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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第一章
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第29話 宴の後

 一ヶ月ぶりに鐘離山に帰ってきた僕は、その当日の昼、馬容さんと習宏さんと、その他有志数名とともに、宴会場の片付けにいそしんでいた。

 空はきれいに晴れ上がり、風は冷たいが、族長屋敷の庭の梅の木もいくつか蕾をつけている、そんな季節になっていた。

 馬容さんたちと一緒に、魚や鳥の骨を拾い、水場で水を汲み、地面にこぼれた酒を洗い流し、母屋の床を水拭きした。


 たった今結婚した習珍さんのお嫁さんも、片付けを手伝ってくれた。

 習珍夫妻の結婚後初めての共同作業は、僕たちが奪ってやった。

 島の若い娘を奪った習珍さんに対する復讐に、少しはなっただろうか。



 僕は拭いている床板を間近に眺めながら、帰ってきたことを噛みしめていた。


 約一ヶ月の時を隔てて、僕らは鐘離山に帰ってきた。

 おまけにこれと言った犠牲を払う事もなく、漢人や島民と楽しくお酒を飲んで、鐘離山を再び円満に接収した。


 結果として、僕が千八百年後の日本で学んだ歴史通りに、赤壁の戦いで曹操軍は敗れ、長江流域から撤退した。

 鐘離山を占領していた曹操軍も撤退し、残って山賊化した者たちも、鐘離山の島民たちとは戦う意思を持っていなかった。

 漢軍の残党との戦闘を覚悟して、意を決して島に上陸した僕たちは、以前と同じように平穏に暮らす島民たちを見て、全く拍子抜けしたのだった。


 思い返してみると、長陽の町へ向かう前に、皆が勝手な行動をとらないようにと僕が思いきって立ち上がり、皆の前で意見を表明したことが、無駄だったようですごく恥ずかしかった。

 無駄だったばかりか、長陽県令の樊冑はんちゅうに余計な借りを作ってしまった。

 慣れないことはするもんじゃない、向いてないんだよ、という言葉が心の中でだんだん大きくなっていく。


 余計なことばっかするなよ、お前がいてもいなくても歴史は同じ道をたどるんだよ、だから放っておけよ、自意識過剰なんじゃないの、恥ずかしい、という内なる声は、道中度々僕の心を縛り付けた。

 この鐘離山でシャムと義兄弟になり、鐘離山の頂上からパラシュートで飛び立ったときに、僕はあらゆる困難を背負おうと覚悟したつもりだったが、その後も僕という人間は一向に変わっていない。

 いろいろ悩むことなく、もっと素直に行動したい。この島の人たちや、アシムみたいに。


 こんなことを考えながら床を擦っていると、美しい歌声が微かに聞こえてきた。

 顔を上げて見渡すと、習珍のお嫁さんが離れたところで床の汚れを拭きながら、鼻歌を歌っていた。

 島の女の人が作業をするときによく歌う歌で、麓に降りていった時に、家々から機織りの音と共によく聞こえてきたものだった。

 細いけど高くよく伸びる歌声に、僕はしばし聞き入ってしまい、何で若い娘の声はおばさんと違うんだろう、同じように喉を空気が通ってるだけなのに、などと取り留めもないことを考えた。


 すると、すぐ近くから大きないびきが突然聞こえ、僕の考えは中断された。

 見ると、シャムが大きな口を開けて大鼾をかいていた。

 少し気分を害された僕は、鼾はおじさんだろうと若者だろうと同じように汚いな、と心の中で悪態をついた。

 でもそんな悪態は八つ当たりに近いことも分かっているので、その場所を少し離れて、水場に布を洗いに行った。



 気持ちがモヤモヤして晴れなかったので、寒いけど学生服を脱いで井戸の水を頭から被った。

 大声を上げながら、二杯、三杯と水を被ると、スッキリしてきた。


 「楽しそうじゃないか。俺にも一杯浴びせてくれよ。」という声が横からしたので振り返ると、習珍さんがすぐ横にいた。


 髪の毛も相変わらずボサボサで、寝起きのうつろな目をしていたので、桶一杯の水を顔に思いっきりぶつけてやった。

 習珍さんはスッキリした顔で、気持ちいい、もう一回、と催促し、井戸も水をもう一度桶に汲んで、頭から浴びせてやると、習珍さんは水を浴びながらゴクゴク飲み、飲み終わると気持ちよさげに快活に笑った。

 水を浴びせてみせると習珍さんは思いのほか年が若そうで、僕よりせいぜいひとまわり上くらいだった。


 それから小虎のアイスも寄ってきて、桶の水を舌で舐めだしたので、もう一つの桶の水をアイスの体に浴びせると、アイスは悲鳴を上げ、体を大きく震わせて水を周りに飛び散らし、駆け足で逃げていった。

 アイスが飛び散らせた水は、そばに立っていた習珍さんの顔にかかり、習珍さんは、アイヨ、と情けない声を上げて後ずさり、その姿を見て僕も大いに笑った。



 そんな感じで遊んでいたが、やはり冬の空気は濡れた体にこたえ、乾いた布で体を拭いていると、また声をかけられた。


 「この寒いのに水遊びとは、乾司ケンシ君は相変わらず子供よ。」


 その聞き覚えのある声と聞き覚えのある憎まれ口に、僕は急いで振り返ると、やはりそこにはかい先生がいた。

 蒯先生は、一ヶ月前と同じ姿で、痩せた白髪の仙人みたいで、発した言葉とは裏腹に、穏やかな表情で立っていた。

 僕は懐かしさのあまり蒯先生に駆け寄ったが、蒯先生は、濡れるから近寄るな、と言って、僕を冷たくあしらった。

 

 「爺さん、下りてくるなんて珍しいな、今日はもう酒は売り切れだぜ、こいつらが全部飲んじまった。」


 習珍さんも布で体を拭きながら、離れたところから声をかけた。二人は会ったことがあるようだった。

 蒯先生はそれに対して軽く手を左右に振り、否定する動作で答え、周りの情景を見ながら言った。


 「この官兵崩れの廃物ゴミ共が、また島の人たちに厄介をかけてるのか、そこの小虎のほうがまだ人らしいわ。」


 見ると、小虎のアイスがまた戻ってきて、井戸の桶に入った水を大人しく舌で舐めていた。

 それにしても、蒯先生の憎まれ口は、母国語の漢語で漢人相手に話すときには爆発するようだ。


 「ご老人、何かご入り用でも生じましたか。頂上まで私どもでお持ちしますよ。」


 習珍さんの弟の習宏さんが、急いで話に加わってきた。

 習宏さんのような性格だと、年配者に対してもとても丁寧なようだし、兄の口の利き方には冷や冷やさせられるのだろう。


 「ああ、気にするでない、今日は違うのだ、旧知の者共に会いに来ただけだ。」


 蒯先生は、習宏さんには妙に畏まった調子外れな返事をした。

 もしかしたら習宏さんのような礼儀正しい人は逆に苦手なのかもしれない。


 そして、蒯先生は、習宏さんの傍らで片膝をついて頭を垂れている人――ゴリさんだった――に向かい、ご苦労だった、とひとこと言った。

 ゴリさんは、頭を下げたまま身動き一つせずに短く返事をした。そんなゴリさんの畏まった姿は一度も見たことがなかったので、新鮮だった。


 そう言えば、蒯先生がここに登場したのも僕らが来たのを知っていた様子だし、パラシュートで脱出したときやその後の手はずも、ゴリさんが予期していたかのように整えていて、それが蒯先生の指図だと言うし、何なんだこの人たちは、という思いをここぞとばかりにぶつけてみた。


 ゴリさんは、それに対してはやはり多くを語ってくれず、身辺で働かせてもらってたのだ、というばかりだったが、これについては蒯先生の方が饒舌じょうぜつで、昔宮仕えをしていた頃に、細作として使っていたのだ、と教えてくれた。

 さらに、こいつは漢語と凛君語だけではない、五渓蛮全ての言葉に加え、南越語にも精通しているのだ、と自慢げに語った。


 そして、かつて蒯先生が鐘離山に身を置いたのも、ゴリさんの紹介だ、と言った。

 僕が鐘離山に来たのもゴリさんが仲介したのだったし、ただのガイドさんだと思っていたゴリさんが意外にも重要な役割だったことにも、また驚かされた。



 それから、僕らのこれまでの経緯について、馬容さんと共に、蒯先生に簡単に話した。

 蒯先生は曹操軍が宜都周辺からも全軍撤退したことに嘆息し、また歴史が動くな、と溜め息混じりにつぶやいた。


 馬容さんが、漢王朝に滅びてはならぬと天が告げているのでしょう、と言うと、蒯先生は馬容さんを一瞥し、蠢才おろかもの、と呟いた。


 馬容さんは一瞬表情を固くしたが、流石に大家族の出で、老人の小言と受け流したのか、すぐに平淡な表情に戻った。

 蒯先生はそんな馬容さんの表情の変化は意に介さず、低い声で言った。


 「これからこの部族も穏やかには過ごせまい。大波に何度も揺られることだろう。何度も転覆するかもしれない。中原に鹿をっていた時代は去り、中原を出て、山を穿ち、海を渡り、どこまでも獲物を求め続けるのが、炎帝黄帝の子孫だという我々の今の姿だ。その貪婪たんらんなること、饕餮とうてつの子孫と言う方がよほど当てはまる。人は豊かになればなるほど愚かになっていくようで、どこまでも救いのない生き物だよ。」


 蒯先生の口調は何だか痛ましく、凛君族の行く末を心底案じてくれているようだった。

 見渡すと、凛君族のダレルやノックやモッコさんなど、ほとんどみんなが酒の臭いのする息を吐き立て、幸せそうな寝顔を見せている。

 族長の跡取りであるシャムなどは、屋敷の床の上で大の字になり、ひときわ大きな鼾を高らかに上げて、幸せそうに寝ている。


 彼らにこれからどんな困難が待ち受けているのか、それともどんな幸福が待っているのか、僕は全く知らなかった。

 せっかく未来から来たのに、千八百年後の日本というあまりにも遠いところから来たため、この人たちの役に全く立てなかった。


 でも、この人たちの平和な寝顔を見ていると、どうでもよく思えた。


 この人たちが寝てる間にきれいに掃除することが出来るし、この人たちが起きたら、一緒に魚を捕り、狩りをし、たきぎを拾うことも出来る。この人たちが寝過ぎたら、顔に思いっきり水をぶっかけてやろう。


 目の前にいる人たちのことを大事に考えよう。

 大事に考えれば考えるほど、みんな僕と同じくらい役立たずで、蒯先生の言うように救いようがなく、そして愛すべき生き物たちだった。


 これじゃあ死んだ族長夫妻も浮かばれないや、と僕はまた心の中で悪態をつき、寝ているみんなを起こしにかかったのだった。


第一章はここまでとなります。


書き始めてみると、思ったよりストーリーが進まず、当初予定していた部分まで書き終えるのに200話以上かかるのではと思い、危機感を覚えています。

簡潔に書くというのも技能の一つなのだな、と自分の技量不足を痛切に感じます。

もっとエピソードがザクザク進むのが理想ですが、高校生の日記の体で書いているので、心情も入れていると結構文字数がかかってしまい、心情と絡めてエピソードを進めていくのがなかなか難しかったです。


拙文を第一章の最後まで読んでいただいた方には感謝しかないです。

かわいくてエッチなヒロインも出てこないし、会話文も少ないし、主人公も活躍しないし、現代知識でさすがみたいな展開もないし、『小説家になろう』の潮流に見事に逆行する作品なのに、よくぞ最後までお読みいただいたと感心するばかりです。

暇だったから、以外で何か理由がありましたら、是非ともお聞かせ願いたいです。

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