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閑話 二人の抱擁

 夫である先代国王に先立たれ、先代の王妃様が残していった義理の息子に代を譲り、政務からとうの昔に引退したのに、未だに王太后なんて大げさな呼ばれ方するわたくしにとって、夫と初めて会ったこの小さな中庭の手入れは老後の楽しみの一つだったわ。


 わたくしの心を奪って自分の色で一杯にしたくせに、一緒に生きていこうって約束したわたくしを残して一人でさっさと先に逝ってしまった、ちょっとだけ憎たらしくて世界で一番愛おしいあの人が、一緒に過ごしてくれた日々を振り返る、わたくしの大切な時間。


 あの人と過ごした楽しかった日、初めて子を授かって嬉しかった日、あの人が亡くなって悲しさで胸が張り裂けそうだった最後の日も……、城の中でも特に目立つ所でもない、けれどあの人が過ごした日々の全てが詰まった思い出の場所。


 そんな場所へ侍女も連れずに独りで足を運んだのは、他でもない自分が腹を痛めて産んだ愛おしい娘のため。


 呪に侵されて呪持ちに操られ、多くの人を傷つけ殺めた我が子、その罪はきっと消滅した後だからといって消えはしないでしょう。


 それでも、我が子の死を悲しまない母親にはどうしても成れなくて、その悲しみを癒やそうとわたくしの足は自然と中庭に向かっていたわ。


「あの子は、いつだってわたくしを驚かせたり心配させる困った子だったけれど、こんな終わり方で驚かせるなんて思いもしなかったわ……」


 もし亡き夫が居たのなら、きっと訃報を聞いた時にあの人に泣きついていたでしょうね。


「母親よりも先に逝くなんて、本当にあの子は貴方に似てそそっかしくてお転婆ね……、私はもっとゆっくり生きてくれて、孫の顔を見せて欲しかったのよ?」


 王族として、呪持ちに疲弊した王国で誰にも見せてはいけない思い、けれど自分の抑えきれない悲しみを抱え、夫と初めて出会ったあの日の私と同じように、思い出が詰まった小さな中庭せかいで吐き出そうとしたわ。


 けれども、そこには先客が居たの。


 「どうして私はなにもできない子供で、なんで一緒にシュウゴを支えようって約束したレーミクさんに嫉妬をするの……?こんな辛くって苦しくて惨めな気持ち……、もう嫌だよぉ……」


 涙に濡れる少女と言える年頃の女の子は痛々しい程に叫び続けて、彼女は枯れた芝生に何度も自分の無力さを叩きつけるようにして、小さな手を真っ赤に腫らしていたわ。


 その小さな胸で悲しみと苦しみが大きなうねりとなって、吐出される悲しみは石壁に囲まれた小さな中庭に木霊して、私の空虚な胸にも何度も響いていく。


 溢れる想いを叫ぶ姿は、自らの恋が上手くいかないと泣いていた、呪持ちによって娘を亡くした自らの姿と被ってしまい、私はそのまま立ち去る選択をすることが出来ずに話しかけた。


「あら?今日は寂しい冬の庭に随分と可愛らしい先客がいるのね、でも大きな声を上げて一体どうしたの?」


 あの日泣いていたわたくしにあの人がそうしたように、わたくし少女(あの日の私)に、そう尋ねてみる。


 彼女は尋ねた声に驚いたのでしょう、消え入る様な声で私にこの庭に入ったことを謝ってきたわ。


 年をとると色々な事に気付くのが遅くなるのは問題ね、真新しい巫女服に身を包んだ彼女が稀人様の巫女であるって、私はこの時になって漸く気が付いたの。


 この国を……、いいえ、この世界を護るために稀人様の側に立ち、呪持ちに立ち向かう年端のいかぬ少女達。


 世界という多くを護るため、自らの愛おしい人を何度も何度も死地へと送り、自らも死地に向かう、自分たちと一緒に戦う多くの人の死を見続ける、そんな悲しすぎる運命を背負った存在。


 一度だけ、たった一度だけ夫を死地に送り出したわたくしですら、胸が千々に乱れ耐えられない程に苦しみを背負ったのよ?彼女達が背負うべき悲しみの重さは、きっとわたくしには想像も出来ぬ程に辛いものだと思うわ。


「勝手に入ってしまって、ごめんなさい……」


 それなのに彼女はこの庭に勝手に入ったことを謝ってきたのを見て、自らの胸に悲しみ以外の感情が芽生えるの感じたわ。


 彼女の震える小さな肩がどれ程の重荷を背負っているのか分からない、でも目の前に居る自らの運命に打ちひしがれた少女に、わたくしは自分が出来る事をしてあげたい。


 そんな風に思うことを誰かが責めるのであれば、老い先短い自分の命を使っても守ってあげたいと思える程、悲しみで小さな肩を震わせ、己の弱さと無力に泣き濡れる姿はわたくしの年老いた心と身体を突き動かしたわ。


「はい残念、捕まえた」


 勝手に入ったことを咎められると思っていたのでしょうね、逃げようとする彼女が小さく震えたわ、だから怯えなくて済むように出来るだけ優しい笑顔を浮かべ、そっと抱きしめて語りかける。


「あのね、涙に濡れた女の子に何もせずに送り出すなんて嫌なの、だからどうかわたくしの我儘を聞いてくださらないかしら?」


 冬の朝露に濡れた彼女の身体はぞっとするほど冷たくて、私の胸が霜焼けを起こした指先のように、針で何度も刺されるように鋭く痛む。


「わたし、とってもダメな女だったわ、だからもう……」


 それなのに彼女の口から出た言葉は自分を責める言葉で、少女一人に世界はどれほどの悲しみを背負わせ、彼女が自らの思いで誰も傷つけたくないと、どれだけの我慢を自らに強いていたのだろうと、痛みは止むこともなくわたくしの心を支配していく。


「あらあら?こんなに可愛い貴方の何が駄目なのかしら?よかったらわたくしに教えて頂戴?きっと何にも悪いことなんて無いわ、だって貴方はちゃんと謝ることが出来る子だもの」


 彼女を苦しめている悲しみが、溢れる涙が止まるまで、ずっと静かに彼女の冷えきった心と体を抱きしめてあげたい、この悲しみを痛みを癒してあげたいと心からそう願ったわ。


「私、わたし……、やっちゃだめってわかってるのにっ、どうしても我慢できなくってっ……」


 そう思って彼女を抱きしめたのだけれど、夫が愛してくれてあの子達を育んだ若い頃と違い、夫を亡くしたわたくしの身体は食も細くなって随分と硬くなってしまったわ。


 枯れ木のように痩せ細って、年のせいで骨ばかりのおばあちゃんの抱擁で苦しくないかと少しだけ心配していたのだけれど、わたくしの胸に収まった小さなお客様は文句も言わず、ただ泣き続けていたの。


「ごめんなさいね……、貴方はきっと、とても辛いことがあったのよね?でも私は話してくれないと分かってあげられないわ。でも貴方が泣くために胸を貸して、その涙を拭いてあげる事くらいは出来るから……、今は貴方の心が満足するまで泣いて良いのよ?」


 そうして幾らかの時間、わたくしは彼女の悲しみを受け止めて過ごすと、漸く涙も枯れてきたのか、彼女は遠慮がちに嗚咽混じりに話をしてくれたの。


「ごめん、なさい……、急に、泣いたりして……」


「いいのよ、長い人生ですもの……、辛いこと、悲しいことはたくさんあるのよ……」


 わたくしは胸の中の少女と自らの心に、言い聞かせるような言葉を口にして小さな肩を抱きしめる。


「人ってね、一人だけでは生きていけないのよ?生まれ落ちる前から母親の腹に居る頃から誰かと繋がって生まれるの、だからわたくしと貴方がここで出会ったのにだって、きっと……、意味がある事なのだと思うのよ……」


「うん……、私、さっきまでね、こんな汚い女は消えちゃえばいいって思ってたわ、でもおばあさんに抱きしめてもらったら、それじゃあいけないって思えてきたの……」


 どんなにたくさんの幸せがあったとしても、それに酔ってしまって周りが見えない人生は独り善がりのものでしかなくて、いつか食い散らかした幸せに、蓄えた心の贅肉に心が腐り落ちて、醜い我欲の化物へと落ちていく。


「そう……、貴方が消えちゃえば悲しむ人が居るってちゃんと分かっているのですから、やっぱり貴方はいい子ね」


 隣人が、愛する人が消えてしまうことに悲しみを感じないのなら、それは誰かを喪う以上にとても悲しいことだと思う。


「だからこそわたくし達は隣人を作り、誰かを愛して子を為して家庭を作り、自分以外の誰かと幸せも辛いこともを共有して生きているの、だから出会いには意味があるわ……」


 わたくしの言葉を聞いた彼女は自らの過ちに気がついたのでしょうね、酷く驚いた顔をしながら自らの思いを口にしだしたわ。


「どうしてそんな大事な事、私忘れてたんだろう……、お母さんやクシーナが亡くなった時、私すっごく胸が痛くて苦しかったのに、そんな悲しい思いをシュウゴやお父さんにさせようとしてるんだって、おばあさんのお陰でやっと気付いた……」


 あの子がそうだったように独りで苦しんでいれば、その苦しみで目の前が濁って見えて何もかもが歪んで見えてしまうのでしょう、そんな不器用な生き物が人間なのだと思うわ。


 わたくしの言葉に耳を傾ける少女は、その翡翠の瞳でただひたすらに、とても真っ直ぐにわたくしの紡ぐ言葉を受け止めてくれたの。


「私達は弱くてね、時々自分すら見失うし、時にはどんなに想いを重ねた相手でもすれ違いだってあるわ、それでもそんな不器用ないきものだからこそ、わたくし達は自分にない『何か』を、誰かに与えられて、心を動かされてやっと人として生きているのよ」


 きっとわたくしは抱きしめたかったのではなく、誰かに抱きとめられたかったのかもしれない、そう感じる程に彼女の瞳は美しくて、癒やされたのはきっとわたくしの方だって思ったわ。


 彼女の涙を優しく拭いながら、悲しみで沈んでいた心が少しだけ軽くなったのを感じて、自分の人生で感じたことを、あの人と生きた日々の思い出を、あの人と出会った中庭で、今日初めて出会った少女に語る。

 

「歩んだ人生がどんなに幸せばかりだろうと、人はいつかは平等に大切な人を喪う日が必ず来るのよ、その時に一人で泣き続けて苦しむことがこの世で一番の不幸だって、わたくしね、夫と過ごした日々に教えられたのよ」


 こうやって誰かに自らの思いを伝えて、誰かの心に寄り添いながら生きていく、この世界に神様と祖先がやってくる前からずっと続いてきた人の営みだと思う。


「うん……。私、ね?おばあさんみたいに長く生きていないし、男の人を好きになったのだってシュウゴが来てからだから、今言ってくれたこと、全部分かるって言えないけど……、でもとっても素敵だって思う……」


 年老いた女の語る言葉と想いに、幼い彼女が同意してくれたことがうれしくって、わたくしは微笑みながら、この幸せを運んできてくれた小さなお客様に尋ねる。


「ありがとう、貴方がそう言ってくれてわたくしとっても嬉しいわ、でもね、いつまでも貴方の事を『あなた』って呼びたくないのよ」


 自らの悲しみを抱きしめてくれた小さなお客様に、何度も聞きそびれてしまっていたお名前を再び尋ねながら背中をそっと押して、私は小さな中庭(せかい)の中心に目を向ける。


「だからね、まずは汚れてしまったお顔を綺麗にして、それから貴方のお名前を聞かせてくれるかしら?」


 そう言って小さなテーブルと椅子が待つ場所へ、あの人や子供たちと沢山の時間を過ごした暖かな日差しが待っている庭の中央へと彼女を招待したわ。


「はじめまして、小さなお客様、わたくしはカリーナ、カリーナおばあちゃんって呼んでくれると嬉しいわ」


 これが王太后なんて大げさな呼び方をされる私と、愛する人を必死で守りたいと願う小さな巫女、ロリーエさんとの出会いだったわ。

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