第37話 師兄弟
「お主らのような下民と主公が同じなわけあるか、弁えよ、この痴れ者が!」
潘濬は僕を睨み付けて立ち上がり、腰に下げた剣に手をかけた。この時は、潘濬ばかりか、馬容さんやゴリさんまでが僕を取り押さえようと腰を浮かした。
そこに、「潘濬!」という劉琦の声が響いた。そんな声が出たのかと驚くくらいの大声だった。
部屋にいる皆がその大声に驚き、潘濬は元通り膝をついた。
そして、劉琦は僕を見てまた狂ったように笑い出し、咽せて女に背中をさすられていた。
「さ、さ、さすがに我が師弟だわ、蒯師父の教えを受けただけのことはある。」
劉琦は笑い過ぎて涙目になりながら言い、「知っているか、我らの師父はな……」と語り出した。
今より二十年近く前、劉琦の父の劉表が荊州に赴任してきた。
赴任直後で民が従わないことを心配した劉表は、荊北の名家の出で荊州をよく知る蒯先生に、どうしたら荊州の民が従うかを質問した。
すると蒯先生は、「為政者が民に仁義を示して信用を得れば、民は自然に従い、兵も提供してくれます。信用を得れば、民は兵を喜んで差し出すでしょうが、仁義を示さず何も行わないで、兵だけよこせと言っても、嫌がられるのは当たり前です。」と答えたという。
この答えは、自分は何もしないで犠牲だけを求める劉表の態度をたしなめるもので、君主である劉表に処刑されても仕方のない言動だったが、劉表は、昔の名宰相である雍季という人に例えて大層褒めたらしい。
しかし劉表は実際には、その時一緒にいた蒯先生の弟の蒯越という人の策略を採用したという。
そして蒯先生はその後、劉琦の教育係や、荊州の辺境の最前線で指揮を執る仕事ばかりを任され、それに対して弟の蒯越は、襄陽に留まって劉表の幕僚として活躍することになったという。
「そういうわけで、我らの師父は、宮仕えの出だしから父君の怒りを買ってしまい、出世の芽を潰してしまった、というのが世間の噂だ。だから私は、今のお主の姿に、我らの師父の二十年前の姿を見るようで、可笑しくてしょうがなかったのだ。」
やはり蒯先生は、偏屈で世渡りの下手な人物だったようで、僕の尊敬の念も大分減点された。
「それにしても、この十年あまりは襄陽府で師父を見かけなくなり、荊南の反乱鎮圧に失敗して亡くなったと噂されていたが、無事に生きていて、こうして新たな弟子まで作っているとは……師弟よ、もっと近くに寄って、よく顔を見せておくれ。」
馬良さんが頷いたので、僕は劉琦のそばまで移動した。
劉琦は僕に笑いかけながら、名前や年齢などを聞いてきて、『イヌイツカサ』だと言うと、「伊奴衣?異人の言葉は発音しにくいな。」などと頑張ってくれた。
そして、これからは、私のことを「劉師兄」と呼べ、我々は師を同じくする兄弟だ、と言った。
そして劉師兄は、骨と皮だけの固く乾いた手で僕の髪の毛や顔を触った。暖かい布団の中に入っていたからか、妙に暖かかった。
「我が師弟には良い礼物を貰った。これには余も最高の礼で答えないとな。」と言い、劉師兄は、一度書き終えた文書を引き裂いて、馬良さんに向かい、荊州牧の印璽を取ってくるように言った。
「荊州牧就任の勅定はまだ降りてませぬが、宜しいのですか。」と馬良さんが狼狽え気味に確認したが、我が兄弟子は、いいから早く取ってこいと言うばかりで、馬良さんは仕方なく部屋を出て行った。
馬良さんが部屋を出た後、潘濬が強く諫めても、劉師兄は頑として聞かなかった。
「余も蒯師父の弟子の一人として、最期に弟子らしいことの一つもやってみたいではないか。弟弟子になど負けていられるか。」
というのがその理由だった。
そして、改めて筆を取り、女性の支えを振り切り自力で文書を書き上げ、最後に、荊州牧の大きな印璽を押した。
僕のやったのはただの口答えに過ぎなかったが、劉師兄のやったのは就任前の越権行為で、僕のとは次元が違う行為だった。
劉師兄は、どうだ、と言い、目を輝かせて僕らに文書を見せてきた。それは、このような内容だった。
『北は清江流域から南は澧水に至るまでを凛君族の領地と認め、漢人はみだりに入るべからざること。
領地内の動物や鉱物を含む自然資源は、凛君族のものであることを認め、その他の者は侵すべからざること。
漢人と凛君族は平等であるものとし、須く相互に尊重して事を治めること。』
微かに震えているが力強い筆致で記されていて、そして役職名と氏名の後ろには、荊州牧の真っ赤な印章が大きく押されていた。
僕は、劉師兄が震える手を抑えながら書いてくれた渾身の免状を、馬良さんを介して両手で押し頂いた。
この書物は、僕が今までで持ったことのあるどんなものよりも価値が桁違いに高いものだった。
それから僕らは部屋を後にした。
劉師兄は、蒯先生に手紙をしたためるので明日また訪ねて来いと言ったので、僕はその後ゴリさんと一緒に江夏の町を散策して暇をつぶした。
馬容さんたちは、鐘離山に残った漢人の兵たちの家族なんかを訪ね歩くのに忙しく、僕らに構っている暇はなかった。
その日は劉師兄の屋敷に泊まり、翌日また劉師兄に会い手紙を受け取り、そして別れた。
別れ際に劉師兄は涙を浮かべながら、訪ねてきてくれて嬉しかった、蒯先生の面倒を引き続きお願いする、と僕の手を強く握り言ってきた。
そして、馬容さんに向かい、汝も鐘離山に留まり、我が師と我が師弟の警護を宜しく頼む、と言った。
馬容さんは胸の前で拳を合わせ、「諾!」と溌剌とした大声で復命した。劉琦のような皇室に縁のある人から直々に頼まれることは非常な名誉だったらしい。
さらに、劉師兄は船も出してくれ、軍用船で僕らを宜都の町まで送り届けてくれるという。船賃もない貧乏な僕らにとって、そしてこの上ない価値のある免状を懐に抱える僕にとっては、とてもありがたいことだった。
僕らは屋敷を後にし、馬良さんの案内で、船に乗るために江夏の港に向かおうとした。
屋敷の門を出て暫く歩いたところで、僕らは立ち止まった。立ち止まらざるを得なかった。
僕らが向かおうとする港の方向から、兵たちの集団が騎兵と歩兵が入り混ざって道幅いっぱいに歩いてきた。
その先頭には、異様に大きな武士がまた異様に大きな馬に跨っていた。
その武士は、一人だけ道の両側の壁から頭一つ出るような大きさで、目の錯覚か何かかと疑ったが、集団を従えて悠然と迫ってきて、僕の視界をどんどん支配していった。
後ろには、長大な薙刀を抱えた騎兵と、その他に何騎かの騎兵とその他歩兵が数十人続いている。
先頭の武士は、中空から照る太陽の光が影を作り、顔はよく見えなかったが、顎の下に伸びた黒くて長く豊かな髭を、堂々とした体躯の前で揺らしていた。
近くまで迫って来ると、武士の四肢や首は牛のように太く、日に焼けた肌には歴戦の勇士の風格を蓄え、細く切れ上がった双眸からは、前を真っ直ぐ見ながらも全てを見られているような圧力を感じる。
手綱を握る拳は、指の一本一本に、僕の腕一本の筋繊維を全て縒り集めた以上の筋力が込められているようで、その操る馬も、主人に負けぬくらい大きく、赤褐色の艶やかな表皮の内の筋肉は歩を進める度に躍動し、僕らの時代の競走馬などはひと蹴りで絶対に骨折すると確信するくらいがっしりとした四肢に支えられている。
その武士が迫って来ると、僕とゴリさん以外の全員が、跪いて頭を垂れた。
武士は、僕の真横まで近づき、僕をチラリと見た。同時にその武士が乗る馬も、僕を横目でチラリと見た。
その視線は一瞬だったけど、その三つの目がこちらを向いた瞬間、僕は全身が硬直し、何も考えられず、瞬きもできず、死人のように固まってそれらの目を見つめ返すことしかできなかった。
それは、絶対に敵わないという動物的本能による恐怖だった。あまりの恐怖に脳が生命維持活動を放棄したようだった。
しかし、それはほんの一瞬の出来事で、武士は、僕のことを気にも留めずに、馬良さんに視線を移した。
「季常(馬良のこと)よ、久しぶりだな、息災か。」
「はい。関将軍におかれましても今回もご無事なご帰還、誠に目出度きことにございます。今回の任務でも、将軍の素晴らしき武勲の数々に華を添える勲功をお上げになられたことでしょう、先にお祝い申し上げます。」
武士の問いかけに、馬良さんは顔を上げて流暢に答えた。僕は身も竦んで動けなかったのに、馬良さんは僕と年齢も大して違わないのに堂々としたものだった。
そして、この異形の武士は、「関将軍」と呼ばれた。さらに、この長い立派な髭と、乗っている巨大な馬から、三国志の時代において最も有名な武将、関羽であると僕は確信した。
関羽は、馬容さんたちを見て、大勢でお出かけか、と聞いた。
馬良さんは、馬容さんを指し示して答えた。
「この者は私の兄で、曹操軍に捕まっていたところ、先日無事帰還し、再会を祝していたのです。彼の仲間がまだ荊南にいるので、連絡を取りに再び荊南に戻ってもらうところなのです。」
馬容さんが関羽に向かって頭を深く下げ、それに関羽は目礼して応え、それ以上は関心を惹かなかったようで、関羽は別れを言い、軍勢を従えて去っていった。
関羽の姿が軍勢に紛れて見えなくなるまで、僕はただその背を見送り、魔法がかかったように身動きができなかった。
行くぞ、と言われてゴリさんに背中を小突かれ、僕はようやく我に返り、歩き出した。
兵たちの集団を抜けると、走れ!とさらに急かされ、僕らは港に向かい走った。
「その免状の存在を知れば、関羽は必ず追いかけてくる、その前に船に乗って、ここを離れるんだ。」
ゴリさんは走りつつ、僕の懐を小突いて教えてくれた。
この免状は、凛君族に広大な支配権を劉琦の一存で勝手に認めたもので、さらに劉琦の荊州牧就任前の越権行為によって作られたものだった。
劉備としては見過ごせるはずはなく、その義弟の関羽が見過ごすはずもなかった。
港での軍船調達の手続きは、遅々として進まなかった。
馬良さんが令状を見せても、船がないとか人足が足りないとか言われ、なかなか出発せず、馬良さんが遂に焦れて賄賂を上乗せすると、ようやく出港できた。
その間も僕は、港に下る坂の上から青龍偃月刀を下げた関羽が顔を出さないか、赤兎馬の蹄の音が聞こえてこないかと、内心気が気ではなかった。
遂に船に乗り出港する段になっても、呼び止められないかと不安で、馬良さんとの別れも気がそぞろで何を言ったか記憶になく、船が岸を離れ、江夏の港が長江の濁った水の彼方に見えなくなり、そこで初めて胸をなでおろした。
長江に出てしまえば、後の旅程は順風満帆だった。『劉』の旗を掲げた軍船は、孫権軍の軍船に止められることもなく、長江を順調に遡り、人以外に荷物を載せていない船は船足も軽く、十日後には宜都の町に着いた。
宜都の町に着いてしまえば、後は僕たちの庭と言ってもよく、船を降りて山を越えて、僕らは鐘離山への帰還を無事果たした。
帰還してからは、すぐに族長屋敷に上り、それから白虎堂まで上り、皆で話し合わなければならなかった。
白虎堂で蒯先生に会うと、僕はすぐに劉師兄の手紙を渡した。
蒯先生は、忌々しげに眉間に皺を寄せて手紙を見たが、見終わると手紙を懐にしまいこんで何も言わなかった。
何か喜ばしいことが書いてあったに違いない。不満があったら何か言わないと気が済まない人だから。




