第40話 熊五郎
「鐘離山紡織コンビナート」計画は、立ち上げと同時に開始され、手始めに機織り機が族長屋敷に集められた。
族長屋敷に運び込まれた機織り機は、全部で四十七台だった。運搬中に壊れたり、家から運び出せなかった機械がいくつかあった。
それらの機械は、屋敷の広間や控えの間や玄関などあらゆる空間に配置され、屋敷中が工場のような風景になった。
族長屋敷には、何十人もの女性が毎日入れ替わりで来るようになり、僕も何ヶ月も島に住んでいながら、こんなに沢山女性が住んでいたのかと内心驚かされた。
女性たちは、朝の家事が終わって夕方の家事が始まるまでの数刻だけ交替で屋敷に来て、作業ができない人はできる人に習い、できる人を増やしていった。
子供連れで屋敷までの坂を登ってきてくれる女性も多く、作業中の子供のお守りは、主にラオやラビがしていたらしい。
日が高いうちに早めに屋敷に戻ると、門前の広場でラオたちが大勢の子供に混ざり、糸を使って縄跳びをしたり、追いかけっこをしたり、ケンケンパのような遊びをしているのをよく見かけた。
僕は早く帰ると機織りの作業を見ているのが好きで、女工の動作に合わせて一定のリズムで刻まれる機械の音や、単純な動作を組み合わせるだけで、糸が少しずつ平面に積み重なり布になっていく、という神秘的な現象に、時間を忘れて機織り機の傍に佇んでしまうこともあった。
後ろで作業を見てると、多くの場合嫌がられ、追い立てられた。
若い女性ほど強く嫌がり、逆に歳を重ねるほど全く気にしなくなるのが不思議だった。
気にしないどころか、糸を持ってきてとか、出来上がった布を持ってけとか、お遣いをさせる人もいた。
しかしそのおかげで、黙って立ってないで、何か用事はないかこちらから聞いてしまえばいいんだ、ということに思い至り、そうすると、若い女性に嫌がられることもなくなったけど、逆に呼び止めて用事を言う人も現れ、いずれにしてもゆっくりと見物させてはくれなかった。
そうやって僕が邪魔をしていた以外は、作業も順調で、女工たちも概ねシフト通りに機械を動かしてくれた。
シフトの運営には、漢人の元兵士たちが大きな力を発揮してくれた。
いつ何をやるのかという命令を実行することにだけ熟練した元漢軍の兵士たちが、誰がいつシフトに当たるのかなんて指示しても翌日には忘れているようなこの島の人たちの家々を、シフト毎に一軒一軒回って声をかけ、屋敷まで連れてきてくれた。
工場のような施設を作ることも、シフトを遂行することも、漢人の転入がなければ構想も成立もしなかったことであり、この「コンビナート」は、まさに島に住む全ての人たちの力で操業されていると言えた。
「コンビナート」は、春から夏になるまでのほんの数ヶ月間の操業だったけど、運営には島の皆がよく協力し、その成果は、鐘離山の山頂にある白虎堂の広間の隅に、着実に積み上げられていった。
最初は「コンビナート」の運営に懐疑的だった年配層の島民たちも、着々と積み上げられていく布を見るにつれ、積極的に協力するようになった。
僕らが江夏の劉琦に書いてもらった免状の件で劉備陣営の者が押し掛けてくることもなく、数ヶ月の間島はとても平和で、「コンビナート」も安定した運営が行われた。
運営には島民だけではなく、元兵士の漢人もよく協力してくれた。
僕らが昼過ぎに島の外から帰って来て、族長屋敷へ帰る坂道を登っていると、シフトの時間の女工を何人も引き連れて坂を登る漢人に行き合うこともしばしばあった。
漢人たちも決して手ぶらではなく、女工たちの荷物を持ってあげたり、時には子供を抱き上げて歩いたり、自分たちが新参者だという自覚からか、積極的に手助けしていた。
それに対して女工たちも、言葉が通じないなりによく話しかけていた。数ヶ月経った後には、漢語の単語でやり取りする会話もたまに耳に聞こえてきた。
習珍さんの奥さんによると、呼びに来る漢人にも人気の差があるらしく、今日は誰だった、誰じゃなかった、などという話題で盛り上がるのだそうだ。
一番人気なのは習宏さんで、優しくて礼儀正しくて荷物もいっぱい持ってくれるし、誰にでもちゃんと接してくれるのがいいらしい。
習宏さんは、島内の運営以外にも漢人の町に出掛けたりもして忙しいので、女工への声掛けはあまりしなかったが、たまにやると、シフトじゃない女性までゾロゾロついて来て、族長屋敷が一気に賑やかになるという。
その話を聞いたときは、シャムや習珍さんたちと族長屋敷の庭で炊き出しの残りを夕食として食べていて、僕も気を抜いてたのか、「いいな、僕もちやほやされたいな。」と思わず心の声を漏らしてしまった。
そしたら偶然そばで片付けものをしていた叔母さんに、「あらいいわね、みんな喜ぶわ、ツカサが回ったら島の女連中がみんなついて来ちゃうかもしれないわね。」と笑われた。
その叔母さんは、前族長の妹とかで、何かと僕らの世話をしに来てくれる、ふくよかで朗らかな女性だ。
叔母さんも僕を貶めようとしたわけではないだろうけど、普段真面目な習宏さんまで、シフトが乱れるから止めてね、などと珍しく乗ってきて、お陰でみんなに笑われ、ひどく恥ずかしかったことを覚えている。
でも実際のところ、いいな、と思ったのには、本心もやはり混ざっていた。
後から来た漢人たちは、僕と同じように、異なる文化を持ち異なる言葉を話す違う民族の土地で暮らしているのに、僕に比べて溶け込むのが早いように感じていた。
僕は、自分の心の奥底に焦りに似た気持ちが蟠っているのを感じていた。
漢人の中には、習珍さんを筆頭に、島の女性と恋愛関係になったり同棲したりする者も出始めていたようだった。
これも習珍さんたちから伝え聞いたことで、あの人とこの娘が、という驚きの組み合わせをいくつも聞かされ、クラスの女子ともロクに話したことのなかった僕からすると、男と女がそんなに簡単にくっつくなんて信じられず、嘘なんじゃないかと警戒して聞き流した。
そんな僕の淡白な反応を見た習珍さんは、どんな風に曲解したのか、「好きな人でもいるのか、俺が何とかしてやるぞ。」なんて言ってきた。
何とかしてやる、という習珍さんの魅力的な言葉に僕は無意識に反応し、言葉もなく習珍さんを見つめてしまい、その反応を見た習珍さんは、獲物を見つけたかのように口の端を歪ませた。
やばい、誤解される、本当は何もないのに、と内心焦っていると、少し離れた漢人たちの輪から、アニキ、その子より熊五のヤツを救けてやってくださいよ、と野次が飛んできた。
「あのブタ野郎を何とか出来たら俺は今頃荊州一の牧場主だろうよ!」
習珍さんは忌々しげに声のした方に大声で返し、ワッと笑い声が起こった。
そしてその場はそのまま流れ、僕はその場にいないのにブタ野郎と罵倒された熊五郎さんに少し同情し、少し感謝した。
熊五郎さんは、習珍さんたちと同じように元漢軍の兵士で、姓が熊でその五男だから五郎と呼ばれていた。農民の出なので、習珍さんや馬容さんのような名はなかった。熊のように大きくて太く、茫洋としていて口数が少なく、優しいのか魯鈍なのかよく分からない人だった。
熊五郎さんの島内での役割は、荷物運びやシフトの女工への声掛けなどだった。
熊五郎さんは、島の女性に恋していることを僕も知っている数少ない人で、確かに他の漢人にからかわれるくらい度が過ぎているところもあった。
熊五郎さんが恋した女性は、族長屋敷に作業をしに来ている女性で、いつも子供を二人連れて下の集落からわざわざ来てくれていて、色白の綺麗な人だった。
その女性とは、僕も族長屋敷の門をくぐる時に鉢合わせたことがあって、色白のうりざね顔と驚いて見開いた綺麗な目に、少しドキッとしたけど、その後すぐに後ろに背負った赤ん坊と右手に引いた子供が見上げてくる顔が目に入り、正気に戻って彼女に道を譲った。
彼女は僕とすれ違いざまに僕に向い軽く微笑んで、それに見とれて少しの間彼女らの後ろ姿を見送り、僕を見つけて飛びかかってきたラオに気づかずに、背中にまともに体当たりを食らってしまった。
その人はとても綺麗な人なので、熊五郎さんが恋するのも無理なからぬことだけど、そのおかげで仕事に支障を生んでいるようで、それが良くなかった。
その女性がシフトに入っている時には熊五郎さんが勝手にその声掛けのコースに入ってしまい、他の漢人の担当を奪ってしまう。
族長屋敷に上がった後も、熊五郎さんは薪割りや水汲みなどの作業をやりながら、一つの動作が終わるごとにその女性の方を見るものだから、作業時間が人の倍かかるらしく、それも熊五郎さんの評判を下げているようだった。
僕も一度、その人を見守る熊五郎を見たことがあり、その時は屋敷の庭の端の木陰から熊五郎さんが一点を覗き見ていて、何を見ているのかと思ってその視線を追うと、その女性が胸を開けて赤ん坊に母乳をあげていた。
その時には僕も、この人はどうかしてるんじゃないかと思った。
女性の方は、そんな熊五郎さんを嫌っているらしく、族長屋敷での作業を終えて下の集落に帰るときに、荷物を持ってあげようとする熊五郎さんを振り払い、赤ん坊を背負い、片手に荷物を持って片手に子供の手を引いて坂を下りていくその人の姿を幾度か目撃したことがあった。
そんなにあからさまに好意を向けられれば皆の手前恥ずかしくもなるだろうとも思ったが、事情はもっと複雑だった。
僕らにお世話によく来る叔母さんやその他噂好きの女性連中の話によると、その女性は先の漢軍との戦いの中で夫を失っていて、子供二人も元夫との間で生んだものらしい。
そんな夫の仇を前にして、いい顔をできる訳もなかった。
そんな訳もあり、熊五郎さんの恋は、習珍さんでさえも悪態をつくのが精一杯で、手の施しようもない状況だった。
「鈍重なブタ野郎が、身の程をわきまえずに美人に横恋慕し、場所も方法も考えずにただただ情欲を垂れ流しやがって。」とまで、習珍さんは機嫌の悪い時には熊五郎さんを罵った。
何の手管も使わずに朴訥に女の尻をつけ回すだけの熊五郎さんの恋は、文化的に進んでいるはずの漢人の地位を貶めるもののように、習珍さんの目には映ったのかもしれない。
漢人や凛君族にかかわらず島中の誰もが、いつの日か熊五郎さんがその女性に激烈な振られ方をして、お互いが傷つくことになるだろう、と悲劇的な恋の結末を予想していたのだった。
ところが、何十日も過ぎ、季節も春が終わろうとする頃、熊五郎さんに奇妙な噂がたった。
なんと、その女性の荷物を熊五郎さんが持っているのを見たというのである。
そればかりか、熊五郎さんが女性の子供の手を引いていたとか、その女性と談笑して歩いていたとか、そんな話も飛び込んできた。
そしてある日、僕もついに少し目にした。
門の前の広場で、熊五郎さんが子供たちと遊んでいたのだ。
熊五郎さんは鬼ごっこの鬼にされている様子で、しかし動きがあからさまに鈍く、それもそのはずで、彼は背中に赤ん坊をおぶっているので体を揺らさないようにゆっくり動いていた。
そして彼が背負っていた赤ん坊は、どうやらその女性の赤ん坊で、一緒に遊んでいた子供たちの中には、もう一人の子供も混ざっていたはずだった。
そのときの熊五郎さんは、いつものようにニコニコしていて、内心をうかがい知ることはできなかったが、その髪の毛には紫藤の花が一朶刺さっていて、大きな図体と不釣り合いで何だか滑稽に見えた。
それから暫く経って、僕が島の外での畑仕事から夕方に戻って族長屋敷へと帰る途中、荷物を持って子供の手を引いた熊五郎さんと、赤ん坊を背負いその後ろをついて行く女の人を見かけた。
熊五郎さんたちは、石畳が敷かれた主道から外れた奥まったところにある家に連れ立って入っていった。檐柱に絡まった蔓枝から咲き乱れる紫藤の花々が明るい雰囲気を放っている家だった。
彼らは何だかとても幸せそうで、久しぶりに元の時代の日本の両親のことを思い出した。




