8 エリート聖女のスカウト【後編】
聖女。
その単語が鼓膜を叩いた瞬間、脳裏にドミニク司祭の言葉が蘇った。
――今の私の年収が月給として入るレベルだろうな――
ゴクリ、と喉が鳴った。
無意識のうちに、腰が浮いていた。
「……ところで、エリス様。聖女ともなれば、待遇もそれなりのものが用意されるのでしょうか? 具体的には、その、実入りのほうとか」
「お金、ですか?」
彼女は一瞬きょとんとしたものの、すぐに表情を引き締めた。
「実力主義派――わたくしたちの派閥では、成果に見合った報酬を約束します。マリー様の実績なら、聖女の平均給金を大きく上回るはずですわ」
「平均の、上!」
脳内が金貨で埋めつくされる。
ドミニク司祭の話よりも上ということは、エール樽を自室に置くどころではない。なんなら酒樽の中で暮らすことだってできる! ――いや、それは要らないが!
私は欲望全開のまま、手放しで絶賛した。
「感動的です。実力が正当に評価される職場、まさに私が求めていた聖域ですよ」
「あら。気が合いますのね」
「ええ、もちろんです。ちなみに福利厚生は? 有給休暇は?」
「王都の聖職者規定に準じますわ。休暇もしっかり取れますし、祈りに専念できる格式高い居住区も完備されています」
「完璧ですね。行きましょう、王都へ!」
私は勢いよくベンチから立ち上がり、力強く親指を立てた。
夢が広がる。聖女万歳!
今日から私は、高額納税者の仲間入りだ。
「話が早くて助かりますわ!」
エリスがうれしそうに言う。
「是非とも『過剰種に対する不適切な処理』についても、詳しい事情を確認させてくださいまし」
「過剰種ですか? 最近増えていますね」
「モッカ村周辺では目撃情報や被害報告があるにも関わらず、教会への出動要請が一切ありませんの。それどころか当該個体が死体としてすら見つからないケースが散見されていますわ」
「はあ、それは――」
「本来、過剰種の討伐および事後処理は、正規の手順を踏んだ聖職者のみに許可された権能です」
…………え?
「現在、王都では過剰種に関する不穏な動きがありますの。ですので、モッカ村周辺における実態の調査と、マリー様の聖女認定試験。この二つが今回の目的ですのよ」
サーッ、と。
私の頭の中から黄金のエール樽が消え失せ、代わりに断頭台の幻影が浮かび上がった。
不適切な処理。調査。
……まずい。まずいまずいまずい!!
もし王都へ行って、私の力が霊力由来の奇跡ではなく、師匠を異端に追いやった『不浄の業』と同じものだとバレたら?
それはもう、不合格どころの話ではない。
給金以前に、教会への反逆を問われて異端審問官とテーブルをはさむことになる。
もちろん、そこに出されるのはエールではなく――死刑宣告だ。
地下牢? 火あぶり?
だめだ。
この話は毒入りの果実だ。
食ったら死ぬ。
君子豹変。前言撤回は早さが命だ!
私は何くわぬ顔でベンチに座り直した。
「……行きません」
「なっ?」
彼女はぽかんと口を開けた。
「な、何を言っていますの!? 今、行くと言いましたわよね!?」
「言っていません。過労による聴覚障害では?」
「言いましたわよ! 福利厚生まで確認して!」
「辞退します。私の力は、そんな大層なものではありません。ただの偶然と勘違いの産物です。査問にかける価値もありませんよ」
私は無表情に言い放った。
「それに、王都まで馬車で一週間でしょう? そんな長い間、狭い箱の中でガタガタ揺られ続けるなんて、想像しただけでおしりの皮がむけ、腰が爆発してしまいます」
「この期に及んで、そんな懸念を――っ!?」
「甘く見ないでください。私のおしりはデリケートなんです。最高級の羽毛クッションと、揺れないサスペンション。そして三食宿つきの待遇が用意されない限り、私はこのベンチから一歩も動きません」
彼女は肩で息をしながら、ワナワナと拳を震わせているが、知ったことではない。
私はそれ以上の反論を許さず、ふたたび横になろうとした。
――その時。
「……これだけの戦力があれば」
ぽつり、とエリス様がつぶやいた。
「王都周辺の危機も解決できると思いましたのに……」
「それは王都の事情でしょう。私には関係ありません」
「現在、異常な過剰種が多発しておりまして……特に問題なのが、最近になって急激に数を増やしている亀型の過剰種ですの。結晶の甲羅に覆われていて、騎士の剣すら通さないほど硬くて」
ピクリ。
「……今、なんと?」
「え……?」
「結晶の甲羅と言いましたか? つまり、結晶が体の外に出ているタイプということですか?」
「は、はい。全身が分厚い結晶の甲羅に覆われていて、それが一匹や二匹ではなく次々と――」
私の胸が高鳴った。
外装型。
それはつまり、今朝のイノシシのようにとてつもなく硬いということだ。
私の全力を真正面から受け止めてくれる、理想的な剛性。
おまけに――一匹や二匹ではないと?
「誰も傷つけられず、あちこちで暴れまわっていて……最高級の白霊鋼、ミスリルの剣ですら折れたとか。王都が誇る教会騎士団も、今は被害を最小限に抑えるための防衛に回るのが精一杯ですわ」
「ミスリル!」
私は思わず声を上げた。
ミスリルといえば、この世で最も硬く、決して折れないと言われる夢の金属だ。
それが、折れる?
ミスリルを凌駕する天然の装甲。それはつまり、あのイノシシの複合構造すらも上回る、とてつもない手応えが期待できるということではないか。ミスリルの亀なんて素晴らしい――だめだ、思考が追いつかない!
ともあれ。
要するに、だ。
王都へ行けば、とびきりの硬度を誇る猛者たちが殴り放題で待ち構えている。
すなわち――
私の健康的で文化的な、最高水準のデトックス生活が約束されるということだ。
「……エリス様」
「は、はい?」
私はにやつく口もとを抑えられないまま、困惑する彼女の手をガシッと握りしめた。
「世界にはびこる痛み、ほうっておくわけにはいきませんね。労働条件の不備は追い追い解決していくことにしましょう」
「えっ、あ、はい。そうですわね?」
「その亀、私が責任を持って愛――いえ、浄化いたしましょう。その頑なな体に私の熱を一滴残らず注ぎ込んで、あふれるほど満たしてあげます!」
「ええっ!? さっきと言っていることが違いますわよ!? お尻の皮はどうなりましたの!?」
かくて。
硬度を求める欲望と。
切実な体調管理と。
その両方を目当てに――
私は住み慣れたモッカ村を離れ、王都へと旅立つことになるのだった。
(第一章・完)
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次回:第9話「モッカ村出発騒動」
スタートダッシュ連載はここまでとなります。次回からは【毎週金曜日18:00】の定期更新でお届けします!
9/11(金)18:00に更新予定です。




