16 酒場『赤豚亭』の夜【中編】
エリスはグラスを強く握ったまま、眉間に深いしわを寄せている。
「なら、何が気に入らないんです?」
「――実権派。特務枢機卿とその取り巻きたちですわ。今の教会において、彼らはまさに歩く火種ですの」
「火種?」
「ええ。大精霊への信仰など建前。彼らは北部の霊獣の脅威をことさらにあおり、防衛費という名目で多額の公金を引き出していますの。産業からも裏金を集め、私腹を肥やしているのですわ」
「精霊よりも、カネと権力が好きと」
「その通りですわ! 彼らにとって過剰種はもはや自然の脅威ではなく、自分たちの軍事的野心を叶えるための道具に過ぎませんの」
ギリッ、とエリスの奥歯が鳴った。
……あんなに熱をため込んでいては体に悪いだろうに。
私はひとごとのように思いつつ、ジョッキのエールを喉に流し込んだ。
「……最近、王都周辺で過剰種の出現頻度が上がっていることに、お気付きですか?」
「ええ。おかげで……いえ、怖いことですね」
……危ない。
うっかり口をすべらせるところだった。
「それが異常なのです。本来、過剰種は自然発生的なエラー。これほどの頻度で現れるなんてありえませんわ」
彼女の瞳が、酒場のランプを受けてギラリと光る。
エリスはグラスの火酒をひと口含み、こちらへ顔を寄せてきた。その吐息には、酒のにおいと、ひりつくようないらだちが混じり合っている。
「――わたくしの調べでは、人為的な干渉が疑われますの」
「誰かがわざと動物たちを暴れさせていると?」
「ええ。実権派の連中は、裏で糸を引いている節がありますわ。あの莫大な資金と、この過剰種の不自然な増加には、何らかの繋がりがあるはずですの」
「お金がたくさんあってうらやましいですね」
「もう……それに連中ときたら、奇跡の軍事転用なんてたわごとまで提唱し始めていますの」
エリスはグラスを空にすると、ドン、と乱暴な音を立ててテーブルに叩きつけた。
「本来守るべき民の安全など二の次。利権とメンツのことばかり……本当に、反吐が出ますわ!」
彼女はグラスを火酒で満たし、ふたたびあおった。
普段の凛とした姿からは想像もつかないほど、その横顔には焦燥がにじんでいる。
唐突に、エリスが私をビシッと指さした。
「だからこそ、わたくしたち実力主義派には決定打が必要ですの。今回、マリー様をスカウトしたのもその一環ですわ」
「私?」
「ええ。文句のつけようもない結果であの俗物たちの度肝を抜いて、悪事を暴いてやるんですわ!」
「……巻き込まないでくださいよ」
私はジョッキを置き、わざとらしくため息をひとつついた。
「だいたい、そんなに生き急いでどうするんです? 肩の力を抜かないと、いつか折れますよ」
「――抜けるわけ、ないじゃありませんか」
エリスは空になったグラスへ火酒を注ぎ、静かに飲んだ。
「わたくしの故郷は、利益と実績を求める実利主義者の集まり。結果を出せない人間は、たとえ身内であっても無価値として切り捨てられる。そういう場所でしたの」
火酒のせいだけではない熱を帯びて――
エリスの声が低く、重く沈み込んでいく。
「兄様も、父様も、優秀な実績しか愛さない人たちでした。わたくしがどれだけ純粋な祈りを捧げても、どれだけ民を救いたいと願っても……力なき理想だけでは誰にも届きませんでしたわ」
そう言ってうつむくエリスの肩が、小刻みに震えていた。
「だから誰よりも速く、誰よりも高い成果を出さなくてはいけませんでした。――そうしなければ、わたくしの信仰も、ただの青臭い戯れ言として家族にすら踏みにじられてしまうから……!」
吐き出すような、悲痛な叫び。
「王都でも同じです……他派閥につけ込まれないためには、誰からも文句を言われない完璧な聖女でいなければならないのです。少しでも立ち止まれば、弱みを見せれば、わたくしのすべてが汚い権力争いに食い潰されてしまう……ッ!」
彼女はグラスに残ったお酒を飲み干す。
そして……張りつめた糸がきしむような、ひどく苦しげな息をついた。
「――息が、詰まりますわ。結果を出し続けなければ、わたくしの存在意義すら失われてしまう。このままでは、わたくし……」
まわりの喧騒が遠のくほどに、その声だけが妙にはっきりと耳に残った。
……なるほど。
このエリート聖女様が時折見せる余裕のなさや、私のような人間にまで必死に世話を焼く理由がすこしわかった気がする。
――彼女はずっと、目に見えない重圧に追われ続けているのだ。
「まあ、事情はわかりましたけど」
私は大ぶりの肉をフォークに突き刺し、彼女の皿にポンと乗せた。
「とりあえず食べなさいな。空腹でむずかしいことを考えてもロクな結論になりませんよ。脂と糖分は世界を平和にはしませんが、少なくとも私の機嫌は良くしてくれます」
「……ふふっ。貴女らしい慰め方ですわね」
エリスは小さく吹き出し、表情をゆるめた。
新たにグラスをあおってから、お肉を口に運ぶ。
「……美味しい。でも、カロリーが怖いですわ」
「さあ、飲みましょう。明日からは快適な馬車の旅が待っているんですから!」
「そうですわね。……乾杯!」
私たちはふたたび杯を合わせた。
そこに。
「おや、すこし元気が出たみたいだね。料理はお口に合うかい?」
空いた皿を下げに、さきほどのお姉さんがやってきた。
「ええ、最高においしいです。脂が隅々まで染み渡っていますよ」
「そりゃよかった。さっきまでずいぶん辛気臭い話をしてたからね。……にしても、よく飲んだね」
彼女は空になった火酒の瓶を見て目を丸くした。
「ほんと、いい火酒ですわ」
エリスはトロンとした目で、空のグラスをかたむけている。
私はウェイトレスさんの耳を見上げながら、ふと言った。
「お姉さんは亜人なんですね」
「そうだよ。文句でもあるかい?」
お姉さんがすこしだけ警戒したような声を出した。
「いえ。モッカ村にはエルフが少しいるだけだったので、珍しいなと」
「ああ、そういうこと。たしかに、このあたりだと亜人が多いのはブラマくらいだね。悪かったね、街の聖職者どもは亜人嫌いが多いもんでさ」
彼女はそう言って肩をすくめたあと、エリスの方へ視線を向けた。
地味な紺色の聖服姿の私とは対照的な、あざやかな深紅のドレス。
その露出の多さを見て、あからさまに首をかしげている。
「お連れさんはずいぶんと変わった格好だね。この辺の人間じゃないだろ?」
「ああ、この人はなんか南の国から来たらしいですよ」
「メルカですわ! 国の名前くらい覚えてくださいまし、マリー様!」
バンッ、と机を叩き、エリスが抗議した。
「メルカだって?」
お姉さんはあらためて、エリスの派手な姿と肌の色をまじまじと見つめる。
すると合点がいったように手を打った。
「へえ、道理でいい肌の色に、見慣れない布地なわけだ。あそこは亜人でも実力でのし上がれるっていう、活気のある国じゃないか。なんでまた、そんな南の国から来た人が、聖職者なんかといっしょにブラマにいるんだい?」
「わたくしも聖女ですわ!」
お姉さんがうさんくさそうに目を細めた。
「うそだろう? その格好で?」
「メルカの正当な衣装です!」
「王都から私のことを迎えに来てくれたんですよ。ちょうどさっきもその話をしてて。実力主義派だとか」
「実力主義派……そうですわ!」
エリスが酒の勢いそのままに、ガタリ、と立ち上がった。
「わたくしたち実力主義派は、種族や家柄なんて問いませんわ! 腕っぷしの強さ、計算の速さ、料理の腕前! 利益を生むなら、相手が誰であれ正当な対価を払って重用しますのよ! それがメルカの、わたくしたちの信じる実力主義ですわ!」
情熱に満ちたエリスの声が、にぎやかな酒場によく響く。
お姉さんがポカンとする横で、私も「へぇ」と適当にあいづちを打った。
「へへっ、姉ちゃんたち、いいこと言うじゃねぇか!」
横合いから野太い声が飛んできた。
見れば、隣のテーブルを囲んでいた狼の亜人たちが、こちらを向いてニヤリと牙をのぞかせている。
その中の一人、耳に大きな傷跡のある大男がジョッキを高くかかげた。
「俺たちは北の傭兵上がりでね。あっちじゃ過剰種だの霊獣だの、命がけの相手だらけ。マシな場所を求めて南へ下ってきたんだが……」
「どこもかしこも、亜人は力が強いだけの消耗品扱いさ」
と、こちらはすこし痩せた男。口もとをゆがめて続ける。
「割に合わねぇ汚れ仕事ばっかり。しかも安く買い叩かれて、うんざりしてたんだ」
どうやら、さきほどのエリスの演説が彼らの耳に届いていたらしい。
「実力を見てくれるなら、俺らも働きがいがあるってもんだ! この姉ちゃんたちに一杯おごってやれ!」
「おお! 未来の出世頭に乾杯だ!」
「あら、まあ……! そ、そうですか? 分かってくださいますか?」
追加の火酒や料理が次々と卓上に並び、エリスがまんざらでもない顔で頬を染める。
――自分の理想が認められたのが、うれしいのだろう。
彼女はそのまま上機嫌で、さし出された杯を受け取った。
「いいですねぇ、エリス! その実力主義、私も賛成です! タダ酒をおごれる実力がある人、大好きですよ!」
「貴女はただ飲みたいだけでしょう!?」
私の軽口にエリスがツッコミを入れると、ドッと店内が笑いに包まれた。
気がつけば私たちの席は、さまざまな種族の客たちに囲まれ、即席の大宴会場と化していた。
エリスは彼らの苦労話に真剣に耳をかたむけ、私はどんどんと運ばれてくる肉料理をひたすら胃袋におさめていく。
おなかが満たされ、ひと息ついたところで、今度は丹田がジリジリとうずいてきた。
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