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三国時代の蛮族生活体験記  作者: 雀舌一壺
第一章
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第21話 ボタン

 僕は、手に取った高校の制服のボタンを夢中になって眺めた。

 一度火に焼かれたように黒くて落ちない汚れで覆われていたが、それ自体は古いものではなさそうだった。


 僕はそのボタンをしばらく見つめ、これは本当にこの時代に僕の同級生がいるのかもしれない、という思いを、逃がさないように、たぐり寄せるように、ボタンから目を離せないでいた。

 何しろ、三ヶ月もの間この時代に一人で過ごしてきたのだ。

 同級生が一人でもいれば、日々の不安感を分かち合って和らげることが出来る。

 今までは制服の前についているだけの無駄に派手で邪魔な存在だったものが、今では宝物のように感じ、視線すら離したくなかった。


 ふと我に返ると、露店の店主が濁った目つきでこちらを見つめながら、左手を差し出していた。

 店主に目をやると、店主は裾や袖が擦り切れあちこちが(ほつ)れた粗末な服を着ていて、日に焼けた浅黒い顔の額から唇の端にかけて大きな傷跡があり、袖に隠れて見えないが、どうやら右手はないようだった。


 僕は店主の容貌の醜さに少し気圧されたが、差し出された左手を見て、そう言えばお金を払っていなかったことを思い出し、ゴリさんの家の行李からちょろまかしてきた銅銭を腰巻から数枚取り出し、店主に払おうとした。

 僕が銅銭を取り出したのを見ると、店主は表情を和らげ、僕も店主に対する緊張が和らいで、このボタンの出所を探らないと、と思い至った。


 そして、銅銭を手に握ったまま、ボタンを指差し、「これはどこで手に入れたんですか。」と聞いてみた。


 店主はやや表情を曇らせ、人から買ったんだ、と答えた。


 いつ、どこで、誰から、としつこく聞いてみたが、最近漢軍の兵士から買った、ということしか分からなかった。


 買ったのは最近だからまだこの町にいるかもしれん、という店主の言い分を信じたわけではなかったけど、漢軍の兵士に聞くこともあったので、ボタンを引き取ってお金を払うことにした。

 ボタンのこと以外にも、学生服を何で怖がるのか、それからもちろん戦争の動向など、漢軍の兵士には聞いてみたいことが沢山あった。



 僕は店主に促されるまま、七枚の銅貨を取り出した。

 この銅貨一枚にどれくらいの価値があるのか分からないので仕方がない。

 七枚の銅貨を差し出すと、店主は途端に目を輝かせ、恭しい態度でそれを受け取ろうとした。

 すると突然僕の手は横から掴まれ、誰かと思いそちらを見ると、ジェツの姿があった。


 それからジェツは店主に向かって、こんなガラクタに銅貨七枚は取りすぎだろ、と怒鳴りつけ、店主はジェツに向かい、何するんだこのガキ、と罵る。

 ジェツは凛君語、店主は漢語で言っていて、お互いに言葉は通じていないはずだけど、不思議と心の通じ合った言い争いが少しの間続いた。


 騒ぎを聞きつけ周りに人だかりができても両者の争いは続き、最後は店主に銅貨を二枚渡して決着がついた。

 ジェツが僕の手からボタンを奪い取って筵の上に置き、僕を連れてその場を去ろうとしたところで、店主が折れたのだ。


 店主がしかめっ面で手招きしながら、二枚でいいよ、というのを合図に、ジェツは僕の手から七枚の銅貨を奪い取ると、店主に二枚渡し、残りの五枚をそのまま自分の手元に残し、僕が咎める暇もなく身を翻して、人だかりをくぐり抜けて斜め後ろの古着屋へ駆け寄った。


 僕は店長に声をかけてボタンを手に取り、急いで振り返ってジェツが後ろ姿を見せる古着屋へ行った。

 ジェツは、既に紺色の綿入れを手に取っていて、古着屋の店主は銅貨三枚を手にして腹巻にしまうところだった。


 夜中寒くて寒くてしょうがなかったんだよ、と綿入れを抱きしめながら笑顔を浮かべるジェツを見ると、ゴリさんの銅貨三枚を勝手に使ったことを咎める気になれなかった。

 むしろ、何の役にも立たない真鍮のボタンを銅貨七枚で買おうとした僕の方が、間違ったことをした気になった。



 ともかくも、僕は残りの銅貨二枚を嫌がるジェツから無理やり返してもらい、人ごみのない方へ歩き出した。

 港のはずれの人の少ないところまで移動し、僕は握り締めていたボタンを改めてじっくりと眺めた。


 これこそが、同じ時代にクラスメイトの誰かが来ていることの証だった。

 みんなどこかで集まっていたら最高だな、先生も揃ってこの時代で授業をしてて、そこに僕が突然現れたらみんなビックリするかな、などと、ひとたび希望を見出すと、妄想がとめどなく広がった。

 すると、ボタンをじっと見つめて惚けていた僕の真横から、突然ジェツの元気な声が聞こえた。


「何なのその小さいの?髪留め?ラオにでもあげるの?」


 言われたことが余りに突飛なので、ボタンを落としそうになり、ジェツに笑われてしまった。

 気を取り直し、いつも着ていた黒い学生服の前に縦に付いていたやつだと説明すると、ジェツも見覚えがあったのか、ああそう言えば、と納得顔で、僕から目線を移して、胸元の綿入れを抱きしめて微笑んだ。

 彼のボタンに対する興味は早くも去り、それよりも今夜暖かく眠れることが楽しみなようだった。


 僕もボタンが手に入り、少し浮かれてしまったが、ジェツの言葉でまた現実に引き戻された。

 そう言えばゴリさんの家ではラオとラビの二人が僕の帰りを待ってるんだった。二人も町に来たがってたので、それこそお土産を買っていった方がいいのかな。それよりも、二人を故郷の鐘離山へ帰すために作戦を遂行している最中だった。


 つまり、情報収集しなければならなかった。



 僕は綿入れを抱きしめて悦に入っているジェツを引きずり、街の中をどこへともなく歩いた。

 情報収集するにしても誰にどうやったら良いのか、全く分からなかった。


 二人で目標もなくフラフラ歩いていたら、町外れまで来てしまった。

 町外れには、新しい家屋を沢山建てている途中で、木柱がむき出しの建物が並んでいた。

 新しく切り出した木材の香りが立ち込め、人夫たちが忙しく行き来していた。

 何だろう、新しく街を作っているのかな、と自然な疑問を感じ、道端で椅子に座って日向ぼっこをしているお爺さんに聞いてみた。


 お爺さんの話によると、戦争の影響で難民が増え、町が汚くなったので、新しい家を建ててそこに難民を住まわせよう、ということらしい。ついでに、家を建てるのにも難民たちを使って、タダで働かせようというつもりだという。


 建築中の家屋はかなり多く、何十棟もあったが、それでも難民すべてを住まわせるのには少なく思え、全員住めるのか、とお爺さんに聞いた。

 お爺さんは、これだよ、と言って右手の親指と人差し指を擦り合わせながら、笑みを浮かべた。

 官府への心づけの多い者から、いい家を自由に選べるのだそうだ。

 一方、貧乏人は、金持ちの家を建てるためのタダ働きをさせられ、その挙句家も手に入れられず、引き続き野宿を強いられる、という。


 そんな話を聞きながら、僕は現実の救いのなさに心を沈ませていった。


 僕ら、というか凛君族は、鐘離山を漢軍によって追い出され、その過程で多くの人が死んで、僕らは故郷を取り戻すために戦っている最中だった。

 一方で、長江の北から戦争を避けてきた人たちの中でも財産を持たない人たちは、故郷を奪われ、生きる糧を失い、大河の彼方の見知らぬ土地で明日をも知れない生活を強いられている。


 僕らには帰る先があり、明確な敵がいたが、彼らは同じ漢人に土地や財産を奪われ、今だって同じ漢人に搾取され、一体誰が敵なのか、自分以外の全てが敵なのか、どこに行けば幸せに暮らせるのか、全く宛てがない状況だった。

 もしかしたら僕たちが今住まわせてもらっている土がむき出しで隙間風が入りまくる家でも、あるだけ幸せなのかも、と改めて考え直した。


 僕はお爺さんにお礼を言って別れを告げ、ジェツはどこへ行ったのかと辺りを見回した。

 僕は蒯先生に漢語を習っていたので日常会話は大体分かったが、ジェツは漢語が全く出来なかったので、僕とお爺さんの会話に退屈して、僕らの傍を離れてどこかへ行ってしまったのだ。

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