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第六話 変貌の呪

「セラーネ……、君の抱える過去を、君を苦しめる呪の事を聞かせて欲しい」


 彼女の目を見つめ俺は呪の気配に踏み込む。今、彼女の置かれている状況は、大精霊樹の中でヘスノに感じた雰囲気に、転生神を名乗る存在の気配と対峙した時に酷く似ているからだ。


 この部屋の全てを何度も嗅ぎ慣れた、果実が腐れ落ちるような甘く淀んだあの匂いが、絶望を呼び寄せるあの匂いが満たし始め、セラーネの足元には、その身を蝕ばまんとする呪の気配が纏わり付き始めている。


 救うためには、呪いの力で奴隷に貶められた過去を知らねばならないが、その絶望の輪郭を覗き見た事で、セラーネという太陽を呪に隠された部屋は、湛えていた穏やかな暖かさを失い、体の芯から底冷えする空気に満ちている。


 今まで感じていた温もりは、彼女から生まれていたのだと改めて理解した。


 そして、俺が踏み入ろうとしている絶望を、隠された呪の気配を感じ取ったのだろう、戦いに疲れ小さく燻っていた心の炉の炎は、呪の気配に抵抗をするように息を吹き返し、悪意を焼き尽くそうと猛り始める。


「まずシュウゴ様、貴方様は古い呪の残滓について、どのくらいご存知でしょうか?」


 危機感を感じている俺の耳に、呪の気配を纏う今までと明らかに違う声、抑揚というものが無い、無機質で流暢な機械音声じみた、同一人物のものとは思えない声が届く。


 セラーネの女性らしい柔らかな声の変貌に戸惑いを覚え、目の前の女性を全く別の誰かのように感じ、違和感ばかりが沸き起こるが、立ち止まるわけにも行かない。


「呪について、か……」


 質問に集中させるために独りごちてから、意識を切り替えて彼女の意図を考え始める。


 全く理解していないとは言わないが、五千年に及ぶ呪との戦いの歴史、世界に刻まれた悲劇の爪痕、その全てを理解しているとは到底思えない。


 こちらに来てから二ヶ月程度の間、源蔵さんが残した手記、ズンケルさんとレーミクから聞いた話、旅の間に見聞きした内容、大精霊樹でヘスノに聞いた精霊樹に纏わる様々な伝承など、多くを知ったと思う。


 だが、未だに足らないと感じる事は多くあるし、無駄に知っていると意地を張るより、素直に教えを請うた方が良いと思う。


「すまん、俺は殆ど知らないと思う、そう思って話して欲しい」


 結論が出た俺は、未だこの世界の歴史を知らない、彼女の問に対して答えられる程の知識はないと、素直に答えることにした。


「そうですか……、では草原の伝承はご存知ではない、そう考えてお話致します」


 分からないという俺の言葉に彼女は、落胆する素振りも表情を変えることもなく、事実を確認しただけという雰囲気で、ただ淡々と続きを語り始める。

 

「では草原の半分を不毛の沙漠(さばく)と変えた古の呪持ち……、後に変貌の魔王と呼ばれた厄災の話を致しましょう」


 セラーネが語ろうとしている魔王の話は、先代の源蔵さんの話や平原の話、元々行く予定で動いていた大精霊樹の森の話、ヘスノから聞いた話も主に森の民に関する話にも無かった。


「こちらに来てから二ヶ月程経つが、君の言う変貌の魔王の話を聞いた事は無かった。俺にその古い魔王の呪の話を教えて欲しい」


 今まで堕ちてきた呪持ちの中でも、特に大きな災いを残した者達は、幾人か居てこの世界では魔王と呼ばれていると聞いた事がある、その一人がセラーネが語ろうとしている変貌の魔王なのだろう。


「呪持ちの齎す超常の力は、人の世にあるまじき力で持って世界のことわりを曲げますわ、その力で曲げられた、理不尽で歪んだ理は恐ろしく、人の手ではどうしようも出来ないのです」


 変貌の魔王という名は、俺が耳にしたこと無い名前で気になるが、それ以上に俺が気になったのが、理の話を彼女がここですることだ。


 呪持ちを滅ぼした後、残った穢れを浄化をすれば、基本何も残ることはない。


 例外があるとすれば変わってしまった理だ、セラーネの話の中に含まれる内容の一部と、現在の状況が俺の中で繋がった。


 現に俺が滅ぼした呪持ち達の被害は、大事な人を亡くしたり、怪我を負ったなどの肉体的、精神的なものを除けば物理的な被害しか残っていない。


 だが、今回の戦いでは時間という人の手に余る概念に改悪が残った、変えられてしまった過去は世界に刻まれ、不可逆な傷跡として残ってしまった。


「浄化をすれば、全てが元に戻るわけではない、残った理が草原には有る、そう言いたいんだな?」


「そうです、ですが魔王の多くは稀人様が現れぬ時に生まれたり、稀人様を打ち負かすほどの力を持ち、その傷跡は世界に深く刻まれますわ」


 俺は今回の事の他に、欲望に因って世界を変えてしまった跡を、この目、いや自ら手を血に染めて身を持って知っている。


 俺は大精霊樹の森に残った白百合の呪、世界の人々を永遠に苦しめる毒を思い出し、そうであって欲しくないと思いながら、否定を願い言葉を紡ぐ。

 

「それは、もしかして……、白百合の呪の様に、遺伝するのか?」


 嫌な予感が言葉が出るのを喉奥で拒み、返事は途切れ途切れで不格好な物になったが、彼女は特に気にするでもなく、相変わらずの冷たい微笑みを浮かべ、俺に言葉を返してくる。


「はい、変貌の魔王が残した悪意は人の中に残り、未来永劫終わること無く受け継がれますわ……」


 予想通りだが、そうであって欲しくないと思った回答に、俺は揺れるような目眩に襲われ、視界を塞ぐために顔に手をやる。


「そうであって欲しくないと思う事ばかり、呪として残されているんだな……」


「呪とは我欲の存在、己を愉悦で満たすためだけに理を曲げ、形が少し違うだけの絶望を振りまくモノなのですから、残されるモノもまた絶望でしかないのでしょう……」

 

 己の身に降り掛かった不幸を話し、俺の嘆きを見ている筈なのに、セラーネは冷静なまま他人事のように、色を失くしたように淡々と語り続ける


「人の身……、いえ歪んだ理の内に生きる者がどれ程に抗い逃れようと願っても、その思いは叶う事もなく、希望など容易く潰えてしまう……」


 今の声は氷のような冷たさで満ち、窓から注いでいる木漏れ日も、未だ微かに揺れる暖炉の炎すら拒絶し、その孤独な姿は俺の胸を凍えさせ、凍傷を負わせるように様に傷つけてゆくが、次に彼女が語った言葉が、俺の心を怒りで熱く焦がした。


「この身にあるいにしえの呪は、私の体の隅々に深く刻まれ、魔王亡き今も変わらず、この身を蝕んでいますわ」


 死しても人を苦しめる呪の理不尽さに義憤が沸き起こり、それ以上に同胞が狂わせた世界を知らねばならないと、義務感や使命感にも似た何かが、溶岩の様に煮えたぎって俺の口から溢れ出た。


「セラーネ、呪の内容を教えてくれ、俺は身勝手な欲望の果てを知らねばならない、同胞の(もたら)した悪意の(ことごと)くを知らねばならん、俺はそのためにここに居るんだ」


 俺の言葉を聞いて、彼女は少しだけ困ったような自嘲の表情を浮かべ、諦観を込めた視線をこちらに向けながら、ゆっくりと口を開き始める。

 

「この身に宿るは男を女や魔獣に変える古き呪……、忌まわしき変貌の呪は、男の体を徐々に女に変え、心すらも女であれと強制し、その心変わりを愉しむ否定の呪……」


 男を女性や魔獣に変える呪の存在、目の前の女性がその呪に侵され、元々は男であった、という言葉が耳に入るが、頭はまったく理解できず思考が止まってしまう。


「なっ、なにをいってるんだ……?」


 俺は完全に混乱し、言葉を繋ぐことが出来なかったが、彼女はそれすらも解っていた様に表情を変えず、自らの胸を右手で、下腹部の辺りを左手でなぞってゆく。


「これが私に宿る|雌化の紋様、男に生まれた筈の私を、女に変えた変貌が呪の一つですわ……」


 彼女が語ると同時に、触れた部分に紋様が禍々しい光で描かれてゆく、それは複雑でありがらも淫猥であり、性的な嫌悪を感じさせる意匠だった。


「それが呪いの証、なのか……?」


 彼女の話す言葉と紋様が、俺の頭に大精霊樹の森で呪を解くことが出来ず、ただ殺し回ることでしか安住を与える事が出来なかった事を思い出させ、胸いっぱいに嫌な予感を植え付ける。


「えぇ、そうですわ……、私を心の底から犯し、壊し、作り替えたモノ、殿方に媚び、侍り、依存しなければ生きていけぬ体に作り変えたモノ、私の全てを支配するモノですわ……」


 独白、いや告解(こっかい)をするかのように、部屋の中に彼女が言葉を積み上げていくと、辺りに忌まわしい転生神の気配が湧き上がる。


 その余りに濃厚な瘴気によって、暖炉の炎は消え、消し炭から立ち上がる煙が怪しく揺めき、徐々に人の形を、唇だけがはっきりとした面貌(めんぼう)をもつ、妙に扇情的な女性の影を作り出して、そのままセラーネの肩に撓垂(しなだ)れ掛かるかのように巻き付いていく。


『そう、貴方は愚かね、男の独占欲を刺激する美しい体と、庇護欲を掻き立てる手弱女(たおやめ)な心、貴女は何が不満なの?素直に女になれば、こんなに苦しみはなかったのよ?』 


「こんな恐ろしい物……。人の身で叶うはず、ないのよ……、なのに私は、愚かにも理に、呪に逆らって……。愚かな私が皆を巻き込んだのよ……」


 まるで猫を弄ぶ様に、呪の影が彼女の細い首に指を這わせていくと、虚ろだったセラーネの瞳は過去に囚われたらしく、俺の姿など見えて居ないかのように振る舞い始める。


 このまま放置すれば彼女は永遠に孤独の中で自らを責め続け、そのまま滅びを迎えるまで己を呪い続けてしまうだけの存在に成り下がってしまう。


「やめろ、止めるんだ、駄目だ、それに従ってはいけないんだ!」


 セラーネの耳に煙で出来た人影が、絶望を肯定する毒を流し込むのを止めようと、手の届かない俺は叫び声を上げてかき消そうとするが、その声は彼女の耳に届く事はなく、呪の闇は益々深まってゆく。


『そう、貴女の身勝手な考えが皆を巻き込んで殺したの、全て貴方が悪い、そのまま祝福を受け入れれば良かったのよ』

 

「待て!セラーネっ、呪に操られてはいけない!戻ってこいっ!戻ってくるんだ!」

 

「ごめんなさい……、私は、こんなことになると知らなかったのよ、皆を巻き込むなんて知らなかったの!」


 セラーネが自らを否定する度に呪の気配は密度を増して、室内の全てが甘い腐臭と薄闇によって支配され、瘴気は徐々に彼女を飲み込んでゆく。

 

「ただ無闇に男で在りたいと、何の意味もなく、無駄に下らない意地を張ったから、私は部族を、家族を皆殺しにしたのに……、死ぬのが怖くて、私……、男だった自分を捨ててまで、今も呪に怯え従って生に縋っているわ……」

 

『貴女は生きていたいと願ったの、女としての幸せ望んだのよ、だから祝福に従っていれば、貴女は沢山の男から愛される、そんな幸せな未来が待っているのよ、さぁ、もう苦しむのは終わりにしましょう?』


 呪の闇の中で、彼女の体に刻まれた禍々しい紋様は力を増し、不吉な赤い光を脈動させ揺らめき始める。


 このままでは拙いっ、これ以上、彼女の身に刻まれた呪が大きくなれば、セラーネは無事では済まないと、心の炉に宿る炎が燃え盛って俺に知らせてくる。


「意地を張り続ける馬鹿な男にも……、全てを忘れた愚かな女にも……、そのどちらにも成れず、唯生きているだけの肉人形……、こんなものに価値なんて、生きる価値なんて、どこにも無いのよっ!」


『そうよ、無様で醜い男の貴方に価値なんてどこにも無いわ、身も心も女になることだけが貴方に残された唯一の価値、この世界は貴方を否定して、この世の全てが貴女を肯定するわ』


「動けっ!動けっっ!動かんかぁッッ!! 俺がっ、今、動かないと、セラーネは呪に落ちてしまうんだ!俺は、彼女を救うと決めたんだろうがァッ!!」


 己を否定する呪詛に耳を傾け続ける彼女に手を伸ばし、俺は満身創痍の体に動けと命令し続けて、咆哮を上げたが、俺が下したセラーネを救うと言う命令に、全身が激痛を訴えて拒絶した。


 神経にはありえない程の苦痛の信号がなだれ込み、戻ってくる過剰な痛みの信号が脳内を土石流のように激しく駆け巡り、片目になった視界を真っ赤に滲ませ、耳の奥では激しい耳鳴りを警鐘のように鳴り響かせて、俺に命の危険を知らせてくる。


 心拍が一気に上がり心臓に貫く様な痛みが走り、体中を這いまわる悪寒が脂汗と冷や汗を大量に噴出させ、それでも必死になって震える体を起こした。


「もう、生きていたくないの……、こんな誰かを犠牲にして生きるのは、もう嫌なの……」


『そうね、もう苦しいのは終わりにしましょう?貴方は十分に頑張った、だからもう全てを受け入れて、貴女になりなさい?』


「セラーネッ!俺は君にっ、君に生きて欲しいっ!俺に君のっ、君の手を取らせてくれっ!」


 俺は立ち上がり、呪の闇に飲まれて殆ど見えなくなったお仕着せの端に手を伸ばし、セラーネに向かって有らん限りの力を込めて吠えた。


 薄皮一枚で繋がっていた四肢は己の体重を支えきれず悲鳴を上げ、ベッドから転げ落ちた。


 その衝撃で昨日潰された内臓が再び崩れて血反吐がこみ上げる、それでも止まれない、止まってはいけないと、無理矢理にでも立ち上がる。


 ここで止まってしまえば、俺は呪として彼女を、セラーネを殺さなければならなくなる、それだけは許せないし、許してはいけない。


 その思いを杖にして一歩づつ引きずるように、まるで言うことを聞かない足を動かして、倒れ込みそうになりながら、たった数歩の距離を歩み寄る。


 彼女へ向けて伸ばした腕は血を流し、足元には血溜まりが出来ているようで、歩くたびに水音が響く、あれだけの傷を負った後だ、血を流しすぎている所為で意識は朦朧とする。

 

 もう俺は、とっくの昔に危険な状態なのだろう、くぐもった奇妙な耳鳴りがやまびこの様に、何度となく頭の中で反響しているが、それでもセラーネの泣き声が聴こえる方へ歩みを進める。


「わたくしは、弱くて……、誰かに、殿方に侍り、依存して生きる女、そんな女に……」


 彼女が闇の中で何かを呟いているが、狂ったように鳴り響く耳鳴りで、もう俺の耳では聞き取れない、だから俺は目の前の女性を救いたいという気持ちを込めて吠えた。


「セラーネッ、頼む!俺の手をとってくれ!俺は君を、呪になんてさせたくないんだっ!」


 粘度を増した瘴気は俺の行く手を阻み、皮膚を焼いて肉を露出させ、皮膚から零れた肉が腐るように溶けていくのを感じる。


 だが今は、そんな瑣末なことになど構っていられない、それくらいの事で俺は止まれない、セラーネを助けるまで、俺は止まってなど居られるはずが無い。


「ウガァアアアッ!とどっ、けええええええええ!!!!」


 気が狂いそうな痛みが全身を駆け巡る中で、獣が唸るように叫びながら、俺は闇に沈むお仕着せの前掛けに、酷く焼け爛れた右手を伸ばした。


 伸ばした指が届いた時、彼女に刻まれた雌の紋様が再び大きく脈動し、俺の視界は閉ざされた。

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