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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第一章
23/55

第23話 町での仕事

 宜都の町に偵察に行って帰ってきたその夜、僕ら鐘離山からの潜伏組は集まり、僕とジェツは偵察に行った結果を皆に話した。

 町には兵士や難民などのよそ者の出入りが多く、城壁や住宅など建築工事も盛んに行われており、僕らのようなよそ者が歩いていても気づかれなさそうだということを伝えた。

 


 それからしばらくの間は、僕らは宜都の町の中の雑多な仕事をやって過ごした。

 ほとんどの者が城壁や建物の工事の人夫として働き、少数の者が集落の人を手伝って漁に出て獲った魚を町で売って過ごした。


 僕はそのいずれでもなく、宜都の港にある商家で、帳簿をつける仕事をした。

 その経緯を一々文章に起こすのは気が重いので掻い摘んで言うと、最初は皆と一緒に城壁の工事をしてたんだけど体力がなくて追い出され、家でウジウジしてたらゴリさんがある日ぶらっと帰ってきて、事情を話したら知り合いの店を紹介してくれた、というわけだ。


 この時代では、漢人でも漢字の読み書きができる人があまり多くない。蒯先生のところでこの時代の漢字の読み書きを教わった僕は、工事現場では役立たずでも、それなりの職場に行けばそれなりに役に立った。


 朝早く鳴く鶏の声で起きて宜都の町へ行き、商家の屋内で商品名や数量を竹皮にひたすら書き付け、日暮れとともにラオたちが待つ家に帰る。

 給金が一日につき銅貨で三枚も貰えたので、数日に一回甘いものなどを買って帰ると、ラオたちはとても喜ぶ。

 家にじっとしていると、元の時代のこととか自分の現状なんかを振り返って、塞ぎ込みたくなるので、何にしても気を紛らわせる作業ができるのは有難かった。

 家でいじけていると一緒に住んでる小さな子供二人にまで気を使われるのもやり切れなかった。

 ラオが満面の笑みを浮かべて泥団子を捧げてきたときには、どう対応すればいいのか分からず少し戸惑ったけど、後で考えると、何か気を使ってくれたのかも知れないな、と反省した。



 商家での仕事は、筆を動かして文字を書いていればよかったので、あまり人と触れ合う必要がなく、僕みたいな潜伏中の者にはもってこいの仕事だった。

 商家に着くと、裏口から作業場に入り、用意された席に座って、後はひたすら帳簿の写し書き作業をする。


 僕が日本にいたときはまだ高校二年生で、仕事どころかバイトもしたことがなかったので、賃金を対価に作業をするというのは初めてだったけど、この作業は嫌いではなかった。

 それどころか、おろした墨の芳しい香りに囲まれながら、ただ目の前の文字を追って筆を動かしてゆく作業は、頭の中に渦巻いている様々な記憶――日本のことやクラスメイトのこと、それから族長たちの死や島の仲間たちの顔や自分に課された責任など――を忘れさせてくれ、僕にとってはとても落ち着ける時間だった。


 作業に疲れると、席を立って店頭に行く。

 店頭は、帳簿作業を行う所とは打って変わり、港に面しているので様々な人が始終出入りしていて、とても賑やかだ。

 そして床のそこかしこに様々な商品が山積みにされている。

 米や麦などの穀物はもちろん、朽ち果てた灌木やサイの角や蛇の干物といったよく分からないものがあったり、黒くて小さいものが山積みになっていて、キクラゲかなと思ってよく見たら乾燥させたコウモリだったり、とにかく色々なものがあって、人の出入りも激しいので見ていて飽きない。


 この宜都の町は、北は長江に接し、西には清江が伸び、そして南に真っ直ぐ一週間ほど歩くと、この地域の都が置かれている武陵郡の町に着くという交通の要衝で、はるか南から陸路で運ばれて長江で船積みされる交易品の中継地として交易が盛んだった。

 だからこそ曹操軍もこの町を城塞化しようとして城壁を工事していて、僕たちが潜り込めているのも人の出入りが激しいこの町だからであった。

 店頭の隅っこに座って、何も考えずに行き交う人を眺めていると、視覚が刺激され、先ほどまで墨の香りで黒い霧に覆われていた僕の思考力が蘇って動き出して来るようで、眺めているだけで楽しくなるけど、少しすると疲れてくるので、また奥に引っ込んで筆を動かす。


 こんなことを数度繰り返していると、日が傾いてきて、その日の仕事が終わり、夕陽を横に浴びながら家路を歩く。

 こんな感じに勤務先と自宅を往復するだけのサラリーマンのような生活がしばらく続き、冷えたお粥をすすり冷たい川の水で体を拭う以外は、とても満ち足りた暮らしだったと思う。


 ラオとラビの兄妹も、両親を亡くしたばかりとは思えないような落ち着きようで、表面上は大人しく留守番をしていて、夕方僕が帰るといつも家にいる。

 小さな変化といえば、僕の隠していた銅鏡をラオが見つけたらしく、僕が帰ると銅鏡で自分の顔を映しているところをよく見るようになったくらいだ。


 その銅鏡の中には、凛君族の創始者であり、僕と同じ飛行機に乗っていたであろう日本人だった『凛』さんのパスポートが入っているので、銅鏡が開かれてパスポートを汚されるのはまずかったが、ラオは鏡の向こうの自分の顔の映り方に全ての興味を持っていかれている様子だったので、取り上げようとも思わなかった。

 いつの時代でも女の子って鏡が大好きなんだな、と半ば感心したのを覚えている。




 そんな平穏な暮らしから、少ししてまた変化が出た。


 ある日集落に帰ってきて、鐘離山の仲間たちと話していると、城壁の工事に、脱出した僕らの仲間以外の鐘離山に残った島民が大勢働きに出てきた、という話が出た。

 大楯使いのノックが聞いた話によると、僕らが脱出したあとで鐘離山の島民たちは降伏し、漢軍の支配を受けたという。

 その結果、島の至る所に漢軍の旗が立てられ、多くの男が徴用されて島外で賦役につかされたのだそうだ。

 そして、宜都の町の城壁で、ノックたちと劇的な再会を果たしたということだった。


 その次の日に僕が宜都の町に出勤すると、城壁で作業する人足の中に、鐘離山の人らしい見覚えのある装いの人たちが何人も混ざっていた。

 彼らはまだ連れてこられたばかりだからか、他の人足たちよりも幾分元気で、凛君語で挨拶すると、漢人の人足たちが胡乱げな視線をゆっくり向けてくる中、彼らは笑顔で快活に返事を返してくれた。


 今のうちは元気だが、ここで待っているのはただ働かされるだけの日々だ。不潔さと疲労に蝕まれて、遠からず彼らの目からも光が失われ、漢人と同じように死んだ目を僕に向けるようになるだろう。

 その前に情勢が動いてくれるよう願いつつ、僕はいつものように町中に入っていく。


 そして商家に着くと、いつものように机を前に筆を取る日常に帰る。




 そしてそんな暮らしを続けて二十日あまりたったところ、今度は少し大きな変化があった。


 宜都の港に『漢』の旗を立てた大きな軍船が何艘も着港し、港が一気に賑わった。

 僕の商家でも、穀物や南方から仕入れた象牙やサイの角のような嗜好品が買い占められていったようで、店主の悲鳴に近い歓喜の声が、店の奥の僕のいる作業場までよく聞こえてきた。


 夕方になって退勤する時に僕は店主に呼び止められ、店主は顔を綻ばせながら僕に銅貨十枚を手渡し、「今日はたくさん物が売れたので、特別にあげるよ。」と言った。

 どうしたのかと聞くと、店主は言っていいのか首を傾げたくなるようなことまで話してくれた。


「今日は官軍の人たちが沢山来てくれて、店の品物をあらかた買っていってくれたんだ。なんでも、正式に撤退が決まったから、故郷へのお土産とか賄賂に必要だからって、北方にない珍しいものなんかは特に全部こちらの言い値で売れちゃったよ。」


 僕はこのとき、ついに待っていた知らせが来たことを知った。


 続けて店主は、少し申し訳なさそうな顔になり、「商品が全部売れちゃって明日から仕事がないので、しばらくは来ないでいいよ。」という言葉を続けた。


 それは日本だったら人をひどく落ち込ませる言葉だった。初めてのバイトがクビになったことを意味するからだ。


 しかし、僕の頭の中はそれどころではなかった。

 歴史通りに赤壁の戦いが曹操軍の敗走で決着がついたこと、ここから僕らは鐘離山を奪還する戦いに再び向かわねばならないこと、安逸な生活から再び離れないといけないこと、などの思いが一気に去来した。


 そして、ここからどうしたらいいのかを全く考えていなかった自分に愕然とした。

 店主は、そんな僕の様子を、職を失ってショックなのかと勘違いしたようで、さらに十枚の銅貨を僕に手渡した。

 僕はそんな店主に向かって精一杯の作り笑いでお礼を述べ、小走りで商家を後にした。


 僕は店主から貰った銅貨を懐にしまいつつ、町の外に向かって早足で歩きながら、これからについてを考えた。

 僕が皆に話した計画通りに行動するのであれば、これから皆と一緒に鐘離山に行って島を奪い返さないといけなかった。


 でもいざ実行する段階になると、本当にそれでいいのかと不安が沸き起こり、皆をいたずらに死なせることになるんじゃないか、この町でこのまま働いて暮らしてもいいんじゃないか、という考えが頭の中を渦巻いていた。


 一言で言うと、僕は自信がなかった。

 僕のせいで人に死なれるのも、怪我をされるのだって嫌だった。

 僕が死んだり痛い思いをするのも嫌だったが、誰かが死んだり傷を負ったりしても、その人の墓や傷跡を見るたびに僕の心は抉られるだろう。


 だから、このまま逃げてしまおうか、という考えも頭をよぎった。

 はるか南方まで逃げてしまえば、戦火もとどかないに違いない。海南島やベトナムまで逃げよう。いや、香港島まで逃げて香港島を占領してしまおう。そうすれば、二千年後の僕の子孫は大金持ちだ。

 懐にはたった銅貨二十三枚しかなかったが、それが心には意外に重く響いたのか、そんな空想めいたことも頭に浮かんだ。


 しかし、僕のそんな躊躇(ちゅうちょも許されないほど、事態の進行は速かった。

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