第17話 奇遇
その翌朝、大広間で皆で朝食を食べているとき、漢軍は僕の学生服を恐れているのではないか、という昨夜の思いつきを皆に言って、代わりに誰かが着て櫓に立ってみたらどうか、と提案してみた。
皆には本気にされず笑われたが、僕の学生服を着てみる、ということには興味を持たれてしまった。
まずシャムから順番に試したが、僕のサイズはシャムにはやはり小さく、袖を通すのもやっとで、脇も上がらず前のボタンも締まらなかった。
他にもその場にいた何人かが袖を通し、僕の学生服を着て面白がり、汗がついちゃってるよ、言うんじゃなかったかな、と早くも後悔した。
しまいにはラオまでが着たいと駄々をこねだしたが、着せてみると八歳の子供にはやはり大きく、上着の裾が膝下まで届くくらいで、当然ながら前線に立たせる訳もなかった。
結局、弓のうまいダレルに着てもらうのが一番だろうということに落ち着いた。ダレルにも少し小さかったけど、多少短くてみっともないくらいで、動きが制限される程ではなかった。
僕は学生服をダレルに渡す前に、失くされては嫌だと思い、上着の内ポケットに入れっぱなしにしていたパスポートを抜き取った。
そして、学生服をダレルに渡し、パスポートはズボンの後ろのポケットにしまおうとしたところ、シャムに大声で呼び止められ、シャムは床が抜けるかのような勢いで僕に迫ってきて、パスポートを持ったほうの僕の手首を抑えた。
シャムは驚きを湛えた目で僕を見つめ、これをよく見せてくれ、と言ってきた。
鬼気迫る異様な感じがしたが、僕はパスポートをシャムに渡した。
シャムはパスポートを奪い取るように僕から受け取ると、中を開き、パラパラとページをめくり、写真の載ったページを見つけると、そのページを食い入るように見つめた。
周りのみんなも興味を引かれ、シャムの後ろに顔を寄せてそのページを見て、驚きと興奮で目を輝かせた。
写真やホログラムやラミネート加工はもちろん、紙すら見たことのない人たちだから、驚くのも当然だった。
みんな目を輝かせて楽しげに見ていたが、一人シャムだけは違った。
漢字ばかりか英語もアラビア数字も分からないはずなのに、その一文字一文字を目に焼き付けるかのように、目を見開いてじっくりと見ている。
それからしばしの間僕のパスポートの鑑賞会は続いたが、外の方から、敵襲!という声が聞こえ、いいタイミングだ、とばかりに僕はシャムからパスポートを取り上げ、敵襲だって、と告げた。
周りの皆は蜘蛛の子を散らすように各々戦いの準備に走り、シャムは珍しく皆より一拍遅れ、パスポートを取り上げた僕の顔をバカみたいに見つめ、それから、戦さだ、と呟いておもむろに立ち上がり、のろのろと武具を取りに行った。
白虎堂の外には敵軍の喚声が溢れ、夥しい矢が敷地内に射かけられ、門や壁に武器が打ち当てられる音が響いていた。
ダレルが櫓の上に姿を現すと、漢軍の兵士たちは悲鳴を上げて急いで離れていき、逃げる漢軍の兵士たちに向かってダレルが放った矢に、次々と倒れていった。
それから間を置いて交代で僕が櫓の上に立つと、漢軍は構わずに攻め寄せてきた。
やはり漢軍の兵たちは、僕ではなく、僕の学生服を恐れているようだった。
ともかく、僕の学生服を着たダレルが前線に立つことで漢軍は近寄らなくなり、ダレルの矢を避けるために岩陰に身を隠して姿を見せなくなった。
攻防は一旦落ち着き、僕らは交代で白虎堂に引き下がった。
白虎堂の中は静かで、兵士たちが休憩しているほか、ラビとラオが床に落書きをしていたり、アイスがペンケースにじゃれていたりする。
戦いの最中と思えないような平和な光景があり、身も心も一息ついた気になっていると、後ろからシャムが足音もけたたましく大広間に入ってきた。
やかましいな、静かにしろよ、と思っていると、シャムは僕を見つけ、僕の手を引き大広間の奥まで僕を引きずっていった。
大広間の一番奥には虎の銅像が飾ってある。
シャムは虎の銅像の前に立ち、銅像を除けて、台座の蓋を開け、何かを大事そうにそっと取り出した。
見ると、銅でできた長方形の鏡のようなもので、手のひらより一回りくらい大きかった。
近寄ってよく見ると、片面は綺麗に磨かれて鏡のようになっていて、もう片面は虎や人や樹木等の細かな意匠の浮き彫りがされていて、相当古い時代のものらしく、酸化して黒ずんでいた。
シャムの様子や凝った浮き彫りや古そうな感じなどから見て、代々伝わる家宝だろうか、と感動しつつ眺めていると、シャムがその銅鏡を鷲掴みにして中から引き裂こうとした。
何してるのこの人、と僕は少し慌てて止めようとすると、銅鏡は片面づつ綺麗に分かれ、中にはまた四角い何かが入っていた。
それをよく見ると、菊の紋の上に『日本国』と書いてある赤い冊子で、何とパスポートだった。
シャムは銅鏡を台座にそっと置くと、そこからパスポートをそっと取り出した。
それに釣られるように、僕もズボンの後ろのポケットから、自分のパスポートを取り出した。
そして2つを並べてみると、銅鏡に入っていたパスポートは、僕のものに比べ、赤い色が傷んで黒ずんでいて、印刷された文字等もかすれて見えづらくなっていて、とても古そうだった。
シャムは、銅鏡に入っていたパスポートをそっと開き、写真が映ったページを開いた。
ラミネートが化学変化して赤茶けていて見にくかったが、そこには若くて綺麗な日本人女性の写真が映っていた。
名前は、苗字ははっきり読めないが『××凛』さんという人で、生年月日は僕よりひと回り年上くらいだった。
僕はあまりのことに何も考えられず、ただただ『凛』さんの個人情報を繰り返し目で追っていた。
パスポートの有効期限とか発行地とか。
振り返ると、僕のパスポートを見たシャムと同じ行動をしていたのかもしれない。
僕はシャムから『凛』さんのパスポートを受け取り、一頁ずつめくっていった。
大小さまざまなスタンプが押してあり、最後には、楕円のスタンプが押してあった。
僕のパスポートに唯一押されているスタンプと全く同じもので、ぼやけてはっきりしなかったが、日付なんかも全く同じように見えた。
つまり、この人は僕と同じ飛行機に乗っていたのか?何故こんなところにこの人のパスポートが?この人はどこに行ってしまったんだ?といった疑問が頭の中で渦巻いて、夢を見ているんじゃないかと自分を疑いかけた。
すると横で、シャムが低い声で話しだした。
この銅鏡とこの赤い冊子は、先祖代々伝わる部族の宝だという。
この人は、我々の祖先で、部族を創った人らしい。
何百年なのか何千年なのか、とにかく数え切れないくらい前の時代の人で、弓矢に優れ、知恵があり、部族の仲間を導いてこの鐘離山に移り住み、優れた武器や技術を次々に生み出し、勢力を広げていった伝説の人だという。
僕は、何百年前、という言葉を聞いて、一時には信じられなかったが、少なくともシャムのおじいちゃんくらい前からは銅鏡の中にパスポートが保管されていたのは確かなんだろうし、パスポート自体長い時間を経ているのは間違いないので、自分を納得させるしかなかった。
つまり、『凛』さんは、僕と同じ飛行機に乗って、僕より数百年以上前に転移させられた、ということか。
それでは、僕らは全員バラバラに違う時代違う場所で別々に転移してしまったのだろうか。
僕が抱いていた淡い期待は、僕のクラスメイトも同じ時代の違う場所にいるかもしれない、という期待は、本当に淡い期待のままで終わってしまうんだろうか。
なんだか、学生服を着たクラスメイトが曹操軍相手に無双している、という昨晩の僕の空想が、早くも色褪せてただの妄想に成り下がってしまったようだった。
そして、シャムは『凛』さんの写真が映ったページを開いて言った。
「綺麗な人だろ。小さい頃は、ここに登ってくる度に、親父達の目を盗んでこっそり見てたんだ。こんな素敵な人が俺たちの祖先なんだぜ。俺の一番の憧れなんだ。」
シャムは目を細めて微笑みながら、『凛』さんの写真を見つめている。
改めて『凛』さんの顔を見ると、どこか遠藤さんに似ているような気がした。
もちろん、生まれた年も名前も違うので、同一人物ではないことは確かだけど、額や口元の感じが似ていた。
シャムが僕のパスポートを手に取り、僕の写真の映ったページと『凛』さんの写真のページを上下に並べ、しげしげと見つめた。
そして、顔以外本当に一緒だな、どういうわけだ、などとつぶやき、僕の方を向き、お前は一体何者だ、どこから来た、始祖様とどういう関係だ、と僕に詰め寄り問い詰めてきた。
僕はそう言われて、今まで故郷のことはあまり話したことがなかったし、話しても理解されないような内容ばかりだし、複雑なことを話せるほど部族の言葉を上手く喋れるわけでもなかったので、シャムの詰め寄りにどう答えたらよいか、一瞬戸惑ったが、一言で簡単に答えることにした。
そして、故郷が一緒なんだ、と答えた。
続いてシャムに、じゃあ同じ部族なのか?と聞かれ、同じ日本人だと同じ部族という意味になるのか疑問だったけど、そうだ、と答えた。
そして、パスポートに書いてある『日本国』という文字を指し、これが僕たちの故郷の名前だよ、と説明した。
シャムは、目を輝かせて文字を見ながら僕の言うことを聞き、聞き終わって少し思案顔になり、続いて周りに聞かれないように噛み殺した笑い声を立てて、言った。
「なんだ、じゃあお前も俺たちと同じ一族だったってことか、何十日も一緒に暮らしてきて、今ようやく分かったのか。面白いな。」
シャムの頭の中では僕らは同族ということで理解されたようだった。
しかしそう言われて改めて考えてみると、確かに不思議な運命だった。
過去にタイムスリップ、については差し置いても、何百年前の人がいた痕跡がちゃんと保管されて、それが何百年もの隔たりを経て、同じ飛行機に同乗した者が、その人の子孫と一緒に肩を並べて、それを見ている。
それはとても神秘的な光景だろうし、「奇遇」という言葉がこれほどまでに当てはまることはないと思うくらい、奇跡的なめぐり合わせだった。
それからシャムは、始祖様とお前の故郷ってどこにあるんだ、と聞いてきた。
僕はやはり簡単に、この大陸の東の果てに行き、さらにどこまでも続く海を越え、ようやく着く島国から来たんだ、と答えた。
シャムは、陸地に果てがあることも知らなかったし、その向こうに広がる海というものについても知らなかったので、ひどく興味を持った。
海は、どこまでも続いていて、山よりも深く、人の何倍もの大きさの魚が住んでいて、色は深い青で、塩がたくさん混じっていてとてもしょっぱい、と僕が説明し、その一言一言にシャムは目を輝かせて頷く。
「いつか、船を漕いでお前の故郷に行ってみたいな。」とシャムが言った。
「海は波が大きいから、僕らの小舟じゃすぐにひっくり返っちゃうよ。漢軍の巨船のたてる波よりはるかに大きい波が立つんだから。」と僕が答え、背伸びして手を高く挙げ、波の高さを表現した。
シャムはその動作にふっと笑いをもらし、胸を張って言った。
「じゃあさ、漢軍をとっととやっつけて、漢軍の巨船を乗っ取って、それでお前の故郷にいこうぜ。」
その言葉が確実に現実になることが分かっているかのように、シャムは曇りのない笑顔で僕を見ていた。
僕はシャムのそんな能天気さに笑ってしまい、本当にいつか船で日本に行けたらいいな、と思ってしまった。




