6 炭焼き小屋の武闘家
「おお、マリーか」
少し離れた古い炭焼き小屋。
むせ返るような熱気と白煙を吐き出しているこの場所で作られているのは、ただ暖をとるための木炭ではない。
王都の鍛冶場が鋼を鍛えるためにこぞって求め、商人が直に買い付けに来るほど高値で取引される、とびきりの硬質炭だ。
パァンッ!
師匠のあいさつと同時に、乾いた破裂音が耳を打った。
炭の原木となる分厚い薪がまっ二つに割れて宙を舞う。
……あいかわらず、斧を使っていない。
「今日も元気そうですね。その薪、割る瞬間の手応えはどうです?」
「ああ? ……まあ、乾燥しきってていい硬さだ」
師匠は流れるような動作で次の薪を据えた。
「一切のしなりを許さず、真っ向から俺の気を押し返してくる。この頑固な拒絶をブチ抜く瞬間が、一番気が通る」
「頑固な拒絶、いいですね。わかります」
「お前、また変な解釈をしてるな……?」
師匠は眉をひそめ、むぞうさに右手をふり下ろした。
木材の悲鳴が昼下がりの静かな空気を切り裂く。
「今朝の破城、いい音をさせていたな。ここらまで聞こえたぞ」
「過剰種です。今回はイノシシでした。もう、最高でしたよ!」
私は前のめりになって一気にまくし立てた。
「結晶層の脆性破壊から生じるクリスピーな初撃の直後! 内部の靭性に富んだ筋繊維へと衝撃が伝播して、反発感が劇的に変化するんです! あの表面の冷酷な硬度と、深層の密実な弾力による複合的な積層構造が生み出す応力たるや……!」
私は自分の右手をうっとりと胸に抱きしめた。
「思い出すだけで掌がとろけそうです。えへへ」
「まったく……」
師匠は私の顔色をじろりと見た。
「たまっていた澱みは吐き出せたようだな」
「ええ。おかげさまで体は軽いです」
「すまんな。まともな治療法を教えてやれなくて」
「そうですよ。本当に役立たずですね、師匠は」
「お前なぁ」
師匠は煤けた手で短く頭を掻いた。
「冗談ですよ。水鏡と破城がなければとっくに死んでますから」
「師匠なんて呼んでくれてはいるが、まさか俺よりはるかに気を貯め込む器が大きくなってしまうなんてな」
「……継続は力なり、とは皮肉ですね」
「間違ってはないんだがなぁ」
師匠は手刀で割ったばかりの薪を拾い上げ、その断面を撫でた。
かつては大陸を股にかけた武闘家だったという彼の指先は、今はもう炭の汚れにまみれている。
私はその煤けた手から目をそらし、自分の聖服の裾をいじった。
「……ごまかし続けるのも大変ですよ。村のみんなには『祈りで奇跡を起こす聖女』扱いされたままですけど」
「いいことじゃないか」
私は転がっていた切り株に腰を下ろし、うんざりして息を吐き出した。
「そもそも、師匠に教わったこの『気』ってやつ、本当にマイナーすぎませんか?」
「はっはっは! 仕方のないことだ。精霊教会が王国を取り仕切っている以上、この『導気』は日陰者だからな」
師匠が明るく自己否定する。
だがその笑みをふっと消すと、手にしていた薪を静かに置き、私をまっすぐに見すえた。
「……いいか、マリー。間違っても、その力を誇示しようとは思うなよ」
炭焼き小屋の空気が静かに凍りつく。
「精霊教会の教義に反する力が異端扱いされるのは目に見えている」
「しませんよ。目立って面倒ごとに巻き込まれたくはないですからね」
私が肩をすくめると、師匠の声のトーンが落ちた。
「俺も昔は若かった。王都の御前試合でな、中央教会の近衛を務める武官を、この導気の技で叩きのめしてやったことがある」
何度か聞いた、師匠の過去だ。
「だが教会はその結果を認めなかった。奇跡を持たぬ者が勝つことは、秩序への叛逆――霊素を汚染する『不浄の業』だと断じられたよ」
「たしか、それで追放されたんですよね」
「追放どころか、処刑執行令だ。別に、俺一人ならどこへ逃げようがどうとでもなったんだがな」
師匠はすこし目を伏せた。
「異端を匿ったとして、ハナまで追われてな。あいつを守るためには、すべてを捨てて逃げるしかなかったんだ」
――そして二人で、モッカ村に流れ着いた。
ハナさんのことは私もよく覚えている。
私が泣きべそをかくといつも甘い焼きりんごをくれる、とても優しい人だった。
「……この拳は、勝てば勝つほど居場所を失う拳なんだよ」
武を示した手が、愛する女の平穏を奪ってしまったという呪い。
やりきれない話だ……
「……ハナは笑って許してくれたがな。俺の独りよがりの勝利のせいで、あいつに不自由な逃亡生活を強いることになった」
師匠は遠い目をして、積まれた薪に腕をのばした。
「冬に火も焚けない夜もあった。俺のこの手は、国一番の武官を倒せても、ハナに温かいスープ一杯をふるまうことすらできなかったんだ」
薪に押し当てた師匠の拳が、木肌をみしりと鳴らす。
「大変だったんですね……」
「何を言っている。昔話ではないぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、最近の王都は俺がいた頃よりさらに物騒だ。うちの炭を買いに来る商人たちがこぼしていたよ」
師匠はそこで言葉を区切り、顔をしかめた。
「実権派とかいう連中が上層部で台頭し、裏で危険な火遊びをしているって噂だ」
「じっけんは?」
「精霊教会の派閥の一つだ。派閥争いなんてものは不毛の極みだ。異端の断罪の方がまだ納得がいく」
「自分で言いますか」
「だからこそ、お前には何度も言い聞かせている。何があっても、シスターの皮だけは被っておけ。それがお前と、お前の周りにいる連中を守る唯一の方法だ」
「はあ……しかたないですね」
師匠の節くれだった拳を、そっと見つめる。
「でも師匠。これが不浄じゃない場所も、どこかにあるんですよね?」
「あるはずだ、としか言えん。といっても、南の国メルカで用心棒をしていた頃に聞いただけだ」
懐かしむように、師匠は空を仰いだ。
「さらにその南の島々や大陸を巡る拳法家の一団に会ってな。俺がこの術を学んだのは彼らからだ」
「そこに行けば楽なのかなぁ」
「何がだ?」
「いろいろと建前を気にせず、のびのび暮らせるんじゃないんですか?」
「そうはならんだろうな」
私の期待はあっさりと笑い飛ばされた。
「拳法家の集まりのような土地らしいからな。気は使えるが拳法を習得しておらんお前など、下っ端人生になるぞ」
「そうなんですよね。修行なんてする気もありませんし」
もはや何度となくかみしめては呑み込んできた、味のしない問答だ。
師匠は足もとに転がっていた薪を拾い上げ、ぽいと脇へほうり投げた。
「マリー。お前がやっているのは『武術』ではない。ただの『排熱』だ」
「師匠にそう教わりましたからね」
「そうだ。お前には戦う意志もなければ、敵を穿つ殺意もない――」
ほんの短く間を置き、厳しい目つきを向けてくる。
「お前は一生、『戦う者』にはなれん」
「わかってますよ。私は戦いたくなんてないし、安全な場所でおいしいものを食べて過ごしたいんです」
私は自分の掌を見つめた。
この手は、誰かを守るための盾でも、敵を倒すための剣でもない。
ただ自分の不快な熱を逃がすための利己的な排出口だ。
「一応、過剰種の討伐は『鎮魂の奇跡』のおかげだって思われていますし、このまま静かに暮らせれば……」
「そうだな。今のままでいい」
「でも――でもですよ」
私は座っていた切り株の端をギュッと握りしめた。
「もし私の過剰種の鎮魂が奇跡として認定されれば、給金が跳ね上がるらしいですよ。……そうすれば私、今頃は酒池肉林の生活だったのに」
「酒池肉林って……そんな生活が欲しいのか?」
怪訝なまなざしが返ってくる。
「だったら、大人しく祈りを捧げて奇跡を習得したほうがいいんじゃないのか?」
「それが退屈で気を練りはじめたんですけどね」
「そうだったなぁ」
堂々巡りの末、いつもの袋小路に行きつく。
「まあ、分相応というやつだ。俺はこれからも日陰者だし、お前はただのシスターだ」
「ひどい言い草ですね……」
救いようのない現実を突きつけられ、私はがっくりとうなだれた。
戦えない拳法家であり、奇跡の使えないシスター。
この村の平穏だけが、私の唯一の居場所なのだ。
命の危険がないのは素晴らしいが――いかんせんこの熱のやり場がない。
……こんな時は、現実逃避に限るっ!
「じゃあ師匠、また来ますね。イノシシは明日になれば食べられるらしいので来てくださいよ」
「ああ、楽しみにしてるよ」
私は立ち上がり、薪に向きなおった師匠に背を向けた。
肩越しにふり返ると、炭窯からは変わることなく煙が細く吐き出されていた。
かつて王都の光の下で勝利をつかんだその業火は、今では音もなく……くすぶるように炭を焼いている。
目立たず安全に生きるなら、師匠の忠告通り息をひそめて収まるのが一番賢いのだろう。
――それでも、やっぱり私には無理だ。
胸の奥が、そして排熱の余韻を残す掌が、じんわりとうずいていた。
平和にまどろんでいたい。
やっかい事も避けたい。
けれど――
この体内の澱みをもっと硬い何かにぶつけて、とろけるような反動を味わいたい。
この熱を抱えたままおとなしく枯れ果てるなんて、私にはとても耐えられない。
師匠の静かすぎる背中から逃げるように、広場のベンチへと歩を早めた。
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