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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第二章
43/55

第43話 端午節

 端午の祭り当日は、晴れてはいないが雨が降りそうでもない、霧を寄り集めたような模糊もことした薄雲で太陽が隠された、最近よくあるはっきりしない天気だった。


 僕たちは普段と同じように、早朝舟で島を出た。

 いつもの場所まで舟を漕ぎ、定置網を上げると、小エビや小魚と一緒にナマズとサメを混ぜたような大きな魚がかかっていた。

 これもいつものことで、網にかかる大きな魚は、アナゴみたいなニョロニョロしたやつでなければ、大抵はこういうナマズみたいなやつだ。

 僕らはまた網を沈め、そんなふうに何箇所か巡って、日が高くなる前に早くも島に戻った。

 同じ舟に乗った人たちも普段に比べて落ち着きがなく、帰りの舟では漕ぐ櫂が浅瀬で水草に絡まったりした。


 島に戻ると、船着き場に泊まる舟がひときわ多く、珍しく舟を泊める場所に迷った。

 チュウさんが何やら叫びながら手招きし、舟を蹴飛ばして僕らが泊める泊めるすき間を作ってくれたので、僕らは急いでそのすき間に舟を泊め、チュウさんに小さめの魚を二匹あげた。

 チュウさんは魚籠びくに入ったナマズみたいな大きい魚を羨ましそうに覗き込んだが、さすがにそれはあげられないので、ありがとう、と言って魚籠を担ぎ上げ、強引に立ち去る。


 港に上がると、隣接する広場には筵が敷かれ、並べられた机の前に少なからぬ人が腰を下ろし、思い思いに勝手な方向を向いてしゃべっていた。

 かまどでは大きな鍋で何かが煮られ、砂場では皮を剥がれた豚が蓮の葉を被せられて丸ごと一匹蒸し焼きにされている。

 凛君族の晴れ着だろうか、青や赤の鮮やかな衣装を着ている人も何人かいる。

 僕はいつもと違う島の様子を見て回りたかったが、獲物を族長屋敷に持って行かなければいけないので、珍しい景色を横目で脳の中に収めながら、坂を上った。


 族長屋敷の前に着くと、ラオとラビの二人が小虎のアイスと遊んでいた。

 彼らは僕を見つけると走り寄ってきて、僕が背中から下ろした魚籠びくを覗き込み、下ろした衝撃で最後のひと暴れをするナマズを見て、喜んだ。

 僕は、魚籠の上にのしかかって中のナマズにじゃれようとするアイスを全力で押しとどめながら、炊事場に持って行けとラビに指示し、ラオと二人で大きな魚籠を一生懸命引きずっていくのを見送った。


 アイスが落ち着くのを見計らい、菖蒲の葉で飾られた族長屋敷の門をくぐると、庭に敷かれた筵には人がまばらに腰を下ろしていて、奥の炊事場からはいくつもの竈から盛んに煙が上っていた。

 僕の持ってきた魚は早速まな板に乗せられ、力なく尾を振っていた。

 彼は、これから目の前で包丁を持った女性によりぶつ切りにされ、鍋の中で煮られる。

 彼と僕とは短い道中を共にした仲だが、そんな光景はこの数ヶ月で数え切れないほど見てきて、頭部と胴体が切り離される彼の姿を見ても、僕が感情を動かされることはなくなっていた。



 族長屋敷中庭の宴会場は、次第に席が埋まっていった。

 中には習兄弟や馬容ばようさんやその他漢人たちも多く混ざっていた。

 この鐘離山には千人を超える人が暮らしていて、広場もいくつかあり、祭りの会場もいくつかあるようだったが、この族長屋敷の会場には漢語のできる者も多いので、漢人たちも自然と集まってきたらしい。


 習珍しゅうちんさんの奥さんと、その父母のモッコさん夫妻の姿も見えた。

 習珍さんの奥さんは、結婚してすぐに子供が出来たのか、結婚後五ヶ月で早くもお腹が目立ち始めていた。

 彼ら三人は漢語が話せないので、習珍さんとは離れた凛君族の列の席に座った。


 祭りは、いつからともなく自然に始まった。

 菜っ葉の和え物と漬物を盛り合わせた皿が、川の字に並べられた机にいくつか運ばれると、皆が思い思いに箸や手掴みで取り始めた。

 皆が席に着いたらとか、主賓が挨拶してからとか、そういう儀礼的なものはないらしい。

 上手かみてに並べられた机には誰も座っておらず、その奥の壇上に据えられた虎の銅像も寂しそうにポツンと鎮座していた。


 虎の銅像は、頂上の白虎堂に置かれていたものだが、この祭りのために馬容さんたちが持って来たらしい。

 馬容さんは普段頂上で寝泊まりしてかい先生の面倒を見ていたので、あまり顔を合わせることもなく、僕は馬容さんの隣に座り、近況などを聞いていた。

 僕も紡織作業にかまけて蒯先生の講義を受けるのを怠けていて、蒯先生も寂しがっているのかと思ったが、近頃は何か書き物に夢中らしい。

 寂しいだろうという心配は、少し僕の自惚れだったようだ。



 やがて、祭主のシャムがノックたちを引き連れて登場した。

 シャムは例によって白虎の毛皮を羽織り、後ろのノックたちは大きな鹿を一頭担いで現れた。

 座ってる皆は立派な獲物を見て歓声を上げ、シャムたちは肩で風を切るように得意げに庭中を横切り、シャムは上手の席まで来ると、すっと腰を下ろした。

 どこかで遊んでいたラオ達とアイスも現れて上手の席に座り、シャムとひとしきりじゃれていると、カライさんという前族長の時から仕えていた年長者が、立ち上がって上手の席の傍らに移動し、酒で満たされた茶碗を片手に直立した。

 思い思いに話していた会場の皆も次第にカライさんに気づいて次第に口を閉じると、カライさんが始まりの挨拶を述べ、そして『族長の遺児』という紹介で、シャムが席を立った。


 シャムの挨拶はとても簡単なものだった。

 みんな集まれて良かった、今年の夏も無事に過ごせることを祈って、水の神様に捧げよう、と大きな声でぶっきらぼうに言った。

そして、最後に茶碗を高く掲げると、皆も手に持った茶碗の底を机にぶつけてゴツゴツと音を鳴らした。乾杯の儀式のようだった。

 乾杯の儀式が終わると、皆何事もなかったように元の状態に戻り、出てくる料理を摘まんだり掴んだりしながら、この数ヶ月間の苦労を讃え合った。



 やがて、何皿もの料理が机を彩り、余り物を乗せた皿も一巡し、男たちの息が酒臭く変わり、子供たちが飽きて会場を走り回り始め、そろそろお開きかという頃合いになった。

 すると、屋敷の外の方から太鼓や笛の音が聞こえてきて、民族衣装に身を包んだ踊り子と楽団の一群が、列を成して屋敷の門をくぐり入って来た。

 会場の空気は一変し、門をくぐって現れた新しい刺激を歓迎する空気となり、その楽団は母屋の縁側に立ち、女性ばかりの踊り手たちはその下手しもてで太鼓のリズムに合わせて軽快に踊り始めた。


 やがて、笛の音を主体とした幽愁ゆうしゅうな曲調に変わると、会場からも民族衣装を着て銀の飾り物を身につけた娘たちが、或いは元気よく、或いは親に促され、出てきて踊り子たちと共に一つの輪になって踊り始めた。

 ああやっぱり食事会ではなくお祭りだったんだな、ここからが本番なのかな、と思い、女の子たちの踊りを何とはなしに見つめていると、突然演奏が終わり、女の子たちが一列に並んだ。

 わあっという歓声が起き、会場が今までで一番の盛り上がりを見せ、僕もこれから起こるとんでもない何かを期待して、女の子たちを見つめた。

 すると、今度はまた朗らかな曲調の演奏が始まり、衣装の袖で顔を隠したり手首をクルクル回したりと、女の子らしい動作を交えた踊りが始まった。笛の音が止み太鼓の音だけになると、女の子たちは列を乱して観客の方へ走り、思い思いの男子の手を取り、舞台に引っ張っていった。



 僕はその時シャムたちと共に上座の祭主側の席に、族長一家として――もちろん断ったが、酔ったシャムには逆らえなかった――座っていたので、他人事として好奇心の塊になって暢気にその光景を眺めていた。

 ところが、程なく一人の女の子が小走りで近づいてきて、僕の前に立った。僕らも観客でいるわけにはいかなかったようだ。

 その娘は、赤い民族衣装に銀の装飾品で首回りや頭を飾り、うつむきがちにしばし僕の前に立ち、突然意を決したように顔を上げた。


 僕はその娘の顔に見覚えがあった。

 その娘の家にも何度か完成した布を回収しに回ったことがあり、母親の話ではとても恥ずかしがり屋らしく、僕が行くと必ず、僕に背を向けて部屋の隅で糸を紡ぎ始めるので、変な娘だなと逆に印象に残った。

 娘は、いつか見た時と同じように、つややかな黒髪と白い肌に頬を真っ赤に染め、僕の目の前に立っていた。娘は若干目を潤ませ、必死の表情で僕の方に右手を差し出した。


 その娘の目を見て、僕は元の時代の日本での学校のレクリエーションを思い出した。

 そこでは、男子が女子にちょうどこんな風にして手を差し伸べ、手を取り合って皆で輪になって火の周りをぐるぐる踊る。

 僕はひどく恥ずかしかったが、大人たちはそんな僕らの姿を見て、微笑ましいやら可愛いやら何やら言って、身勝手に楽しむのだ。


 そんな当時の僕の心情に、その女の子の姿が重なって見え、僕は否応なく同情した。

 そうか、これはこういう遊戯なのか、負けるものか、この娘の恥ずかしさも僕が受けてやろう、と闘志が湧き、僕は僕らしくもなく、胸を張ってすっと立ち上がり、これ以上ない上品な微笑みでもって、その娘が差し出した手を取り、これ以上ない上品な足取りで、娘の手を引き舞台に上がった。


 踊りの方はとても簡単で、女の子たちと同じ動きを向かい合わせてやるだけで、手を触れあうでも体を寄せ合うでもなく、学校のレクリエーションに比べて全く恥ずかしくないものだった。

 向かい合わせで見る彼女の顔はずっと笑顔で、大きな丸目がずっと楽しげに輝いていた。

 僕はいいことをしたという満足感と、その娘の笑顔の可愛さに満たされ、衆目に晒されている恥ずかしさも、見せ物にされることへの反感も忘れ、しばらく楽しく身体を動かした。



 シャムはというと、彼の方には両手で数え切れないほどの女の子が群がり、踊りに誘っていた。

 シャムはしばらく煙たがってた様子だったが、矢庭に彼女らを全て振り切り、ラオを肩車して舞台に上がり、男女が二列で向かい合う真ん中で、クルクル回ってラオをあやした。


 シャムたちはしばらく肩車で遊んで僕ら踊り手たちの列の間を彷徨っていたが、あるとき僕らの前に来ると、ラオがシャムの肩の上から飛び上がり、僕に飛びついてきた。

 僕は当然支えきれずに後ろに倒れ、地面に後頭部をしたたかに打ち、身体はラオと地面に挟まれた。


 幸いなことに地面は石畳ではなくただの土で、僕の頭にも異常はなかったが、踊り手たちは驚いて僕らを見、踊りの列は完全に乱れ、混乱の中踊りはうやむやに終わった。

 ラオは僕が頭の痛みに歪めた顔を見て大笑いし、そんなラオの奥襟をシャムが猫の子を摘まむように掴み上げ、ペアの女の子は僕に走り寄って僕の顔を心配そうに覗き込んだ。


 僕は女の子に心配させないように作り笑顔を作って起き上がりながら、少し痛みの残る頭の中で、ラオはどんどんやんちゃになっていくな、このまま将来大人になったら、男手一つで育てられたから、なんて陰口を叩かれるんだろうか、なんて考えたりした。


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