17 酒場『赤豚亭』の夜【後編】
相談に応じているエリスを尻目に、私は近くの席で飲んでいたドワーフの背後に立った。
岩のようにゴツゴツした背中と、樽のような体格。
――さっきから目をつけていたのだ。
「な、なんだシスター? 俺に何か用か?」
「ええ。ちょっと触らせてください」
私は返事も待たずに肩へ両手を置いた。
……んっ、これは。
うっとりとその感触を確かめる。
ただ硬いだけではない。長年の労働で幾度も押し固められたのだろう、地層のような手応えだ。指を沈めようとしてもわずかに食い込むだけで、緊密により合わされた筋繊維がその奥から押し返してくる。一切の媚びがない、無愛想な拒絶感。
……たまらないっ!
と、そこで違和感に気づいた。
肩の奥深くで、気が淀んで渦を巻いているのだ。
ほうっておけば、いずれ彼も私のように苦しむことになるかもしれない。
それはしのびない。
「ずいぶんと凝ってますね」
「あ、ああ。万年肩こりなんだよ」
「流したほうがいいですよ。詰まると大変ですから」
……まあ、上等な硬度をいじくり回したい、というのもあるけど。
筋肉の奥でゴリゴリになった凝りをじっくりと転がしながら、彼の中にたまった気をゆっくりと動かしていく。
要は、水鏡の型と同じ要領だ。
「う、おおっ!? な、なんだこれ!? 熱いのが巡って……あ、あれ?」
ドワーフが信じられないというように腕をグルグルと回した。
「すげえ! あんなに重かった肩が、羽みたいに軽いぞ! 痛みが消えた!」
その声に店じゅうがどよめいた。
「おい見ろ、あのシスター……手を触れただけで治療したぞ!」
「すげえ……! これが聖女様の癒やしの奇跡か!」
「なんて慈悲深いんだ……!」
たちまち、周囲から歓声がわき上がり私を取り囲んだ。
「俺も頼む!」
「私の腰もみてくれ!」
あっという間に患者が列を作っていく。
私は「はいはい、並んで」と応じつつも、ゆるみきった口からこぼれそうになるよだれを飲み込んでいた。
トカゲの亜人の鱗の硬度。
狼の亜人の足のしなやかさ。
牛の亜人の筋肉の密度。
――どいつもこいつも、いい硬さだ。
無料でこんな感触を好きなだけ味わえるなんて。
棚ぼたとは、このことだ。
私はトカゲの亜人の尾をもみしだきながら、さっきのドワーフの話を聞いていた。
「助かったよシスター! 最近、妙な依頼を受けちまって肩がバキバキだったんだよ」
「妙な依頼、ですか?」
「ああ、傭兵稼業でよ。この間まで王都で受けてた仕事なんだが、ターゲットがおかしな獣ばっかでな。体の一部が異様に肥大してたり結晶化してやがったんだ」
「過剰種ですか?」
「いや。俺はよく騎士団の過剰種討伐に駆り出されるからわかるんだがよ――」
……それはうらやましい話だ。
「あんな不自然なのは見たことがねぇ。普通の過剰種と違ってやたらともろくてな」
「もろいんですか……」
そう聞いて、私の興味は急速にしぼんでいった。
「いや、凶暴さは過剰種以上だ。ただ、戦ってる最中にもあちこちが膨張してたみたいでな。骨やら結晶やらが突き破って自壊しやがるんだ」
「ほほう、それは面白……妙ですね」
「そうだろ? それでも討伐の報酬が出るからよかったものの、仲間の被害が増える一方でな」
ドワーフの傭兵は短くかぶりを振り、手もとのお酒を一気に飲み干した。
「しかも不気味なのが、出現場所が王都の地下施設とか外周の廃棄区画とか、変な場所だったんだよ」
「王都の内部ですって?」
突如、横からエリスが身を乗り出してきた。
「ちょっと待ってくださいまし。王都のような霊素が管理された環境で過剰種が発生するなんて異常ですわよ?」
「俺に言われてもなぁ」
詰め寄るエリスの迫力に、ドワーフが距離をとる。
「あまりに怪しかったもんでよ、詳しい話は聞かずに王都を抜けてきたってわけだ。結晶化した部分はとにかく硬くて、盾も斧も一戦ごとにボロボロにされちまうしな。結局、割に合わなかったぜ」
「結晶が硬い!」
バンッ!
今度は私がテーブルを叩いて身を乗り出した。
しぼんでいた興味がたちまち息を吹き返す。
「仲間内じゃ、裏の連中が地下で動物をいじくり回してるんじゃねえかって噂だぜ。実験で作ったやつを、処分してたのかもな」
「実験……! わたくしたちの調査結果に合致しますわ! 実権派のクソ共、裏でそんなことまで……!」
エリスははじかれたように立ち上がり、据わった目で私を見た。
「マリー様! やはり実権派が過剰種を兵器にしようとしているんですのよ! ええ、絶対にそうですわ!」
「――最高です。行きましょう、エリス!」
ガタッ、といすを蹴って、私は立ち上がった。
――つまり、こういうことだ。
王都には強大な亀の群れだけでなく、謎の過剰種までポコポコわいている。
森の中を泥だらけになって探し回る必要すらなく、向こうから勝手に殴られにやってくるというのだ。
ますます、明日からの馬車旅が楽しみだ。
「一刻も早く王都に乗り込んで、その過剰種たちの硬さを片っ端から確かめてやりましょう!」
「ええ! 頼もしいですわ、マリー様!」
酔いの回ったエリスも私も、本音が漏れていることに気づくことなく、勢いよく杯をかかげた。
「そうだ! 聖女様バンザイ!」
「王都の腐った連中を見返してやれ!」
酒場の客たちも巻き込んで、熱狂的な大合唱がわき起こった。
「ぶっ潰してやりますわー!」
エリスは空になったグラスをドンとテーブルに叩きつけたが、そのままふっと表情をゆるませ、糸が切れたように突っ伏した。
すぐに、すうすうと幸せそうな寝息を立てはじめる。
私は完全に出来上がったエリスを放置し、店員さんに猪豚串を十本追加注文した。
こうして、赤豚亭の夜は更けていく。
小窓から見上げた夜空は、街の熱気をたっぷりと吸い込んで輝いていた。
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