何も食ってなかったからな……。」


 シャムが頭を撫でるのも構わず、アイスは鶏肉に夢中だ。


「……さすがにコイツに人肉の味を覚えさせるわけにはいかねえ、そしたらもうコイツは島の中で暮らせなくなる。しょうがねえから、漢狗どものトドメも刺さずに、コイツを無理矢理引き離して、暴れるコイツの口にお前が持って来たアレをぶち込んで、何とかその場を離れたんだ。その間に散々引っかかれたがな。」


 シャムがそう言ってアイスの頭を軽く叩くと、アイスは邪魔するなとばかりにシャムの方を一瞥し、また鶏肉に向き直り、鶏肉と戯れる。

 アレというのは、青山君の持って来たタイガースのペンケースのことだろう。その所有者は、今はもうこの世にはいないが。


「あの袋は俺たちの島じゃ見ることの出来ない代物だった……、ツヤツヤしてて、綺麗な虎の絵が描かれてて……、ボロボロにしてしまって本当にすまなかった……」


シャムはそう言ってこちらに向き直りきっちりと頭を下げた。

シャムがここまできちんと謝るのは非常に珍しく、僕は驚いて急ぎ助け起こした。

シャムは僕の顔を確かめるように一目見て、また墓の方を向き直り、話を続けた。


「忌々しいことに、コイツのおかげで、俺は結局、漢狗を一人も殺さなかったんだ。一ヶ月の間、一人もだ。全部コイツのせいだ……。しかし、振り返ると、それも良かったのかも、と今は思える。漢人の手も借りないと、あれだけ沢山の布を作り上げる事は出来なかったかもしれない。」


 シャムは傍らにそびえ立つ白虎堂を見た。白虎堂の中には、税として納める布が山積みに保管されている。


「俺があのとき漢人を殺していたら、漢人と協力しようとか、漢人をこの島に住まわそうとか、そんな気持ちは絶対に浮かばなかった。俺は誓いどおり、漢人を殺し尽くすまで止まらなかっただろう。……そう思うと、コイツは本当に、俺たちの守り神なのかもしれないな。先祖の魂がコイツに乗り移って、俺の人殺しを止めさせたのかもしれん。」


 シャムは再び視線をアイスに落とした。アイスはすっかり肉の無くなった鶏の骨を齧るのを止め、シャムを見上げた。


「色々あった……」シャムが話し始めると、アイスは再び地面を向いて鶏の骨と戯れ始めた。


「色々あったが、今日こうやって、端午の祭りも賑やかに終える事が出来た。人は少し少なくなってしまったが、昔と変わらない生活に、やっと戻ってきた。……あとは、この白虎堂の中に積んである布を、忌々しい樊冑はんちゅうの野郎のところに持って行きさえすれば、全て終わりだ。」


 言い終わると、シャムは酒瓶を持って立ち上がり、墓の盛土に向かって峻厳な面持ちで酒を振り撒いた。

 周りには酒の甘い香りが立ち込め、酒の飲めない僕とアイスがせて咳き込むと、シャムは酒瓶の蓋を悠々と閉め、こちらに向き直り、真面目な顔で言った。


「お前は俺に出来ないことを二つもやってのけた。そこの崖から布切れ一枚で飛び降りたことと、長江の北へ行って漢人の貴族からあの免状をもぎ取ってきたことだ。」


 パラシュートを作って飛び降りた件と、劉琦に免状をもらった件のことだ。


「お前は俺の義弟おとうとだ、礼は言わない。だが、お前の立てた手柄は何が起ころうとも揺るがないほど大きなものだ。俺だけじゃない、この島の者では誰も真似できない。」

「……だから、お前が女子供の一人や二人泣かそうと、俺は一向に構わない。婚約なんか反故にして構わない。誰かが文句を言ってきたら、俺がぶん殴ってやる。お前がこの島でのびのびと暮らすのを邪魔する奴がいたら、俺が落とし前をつける。だから……」


 シャムはそこまで言い終わると、何か言い淀むように言葉を切り、小さく舌打ちし、少し険しい顔で言った。


「三日後にこの堂内の布を全部長陽の町に持って行くから、それまでに怪我を治しておけ。」


 言い終わるとシャムはきびすを返し、アイスと僕を置いて門の方へと歩いていった。

 シャムは案外分かりにくい人だ。かい先生の方がよっぽど何を考えてるのか分かる。


 シャムに置いて行かれた僕は、せっかくだから蒯先生にも一目会っておこうと白虎堂の門を開けようとしたが、中からかんぬきを掛けられているのか、開こうともしなかった。

 夜だから仕方ないかと思い直し、アイスを引き連れてシャムに遅れて白虎堂の外門を出て、族長屋敷へと帰った。


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