第34話 烏林本陣跡
葛籠を開けると、人間の頭蓋骨が入っていた。
「それだよ。それがその患者の頭蓋骨だ。綺麗なもんだろ。さすがに十代だ。若い骨は年寄りに比べてとても丈夫なんだ。燃やしても崩れない。本当は死体ごと乾屍にして残したかったのだが、軍は危険だと言って頑として聞き入れずに、死体を焼いてしまったのだ。だが骨だけは何とか拾い集め、その壺に入れておいたのだ。とても綺麗な白だろう。特別な毒物などにやられたのではない、ただの流感だから、骨も変色してないのだ。」
張老人は、医学の話になると饒舌に喋り続けるが、僕は後半はほとんど聞いておらず、クラスメイトだった青山君の頭蓋骨を鷲掴みに持ち上げ、正面から見つめていた。
よく見ると面長な感じが青山君に見えなくもなかったが、その眼窩にはクルクルとよく動く眼球が収まっておらず、ただただ虚ろな眼底を晒していた。
生前もこんなにまじまじと青山君の顔を見たことはなかったかもしれない。
青山君のむき出しの頭蓋骨に向かって、辛かったか、寂しかったか、と問いかけてみても、何の答えも返ってこなかった。
僕の心の中にあった青山君の思い出も、大分薄れていたのかもしれない。
壺の中は、頭蓋骨のほかには、下顎やら背骨やら指骨やらしか入っていなかった。
張老人に、この他の骨はどこにあるのかと聞くと、外に埋めたと言われた。
僕は、その青山君の骨を埋めたという場所に案内してもらうため、張老人とともに外へ出た。
「この辺一帯は、全て曹操軍が野営していてな、流感で多くの兵たちが死んだ。だから、兵たちの死体と共に、この辺一帯を全て焼き払ったのだ。」
雪が薄く積もっている合間に時折見える地面は黒く、所々にある木も黒ずみ、枝が枯れ落ちていた。
張老人は僕に説明しながら雪に覆われた荒れ地を歩き、やがて立ち止まった。その前には小石が積み上げてあった。
「あの者には白骨になっても誰も触りたがらなくてな。壺に入りきらなかった分は私がここに埋めた。」
僕は、荷物袋から取り出して持って来たペンケースのぼろ切れを懐から取り出し、積んである石に挟んだ。
ボロボロになったペンケースは、僕がこの時代で積み重ねた関係の象徴だった。前族長やシャムや白虎の母子などの手足を渡って、またこうして元の所有者である青山君の下へと返すことができたわけだ。
このペンケースがなければ、僕は今頃どうなっていたか分からない。鐘離山ではないどこか別の場所で、全く別の人たちと一緒にいるか、若しくは死んでいたかもしれない。
青山君が病気で苦しんでいる中、僕はその青山君のペンケースのおかげで健康に暮らしていたのだ。
漠然とした予感はあったけど、改めて現実に向き合うと、ただただ申し訳なく、両手を合わせて黙祷した。
黙祷している間に青山君のことを考えたけど、不思議と涙は浮かばなかった。
骨や墓を目の当たりにしながらも、青山君の死は、アシムや族長たちの死ほど僕の心を締め付けなかった。
振り返ってみれば、青山君と知り合ったのが四月、族長たちと知り合ったのが十月だけど、青山君は学校で一緒だっただけで、族長たちとは一緒に暮らしていて、一緒にいた時間を考えると、族長たちの方がずっと長いのだ。
友達と言っても、休み時間に話し相手がいないのは格好悪いから、体裁を繕うために無理矢理友達になったようなもので、決して話が合うわけでもなかった。彼は移り気な男で、その時に流行っている漫画やら動画やらの話が好きで、夏からは野球の話をしだして、いつでも得意気な様子だった。
その流行り物に対する情熱は素晴らしいものがあったが、最期は流行病にやられてしまったのだった……
……いや、人の死を茶化すつもりはなく、とても悲しい出来事だったんだけど、風邪だっていうのに無理矢理修学旅行に参加したのは青山君で、そんなバカなことをしなければこうして違う時代で死んでしまうこともなかったのに、と思うと、自爆という言葉がどうしても頭に浮かんでしまう。
おまけに、張老人の話によると、この時代の人たちに風邪をうつして沢山死なせているんだから、もはや自爆テロではないか。いや、目的もなく人を殺しまくるだけだから、テロではないかもしれない。やはり、この時代の人たちが言うように死神と言う方が妥当なのか。
いや、正確に言うと、死神は、青山君ではなく、青山君にとりついていたインフルエンザ菌だった。
細菌の世界にも、動物界と同じように、熾烈な生き残り合戦があるのかもしれない。千八百年間勝ち抜いてきたインフルエンザ菌は、この時代の菌は敵ではなかった。雑魚ならぬ雑菌だった。
……近くに青山君の霊でも漂っているのか、僕の言葉にもつまらない言葉遊びが多く混ざってしまった。しかし、青山君がもたらした事象は、僕一人が凛君族に混ざっていたことよりも、遙かに重大なものだった。
青山君の降臨により何万人あるいは何十万人というこの時代の人が死亡し、そして曹操軍を長江沿いから撤退せしめたのだ。
テレビゲームでは、吹くはずのない東南の風を諸葛亮が起こして、孫権軍の黄蓋が火船で曹操軍の船団に突進し、曹操軍の軍船や陣地が全部燃えてしまい、劉備・孫権連合軍の大逆転勝利となるはずだった。
それが、インフルエンザにやられて曹操軍が自分で陣を焼き払って撤退することになってしまった。
もちろんゲームの世界と現実は違うのかもしれないけど、このことが未来をどう変えてしまうのか、ただでさえ異民族の土地にいて分からない未来が、さらに漢人の歴史も分からなくなってしまうかもしれない。
世界史の教科書の中で、魏呉蜀の三色に分かれていた中国の地図が、また全く別の色に染まっていくのかもしれない、という未知な未来に対する不安が、墓の中で手を合わせる僕の心の中に巻き起こってきた。
「坊や、それに張大夫!」という遠くからの叫び声に、僕の黙祷は妨げられた。ゴリさんの声だった。
顔を上げて声のした方向を見ると、ゴリさんと馬容さん、それに張三さんと李四さんがこちらに向かって歩いていた。両腕には木の枝や水桶なんかを抱えている。彼らは物資を調達に行っていたようだった。
彼らは近づいて来ると、目が覚めたか、もう大丈夫なのか、などと僕の身を案じてくれた。
僕は、とりあえず大丈夫だと言い、これが探していたクラスメイトが既に亡くなっていて、これがその墓だと説明した。
馬容さんは特に感情を交えず、この者に家族はいないのか、と聞いた。
人の死を見慣れた、軍人らしい馬容さんの問いだった。
この世にはいない、と僕は答えた。真実には遠いけど嘘も言っていない。
馬容さんは、そうか、と言い、雪と土が混ざって泥になった地面に跪き、墓に向かい叩頭を繰り返した。
他の三人も跪いて叩頭し、僕も彼らに習って跪いて泥に何度も額をつけた。
それは、とてもこの時代の人らしい、あの世に人を送り出す時すらも情熱的な儀礼だった。
僕は、青山君に対してと、さらに半ば馬容さんたちに対して叩頭を繰り返し、張老人にそっと肩をたたかれ、君が止めないと終わらないぞ、と言われた。
そういうものかとようやく気付き、僕は立ち上がってお礼を言いつつ皆を一人一人助け起こした。
「これでその彼もあの世へ行けるかな。」とゴリさんが言った。
僕はあの世なんてないことを知っているが、この時代の人はまた違った感覚で人の死や死後の世界を見ているのだろう。僕よりよっぽど真剣に、青山君を弔ってくれた。
それから僕は、宜都の港で買った、黒ずんだ学生服のボタンを取り出した。
ボタンを張老人に見せると、そうそう、こんなものが彼の服についてた、と答えてくれ、この黒ずみは焼かれて焦げた跡だから、恐らく彼がつけていたものだろう、という推察も話してくれた。
張老人の答えを聞き、僕は黒ずんだボタンを青山君の墓に積まれた石のすき間にねじり込ませた。
このわずか一刻で、僕の希望は全て潰えたのだった。
それから僕らは張老人の家に戻り、ゴリさんたちが調達してきた食材などを使って、食事をとった。
食事と言っても、例によってお粥に川魚を混ぜた程度のものだったが、作りたての熱いお粥は、口から食道を通って胃の内壁に至るまで熱量を保ち、体の中から力が染み渡るような感触があり、自分が相当飢えていたのだということを思い知った。
彼らの話では、僕が蛇にかまれて意識を失ってから、急いで民家を探して街道沿いを進んでるうちに、先に烏林に着いてしまい、とりあえず空き家を探して入ったら、それが偶然にも張老人がいた家で、張老人が僕の状態を一目見て、蛇の毒だと見破ったので、すぐにお願いして治してもらったのだという。
一昨日の夜に張老人の家に運び込まれ、それから僕は昨日丸一日寝たまま目を覚まさず、先ほどやっと目を覚ましたのだった。
治療費は、と聞いたら、病人は治ることに専念しろ、と言われ、何も教えてもらえなかった。
寄り道に付き合わせた挙げ句、毒にやられて倒れて治療費まで払わせる、という迷惑しかかけていない。
お世話になった分を何時か返すことができるのだろうか。
次の日は、張老人の話では、まだ療養が必要だということで、一日だけ休んだ。
本当に申し訳なかったので、他のみんなで先に行って欲しかったんだけど、僕がシャムの義弟という立場だから行かないとまずいらしい。
そもそもシャムが族長なのかどうかが、儀式的なものを何もしておらず、立場があやふやなままなのに、一ヶ月前に義理の弟になっただけの異邦人なんかいなくてもいいでしょ、と思ったが、自分の用事が終わったら後はどうでもいいんだ、と馬容さんたちに受け取られるのも嫌だったので、大人しく受け入れることにした。
寝台に体を横たえると、体がやはり弱っているようで、その日はほとんど眠って過ごした。
その次の日の朝、僕らは再び出発した。
よく寝たおかげか僕の体も軽かったが、馬容さんたちは、竹で作った担架を用意してきてくれ、それに交代で僕を乗せて、運んでくれた。
張老人は、僕にしきりに残るように言ってきたが、出発することにした。
別に僕の病状を心配したのではなく、青山君と僕が同郷ということで、実験台にしたかっただけだろう。
僕たちの故郷では、小さい頃から病気に強くなるために血液に薬を打ち込んでるので、病気に罹りにくい、という話をしたので、張老人は僕の体にひどく興味を持っていた。
どうしても行くと言うと、仕舞いには僕の血液を少し分けてくれと言い出した。僕は聴き取れなかったふりをして、ありがとう、さようなら、とひたすら繰り返した。
青山君の頭蓋骨が入った壺も、墓に入れて欲しかったけど、これは張老人に持ってもらっててもよいかと思う。
何時か元の時代に帰る手段を得たら、その骨壺も回収して青山君のご両親に届けよう。
それが何もできなかった自分に対する気休めでしかないことは、十分に自覚していた。
これから江夏という場所に向かい、劉琦という知らない人と会って、何をするのか分からないけど、とにかく手紙を渡さないといけない。
一寸先のことも分からないのに、青山君の骨壷を抱えて未来に帰る時が来るのか、などは全く想像できなかった。




