第25話 新たな仲間
漢語 …「 」
凛君語…『 』
この話では上のように括弧を使い分けています。
「私たちを雇わないか?」
彼が発した言葉は僕にとってはあまりに意外で、どう返したらいいのか分からなかった。
なぜなら、漢人は凛君族のことを蛮族と呼んで蔑んでいて、島の人が漢人から蔑視を受ける現場を僕も何回か見たし、漢人にとって凛君族は劣等民族で、劣等民族を主と仰ごうなんて発想は浮かばない人たちだと思っていたからだ。
ましてや、漢族の軍人だったような人が蛮族のために生命を投げ打って戦うなんて、到底信じられなかった。
僕がどう返していいか分からず戸惑っていると、漢語がまあまあできるダレルとか年配者のウーさんとかが集まってきた。
僕がその漢人の言ったことを彼らに話すと、今度は彼ら二人が言い争いを始めた。
ダレルが信用できないと言い、ウーさんが貴重な戦力だと言う。
確かに信用できないし、でも鐘離山の残留戦力が不明な状況では戦力は少しでもあった方がいいのも確かだろうし、これは判断しかねる。
でも食糧ももうないし、一体何人くらい一緒に来るつもりなんだろう、まさか全員――その場には百人以上の漢人がいた――じゃないだろうな、と思い、何人くらい来るのか、とその漢人に聞いてみた。
すると、その漢人は、漢人たちがたむろする方に向かい大声を上げ、それに応えて、三十人ばかりの男達がゾロゾロと、それもまた痩せた生気の無い漢人たちの中のどこに紛れてたのかと思うほど強そうな人たちが、僕たちの方に寄り集まった。
まずい、多すぎる、争いになったらこっちもタダじゃ済まないぞ、と僕はとっさに警戒したが、ウーさんが発した言葉は違った。
「素晴らしいです。これだけ強そうな人がたくさんいれば、私達にとって大きな助けになります。」と、たどたどしい漢語ながら本当に嬉しそうに言った。
そして場の雰囲気が和やかになり、続けてウーさんが言った。
「明朝私達は長陽の町に向かい、そこで戦力を整えるつもりですので、その時にはご助力願います。」
そんな訳で漢人と一緒に行動する事に話はまとまり、しかし心中納得のいかない僕は、後でこっそりウーさんに聞いてみた。
ウーさんの答えは、とても簡単だった。
『行き場をなくして困っている人がいたら受け入れる。それは、先代の族長が大事にしてきたことだよ。ツカサもその恩で今皆と一緒に居るんだろう?』
こう言われたら僕はぐうの音も出ない。
その後ウーさんは、ジェツ達のような漢人嫌いな人たちも、漢人と漢人を戦わせて自分たちは高みの見物をしよう、とか調子のいいことを言って巧みに言いくるめた。
ウーさんは時々島を出て漢人相手に商売をしていて、漢人譲りの狡知なのか、相手に応じた説得術の使い分けも巧みで、島の中だけで暮らす純朴な島民たちはひどく簡単に説得されてしまった。
何はともあれ話は一段落したので、僕はラオたちのそばに戻り、夜明けまで一休みする事にした。
子供達の温かみに触れてうとうとしながら、漢人同士を戦わせて漁夫の利を得る、なんて夢物語が現実になったら、鐘離山の人達は漁で生活してるので、本当に漁夫が利益を得ることになるな、なんて寝惚けたことを考えた。
僕も、島の暮らしに染まって呑気が板についてきたのかも知れない。
夜が明け、長陽の町に向かって皆で歩いた。
昨晩、ウーさんの判断をよくよく考え直してみたが、あそこで喧嘩になっても徒らに戦力を減らすだけだし、困ってる人を助けるのは確かに正しい事だった。
だから、前向きに考える事にし、この漢人たちが何に困っているのかをよく知ろう、と思う事にした。
そして、歩きながら、昨日の夜声をかけてきた軍人風の漢人と話をしてみた。
その漢人は、軍人らしからぬ丁寧さで僕の質問に色々と答えてくれた。
その人は、馬容という名で、元々は荊北の人で曹操の荊州侵攻の際に抵抗して捕まったのだという。
馬容さんの家は大家族で、親戚一同合わせると八十人くらいいるらしく、彼の実の兄弟だけでも五人いて、彼はその中の三男で、自分以外はみんな優秀で地元でも有名なんだ、と嬉しそうに話してくれた。
荊北に家族を残してきたので何とか戻りたいのだという。
でも脱走してしまったので、今荊北に戻っても捕まるだけだし、かと言って荊南にこれといったツテもなし、取り敢えず身を隠して荊北の状況を探りたいんだ、と言っていた。
彼の仲間三十二人も、彼と同じような境遇だという。
馬容さんの話を聞きながら、僕はこの時代に来た初日の情景を思い出していた。
叫び声、血の匂い、地平線まで続く数多の野火、そしてその野火の数より多くの人の命が焼尽される様、地獄に来たのかと錯覚したあの情景だ。
彼はあの中で曹操の軍隊に抗ってた兵士の一人だったのかもしれない。
そして、彼の家族はあの地獄の中で犠牲になったのかもしれない。
僕は逃げ、彼は抗った。
僕は趙雲に助けられ、彼は曹操に捕まった。
その過程は正反対だが、同じように荊南に流れ着いたいとこ同士のような存在だった。
あの地獄を通ってきた者であれば、曹操軍に対する恨みは深いに違いない。この人は、少なくとも曹操軍に対しては一生懸命戦ってくれるのではないか、という気がした。
「一緒に戦ってくれて、ありがとうございます。」
僕はいつの間にか馬容さんにお礼を言ってしまっていた。
「まだ戦ってもいないのにお礼してくれるのかい?」
馬容さんは軽く笑って僕の勇み足を受け流してくれた。
僕は自分の失敗を見透かされて恥ずかしくなり、いや、これまで苦労して来られたから、つい、とかへどもどした受け答えをしてしまった。
すると馬容さんはこう言った。
「私は士大夫の家系に生まれ育った。先祖代々漢室の恩を受ける身でありながら、漢室の今将に滅亡せんとする時に、あまつさえ曹賊の虜となり、その暴虐を具に見ながら何も出来ずにいた。最後のひとあがきでもいい、漢室に恩返しがしたいんだ。漢室の歴史に我が家の名を刻むような何かをしたい。」
僕は、蒯先生が使うような難しい言い回しで滔滔と話すこの軍人を見て、新人類に出会ったような新鮮な気持ちになった。
志のために生きている人をこの時代に来て初めて会った。
劉備や趙雲らは志を持って生きてるかもしれないから、正確には、初めて話した、だ。
歴史に名を刻む、なんて言葉は日本ではあまりに現実離れしていて恥ずかしくて口に出したらバカにされるような言葉だ。
でもこの人はそんなことを本気で考えてる。そう思える。
「だから、そう長くはあなた方の世話にはならないよ。私は北の地でやらなければならない事が山ほどあるんだ。」
そうか、この人はこれが言いたかったのかな。確かに漢王朝への貢献が目標なら、島に留まっていてもしょうがない。それに一家の安否も確認するんだったら、遅かれ早かれ島を出ていかなければならないだろう。
ここまで考えて、ふと自分の身に翻って考えた。
僕は島に留まっていていいのか。やる事があるんじゃないのか。クラスメイトの安否の確認と、元の時代に帰る手段を探すこと。この時代の事は何も分からない、ということを盾に、何もしてこなかった。
学生服の上着のポケットの中を弄ると、制服のボタンに触れた。
宜都の港で銅貨二枚で買った黒く汚れたボタンだ。ボタンはやけに冷たかった。
僕が物思いに耽っていると、傍の茂みが大きな音を立てて揺れた。
僕は少し気づくのが遅れ、この大きな音と大きな揺れとこの近さはまずい、躱しきれない、と思い身を縮こませた。
すると、出て来たのは、白い虎――アイスだった。
アイスは鐘離山で族長一家が飼っていた小虎で、僕らと一緒に島を脱出した後、シャムと共に去ってしまったのだった。
アイスは腰の引けた僕の上からのしかかって来て、早速じゃれついて肩口に噛み付いてきた。
アイスはこの一ヶ月の間にまた少し大きくなったようで、大人と背負うくらい重く、また噛まれた肩口も、厚みのある学生服の生地を挟んでなお痛かった。
そしてほどなく、アイスが出てきた方向からまた茂みが揺れる大きな音がし、出てきたのはやはり、シャムだった。
とは言うものの、髪は乱れ髭で顔は隠れ、身に付けている元々白かった虎の毛皮は、汚れて茶色っぽくなり、痩せて目つきも鋭くなっていた。
シャムは僕らを見つけて一瞬眉を上げたが、僕の隣にいた馬容さんが驚いて、「何奴?」と漢語で叫ぶと、シャムは低く唸り、手に持った剣を振り上げて馬容さんに襲いかかった。
馬容さんも逃げるかと思いきや、自ら前に出てシャムが振り上げた腕を半身で受け流し、シャムの背後を取ってそこからシャムの腕と首を押さえにかかった。
シャムは首を絞めようとしてくる馬容さんの腕に躊躇なく噛み付き、馬容さんが思わず手を緩めたところでシャムはその手から逃れて一旦距離をとり、両者とも構えたまま動きを止めた。
それらはほんの一瞬の出来事で、僕が状況を飲み込む間も無く、またまた同じ方向の茂みがざわめき、大きなイノシシ、と見間違えるかのような塊が飛び出して一直線にシャムの方に突進し、横からシャムの腰に飛びつき、シャムを押し倒した。
その塊はよく見ると、なんとゴリさんだった。
シャムがゴリさんを振りほどいてまた立ち上がろうと暴れるが、すかさずノックやダレルなど島民何人かが覆いかぶさり、シャムの動きを封じた。
シャムは皆に押さえつけられたまま馬容さんを睨みつけていたが、寄ってきたラオとラビに気づくと、少し柔らかい表情になり、暴れるのをやめた。
この騒ぎで進軍が一旦止まってしまったので、少し休憩を取ることにし、シャムとゴリさんの話を聞くことにした。
と言ってもシャムは多くを話したがらず、向こうの山を通ってる時にシャムに偶然会った、というゴリさんのとても簡単な説明で納得するしかなかった。
とは言え、シャムの身なりをよくよく見ると、白虎の毛皮の汚れには土ばかりでなく血で出来たような汚れも混ざっており、持っていた刀もどこか薄汚れているようで、何か人に言えないようなことをやってきたのではないか、という気がした。
一方、僕らの方も、長陽の町に行って様子を探る、というダレルのこれまたとても簡単な説明で終わった。
何で漢人と一緒にいるんだ、というシャムの質問にも、雇った、という一言でダレルが説明した。
得心してない様子を見せるシャムには、ウーさんが色々とうまく説明してくれる。鐘離山を占領する漢軍をこれから追い出しに行くのだ、というシャムが絶対喜ぶ内容の中に、漢人たちが必要なことをうまく混ぜて説明していた。
シャムはウーさんを睨み付けながら黙って説明を聞いていたが、ラオたちが寄っていくとそちらに体を向けて彼らの相手をし始め、それでも説明をし続けるウーさんには、分かった分かった、といい手で制する動作を送った。心の中で納得してないけど表面だけは受け入れた、という様子で、ウーさんはそれを以て満足し、シャムのそばを離れていった。
僕は、小虎のアイスをあやしながら、そんな彼らのやりとりを見ていた。
シャムがウーさんを堂々とあしらう様に、今は亡き族長の面影を幽かに感じ、鐘離山上の日々を思い出して懐かしくなっていた。
僕たちはあの懐かしく平和な日々を取り返すことが出来るのだろうか。




