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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第一章
22/55

第22話 烤餅

 遠くを見渡すと、ジェツは三軒先の工事中の家屋の柱に顔を近づけて柱を睨みつけている。

 僕が歩み寄っていく間にも、ジェツは人足の一人から肩に手をかけられ、ジェツがその手を払い除けて、言い争いに発展している。

 例によって凛君語と漢語でお互いに通じない言い争いなんだけど、放っておくと人が集まってくるので、急いで駆けつけて二人を引き剥がす。

 ごめんなさい、と人足に謝りながらジェツの背中を押してその場を離れ、何をやっているのかとジェツを問い詰める。


 あれは、俺たちの木だ、奴らが俺たちの木を勝手に切り倒し、家を建てるのに使っている、絶対に許せない、とジェツは綿入れを振り回しながら眉を怒らせてがなり立てた。

 どういう事なのかと聞いてみると、建材として使われている木たちは凛君族の山に生えている木で、そこに勝手に入って勝手に木を切り倒して盗んだものだ、匂いと触った感触で分かる、と言う。

 本当かよ、と僕が思う間もなく、話している間にジェツの怒りは熱を帯びて行く。

 しまいには、あの材木たちを全部焼き払ってしまえ、こんな町、町ごと全部燃やしてしまえ、と大声で言い始めた。


 これはもう完全に不穏分子の発言で、凛君語が分かる者が周りにいたら一大事なので、僕はジェツの手を引きずって急いでその場を離れた。

 ジェツは鐘離山の島民の中でも漢人排斥側の意見を信じていて、きっかけがあると漢人排斥者の魂に火がつくのだった。


 僕はもうこの男を置いて自分だけ逃げ出したかったけど、そんなことをしてジェツが捕まって僕らが町のそばに潜伏してるのが漢軍の兵士にバレたら全ての計画が潰えてしまう。

 その闘志は素晴らしい、でも今は静かに潜伏しているときだから、一ヶ月後に思う存分暴れてくれ、とジェツをなだめ、取り敢えず腹でも膨らせて気を紛らわせようと、軽食屋の前に立った。


 小麦粉の焦げる甘い匂いを嗅ぐと、ジェツは途端に不機嫌な顔をやめ、目を輝かせて、店頭に並んだ食べ物を見た。

 その豹変ぶりを見ても、鐘離山の島民特有のズルさすら感じさせる天真爛漫さに慣れている僕は特に怒りを感じることもなく、その並んでいるインド料理のナンみたいな円形で平らな食べ物を指差し、店頭に立っている店番のおばちゃんにいくらするのか聞いた。

 おばちゃんは元気よく、銅貨一枚だよ、と答えた。

 銅貨が二枚残っているので、僕らで一つずつ、と思ったが、僕らで半分ずつ食べて、残りの一つはラオたちへお土産に持って帰ろうと思い直した。



 僕はそのナンみたいな食べ物――烤餅カオビンを二つ買い、一つを懐にしまって、もう一つを二つに割り、ジェツと二人で半分ずつ食べた。

 烤餅の中には菜っぱを炒めたか茹でたかしたものが挟まっていて、外側のもっちりとした食感と小麦の甘みに程よい苦味と塩味を加えていた。


 僕らが店頭で烤餅を分け合って美味しそうに食べていると、店のおばちゃんはお椀に白湯を注いで、喉渇くでしょ、と言いながら僕らにくれた。

 僕はおばちゃんにお礼を言い、凛君語でお礼を言おうとするジェツの口にそのお椀の白湯を流し込んだ。


 おばちゃんのお店は繁盛しているようで、僕らの後にもすぐに別の客が来た。


 次の客は二人連れの兵士で、烤餅を十個も買っていった。

 その兵士たちに対して、おばちゃんは銅貨を二十枚も要求していて、兵士たちもそれに異論を挟まずに支払い、立ち去っていった。

 兵士たちは、烤餅一つにつき銅貨を二枚も払っていたのだ。僕らの食べた烤餅の倍も高い。


 僕らの烤餅の中身は菜っぱだったのに、兵士たちのは中に肉でも入っているのかと思い、あの兵隊たちのは中に何が入っているの、とおばちゃんに聞いてみた。

 すると、おばちゃんは僕の耳元に口を寄せ、小声で言った。


「あんたたちと同じモンだよ。あいつらが来たお陰で物価が上がりっぱなしなんだ。この烤餅なんか先月は二つを銅貨一枚で売ってたんだから。小麦もどんどん高くなるし、来月には一つ銅貨二枚で売らないとやってけないんだよ。だからいいんだよ、あいつらには来月の分を前払いで払ってもらってる、ってことさ。」


 おばちゃんは小声で早口でまくし立てた。

 微笑みを絶やさない温厚な人だと思っていたら、陰口を叩くときには驚く程饒舌になる。


 じゃあ宜都の町のあたりだけの物価が上がってるのか、長江の北はどうなのか、と聞いてみた。

 おばちゃんは目を輝かせて、手振りを交えながら笑顔で話しだした。


「それが、長江の北側はもっと大変らしいんだよ。なんでも流行病はやりやまいが大流行しているとかで、人も住めない、食べ物も食べられない、そんなことになってるらしいよ。難民でも兵隊でも、北から来た人たちは口を揃えて、あっちはダメだ、もう人の住むところじゃない、って言うんだよ。うちも客が増えるのはいいんだけど、この辺に人が増えすぎちゃって逆に困っちゃってるのよ。」


 話の内容を聞くと、笑顔で話すようなことではない気がしたけど、ただ人と話すのが好きなだけなのかもしれない。

 続けて、あんたたちも長江の北へ渡るのはしばらくやめといた方がいいよ、と忠告してくれたので、お礼を言い、それから黒い服の男について兵隊たちが噂してなかったか聞いてみたが、さあ知らないね、とこちらは素っ気ない返事だった。


 おばちゃんから聞いた話が貴重な情報なのかと問われれば、そうだ、と自信を持って肯定することは出来なかったけど、この日に聞き込みした内容では、このおばちゃんの話が一番情報っぽかった。

 クラスメイトの情報は全く掴めなかったけど、何しろ長江の北は今大変らしいということは知ることができた。

 しかし学生服のボタンがどこから来たのか、どうしてここにあるのか、それから学生服が何故漢軍に恐れられているのか、などについては全く分からなかった。


 僕の個人的な疑問は何一つ片付かなかったが、宜都の町は兵士や難民でごった返していて、城壁や住宅など建築工事も盛んに行われており、僕らのようなよそ者が歩いていてもいちいち見とがめられるような雰囲気ではないことは分かった。


 この分だったら仲間の鐘離山の島民たちが出入りしても問題ないだろう。



 それから僕ら二人は町をぶらぶらしてみたが、とりててて収穫はなかった。

 というか、ぼろをまとって虚ろな表情でどこかを見ている難民たちや、大手を振って我が物顔で通りをのし歩く兵士たちに向かって漢語があまりできない僕が話しかけるのは、非常に勇気がいることだった。

 バレたら最後だもんな、という言い訳を自分にして、聞き込みはそこそこに散策ばかりしているうちに日が傾いてきたので、お腹がすく前に早々に帰ることにした。


 空は晴れていたけど、正面から吹いてくる西風は少し寒く、ジェツは銅貨三枚で買った綿入れを早速着込み、あたたかいと言って喜んでいた。

 僕はそんなジェツを横目に見ながら、懐に手を入れて猫背になって縮こまり、やはり宜都の町で手に入れた学生服のボタンを手で弄びながら歩いた。



 少し寒かったので道中は早足になり、日の暮れる前には集落に着いた。

 家ではラオとラビの二人が大人しく待っていた。

 家に着いたころには烤餅もすっかり冷えて固くなっていたが、烤餅を半分ずつあげると、ラオとラビの二人は美味しい美味しいと言って食べてくれた。

 このところは粟のお粥ばかり食べているので、小麦の風味を美味しく感じたのかもしれない。


 家の戸を開けた時の、小さい子が二人待っていて一斉にこちらを見て笑顔になる感じは、とても新鮮だった。

 自分を頼りにして待ってくれている人がいる、という思いが湧きおこり、それが嬉しさなのか緊張なのかよく分からなかったけど、この子達を故郷の鐘離山に連れ戻してあげたい、という思いへと繋がっていった。


 それから懐にしまった学生服のボタンに手をやり、このボタンの持ち主には帰りを待ってくれている人はいるんだろうか、と思いを馳せた。

 ボタンがどこから来たのか、持ち主はどうしているのか、それから曹操軍に恐れられている学生服を着た誰かの存在についても、早く突き止めないといけなかった。


 それと、烤餅屋のおばちゃんが言っていた、長江の北で流行っている流行病というのも気になった。

 元の時代では、アフリカの方で生まれて夥しい人間を死に追いやる新種のウィルスが度々ニュースになっていたけど、そういうものを連想させ、言いようのない恐怖を感じた。


 それに、それが戦いにどう関わってくるのかも気になった。

 赤壁の戦いって、苦肉之計で黄蓋が偽って投降して、それで燃えやすい船を沢山漕いでいって、それで東南の風が吹いて、それで曹操軍を火の海に包んだ、という感じで決着がついたんだと記憶していた。

 その中には、流行病というのは出てこないように思ったけど、これが何か戦の行方に影響してくるのか、少し不安があった。


 いずれにしても曹操軍が逃げ帰ってくれるんだったら、鐘離山奪還という現在の目的は達成されるわけだから、大勢に影響はないはずだ、と願った。

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