第18話 脱出
シャムは能天気に漢軍をとっととやっつけると言ったが、当然ながら実際は楽ではなかった。
ダレルやほかの人が交代で僕の学生服を着て櫓に立ってくれているので、漢軍の猛攻はなくなったが、僕らが門を出ると、漢軍は巴蛮族を盾にして後方から矢を射かけてきて、頂上から下には下ろしてもらえなかった。
いわゆる膠着状態だったが、こうなると困るのは僕らの方だった。
蒯先生の先見の明により、ある程度の食糧や水はあったが、それでも頂上に持ち込んだものには限りがあった。
漢軍としては、白虎堂の中に僕たちを閉じ込め、水と食糧がなくなるまでじわじわと攻め続ければよく、そもそも積極的に攻める必要もなかったのだった。
膠着状態の中での白虎堂の外と中での矢の放ち合いは一日続いたが、戦況には何の変化もなく、質素な夕食を食べながら、僕らはどうしたらよいかについて話し合った。
漢軍や巴蛮族に対する怒りの声はたくさん上がるものの、じゃあどうしたらこの状況を打破できるかという話になると意見は一切出ず、場は静まり返り、誰かが漬物を噛むコリコリという音だけがその場に響いた。
この場を何とか出来るのは蒯先生しかいない、と僕は思い、何かいい考えありませんか、と蒯先生に聞いてみた。
蒯先生は、ある、と凛君族の言葉で大声ではっきりと言った。
そして皆の注目の中、蒯先生はやはり凛君族の言葉で話し始めた。
「私と君たちの間には何もないようだが、目には見えないものが存在する。乾司君によると、『空気』と呼ぶらしいが、これは目に見えないだけで、水と同じように、扇で仰いだり、布で覆ったりもできる。」
「空気」の存在については僕は蒯先生に話したことがあり、その時は蒯先生は当たり前だというような顔をしていたが、どうやら覚えてくれていたらしい。ちなみに、「ケンシ」という呼び名は、「イヌイツカサ」を漢語読みしただけで、この方が呼びやすいということでこう呼ばれている。
さらに、蒯先生の話は続いた。
「そして、『空気』は、温められれば上昇し、風を起こしたりもする。このことは、漢人の間では広く知られ、信号灯として軍事利用されている。」
皆は誰も話についていけていないが、蒯先生は全く意に介さず話し続ける。
「さらに、この建物内にはたくさんの布と縄があり、材料が揃っている。」
ここまで聞いて、僕は思わず、『パラシュートだ。』と日本語で呟いてしまった。
蒯先生は僕のつぶやきを耳ざとく聞きつけ、何だ?と言ってきたので、先生の話を僕が引き継ぐしかなかった。
「反物を横に縫い合わせて大きな布を作り、その下に縄で人を吊るして風の力で空を飛んでここを脱出しよう、ということですね。」と引き継いだ。
蒯先生は満足げに頷きながら、その通りだ、と言い、さらに続けた。
「加えて言うと、今は冬だ。冬の寒い夜に冷やされた鐘離山の斜面は、昇る朝日により東側が温められ、上昇気流を生む。その上昇気流に乗って空を昇り、西風に流されながらゆっくりと下降し、清江の川岸に下りる。こうすれば、漢軍に手も足も出させずに脱出することができる。」
蒯先生は自信に満ちた態度で話し終わり、皆は話の内容を半分も理解できていないまま、蒯先生のその自信に満ちた態度にほだされ、表情に活気を帯びていった。
僕も思いついた瞬間には、これはいける、と熱くなったものの、パラシュートなんて飛んだことないし、ましてや作ったことなんか全然ないことに気づき、これは危ない、と思い返した。
しかしこのパラシュート作戦のほかにいいアイデアなんかは思い浮かばず、このアイデアに乗るしかなかった。
そして早速次の日から、兵の三分の一余りがパラシュート作成班に充てられ、来る脱出の日のため、今度は僕らの方が時間稼ぎをすることになった。
そしてその四日後の朝、僕は鐘離山山頂、白虎堂の東側の岸壁に立っていた。
視線の先には太陽が高く昇り始め、僕は上下学生服を着て、白いスニーカーを履き、服の上には竹鎧を身に付けている。
背負袋からは子虎のアイスが顔を出していて、そして腰に綱を結びつけ、綱の先には大きな布が付いていた。
僕は崖の上に立ち、吹き上げる風にさらされながら崖のはるか下に流れる川を見下ろし、とても後悔していた。
『パラシュート』だなんて口を滑らせたお陰で、作ることになったまではよかったが、それを最初に自らの体で試すことになってしまったのだ。
この三日間何度か実験し、布や綱の強度や重心の位置なんかにはある程度の自信があったけど、この崖を飛び降りるのかと思うと、緊張して汗が止まらない。
しかし、蒯先生によると、上昇気流が強く起きるのは東の斜面が太陽で温められて周囲の気温と温度差が大きくなる午前中の短い時間だけだそうなので、僕が躊躇している時間はない。
僕だってこの数日で成長しているはずだ、いろんなことから勇気をもらった、今度は僕がここで勇気を示すんだ、と自分に言い聞かせる。
パラシュートをみんなで作って、そのためにここ数日苦しい戦いを耐えてきた、僕はこの部族の一員になり、そしてみんなの希望になって、この空を見事に飛んで見せるんだ、こんなことを考えて自分を奮い立たせ、深呼吸をして気持ちを落ち着けながら、これまでの数日間を反芻した。
これまでの三日間、白虎堂の外壁を挟んだ戦いは続いた。
敵と武器を直接交えることは少なく、怪我人は少なかったが、水と食糧は目に見えて減っていった。
減っていく水と食糧は、皆の不安を煽ったが、不安の種はそれだけではなかった。
パラシュート作戦を蒯先生が話した時には、皆あまり理解せずに賛成していたが、いざモノを作り始めていくと、どういう作戦なのか分かってきて、無謀だという感情が生まれ、不安に繋がっていった。
そして、門の外の巴蛮族からは、時折大声で降伏を勧められた。
黒い服の男、つまり僕を殺して、族長一族、つまりシャムたちを引き渡せば、全員助けてやる、島の麓の住民たちにも手は出さない、という言葉で、僕らを内部分裂させようとしてきた。
しかし、島民たちの結びつきを揺るがすには至らず、僕らは作戦を続けることが出来た。
白虎堂の中には、一緒に島で暮らしてきた族長一族と近しい間柄の者が数十人いるばかりなので、族長一族を犠牲に差し出そうとする者はいなかったのかもしれない。
又は、降伏して命が助かったとしても、大漢帝国の宣旨によると、退去して巴都に行かないといけないので、巴都で屈辱に耐えながらひもじい生活を送るのなら死んだほうがいい、と考えたのかもしれない。
白虎堂の敷地ではたまに蒯先生が実験で、貴重な紙を使って信号灯を打ち上げていて、その空高く登っていく様を目の当たりにし、作戦の成功を信じる島民も出てきたのかも知れない。
ともかくも、僕らは様々な困難に耐えながら、三日間でパラシュートを十基作り上げた。
全員は逃げられない、というか島の麓に家族を残しているものも多く、謎の空飛ぶ道具をやはり信じきれない人も多かったので、パラシュートで脱出を試みるのは僕等や若者たちだけにして、残りの者は降伏して漢軍に身を任せることになった。
パラシュート作戦を言い出した蒯先生も居残り組に入っており、冬の清江の水は年寄りに堪えるというのがその理由だったが、もしかしたら蒯先生自身もこの作戦をそこまで信じていなかったのかも知れない。
僕ら鐘離山を脱出した者たちが中心となって、外に散っている凛君族の人たちの力を結集し、いつの日か鐘離山を奪還する、そういう皆の希望としての役割を果たしていく。
鐘離山を奪還するためにはまた漢軍に立ち向かうことになるが、危険を冒してでも、僕も一員としてやらなければならなかった。
この三日の間に、僕はシャムと義兄弟になったのだった。
義兄弟の件を言い出したのはシャムだった。
始祖様と同じ冊子を持つお前は決して只者ではない、お前と俺は同じ一族で、これは運命だ、という内容を熱心に語り、それがただのパスポートだと知っている僕もその熱意にほだされ、運命かもな、と思うようになった。
『凛』さんの遺したこの一族の将来を見届け、もしも元の時代に戻ることが出来たら、遺品のパスポートを届けてあげたい、という思いもあった。
ともかくも、僕らは義兄弟の契りを交わした。
義兄弟の儀式はなかなかに大掛かりだった。
衆人が見守る中、僕ら二人は族長夫妻の墓の前に跪き、目の前には証人の蒯先生が立ち、二人で天に向かい、「生まれた日は違えども、願わくは同じ日に死なん。」と誓いを立てる。
そして、お椀に酒を注ぎ、針で自分の指を刺して流れ出た血をお互いに数滴たらし、それを交互に飲む。
お椀の酒を飲み干すとシャムはそれを地面に叩きつけ、お椀は大きな音を立てて割れた。
それを合図に、皆から祝福の言葉が上がり、楽しげな空気に包まれた。
シャムの弟妹のラビとラオも満面の笑顔で、おめでとう、と言ってくれ、両親を失ったばかりのこの子たちに笑顔になれることを一つでも与えられてよかった、とその時は思ったものだった。
そういうわけで、僕はこの三日の間に凛君族の一員になっている。
別に日本人を辞めたとか二重国籍とかそういうことではない。
ただ所属する社会集団が増え、責任を果たすべき宛先がひとつ増えた、ということだった。
もちろん所属することで安心感や温かみを得ることもできるのだが、崖の上に立っている今は、とにかく責任を果たすべきターンだった。
全身から冷や汗が出て止まらないが、義兄弟の契りを交わした夜にシャムと話し合った、何としても生きるぞ、という言葉が僕を後押しした。
僕たちは生きてここを出て、また鐘離山を奪い返し、墓の前に戻ってくる、と天の族長夫妻と約束したのだ。
そのためには僕がまずここからパラシュートで飛び立ち、部族の未来へと希望を繋がなければならなかった。
背中では子虎のアイスが退屈になったか、僕を急かすように背中の竹鎧を爪でガリガリ引っかき始める。
島の仲間たちは、一番最初に飛ぶ僕の無事を祈って、凛君族の守り神である白虎を僕と一緒にしてくれた。
遙か未来で育った僕はそんなの迷信だって分かってるのだが、そんなみんなの願いをフイにする訳にはいかなかった。
僕は意を決して、パラシュートの傘部分の布を手元に引き寄せ、両手で掲げて大きく広げた。
布は崖の下から吹き上げる風に煽られ、空にはためく。
僕は布を両手からゆっくりと離し、布と体をつなぐ綱をだんだんと緩めていき、布はより高く上がって行き、僕を釣る力も強くなっていく。
ここまで来たら、もう引き下がることは出来なかった。
僕は助走をつけ、崖の上から思いっきり飛び出した。
パラシュートの浮力は僕とアイスの体重を支えるには十分で、僕らは上昇気流に舞い上げられ、それから西風でゆっくりと下流に向かって流されていった。
後ろの方からは歓声が上がり、振り返ると皆が立ち上がって喜び、こちらに手を振ってくれていた。
僕は綱から手を離す勇気はなく、また風向きに合わせて両手で綱を引いて調整しなければならなかったため、返事を返せなかった。
鐘離山の女性たちが織った布は、強風を受けても破れる気配なく、僕らは西風に後押しされて空中を滑るように進んだ。
進んでいくうちに、清江の右岸から光が光るのを何度か目にするようになった。
何者かが鏡を反射させて、僕に向かって信号を送っているようだった。
光の方をよく見ると、誰かがこちらに向かって手を振っていて、その手前には空の小舟が数艘泊まっていた。
船があるのはありがたいと思い、その誰とも知らない人に感謝しつつ、僕はパラシュートを操りその人のいる方へ近づいていった。
その人は、小柄でガッシリした中年男性で、腰にはナタをぶら下げていて、顔が日に焼けていて、どこか見覚えがあった。
僕は風に流されてその人の上を通り過ぎ、口を開けて僕を見送るその人の顔をしばらく目で追い、そして突然思い出した。
その人は、僕を鐘離山まで案内してくれた、ゴリさんだった。




