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第八話 海底の眠り姫

 呪との対峙を覚悟していた俺が足を踏み入れたのは、草原の民が暮らす住居らしき場所、辺りに転生神やセラーネを包んだ呪の姿は見当たらず、危険を感じさせるものは何もなかった。


 予想外だったが、今は目前に差し迫った危険がない以上、余力を残すため肩の力を抜き、半身の構えを解く事にした。


「どうやら、危険はないみたいだな……」


 十帖ほどの穹廬の中は、陽の光が差し込まない呪の海の底という事で薄暗くはあるが、あまり大きくは無いこの空間には、どこか不思議な温かみを感じることが出来た。


「これが草原の民の住居か……、何だか始めて来る筈なのに懐かしさを感じるな……」 


 植物と動物から作られた移動式住居、天然素材のテントでの暮らし、現代日本の感覚でそう聞けば、ひたすらに貧しく文化的ではなく苦しい生活を、まさに最下層の生活を思い浮かべるかもしれない。


 現代日本の金さえあればなんでも簡単に入る生活、冷暖房完備の住宅と利便性に縛られ生きる感覚で見るのなら、この移動式の住居は俺達が必要だと後生大事に抱えこんでいる便利さを持ち合わせてなどいない。


 確かに彼らの伝統的な暮らしは、けして豪華とは言えないが、随所に草原の民が大地に寄り添うための工夫が、受け継がれるだけの理由があるのだと、心から感じる事が出来た。


 背の高い椅子や机が見当たらないのは、恐らく季節によって家畜とともに移動する生活の為だろう、代わりにある卓袱台によく似た背の低い机、薄い金属製の茶器、木製や動物の角などから削りだした食器、全ての家財は軽く作られており、移動に適したものといえるだろう。


 目の前にある、こうした生活の息吹は自然と寄り添う真摯な姿勢を、自然を搾取する利便性の奴隷になりたがる俺に、自然の一員として生きる自由と気高さを雄弁に語っているように感じた。


「ここが、セラーネが幼少期を過ごした場所か……」


 幕内の間取りの奥は寝所らしく、敷物と毛皮が積み上げられた寝台と思われる物があり、そこに人型の膨らみがあることを、心に宿る炎が照らして教えてくれた。


 自分以外の存在を示唆する膨らみ、あれが声の主かもしれないが、もしかすると呪の罠かもしれない。


 どちらか分からない以上、警戒しながら慎重に歩を進めて数歩近づくと、相手の輪郭が誰彼(たそがれ)の中で薄ぼんやりと見えてきた。 


 呪の作った海底の底で俺が見つけたのは、美しい鱗を纏った人魚姫ではなく、胎児のように膝を抱えて眠る眠り姫だった。


「セラーネッ!?」


 ただひたすらに探し続けていた女性が静かに眠っており、俺は探し求めた彼女の姿を眼にした途端、思わず声を出して駆け寄ろうとした。


 だが、駆け寄ろうとする俺の出鼻を挫くように、幻影がぼんやりとした浮遊感を持って、眠り続ける彼女の側に寄り添う様に浮かんでいた。


 目の前の幻影の風景は、幕内の調度や敷物の柄などの共通点が沢山見られる、ここから考えるに恐らく俺達のいる穹廬の中で起こった出来事なのだろう。


 幻影の中には数人の人影が見て取れ、生まれたばかりであろう赤子と母親とおぼしき女性、恐らくは父親なのだろう青年と、彼らの息子で兄弟と思しき少年の姿が映しだされていた。


 大泣きする我が子を抱く妻、彼女を労う夫、新しい家族を喜ぶ子供が見せる風景は暖かな気配だが、己が無粋に手を伸ばせば壊れて消える、そんな儚さを湛えていた。


 セラーネへ駆け寄って触れてしまえば、確実に消えてしまう幸せを壊すのを躊躇った足は自然と立ち止まり、俺は風景に目を奪われた。


「この風景は、一体なんだろう……」


 これまで聞いていた赤子の泣き声は、この幻影から聞こえたのかもしれないと俺は考え、周囲に妙な気配も差し迫る危険も感じられない事もあり、彼らの幻影を暫く観察することにした。


「父さま母さまっ!ボクの弟の名前は何にするの?」


「ああ、実はな……、前からご先祖様にあやかって男ならゼアネン、女なら女読みのセラーネにしようと母さんと決めていたんだよ……」


 少年が当然持つであろう疑問に対し、父親と思われる青年が先に決めていたという割には、どこか少しだけ悩むような、複雑な雰囲気で新しい家族の名前を告げる。


 父親が名を聞く息子に言い淀んだ理由、恐らく彼女の身に降り掛かった呪の事だろう、やはりこの幻影には彼女の魂に宿る記録、人生そのものが映し出されているらしい。


「そうよ、そうなの……、男の子だから、この子はゼアネンね……」


 苦悩を隠す夫の言葉を後押しするように、母親は我が子の名前がゼアネンであると少年に告げるが、妻の言葉に心は複雑なのか、益々父親の顔が苦悩の色に染まっていくのが印象に残る。


 だが兄になる少年からすれば、両親が告げた言葉は願いの答だ、彼は親から赤子に初めて与えられた贈り物を、弟である赤子へ嬉しそうに言葉にして言い聞かせる。

 

「そうか!ゼアネンだね!よろしくゼアネン、ボクがお前のお兄ちゃんだぞ!」


 嬉しそうに微笑む少年の笑顔が眩しいが、両親の笑顔は対照的なまでに暗く、まるで何かに耐えながらも笑っている、そう感じてしまう。


 幸せであるはずの家族の影を、セラーネの呪がどのような物であるかを告げる者は、どうやら外からやってくるようで映像はにわかに幕外が騒がしくなり、穹廬の入り口、精緻な飾りの入った織り布が捲り上げられた。


「部族に呪の子が生まれたと聞いた、族長として確認をする、赤子を見せろ」


 大きな衣擦れの音と共に、かなり年老いた族長と自ら名乗る男が、要件だけを告げて入って来るが、老人の登場に夫婦は緊張感でもって、幼い兄は事態がのみ込めず、ただ父親の影に隠れて事態を見守っている。


 対する至極落ち着いた雰囲気の老人は、恐らく今の事態を予想していたのだろう、厳しさのある声で更に語り続ける。


「その赤子の呪はどれだ?魔獣化の呪いか?それとも……」


 威厳ある老人の問は年若い夫婦に届いている筈だが、もし応えてしまえば、生まれたばかりの我が子の運命は閉ざされてしまう、そう言わんがばかりに全く応えようとせず、二人は互いに身体を寄せ合って赤子を抱き隠してしまった。


「我が子はっ、ゼアネンは呪の子などではありませぬ、叔父上、どうぞお帰りください!」


 老人を威嚇するように青年は、勢いのある言葉と鋭く射抜くような視線を投げ返すが、老人は彼の剣幕など感じていないかのように、一つも動じる気配を見せずにゆっくりと近寄っていく。


「我が子を護りたいとお主らが願う以上に、ワシは部族全員を護りたいと思うておる。悪いようにはせんから、その子の腹を見てくれ、これは族長としての頼みじゃ」


「大叔父はこの子を殺さない、そう約束して頂けますか?」


 自らの大叔父である族長に、若い父親は約束をするように語りかけ、それを聞いた族長はどうやら余程心外だったのだろう、雷爺然とした勢いで若い夫婦に怒鳴りつける。


「阿呆ぅ!ワシが子供を殺すものかよっ、呪にワシらの部族の子供をくれてやるなど、それこそご先祖様に申し訳が立たんわい!」


 一頻り叱り飛ばした後、族長は一つ咳払いをして父親の疑問へと言葉を返していく。


「殺しはせん、じゃが呪の子なら封印を施さねばならん。そればっかりは絶対じゃ」


 そのまま放っておけば魂は呪に食われ、呪に沿った形に変質してしまう、処置は早い方が良い。


 族長のいった封印とは、クシーナ自身が自らしていたまじない師が施す封印の事だろう、例え呪を抱えても、封印さえしてあれば呪持ちや強力な呪の側に行かなければ発症しない。


 彼の言う話は正しい対処だと俺も思うが、呪を抱えた我が子を殺されるかもしれない、そう思った夫婦にとって、族長が語った言葉はどこかで信じられないのだろう。


 老人に我が子を渡すべきか、渡さぬべきか決断しきれないかのように、信頼と疑心の中で答えを出しあぐねている様子で、互いに眼を見合わせながら身を寄せあっている。

 

「悲しいのう……、お主らは血縁であるワシの事が信用できんらしいのぅ……。ワシ、結構これまで部族のために頑張ってきたんじゃがなぁ……」


 彼らの姿を見て老人は呆れたようにため息を付き、族長として部族に尽くしてきたと自らの心境を二人に投げかける。


 その哀愁溢れる自虐とも聞こえる言葉を聞いても、夫婦の警戒は解けることもなく、ただ必死に我が子を守らんとして嘆願を続ける。


「大叔父が正しいのも、これまで部族のために尽くしてきたのも俺だって解ってる。だけど俺達はこの子を、ゼアネンを見捨てる気なんてないんだ……」


「そうです、族長様どうか、私達はこの部族から追い出されても構いません、この子の命だけはどうか、どうか助けて下さい、お願いします!」


 若い二人が決意を告げると、穹廬の中を重い沈黙が支配した。


 さっきまで泣いていたはずのセラーネ、いやゼアネンは理解出来ぬ話の中、当事者ではあるが父と母のぬくもりに安心したのだろう、今はもう眠りについていた。


 もう一人の子供である少年は、族長と両親の剣幕に驚いた様子だが、それでも泣かないように父親の腕に縋り付いて涙を一生懸命堪えていた。


 そんな若い家族の姿を見た老人は、今までの族長としての顔を捨て、何処にでも居るような気のいい老人の顔で、これから起こるであろう状況を語り始める。


「この頑固者どもめ、そんなにワシが信じれんならもうちょっと待ってろ……。呪い師のモルーサ婆さんにも声をかけておいたから直にここに来るわい。まったく……、お前ら夫婦は本当に子供の頃から頑固じゃったし、こうなると思ったが、もう少しこのジジを信頼せんか……」


 そう老人が呆れるように言い放った言葉を証明するかのように、再び入り口の布が勢い良くまくり上げられ、老婆が言葉通り幕内へと飛び込んで来て、彼女は息も整わぬ内に族長へと詰め寄った。


「ヒィッヒィ……、アタシのッ、眼のっ、黒い内にゃ!うちの部族の子は、絶対呪にゃ渡さねぇっ、どこにいるんだい!教えなジジィ!」


 そう言いながら族長の服の胸ぐらを掴む老婆、そのやたら勢いのある登場に、今まで重かった穹廬の空気が砕け散り、代わりに何処か気の抜けたような暖かな空気が満ちていく。


「落ち着かんかババァ!ワシの族長としての威厳が台無しだろうがっ!」


 引っ張られジジィと呼ばれた族長は、そのあまりの剣幕に落ち着かせようとするが、それは老女の剣幕に火に油を注ぐ結果にしかならなかったらしく、呪い師の老婆は益々勢いを増していく。


「だまらっしゃい、このハゲジジィ!そんなどうでも良いもんよりね、生まれてきた子供の命が大事なのが解らない位、アンタは耄碌してんのかいっ!あたしゃ早く教えろといってるんだよ!」


 老婆の見せるあまりの勢いに、族長はまともな会話にならないと思ったのか、全身を何度も前後に揺さぶられながら、どうにかセラーネが眠る寝台を指さして、詰まりながら言葉を繋げる。


「やめっ、やめんかババァ!、お前の仕事は、ワシのっ、腰をっ、砕くこと、じゃなくて、そこの、赤子を見ることじゃろうがああああ!」


 その言葉を聞いた呪い師の老婆は、素早く老人から手を離し、崩れる族長には脇目もふらず、若い夫婦に優しげな言葉を投げかける。 


「このモルーサ婆さんが来たんだよ?あたしに掛かりゃ、呪の封印なんざパウの乳を絞るくらい簡単なモンだからね、アンタたちはどーんと構えて安心すりゃあいいんだよ」


 胸を張る老婆と崩れ落ちる老人の姿、緊張と弛緩が絶妙な配分で混ざり合った、笑っていいのか喜んでいいのか良く解らない空気に、三人はあっけにとられ言葉が出ないのであろう、ただ呆然と老婆の話を聞いている。


「アタシに全部任せんさい、ちゃあんとその子が大人に成れるようにしてやるさ」


 熟年の呪い師の見せる朗らかさを見た父親は、意を決したように地に額を擦りつけて、祈るような懇願を老婆にする。


「お願いします、どうか、どうかゼアネンが無事に大人に成れるよう、我が子の身に宿る呪を封じてください」


 母親も夫の言葉に続くように、自らの息子の未来を守るため産後の体を押して、老婆に頭を下げ、願いを語る。


「私も夫と同じです、母として、この子に未来を与えてあげたいんです、お願いします!」


 二人の話を聞いて、漸く腰の痛みが引いたであろう族長も、強い意志を乗せた視線で老婆を見つめ、はっきりとした口調で助力を請う。


「婆さん、ワシからも頼む、この子は呪になんざ渡しちゃいかん、いや渡してなんぞなるもんかよ」


 三者三様の言葉に老婆は、一本だけ前歯の抜けた口をニヤリと歪ませると、少し呆れたように言葉を紡ぎ始める。


「あいあい、だからアタシに任せなって言ってるでしょうよ、呪の対処は早い方がいいんだ、で、私達の可愛い子は何処に居るんだい?話はそっからだよ」


 我が子のために必死に頭を下げる大人たちの姿に、俺はセラーネ、いやこの時はゼアネンと呼ばれて居た赤子の誕生は、部族の大人全員から望まれていたのだと、心の底から感じることが出来たのだった。

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