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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第二章
31/55

第31話 船の上で

 僕は、長江の上で船に揺られていた。


 船は、三十人ほどが乗れる大きさで、厚い布を継ぎ合わせた無骨な帆を張り、上流から吹きつける冬風を受けて、長江の水を掻き分けて力強く進んでいった。

 長江の対岸は、早春の霞みがかった空に遮られてぼんやり見える程度で、水は清江とは違って土色に濁っている。

 船には雨よけの天幕が貼られ、少し暗い船内には、長椅子に老若男女がぎっしり腰掛けているほか、馬や鶏なども乗っていて、乗客たちは一様に着古して薄汚れた着物に身を包み、天幕の下をくぐり抜ける寒風に身を縮こまらせていた。


 宜都の町の港から出る船は、荊北の故郷を目指す難民たちで、どの便も混んでいた。

 僕と馬容さん以下四名は、漢人の農民の着物に身を包み、宜都で買った竹編笠を深く被り、荊北へ向かう船に忍び込んでいた。

 僕は何からも追われる心配はなかったが、馬容さんたちは曹操軍の捕虜だったので、脱走者として追われている可能性があったのだ。


 僕には、荊北でやることがあった。

 習兄弟の上官が見たという僕のクラスメイトを探すこと。

 そして、江夏という土地に行き、劉琦りゅうきに会うことだ。


 劉琦りゅうきという人物は、前任の荊州太守だった劉表の長男で、弟の劉琮りゅうそうとの跡目争いに敗れて、今は江夏に避難していた。

 劉琦に会って何をするのかというと、それは僕にはよく分からなかった。

 蒯先生から一片の手紙を託され、それを劉琦に直接手渡すように、ときつく言われた。

 手紙は、この時代では貴重な絹の布に書かれていて、それだけでも大切なものだと分かるし、この手紙を託された僕たちの役割もまた、とても重要なものだと覚悟させられた。



 ここまでの経緯を簡単に説明すると、僕たちは、族長屋敷跡で宴会をした後、鐘離山の頂上に上り、そこに鎮座する白虎堂の傍らにある族長夫妻の墓の前で、帰還を報告した。

 それから一泊し、すぐに蒯先生の立てた作戦に従い、分かれて行動した。


 シャムは、島民たちを率いて、清江の上流にあるという塩泉を占領し、確保する。

 ダレルや習珍さんたちは、長陽の町に行き、県令の樊冑と交渉し、ラオたちを回収する。

 そして僕は、ゴリさんや馬容さんたちと共に荊北に行き、劉琦に会う。


 族長夫妻の葬式も、新年のお祝いも、全て後回しになった。

 長陽の町に寄ってラオたちにも会いたかったけど、荊北行きを決して樊冑に悟られてはならない、という蒯先生のきつい言いつけで、僕らは長陽を素通りして宜都へと向かうことになった。

 荊北では僕のクラスメイトを探すという私用を挟ませてもらったため、それ以上のわがままを言うことも出来なかった。


 族長夫妻の墓前に参拝した後、白虎堂の中に移り、蒯先生から漢語でそれぞれに作戦が言い渡された。

 蒯先生の口からは、堂々として従わざるを得ないような威厳を伴った口調で指示が発され、島の人たちでさえ、ゴリさんが凛君語に訳すまで意味が分からないまま、押し黙って拝聴していた。

 シャムは、塩泉を攻め取ることに殊更意欲的で、一族の始祖である凛君のゆかりの地を自分たちの代で回収する、ということにとても刺激を受けていた様子だった。


 それから、悲しいことが一つだけあった。

 ジェツがひどく塞ぎ込んで、どの作戦にも参加してくれなかった。

 ジェツは、シャムたちの狩猟仲間で、宜都の町を僕と偵察に出た僕と同じくらいの背丈の若者だ。

 彼の一家は漢人を嫌っており、それが原因なのかと思っていたら、どうやら違うらしい。

 習珍さんと結婚したモッコさんの娘にジェツは気があったらしく、好きな人をよりによって漢人に奪われたことで、ひどく落ち込んでいる、というのがダレルの話だった。

 普段は無表情なのにこういう話はよく知ってるダレルも意外に下世話な人だけど、確かにジェツには可哀想なことになった。

 まあでも恋の悩みに身悶えするなんて、鐘離山に無事に帰って来なければ出来なかったことだし、平和な証拠なので、僕たちが島に戻るまでに彼が復活するのを祈るばかりだ。

 

 

 僕たちがそれぞれ分かれて出発する朝の港で、シャムたちが西、僕たちが東に出発する、その準備で皆が忙しく動く中、僕はシャムに謝られた。

 普段は傲岸な男が恥ずかしそうに謝るので、面白くなってよく見てやると、おずおずと懐から何かを取り出した。

 それは、ボロボロに破られたタイガースのペンケースだった。


『アイスが大きくなって、牙も鋭くなったみたいで、穴を開けちゃったから、取り上げようと引っ張ったらこんなになっちまって……』


 シャムが縮こまって本当に申し訳なさそうにしているので、ペンケースを受け取りながら、つい可哀想になって、大丈夫だよ、そもそも僕のものじゃないし、と言ってあげた。

 僕の言葉を聞いてシャムは目を輝かせ、ゴメンな、塩いっぱい取ってくるから、と言い捨てて逃げるように自分の乗る船に走っていった。

 僕は、本当はそんなことを謝ってほしいんじゃないんだけど、と思いながら、シャムを見送ったのだった。



 そして、シャムから返されたペンケースは今、長江を走る船に乗る僕の手元にあった。

 このペンケースは、ビニールで作られた安物だったが、青山君が宝物とし、自慢してたものだった。

 荊北のクラスメイトが青山君で、もしも会えたのなら、僕が謝らないといけなくなってしまった。

 どうやって謝ろうか。いや、生きて会うことができたら、何だって謝ってやろう。ペンケースのことだって、この時代に来てから四ヶ月も探さなかったことだってそうだし、彼の話を適当にあしらって適当に相槌を打っていた僕の彼に対する態度そのものから、全て改めよう。


 彼の生きていることを願い、生を司るという南斗星君の星にお祈りしようと思ったけど、霞みがかった昼間の空では、星が見つかるわけはなかった。




 船は、航路を順調に進み、日が中天に差し掛かる前に、北岸の白羊という町に着いた。

 白羊の港は、小さいながらも石を積んで作った立派な波止場があり、灯台まで設置されていて、古くから栄えている港であることを伺わせた。

 港の物見台には、『孫』や『周』と書かれた旗がはためき、波止場から町へ入る乗客たちを、兵士たちが検問を設けて厳しく取り調べていた。


 馬容さんが小声で、周瑜しゅうゆの手勢だ、と教えてくれた。

 そして、ゴリさんが僕の帯を引っ張り、乗ってきた船に戻らせた。

 船は、この白羊の港でまた乗客を乗せ、長江を下る。

 僕らはまた船に乗り、陸路をやめて水路で江夏を目指すことにした。


 船の中で別の乗客から聞いた話では、長江沿岸は、既に上流の夷陵いりょうまで孫権軍に占領されており、今は司令官の周瑜自ら荊州城の攻略に当たっているということだった。

 赤壁の戦いが終わり、曹操軍が去って荊北は平和になったかと思ったら、曹操軍も去ってなかったし、戦争も終わってはいなかった。

 戦いはいつまで続くのかのォ、儂等にとっては誰が勝っても同じだがのォ、とゴリさんが適当に打った相槌は、妙に真実味を帯びた声色に聞こえた。



 船はそのまま長江を下り、空が暗くなり始めた頃、江津の港に着いた。

 僕らは江津からまた陸路で行くことにした。船賃がとても高かったからだ。


 しかしそれも無理もなかった。

 一日船に乗って僕も気づかされたのだが、長江上では孫権軍と思われる船が多く行き交い、航行中に何度かそれらの船に呼び止められ、船主が心付けを渡していた。

 その費用が船賃に上乗せされてれば、高くなるもの仕方がないことだった。


 江津の港は、主戦場の荊州城に最も近く、孫権軍の軍船が大小様々停泊していた。

 僕らの島に攻め寄せてきた巨船よりも大きな船が何隻も停泊し、軍人たちが麻布袋や木箱の積み下ろしをし、荷物運びの人足や飲み水を売る売り子などが沢山地べたに腰を下ろし、人の罵声や馬の鳴き声などで、とても賑わっていた。


 戦場に近いためか、検問は殊更厳重で、僕らも荷物袋の中身まで一つ一つ調べられた。

 と言っても、食料と多少の着替えの他には荷物はなく、武器も持っていなかったし、唯一怪しまれるであろう手紙は、ゴリさんが、こういう検問に慣れている様子で、二重になってる荷物袋の底に隠し、無事通ることができた。

 馬容さんとその仲間たちも皆荊北の人なので、荊北訛りの漢語で故郷に戻って来たと言えば、本当のことでもあるし、検問の兵士たちも疑いようがなかった。



 検問の向こうには、馬や牛に荷車を引かせた車夫たちが、僕らの乗った客船を待ち構え、乗客を取り囲んで何処へ行くのか、荷物はどれくらいだ、などと聞いてしつこく付きまとってくる。

 大戦争があったばかりで、まだ近くで戦争をやっているのに、人間てたくましいな、と思ったり、いや戦争が起こっているからこそ、かえって稼ぎ時なのかな、と思い返したりした。


 戦争で危険だから、安全な道を案内してやる、という誘い文句には、僕一人だったらあっさりと乗っていたところだったが、ゴリさんに強く手を引かれ、僕ら一行は車夫たちの攻囲を強引に突き破った。


 そして、港町で宿を何軒か巡り、空いている宿を探して一泊し、いよいよ僕のクラスメイトを見たという、曹操軍の野営地だった場所――烏林うりんに向かったのだった。

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