第30話 荊北へ
僕は、徹夜明けで酒盛りをして、すっかり潰れて熟睡しているシャムたちを起こそうとした。
しかし叩いても蹴っても誰も起きようとせず、小虎のアイスをけしかけても、彼は酒の臭いを嫌がって近づかないし、すぐに諦めた。
掃除をしようとしても寝ている彼らが邪魔でそれ以上進められず、仕方なく蒯先生たちとの井戸端会議をもう少し続けることにした。
何よりも、僕は、長江の北から来た習珍さんたちに聞かなければいけないことがあった。
僕は、ズボンのポケットから僕の高校のボタンを取り出し、習宏さんに向かって差し出した。
僕が宜都の町の港の露店で買った、黒く汚れたボタンだ。
僕はボタンを差し出し、これに見覚えはありませんか、と聞いた。
習宏さんはボタンを手に取り、仔細に眺め回したが、残念そうな表情で首を横に振った。
すると、習珍さんが、ああ、そう言えば、と言って話に割って入り、謎の言葉を発した。
「そう言えば、少年、君のその服は何なんだ、死んだり病気になったりしないのか。」
普通の学生服を着たから死ぬ、という文章を僕は理解できず、聞き間違いかと思ってもう一度聞くと、今度は習宏さんが最初から細かく話してくれた。
それは、大体次のような内容だった。
習宏さん兄弟は、荊州の主の地位を継いだ劉琮とともに曹操軍に降伏し、曹操軍本隊について長江北岸まで南下した。
赤壁の地で長江を挟んで孫権軍と対峙する中、南方での野営に不慣れな曹操軍の中で疫病が大流行し、多くの兵士が病に倒れていった。
兵士たちの中で、死を司る北斗神が降臨し、軍の中で死を振りまいている、というとんでもない噂が流れた。
習宏さんたち、元々長江沿岸での野営にも慣れていた荊州の兵達は、司令部が疫病対策を怠った不満の矛先を逸らすために嘘を付いているのではないかと疑った。そして、習宏さんたちの上官が、ちゃんと対策を取るよう司令部に直談判に行った。
しかし、司令部では全く取り合ってもらえず、帷幕の中にすら入れてもらえなかったらしい。
そして、憤懣やる方なくも自分たちの陣に帰る途中で、噂の正体を見てしまったのだという。
縄張りされて周りから隔てられた小屋があり、それに興味を持った上官は、何か習珍さんたちに土産話の一つでもと思い、監視の目の隙を突いて小屋の中に忍び込んだのだという。
すると、小屋の中には一人の人間が、目をつぶって死んでいるのか生きているのか分からない様子で、寝床に横たわっていたという。
その人は、年若い男子で、手足と胴体が筒状になった真っ黒な服を着ていて、服の前面には金色に光る釦子が縦に連なっていて、その禍々(まがまが)しさに、此奴が北斗神が下界に降りた化身か、と確信したのだそうだ。
そして、その上官が語ったその人の格好は、まさに僕が着ている学生服と全く一緒なのだという。
その後しばらくして、習珍さんたちは荊南侵攻軍に編入され、武陵郡一体を宣撫して回っていたところ、蛮族が反乱したのでその拠点を攻略しろという指令を受け、鐘離山まで攻め寄せ、学生服を着た僕に出会ったのだという。
僕を鐘離山上の白虎堂で初めて見たときには、向こうには北斗神が味方についてるぞ、と兵士たちが混乱し、逃げ惑って大変だったらしい。
その場面は僕も見て知っていたが、そんな風に思われていたとは。
それよりも、その学生服を着た人がそれからどうなったかを知りたかったが、二人とも、それ以降は荊南に来てしまったので分からない、ということだった。
習宏さんがしてくれた話は、僕にとっては途轍もなく重大な話だった。
この時代に来て四ヶ月で、ようやく初めて聞いたクラスメイトの情報だった。
残念ながら、その人が黒ずんだボタンの主かどうかは分からないが、少なくとも一人はクラスメイトがこの時代にいる、ということが知れた。
僕の頭の中は様々な思いが渦巻いた。
今までの出来事から、荊北にはクラスメイトに繋がる何かがある、という予感めいたものは漠然と感じていたけど、それがようやく確かな情報として受け取ることができた。
しかしその結果生まれた感情が喜びなのか不安なのか、判別できなかった。
早く荊北へ行ってその人と合流しないと、生きてるのか死んでるのか、生きていたら曹操軍と一緒に北に連れて行かれちゃったかな、嬉しいけど不安だ、どうしよう、どうしよう、などと頭の中が混沌として定まらなかった。
それにしてもこの布はよくできてるな、と言って習珍さんが僕の学生服をさすったり摘まんだりしていたのも、僕の意識を右から左へすり抜けていき、それが視界に入りながらも、頭の中は荊北のクラスメイトのことしか考えられなかった。
四ヶ月前に僕のこの時代での人生が始まったのが、荊北の森の中だった。
森の中を彷徨い歩き、戦場で趙雲に助けられ、それから張飛に打たれて気を失い、その後はもう長江の岸辺だったので、荊北と言えば、僕の中では地獄のような戦場のイメージだった。
しかし、このとき僕は荊北に行こうと決めた。
学生服の彼の正体を知っているのは僕しかいないのだ。
彼は、僕と同じ高校に通っている、ただの日本の高校生なのだ。断じて死神の化身などではない。捜索願を出されても警察も決して探し出せない。僕だけが彼を普通の日本人高校生だと分かるのだ。
そして、彼だけが、僕を普通の日本人高校生だと分かってくれるのだ。それは、どんなに心強いことだろう。
僕が荊北のクラスメイトに思いを馳せている一方、馬容さんたちは、今回の戦争のことや、宜都の町なんかについて、話し合っていた。
馬容さんはやはり劉備軍と行動を共にしていたようで、襄陽から長江沿岸に撤退する途上で曹操軍に捕まったらしい。
馬容さんと習兄弟の話してる様子だと、馬容さんの家はやはり相当有名で、軍中での階級も上だったみたいで、ご高名は久しく伺っておりました、と弟の習宏さんが改まった挨拶をしていた。
蒯先生はそんな彼らの様子を退屈そうに眺めていたので、先生は習さんたちとお知り合いだったんですか、と聞くと、知らない、酒とか入り用の物を山頂まで持って来させてるだけだ、という返事だった。
「そりゃないぜ、爺さん、道中の死体も俺たちが片付けて、堂内だって綺麗にしてやったし、暇なときには話に付き合ってやってるだろ。」
習珍さんが、聞き捨てならないとばかりに話に入ってきた。
僕が少し感心した声を上げると、これも人心収攬の手段よ、と習珍さんは得意げな顔をしてみせた。
何か漢軍が山賊化して暴れてるという話を聞いてきたので、とても意外です、と伝え、長陽県令の樊冑が言っていた話を習珍さんたちにしてみた。
すると、習珍さんは笑い声を上げ、蒯先生は顔を顰めて言った。
「小人が善人の皮をかぶって、虎を駆って狼を逐わせるとは、滑稽の極みだわ。」
蒯先生がまた暴言を吐き出したと思い、僕が注意すると、古来より官吏というものは大なり小なり悪党である、と持論を言い出して、蒯先生の長話が始まりそうになった。
そこにすかさず気遣いの出来る習宏さんが割って入り、簡単に説明してくれたのだが、その内容はまた驚きのものだった。
この鐘離山から上流に二日ばかり遡ったところに、塩水が湧く泉がある。その水を煮沸させただけで上質の塩が採れる。
この塩泉は、今まで大漢の役人によって採取され、官製塩として売り出されていた。
そこに今度は曹操軍が攻めてきて、それも先日撤退し、今は誰も管理する者がいなくなった。
樊冑は習珍たちに、誰もいなくなった塩泉を占領し、塩の密売をやらないかと持ちかけた。
習珍たちは一旦は話に乗ったが、取り分に納得が行かず、話を保留していた。
樊冑が腹を立てていたところに、僕たちが現れ、樊冑は渡りに船と、僕らに対し、習珍たちの排除を依頼した、というわけだった。
僕はそもそも、そんなに近くに塩の取れる場所があるとは知らなかった。
と言っても、たかだか三ヶ月滞在しただけで知るわけもなく、元の時代でも通ってた高校の裏に大きな美術館があるのを一年以上知らなかったので、二日かけて行く場所のことを知らなくても無理はないのだ。
しかし、その塩泉のことは蒯先生も知っていて、荊州府の財務記録にも清江塩の販売による税収が計上されていたという。
そもそも、清江の塩泉の歴史は古く、神話時代にまで遡り、《世本》という書物には、凛君族の始祖の凛君が塩水を産出する場所に住む部族を調伏したことが記されているという。そして、清江は昔は『夷水』の他、『塩水』とも呼ばれたという記録もあり、清江の塩泉は、漢人の歴史上ではそのくらい有名なのだという。
僕としては、蒯先生が荊州府の財務記録を見たということの方が気になった。塩のために戦争をする、ということに現実味を感じられなかったのだ。
それに、樊冑はとてもにこやかで悪者のようにも見えなかったし、何か誤解でもあったのでは、と疑わざるを得なかった。
もっとも、疑ったからってどうしようもない。
樊冑の依頼は、習珍さんたち漢軍の残党を征伐せよ、というものだったが、今となっては達成できないだろう。
習珍さんたちは、島の人たちと仲良くやってたようだし、習珍さんは島の娘と結婚してしまったので、追い出すのも道義に反する。
大漢の県令との諍いの火種を自ら抱え込むのも得策とは言えないのだろうけど、島のみんなにお世話になってる僕が口を挟むようなことではなかった。
いずれにしても、進む方向は変わらない。
僕は、島を離れて北に向かうことに決めたのだ。
「しかし、少し面倒なことになったな。」
蒯先生は思案顔で言い、小人という者は、自分より下に見ていた者に出し抜かれると、仕返しをするため驚く程の執念を燃やすものだ、と自ら解説を加えた。
要するに、樊冑が腹を立てて今後面倒事を持ってくることを予想しているのだ。
そして、打開策を考えてくれたのだった。




