第35話 江夏郡衙署
烏林を出てからはひたすら、長江沿岸の沼沢地を走る街道を進んだ。
畑だか湿地だか分からない風景を左右に眺めながら、担架に揺られて進んだ。
地面には雪が薄く積もり、僕たちの吐く息も白く、担架の前を担ぐゴリさんの体からも上気する汗が見える。
自分で歩くかと何度も言ったが聞き入れてもらえず、正直に言うと蛇に咬まれた足首の傷が痛まないか、もっと言うとまた蛇が突然出てきて咬まれないかと心配で、自分で歩くと強く主張することができないでいた。
幸いなことに、雪が降ったのは烏林で休んでいた一日だけで、僕が担架に揺られていた時は良く晴れていて、横になって暖かな日差しを真上から浴びながら、旅程を進めることができた。
本当は、烏林から江夏に至る一帯でも連日激しい戦闘が行われ、雪が積もってなければ、多くの死体を目にするはずだったらしいが、僕は呑気にも暖かい日差しにウトウトしながら担架に揺られて通り過ぎていったのだった。
三日目からは、いいかげんに歩けるからと自分で歩くことを選んだが、また幸いなことに、江夏の町に行くという牛車と道を同じくし、牛車に乗せてもらった。
そして、日が傾いて影が伸びて来た頃、大軍山の関所に着いた。
ゴリさんの話によると、大軍山の関所を超えるとすぐ江夏の町で、この関所は江夏の南西を守る大事な拠点だそうだ。
街道の傍らには詰所があり、その周りで兵士たちがたむろし、近くの小山には物見櫓が立ち、その上には大きく『劉』と書いた旗が揺れていた。
僕たちは、お礼を言って牛車を降り、素通りしようと思ったがやはり素通りはできず、関所で兵士に呼び止められ、どこの者だ、目的は、など問い詰められた。
ここでは当然、馬容さんの出番だった。荊北の有名な大家族で、劉備軍と行動を共にしていた、という彼の経歴に嘘がないならば、簡単に通り抜けられるはずだった。
ところが、僕らは一刻も待たされた挙句、江夏の町の大きな建物に連行されたのであった。
その建物は、長陽の町で見覚えのあるような作りが大きいけど質素で人気の薄い建物で、門の上には大きく『江夏郡衙署』と書かれていた。
建物の門をくぐり、大堂へ通されると、そこには冠を被って細い口ひげを垂らした細身の男性が壇上の椅子に腰を下ろし、僕らを見下ろしていた。その両側には胴巻を付けて槍を立てた兵士たちが控えていて、僕は素直に圧力を感じ、身を固くしたのだった。
「馬家の三男が、何故今更帰ってきたのだ。身につけているその農民の服装は何だ。共に連れてる者たちは何者だ。」
男は、高い声を堂内に響かせ、馬容さんに向かって問いかけた。
どうやら、馬容さんの身分については確認できたが、今まで何をしてたか、それから僕たちが何者なのかを問題にしているようだった。
僕はこの場所がどういう所か、話してる人はどういう身分なのかも分からず、ただただ聞いているしかなかった。
馬容さんは、曹操軍に捕まって捕虜となり、宜都の町で労役に就き、混乱に乗じて脱走し、戻って来た、ということを簡単に説明した。
「その服はどうした、民家から略奪したのか、それから一人で逃げたのか、仲間の兵たちはどうした、それに後ろの者たちは何だ、兵には見えないが。特にその男は、」
壇上の男は、右手に持っていた方木でゴリさんの方を指して、言った。
「農民にも見えんぞ、まるで野人ではないか。馬氏宗家の者が何故そんな者と共におるのだ。」
男は、眉間に高く皺を寄せ、視界に入るのも嫌うようにゴリさんを一瞥し、馬容さんに再び視線を戻した。
その時の僕らは何日も宿を取らずに旅を続けており、髪やひげも乱れ放題で、おまけに上着の替えもなく、土埃にまみれていた。中でもゴリさんは、元のゴリラみたいな容貌に加え、体も洗わないので皺が黒ずみ、異臭も放っていた。
しかし僕らも関所から、身なりを整える暇もなく無理矢理連れて来られたのであり、この嫌がられ方は明らかに不当なものだった。
馬容さんは、左右の掌を胸の前で交差させて男に向かってお辞儀をした後、僕らのことを説明した。
その説明では、僕が五渓蛮の一つ凛君蛮の首長一族の者で、ゴリさんがその従者で、僕らが馬容さんの逃亡の手助けをし、さらに服や食糧も与えた、ということになっていた。
「そして、私の仲間たちは、目下彼ら凛君蛮の本拠である鐘離山にて、彼らの温情により日々を過ごしております。」
そして馬容さんは僕らにも向かって、男にしたのと同じ礼をとった。
壇上の男は、五渓蛮という言葉を聞いて眉を開き、やや口元を歪めて言った。
「五渓蛮の首領と繋がりを作ってくるとは。捕虜と成り果ててもただでは転ばぬか、流石は腐っても馬氏の五常よ。」
そして、男は僕に向かって笑いかけながら言った。
「漢語が分かるかな、分かるとは感心だ、わが主公には私が会わせてやる、安堵せよ。……それから、謁見する際の礼物のようなものがあれば、預かるぞ!」
この言葉を聞いて、ただやり取りを流して聞いていた僕の頭が一気に覚めた。
大人が他人の家を訪問する時は、何か土産物を持っていくのが常識だ、というのは聞いたことがあって、千八百年後の未来人である自分がまさか礼儀上で遥か昔の人間に落ち度を見せるのか、何で高校生でも知ってるような基本的な礼儀も忘れてたんだろう、と少し狼狽えた。
「この度の訪問は秘密裏なものであり、正式な使節ではないので、礼物などは用意してません。主公には大変礼を欠くことになりますが、改めて次の機会に用意させます。」
僕の代わりに馬容さんがすかさず答えてくれた。
男は失望の色を隠さず、ふん、と一息し、この者たちを湯浴みへ案内しろ、と周りの兵たちに命じ、自分は素早く下がってしまった。
礼儀を失したのかと不安になって馬容さんに聞くと、今のは賄賂を要求していたのだ、持ち合わせがないと知り、がっかりしただけだ、と説明された。
あの御仁は頭の悪い人ではないので、賄賂がないからと言って主公に会わせないということはあるまい、というのが馬容さんの推察だった。
壇上にいた男は、潘濬という名で、やはり荊州の名士の出で、今はこの江夏郡で長史の職に就いている、と馬容さんは教えてくれた。
僕らは、体中の垢を水に流してさっぱりし、服も用意された清潔なものに着替えた後、ゴリさんと一緒に屋敷の一番奥の角部屋に通された。
その日は時間が遅いので、謁見は明日になる、と案内してきた兵士に告げられ、蒸しパンみたいな食べ物と煮豆と漬物とスープ、という質素な食事を用意された。
それでも、旅を続ける間中、粟のお粥みたいな粗末な食生活を送っていた僕たちにとっては、とても充実した食事で、夢中で腹の中に流し込んだ。
僕とゴリさんは食事中、道中のたわいもない話や僕の体調なんかについて少し話し、そして心に引っかかっていたので、先ほど潘濬にひどい態度を取られたけど気にしてないのか、と聞いてみたところ、こんな返事が返ってきた。
『その通りだからなァ、漢人の方々は何でも知ってるし、文字も持ってるし、女達もそりゃァ綺麗に着飾ってる。漢人にもいろんな人がいるんだから、気にしちゃァだめだ。』
ゴリさんの口調は普段と変わらず、特に怒っている風でもなかった。
それよりも明日が大事だから、しっかり寝なさい、と逆に諭された。
あんな風に見下されるのは僕だったら到底我慢できなかったけど、ゴリさんは、蒯先生の細作として長年働いてきた老練ゆえの感性なのか、それとも漢人から見た異民族は、欧米人から見たアジア人のように、見下されて当然のものという共通認識がこの時代の人たちにあるのか、全く気にしていないようだった。
ゴリさんの『気にしちゃァだめだ。』を素直に受け入れていいのか、意見をぶつけて真剣に向き合うことが、僕がゴリさんを見下してないことを示すことになるのでは、などとまた面倒くさい考えも浮かんだけど、『明日が大事』なことは幼い僕にも十分分かっていた。
明日は、今日にも増して難しい漢語が飛び交う現場に必ずなるので、よく寝て頭を休めておくことは、今の僕にとって大切なことだった。
食事を終えた僕たちは、食器を片付けて燭台の火を消し、早々に寝に入った。
部屋はとても寒く、布団もとても冷たかったけど、僕とゴリさんはそれぞれ冷たい布団の中で体を丸めて深い眠りにつくことができた。
次の日の朝は、おはよう!と大声を上げながら扉を開けて入ってくる馬容さんの大声と扉のきしむ大きな音で、目を覚ました。
眠い目を擦りながら見ると、馬容さんの後ろにはまた冠を被ってゆったりとした着物を着た男性が控えていた。
その男性は、背丈は馬容さんと同じくらいだが、首も細く顔立ちも優しく、年も僕より少し上くらいで、被っている冠が妙に大きく見えた。
僕が男性に目をやると、男性は腕を組んで両肘から前に掲げて、僕に向かって恭しく礼をした。
「この者は、弟の馬良だ。四番目の兄弟だから、小四とでも呼んでやってくれ。」
「いや兄上、彼の方が見るからに幼いのに、私が『小』の字で呼ばれるのはおかしいでしょう。せめて『四兄』などにしてくれますか。夷人の子に変なことを吹き込まないでください。」
馬容さんが紹介してくれたが、それは弟の馬良さんの穏やかな声で速やかに訂正された。
僕らにとっては馬容さんも十分にしっかりした人だけど、馬家の中では、弟にも怒られるような役回りらしい。
しかし馬容さんは、スマンスマンと言って意に介さず、早く着替えて食事を取るよう僕を促した。
僕らは簡単に挨拶してから、顔を洗って急いで着替えた。ゴリさんのベッドは既に空で、先に起きてどこかに行っているようだったので、一人で食事を取った。
その間に馬良さんは、勤めがあるということで先に出て行ってしまい、僕は馬容さんに見守られながら急いで食事を取った。
馬容さんの家族は、馬良さんと一緒にこの江夏の町に避難してきていたそうで、昨晩はそこに泊まったそうだ。
馬容さんが住んでいた場所は、襄陽に比較的近い宜城というところで、今は曹操軍に占領されて帰れないそうで、馬氏一家のような家庭が、江夏には沢山避難してきているのだという。
馬容さんが荊北で有名な一族というのは十分に分かった。有名だから、荊州のトップの人たちが避難しているような場所にいるわけだし、生き別れになった馬容さんも、家族の消息をあっさりと探し当てられた。
何ヶ月も一人で違う時代を彷徨う僕は、あっさりと家族に生き会えた馬容さんに少し嫉妬したけど、ここに行けば消息が掴める、というこの時の荊北人の暗黙のミーティングポイントみたいなものが、この江夏だったのだろう。
江夏が『いけふくろう』だったのだ。何の不思議もなかった。
僕が朝食を食べ終わると、ゴリさんも帰ってきて、僕らは連れ立って昨晩行った大堂に向かった。
大堂では、潘濬が待ちくたびれていて、彼と一緒に建物を出た。
門の外では豪華に飾った馬車が待っていて、僕はその馬車に潘濬と一緒に乗せられ、馬容さんたちは後ろから徒歩でついてきた。
馬車は二区画先の大きな屋敷で停まり、そこで降ろされた。
僕らは潘濬に先導され、屋敷の中に入り、玄関を入って広間を通り過ぎ、奥の部屋に入った。
部屋の入り口には馬良さんが立っていて、僕が声を上げようとすると、静かにというジェスチャーをされ、馬良さんは部屋の中に向かって声をかけた。
部屋の中からは細い声が返ってきて、それを合図に僕らは部屋に入った。
部屋の中には烏林の張老人の家で匂いだような香気が漂い、装飾の凝った木製の棚や椅子などが配置され、奥の方にある寝具には、一人の男性が横たわっていた。
男性は年老いた人のように痩せ細り、骨と皮だけになっていたが、ツヤのある黒髪に若者のような澄んだ目をしていて、一体いくつなのか計り知ることはできなかった。
「荊州牧劉琦様の御前である、控えよ、一同跪け。」
潘濬が言った。
目の前の死相を湛えた人が、僕たちが鐘離山からはるばる会いに来た、劉琦その人だった。




