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閑話 母の庭

 お父様に背中を押されて門の先に足を踏みれると、そこには冬の寒さのせいだけでは決して説明できない程に色を失った、酷く寂れてしまった庭がありました。


 放置されてくすんだ花壇、雨ざらしで錆びた道具たち、古びたガーデンセット、この庭は幾つもの季節をそのまま過ごしたのでしょう、私の目に映る全てが暗く褪せた色を身に纏っています。


 記憶にあるお母様が丹精を込めていた我が家の庭、私の朧気な思い出とはまったく違う、寂しげな雰囲気になった原因がどうしても気になり、私は父に問いかけてしまいました。


「お庭が荒れているように感じます……、お母様はどうしたのですか?」


 もし私が過去や未来を見渡す事が出来たなら、こんな残酷な質問を父に問いかけたりはしなかったでしょう、この質問はきっと古傷、いえ、未だ癒えることのない傷に塩を塗りこむような残酷な仕打ちだからです。


「ああ……、ミサークは……、な」


 私がそう尋ねた瞬間、枯れ果てた庭をまるで冬の雲のように重たく、暗い沈黙が辺りを垂れ込んで包み、私達の間に冷たい冬風は流れてゆき、私の身体に一つだけ、小さく震えが生まれます。


 お父様と庭に漂う、まるで心と身体を凍えさせるような暗い沈黙にどうしても耐え切れず、私は途切れた言葉の先を求め、無遠慮に口を開いてしまいました。


「お母様はいったい……、どうなったのですか?」


 私の問にお父様は、諦めに似た暗い表情で口を開きます。


 それはきっと後悔という言葉では言い表せない『何故?どうして?』と、人の身では逆らえない運命に、己の苦悩を問いかける感情を表しているのだと思います。


「お前の姉であるサーレスを産んだ後、産後の肥立ちが悪かったのか、あの子の物心が付いた位からミサークは体調を崩しがちになってな、王都を離れ私の所領で静養をさせていたんだよ」


 私の知るお母様は病気など滅多にしないとても元気な人でしたし、いつも幸せそうに笑っていて、騎士としての勤めに励むお父様が帰ってきた時、一番最初に目に映るこの庭が、常に美しく見えるようにと気を使う人でした。


「だが……、娘が、お前が生まれたという手紙が届いたすぐ後に、私の所領は大きな魔物の群れに襲われて壊滅したと、早馬が来た」


 お父様は何かを思い出すような遠い目をして、随分と長い間放置されて雨に打たれたのだろう、所々色の剥げてしまったガーデンチェアの背もたれを労るように、そっと指先で撫でます。


「私は壊滅した村を見ればミサークがこの世界に居ないと、未だこの手に抱いたこともない我が娘を失ってしまったと、嫌でも知ってしまうと思った……」


 風雨に晒されて乾燥している塗装は脆くなっていたのか、お父様が触れると小さな破片となって崩れ落ち、冷たい風に乗って高く舞い上がり、どこか遠くへ運ばれていきます。


「だから私はこれ以上の被害を増やさぬためにと、騎士らしく尤もらしく王に言い訳して、軍を指揮して魔物の群れの討伐に向かった。夫として、父としての自分を殺して、家族の生存を信じずに、だ……。酷い夫で薄情な父だろう?」


 罪を告白するように問いかける父の姿と、風に拐われ舞ってゆく白い破片。


 その二つが壊れそうなお父様の心の欠片の様に重なって、この庭の見せる景色はお父様の心象を表すようだと、私の心は感じてしまいます。


 枯れ果てた庭は雄弁に、一人の騎士が家族を見捨てた罪人としての咎を、これまで一人抱えてきた自責の念を語り、その全てが父の口から言葉となって溢れてきます。


「私はね、自らの職務に逃げていたんだよ……。ミサークもお前の存在も全て失った、だからもう自分には騎士としての責務と、サーレスしか残されていない。そんな風にね……」


 王国騎士団長としての姿はそこにはなく、ただ一人の家族を失った男の人が、ただ泣きそうに曇天の空を見上げ、後悔の言葉を連ねていきます。


「失った娘と、お前とこうして巡りあっても尚、私は後悔しているんだ、あの時、希望を捨てずにお前達が生きていると信じ、お前達の元へ駆けつけるべきだったんだ……、そうすればお前はこんなに苦しむことなんて無かった、そう思ってしまうんだよ……」


 お父様は妻を見捨てた夫として、我が子の生存を諦めた父として、これまでずっと自らを責め、もう取り戻すことは出来ない過ぎ去ったことだと知っていても、いくら手を伸ばしても届かない過去の出来事だとしても、痛みは消えないのでしょう。


 そうして自分の父親が今も後悔で苦しんでいるのだとしたら、娘の私にはその過ぎ去った後悔を全て包み込み、ただ許してあげることしか出来ません。


「お父様……、大丈夫です、少なくとも貴方の娘は、レーミクはここに居ます、そしてお母様の思いは、私とお父様の胸の中(こころ)にあります」


 私は父の胸に右手を、自らの胸に左手を当て語ると、お父様の鼓動と温もりが外套の厚い生地を越えて、微かに掌へと伝わってきます。


「騎士としての責務に逃げて、妻を見捨て我が子を諦めた、そんな私を、お前は赦す、というのか……?」


 きっと傍から見れば私達は不器用な親子で、とても可笑しな家族なのかもしれません。


 ですが私の父親はこの方しか居ないのです、だとすればあまねく無辜の人々を護る騎士としての決断を下し、父としての私情を捨て自らを責め続けたお父様を、こうやって私が許してあげることしか無いと思います。


「はい、私はお父様を許します……。誰よりも民を守ろうと、騎士であろうとする貴方を愛していたお母様も、きっと、思いは一緒だと思います」


「そう、か……。お前は私を赦すのか、私が自分を赦せなくとも、お前達は私を赦すというのか……」


 お父様はシュウゴ様と同じで自罰的な方なのでしょう、自分の犯した罪の記憶はいつまでも色褪せる事なく、その痛みは消えることがないのかもしれません。


「例え私が許しても、お父様の心の痛みは、家族を見捨てた後悔は続くかもしれません。それでも私は過去ばかり見て生きてくのではなく、未来を見て欲しいのです」


 壊れかけた大事な記憶の中にある庭、こんな枯れ果てた寂しい庭ではなく、美しい庭で騎士の誇りを胸に抱いた父の姿。それこそが、私の記憶の中にある父と母の原始の記憶なのです。


 お父様が見捨てたと称する娘である私が許さなければ、それを取り戻す事は叶わず、お母様の愛した誇り有る騎士の姿を喪うことになるでしょう。


「未来か……、私は過去ばかり見ていたんだろう、お前にそう言われて、少しだけ、前を向かねばと思ったよ、遅すぎるとしても、な」


 もう二度と会うことの出来ない母への恩返し、になるかは分かりません。ですが記憶にあるお母様はきっと、私と同じ様に考えてくれると確信めいた想いが胸に宿っています。


「過去はもう変えることは出来ません、ですが、私達は未来は変えられます、私はお父様にこの庭を悲しみだけで見てほしいとは思いません」


 重く伸し掛かるような雲の隙間を縫うように、まるで空と大地を繋ぐ様に明るい日差しが差し込んで暗く淀んだ庭と私達を照らした時、お父様は私を強く抱きしめて、絞りだすような声で小さく謝りました。


「私は臆病者だ……、娘にそこまで言われてやっと、過去から一歩踏み出せたんだ……」


「大丈夫、大丈夫です……。レーミクは、貴方の娘は帰ってきました、だからどうか、もう泣かないでください……」


 泣き崩れそうな父の背中に手を回し、私は綻びだらけになってしまった記憶に家族としての真新しい想いを刻みます。


 きっとここからやり直す事だって出来る、そう父の胸の中で強く感じ、どんな絶望や苦しみにも負けずに諦めなかった、私が生涯をかけて愛すべき英雄(シュウゴ様)に感謝します。


 そして私の願いを聞き届け、シュウゴ様に力を与えてくれた、この世界とは違う世界に住む誰か(あなた)の想いに感謝を捧げました。


『私達を救いたいと願ってくれてありがとう、貴方の祈りのお陰で、私はここに辿りつけました』


 漸く親子としての一歩を踏み出せた私達、抱擁のように柔らかで温かく祝福する日差しが仄かに母の面影の残る庭を温める中、そこには確かに救いがあって、誰かの優しさがそうしたのだと、強く心に感じたのでした。

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