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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第二章
36/55

第36話 劉琦

「荊州牧劉琦(りゅうき)様の御前である、控えよ、一同跪(ひざまづ)け!」


 潘濬(はんしゅん)は、部屋に入った僕ら――僕、馬容(ばよう)さん、ゴリさん――に向かって大声で言い、自分も跪いた。

 潘濬に倣(なら)って僕らも跪き、劉琦が手で合図すると、劉琦の隣に移動した馬良さんが、「一同楽にせよ。」と言い、それを合図に皆顔を上げ、姿勢を楽にした。


「遠路はるばる余を訪ねて来てくれたというに、こんな姿勢で申し訳ないな……近頃病に罹ったようでな。」


 劉琦は、床に伏せたまま半身を起こして、かすれ声で言い、薄く笑いを漏らした。

 まず潘濬が前に進み出て、僕らは五渓蛮の首領一族の者で、昨晩大軍山の関所で僕らを発見して江夏まで案内し、昨晩は屋敷に泊めて歓待した、と説明し、劉琦からお褒めの言葉をもらっていた。

 その次に馬良さんが、一緒にいる者は卑官(わたし)の兄の馬容で、五渓蛮とよしみを結び、彼らを遠路案内してきたのです、と説明し、やはり劉琦から、馬容さん共々お褒めの言葉をもらっていた。


「聞かせてみよ、お主の五渓蛮とはどんな暮らしぶりなのだ、小さい頃から見たとおりのこんな体でな、長江を渡った南には、生まれてこの方行ったことがないのだ。」


 僕は劉琦という人を少し憐れに思い、僕らのことについて、簡単に説明した。

 僕らは五渓蛮の中の凛君蛮という部族で、清江流域に住んでいて、長陽の町の西にある鐘離山という島を本拠にし、そして主に清江の魚を捕ったり周囲の山で狩りをしたりして生計を立てている、という基本的なことから、建物とか着物とか料理とか具体的なことまで、分からないことはゴリさんと一緒に、劉琦に対して説明した。

 劉琦は起きてるのも辛いのか、目をつぶって時折うなずいて、話が一段落すると、こんな質問をした。


「その……鐘離山では、漢語の修得も盛んなのかな。お主らは随分と励んだ様子だが。」


 鐘離山には今漢人の老人が住んでいて、その人に漢語を習った、と話し、そこで蒯(かい)先生から預かってきた手紙のことを思い出し、ゴリさんの方を見ると、ゴリさんは懐から手紙の巻物を取り出し、僕に差し出した。

 僕はゴリさんから巻物を受け取り、「その老人から、閣下(あなた)宛てにこの手紙を預かってきました。」と言い、立ち上がって劉琦に渡そうとすると、馬良さんに止められ、馬良さんがその巻物を受け取って、劉琦に渡してくれた。


 劉琦は不審そうに顔を傾けながらも巻物を受け取って開き見ると、大きく眉を怒らせた後、大笑いし、咳き込んで咽せながらも、しばらく笑い止まなかった。



 馬良さんばかりか潘濬も心配そうに腰を浮かして見守る中、隣の部屋から医者らしき人が急いで入って来て、急須のような銅器に入った飲み物を飲ませ、劉琦はようやく笑い止んだ。

 そして、劉琦は医者に支えられて起き上がり、満面の笑みで僕に向かい、親しみを込めて言った。


「恩師……蒯師父は、元気でいるか。この手紙は、この上なく素晴らしい礼物であるぞ。」


 そして、劉琦はその手紙を見せてくれた。

 手紙には、お久しぶりですお元気ですか、というような文句から始まり、続いて『老鄙(わたし)は朋友たちと楽しく過ごしてます。』と書いてあった。

 そして真ん中には、可愛らしい虎の絵が大きく堂々と描いてあった。

 最後は、『蒯良 親筆』と署名がしてある。

 達筆なんだけど、内容だけ見ると、小学生の年賀状みたいな、そんな手紙だった。


 しかしもちろんそんな感想は口に出せず、話を変えて、「閣下は蒯先生をご存じなんですか。」と聞いた。

 劉琦は機嫌良く答えてくれた。若い頃に何年か師事し、兵書や歴史書や博物書などの解説や講釈をしてもらい、その時ちょうど僕と同い年くらいの頃だったそうで、それがもう十五年くらい前だという。

 そして劉琦は僕に蒯先生は元気かと聞いてきたので、鐘離山の頂上に住み、文書の代筆をして暮らしていること、毎朝僕らに漢語を教えてくれたこと、講義は偏屈なまでに皮肉と諧謔にまみれていること、そして全て白髪で皺だらけだけど体は丈夫そうなことなどを話した。

 劉琦は、僕の話す蒯先生のことを身を乗り出していちいち頷いて聞き、確かに偏屈だったな、と懐かしそうに呟いた。

 そして、劉琦はこんな質問をしてきた。


「それにしても何でこんな猫の絵を書いてきたんだろう。」


 やはり、蒯先生の虎の絵はこの時代の人にも猫の絵に見えるらしかった。

 僕は、これは虎の絵だと説明し、多分凛君族が虎を崇拝してるので書いたんだと思います、と付け加えた。


 虎なのか!と劉琦はかすれ声で精一杯の大声を上げ、手紙を睨んで少し考えた後、ああそうか、と一人納得し、「見よ、『同寅協恭』だ。」と言って、僕らに手紙を見せた。

 もう一度手紙をよく見ると、虎の絵の下に、『協恭』という字が書いてあった。

 それでも分からなかったが、馬良さんの解説では、『同寅協恭』というのは四文字熟語で、「お互いに尊重して仲良くし合おう」というような意味らしい。

 『寅』は言うまでもなく『虎』と同義で、凛君族を例えているようだ。

 漢人と凛君族との諍(いさか)いを収めたい、という気持ちがここに込められているのだろうか。


「努めて友好を求めるようなことが、何かあるのか。」


 劉琦も同じような推測に至ったのか、こう聞いてきた。

 これに対し、ここだ、と思ったか、馬容さんとゴリさんが、代わる代わる凛君族の現状を熱心に説明しだした。

 曹操の軍隊に襲われ、族長以下多くの人が死んだこと、曹操軍が撤退して鐘離山を奪還したが、大漢政府との関係が壊れたままであること、それから漢人の役人と上手くいってないこと、などを劉琦が息を呑むような勢いで交互に話した。

 ゴリさんが口を利き始めると、潘濬がゴリさんを忌々しげに睨み付けたが、ゴリさんは全く意に介さずに話し続けた。

 劉琦はまた目を瞑ってゴリさんたちの話しを聴き始め、話が終わると最後に深く頷いて、言った。


「それでは、余が荊州牧として、お主らの部族が鐘離山一体を支配することを改めて認めればよいのかな。」


 馬容さんはすかさず、大恩に感謝します、と言いながら平伏し、僕らもそれに倣った。


「主公、お言葉ですが、」と潘濬がそこに横から口を挟んだ。

「この件は重大です。一度豫州(よしゅう)様(劉備のこと)にご相談されたほうが宜しいかと。加えて、先ほどのこの蛮族の申しようは、我が大漢帝国を批判するものです。厳罰に処すことを愚考いたします。」


 潘濬の発した言葉に、部屋の中の皆の視線が集まった。劉琦も潘濬に一瞬目を移したが、穏やかな口調でそれに答えた。


「潘長史よ、それには及ばぬ。折角はるばる余を訪ねてくれた友好の使者を、些細な言い方でとがめ立てすることもあるまい。」


 この言葉を聞き、馬容さんがすかさず大声で、主公の大恩大徳に感謝致します、と言い、大袈裟に叩頭した。

 何だか、この小さな部屋の中で、馬家と潘濬との戦いが繰り広げられているようだった。

 そして目下優勢なのは、僕らの味方であろう馬家のほうだった。



 部屋の中が次第に宮廷闘争のような空気に包まれ、息詰まってきたところ、隣の部屋から妙齢の女性がお盆を掲げて入って来た。

 お盆の上には綺麗に精米された白米で作られた真っ白なお粥と、何かの肉を軟らかく煮たようなおかずと、黄色の鮮やかなミカンが載っていた。

 真っ白なお粥も、ミカンも、僕はこの時代で初めてここで見た。

 寝具の上に馬良さんが素早く文机を置き、その上に女性が食物の載ったお盆を置いた。

 文机もお盆も、縁が綺麗な透かし彫りで飾られている。


 女性のおしろいとミカンの香気で空気が少し和らぎ、劉琦はお粥を匙で一口すすって一息つけると、その女性に紙と筆を用意させ、文机の上で何やら書き始めた。

 劉琦は病で腕がいうことを利かないようで、女性に上から手を添えられながら、ようやく何かを書き上げた。


「今の余に出来るのは、このくらいだ。今の余は、ここで寝ているばかりで、人の手を借りねば文字すらろくに書けぬ。皇叔(こうしゅく)(劉備のこと)の木偶人形じゃ。自分の手では何も出来ぬ。数少ない余の臣でさえ、口を開けば豫州様じゃ。」


 そう言って、劉琦はちらりと潘濬を見て、潘濬は顔を伏せた。


「もちろん今まで余が生きながらえたのも皇叔のおかげだし、皇叔には感謝しきれぬが、やはり羨ましいのだ。漢室が存亡の危機にあるこの時代に生を受けたからには、皇叔やお主らのように、自分の力を精一杯試したいではないか。」


 劉琦は咳き込み、女に背中をさすられながらも、言葉を続けた。


「私は自分が情けないのだ、この暗い部屋から、格子越しに外の明るさを見つめることしかできない自分が。こんなに弱い体に生まれてきてしまい、ただ皆に傅(かしず)かれて、恙無(つつがな)く過ごしながら死を待つだけの日々が呪わしい。私は自分が不幸な人間だと、心の底から思うのだ。」


 劉琦の言葉に、女性や馬容さんなどは嗚咽を漏らしている。

 しかし、僕の心には全く入ってこなかった。


 この江夏に来るまでの旅路で、僕は多くの人を見てきた。皆生きるのに必死だった。

 ひもじい中、馬に踏まれてボロボロに破れた菜っ葉をおかずにして生きながらえるお婆さんにも世話になった。お婆さんは、近所の人たちにも疎まれながら、冷めた粥を恵んでもらってそれでも笑顔で生きていた。

 そして僕の友達の青山君は、劉琦の年齢の半分くらいの若さで、誰も知る者のないこの地で孤独に死んでいった。

 他にも、族長夫妻や戦で亡くなった島の人たちの姿が、僕の脳裏に次々に浮かんだ。

 彼らから見れば、劉琦は十分に幸せだった。幸せすぎて、逆に不幸を求めてるのではないかとすら思えた。


 劉琦の話が終わり、部屋には微かな嗚咽ばかりが響く中、僕は思わず口を開いた。

 閣下の話には全く同意できない、道中出会った可哀想な農家のお婆さんは、襤褸切れのような菜っ葉を食べながら、笑顔で僕らをもてなしてくれた、僕と同い年の友人も、先日戦場で孤独に死んだ、あなたはこんなに綺麗で温かな部屋で、平民の誰もが食べたことのないような白い粥とミカンを食べ、咳をすれば背中をさすられ、手で合図を送れば筆と紙が運ばれてくる、こんなに皆があなたに関心を向けてくれるのに、何が不幸なものか、と一気に言った。


 所々漢語になっていないところもあったかもしれないが、この時は無我夢中だった。止まったら後悔しそうだった。とにかくこんなに情けない大人が許せなかった。


「お主らのような下民と主公が同じなわけあるか、弁(わきま)えよ、この痴(し)れ者が!」


 潘濬は僕を睨み付けて立ち上がり、腰に下げた剣に手をかけた。

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